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『アリスの家』

作者:モグラ
 多少なりとも栄えた町の一角、街区の端の寂れた路地の先、今晩で三十路になろうという男が呆然と空を見上げていた。栄えた町の空は明るい。星々の明かりは相殺され、空はグレーに汚れていた。いっとう輝く一等星、後を追わんとする二等星。それより下は、ほとんど見えぬ様な晩であった。
 男のいた路地は、酒気に踊る馬鹿者達の行進からは、ずっと遠くにあった。時刻は丑三つを手前に控えた頃、彼方からは訳の分からない罵声が静かに聞こえていた。
 だが、男の耳にそれは届かない。男は今、己の中に響く声に、外殻以外の全てを奪われていた。

(楽しいか? 今の生活で満足か?)

自身が男に問う。

「分からない。分からない。分からない……」

男は呆然としたまま、呟くように答えた。男の姿は、まるで傀儡子に手繰られた人形のようであった。男の呟きは、何度も繰り返され、次第に小さくなり、やがて聞こえなくなった。男の半開きの口からは、シューシューといった、浅い息の音だけが漏れていた。
 虚ろな男の視界の端に、一枚のポスターが目に入った。男は手を伸ばした。それでも届かなかった。何か、それを手に入れねばならない、そのような気が男に湧き上がる。一歩、二歩、三歩、再び伸ばした手の先が、ボロボロになった色に触れた。男はポスターを自分の方へ引きずり寄せる。二十センチほど引いた後、指の間を大きく開き、ぐしゃりと鷲掴みにした。広げて眺めたそれは、どうやら映画のポスターであるようだった。生い茂ったジャングルの木々が、いかにもなタッチで描かれていた。手つかずの森。未踏のジャングル。空っぽの男の内部に、閉じたシャッターを、緑色の手がこじ開けて、侵入してきた。自問は既に反響を失い、答えは緑に取って代わられた。翌日、男は国を発つ準備を終えていた。

 男は乗船した。行先は無論ジャングルだ。男には、家庭は無かった。借家と仕事はあったが、それは昨日の内に整理していた。必需と思われるものと旅用のささやかな道具、それ以外は皆、金に換えてしまっていた。昨日の内に行ったのは、身辺整理と身を潜らせる木々達を探すことだった。男の両親は既に無かった。一昨年、去年と続けざまに逝ったのだ。職場でも寡黙な男に、自らの消失で大きく影響する人間関係は、存在しなかった。男が急に意を固めた一因でもあったろう。大半を占めていたのは衝動的なサムシングであったが。
 男が船に揺られ始めて数日が経った。やがて船は港に着いた。ジャングルを探す為に、遠い異国の地へ、最初の一歩を刻む。男の足取りは、心なしか軽かった。

 男は三日三晩の間、黙々と歩き続けた。何も食わず、夜も眠らず、水さえほとんど口にしなかった。だに、男は苦悶の表情一つ浮かべることは無かった。四日目の朝陽が昇る頃、男は何処かの森に辿り着いた。深い緑を湛えた樹木が、群をなして在った。男は一番手前の樹皮に歯を立てた。ガリッという不愉快な音が起きる。やられたのは勿論、男の歯の方だった。三分間ほど、荒い肌と競い合った。やがて、一片の樹皮を剝がしとり、口に含んで咀嚼した。五十は噛んだだろうか、男はそれを喉に下した。そして、足元に、ペッと残物を吐き出した。白い欠片、男の欠けた歯であった。
 男はなおも進んだ。陽の昇降など、なんの関心も抱かなかった。垂直に上った火球が身を灼く時も、冷ややかな
白影が孤独にスポットライトを当てる時も、男はただ黙然と進み続けた。飢えに足が止まれば、辺りの物を手当たり次第に平らげた。虫、草花、動物、その死骸、時に樹皮。獣の如くに貪った。幸運なことに、しかしどうして、毒に当たることは無かった。川があれば泳いで進んだ。川の水も構わずに飲んだ。濁って汚れた水で、男は十分に潤った。花の蜜や木の実はデザートだった。これを見つけると、手早く摘み取り、バッグに押し込んだ。そしてまた行進した。こんな日々を続けたのだから、男は人と離縁していった。獣のようなツンとした匂いを放ち、担いだ荷物からは、ひどくフルーティーな香りを漂わせる。一種の未確認生命体とも言えそうな有様が、男のライフスタイルの末路であった。
 一週間の動物生活の後に、男は文明に辿り着いた。深い木々の路を割き、幾つもの流れを超えた先に、男は廃村を認めた。男のいた岸から、大分離れた水の上、寂しい島を男は認めた。
男はどっかりと、その場に座り込んだ。そうして、バッグを手でまさぐり、旅を共にした宝を引っ張り出した。バックの中の果実や花々を、一つずつ順に口に放り込んでいった。バックの中で程よく熟れたそれらは、至高の甘味であった。完食まで、珍しく、半刻以上もの時が過ぎていた。
 男は立ち上がり、大きく伸びをした。背負ったリュックの紐をきつく締める。邪魔にならぬよう、出来るだけぺしゃりとつぶして背負った。男は助走をつけて、勢いよく、水面へと飛び込んだ。高所から、ハイスピ―ドで水面に飛び込んだ際の衝撃は、コンクリートへのそれと同等になることもあるという。男のこの際の衝撃を知る由はないが、彼の仏頂面が少し崩れたという点で、水による抵抗は十分に認められるだろう。出だしの騒音は、学生時代の悪ガキを彷彿とさせる、お決まりの音だった。が、以降は、一週間の生活で積んだ経験からか、スイスイと泳いでゆくのであった。

