エジソンと二人の高校生
「詳しく調べてみて鳥肌が立ったわ。トーマス・アルバ・エジソン。1847年2月11日、アメリカのオハイオ州生まれ。子供の頃、大病にかかり、小学校に入学したのは8歳のとき。授業中、1+1=2という数式に納得できず、先生に50回「なぜですか?」と質問し、即、退学。その後は教師だった母親と百科事典を用い、興味の赴くまま、マンツーマンで自由に勉強を進める。12歳で鉄道員のアルバイトを始め、15歳のとき、南北戦争の戦死者が発表される新聞を1000部買って、各駅に事前に電報を打ち、新聞が到達することを宣伝してから売るという、人の不幸をかえりみない史上初のコマーシャル商法を成功させ、約100ドル(現在の価格で100万円以上)を一日にして手に入れた。すごいな・・・。そのお金でローカル新聞を自分で作って発行し、繁盛するが、ある企業を非難した文章を載せたことが原因となって、一瞬で廃刊へと追い込まれる。・・・可哀想に。その後、エジソンは当時の最先端技術、電報に興味を持ち、アメリカ一の電信技士となる。21歳のとき、議会での採決を電気機器で一気に投票、集結する機械を発明して特許を取るが、どこにも相手にされなかった。・・・牛歩のせいね。これによって、エジソンは現時点での人々の生活に、直接的に役立つものでないと、発明として成立しないということに気付く!」
佳苗は一息つき、ストローでオレンジジュースを一口飲んだ。
「また、エジソンは耳がほとんど聞こえなかった。12歳のとき、鉄道でのアルバイト中に列車から落ちそうになり、驚いた同僚が慌ててエジソンの耳を掴んだのが原因と言われている。エジソンはピアノの曲が好きだったが、ピアノの鍵盤に直接耳を当てても、微妙に聞こえるだけだった。ある日、エジソンはどうしてもピアノが聞きたくなり、癇癪を起こして黒塗りの蓋に噛り付いた。すると、歯から振動として伝わったメロディーが、エジソンの頭骸骨の中で弾け、見事に曲を聴くことができた。エジソンは感動して泣きながら演奏が終わるまで蓋に噛み付いていたが、そこで音は振動だと、はっきりと体で思い知ったエジソンは、振動ならば地震計の針ように記録に残せるのではないかと考えた。そして、