 ついた島はひどく小さなものであった。一刻とかからずに回りきれそうな程度の周囲、村も非常に小規模であった。なんとか居住できそうな小屋が六軒、これで全部だった。屋根はよく分からない乾燥植物を敷いたもので成っていた。放棄されて大分長い年月が経っている。痛み腐ったその屋根が、ダイレクトに伝えていた。
 男は一番大きな小屋を、居住のスペースと決めた。魅かれたジャングルの奥深く、人気の無さが当たり前に思われる地は、男にとって、うってつけであった。男は、手始めに、六軒全ての小屋の屋根を剥がした。その中で、まだ健在であろうものだけをすぐった。次に己が居城とした小屋の屋根を剥ぎ、これと入れ替えた。剥いだ屋根の余りは、近くの小屋に放り込んだ。火が得られれば、燃料になる。ゴミにはならないとの判断だった。かくして、男は、廃村に佇む小さな小屋を、我が家としたのであった。
 次に男がとったのは、水の確保であった。この男の属する「ホモ・サピエンス」という種は、日毎に三リットルの水分を必要とする。男はまず、小屋の中に、適当な器の存在を求めた。「ソレ」は苦も無く手に入った。床に投げ出された捨物の中に、巨大な果実の殻があった。大きく広げた男の手に、まだ余るほどのソレは、器とするには充分であった。
 男は川へと赴く。水はひどく濁っていた。器は使わず、右手を盆状にして、茶色がかった水をすくった。口に運ぶ、存外不味くはなかった。ほんのりと甘い味がした。カルキの利いた苦い水より、ずっと旨く思った。
 衣食住、大方は揃った。衣は、男には必要なものではなかった。最悪、裸で良い。寒ければ、大きな植物の葉を探し、それを纏えば事足りる。根性で凌げる点に関しては、男は不用心であった。食、この点、男にとっての気がかりは水だけであった。川の水が飲に応ふ。男は満足だった。住、小屋、十分すぎた。男は悦を感じつつ、その場に横たわった。水平の僅か上に、落陽はまだ輝いていた。茜色の斜光の内で、男は浅深の反復の中に、心地よい夢を観た。
 三日三晩は満ち満ちた気分で過ごすことができた。四日目の朝に、通り雨が降った。にわかの雫は、男の奥の何かをくすぐった。

 必需が満たされた今、男は次点、娯楽を欲した。男には収集癖があった。よって娯楽はそこに求めるところとなった。男は容貌、味、香り、果てには趣(つまりは直感である)で万を判別し、コレクトの対象とした。
 貝を集めた。樹皮を蓄えた。花を摘んだ。空の模様を木版に刻した。
 すぐに、男の小屋は収集物で埋め尽くされた。それで男は、新たに小屋を整備した。一つ、二つ、三つ。一月もせぬ間に、島中の小屋がこぎれいに片付けられ、全てが男のミュージアムとなっていた。
 男は、飽き性でもあった。集めたブツに興味は持たなかった。集めること、それをひとまずに手元に残しておくこと、これ二つが彼に安らぎと充足感与える行為だった。故に、収集対象は非常に多岐にわたった。ある日は気に入った具合の枯葉を拾い、翌日は虫の死骸を、翌々日は復た枯葉に戻る、といった具合。その日の気分に合わせて、彼の「ファッション」は変わっていった。

 ところが、このカスタムを初めて三か月、男を永らく惹きつける出会いが、偶然にも起きた。

 それは、水辺に流れ着いた贈り物。差出人不明のプレゼントであった。西洋風の可愛げな服に、少し長めの金髪、青く大きな瞳、僅かにすぼんだ唇、泥水で少し汚れてはいたが、十分に美しい「人形」であった。胸の辺りに、小さな刺繍がある。「アリス」と綴られていた。社会という、陳腐で鈍重、どこまでも辟易とする体制から逃げた彼は、同時に、愛玩具なる物からも距離を置くこととなっていた。そんな彼にとって、愛でるべき対象と言える「アリス」との出会いは革命的であった。
 男は即座に、自らのギャラリーの解体にかかった。もとより、「集めること」が主眼だった彼にとって、蔵物の処分は、あまり心痛む行為では無かった。とかく巨大なしがらみとすら、縁を切ってきた男である。この程度、断捨離の内にもはいらなかった。五軒のギャラリーを空にするのに、かかった時間は、ものの二時間。創作に掛けた時間の、十分の一にも満たぬ間に、全ては白紙へと還った。
 男が最初に「アリスの家」としたのは、自分の家の隣の小屋であった。元は、使えそうな資材を貯蓄しておくための納屋であった。しかし、今その面影は、どこに見ることも叶わない。
 男が、「アリス」に家を作り与えるまで、一日とかからなかった。男は、取り憑かれたかの様に働いた。この地に至って、既に三か月は過ぎた。男は彼特有の虚無に再び襲われかけていたのだ。再び差した天命、それがジャングルだったか、人形だったか、そのようなことは、男には、実に些末な事であった。せねばなるまい、ならば成す。男の動機は以上だ。これで、これだけで、半ば機械のように動ける男、現代社会の産んだ最高傑作と言えるだろう。
 ともあれ、彼女のための家を、丁寧に用意した彼は、その小屋に、アリスを住まわせた。正確にいわば、配置した。何故ならば、アリスには、意思、もとい、自我が存在し得ぬからだ。「あった」かどうかなどは不得の解だ。男も、それは理解していた。彼の特異な点は、その上で、アリスを偶像としたことだろう。その奥に、男の瞳は何を据えていたかなどは、これもまた不得の真であった。

 日が暮れて、男は眠る。アリスに家を与えて数日、男は海岸に、またしても奇跡を見た。
 反復作業は人間を高速化させる。ルーチンワークは時に味気ないが、流動の多いのは是とは言えない。小屋を整備し、偶像を安置する。二度目の作業は効率が良かった。前回の手順を踏んだが故である。作業のマニュアル化(といっても頭の中での話であるが)が済んだ男は、心なしか満足気であった。機械的な反復作業、彼は、楽しみを失ってはいなかった。ひとえに、偶像への愛だろう。ルーチンワークの内にも、愛と情熱を。飽き性なのに、妙に凝る。こんな性質を彼は持っていた。故に、彼とルーチンワークとは、実に相性のいいペアであったのかも知れない。

 奇妙なことに、「人形」達は、それからも幾度となく流れ着いた。男は、そのた度に、彼らを丁寧に安置した。六体目以降は、二巡目を。十二体目以降は、三巡目を。
 気づけば小屋が満杯になっていた。それで、今度は小屋の前の壁に立て掛けてみた。すこし粗い扱いだが、仕方無しとした。
 気づけば壁も埋まっていた。今度は木に吊るした。小屋の渡し木からも吊るした。
 男の島は、いつしか、「アリス」達の「人形島」となり果てていた。


 それは、水辺に流れ着いた贈り物。何度繰り返したか、判然とせぬ奇跡。否、必然。男が手を触れると、今日の彼女は、川の流れへと旅をして行った。十数メートルの遊泳の後に、川底へと、姿を消した。

「飽きたな」

男は一つ呟いて、彼女を追った。十数メートルの遊泳の後、筋肉の緊張を解く。男の体はもう、浮かび上がることなく、川底へと潜っていった。意識の途切れる間際、男の目は文字を捉えた。「アリス」。奇しくも、彼を誘ったのは、あの日の天命と、同じ名の少女であった。



---調査隊報告書より---
居住区の存在は確認。但し、居住者は確認できず。
島の至る所に少年少女の遺体を確認。計百五十超。

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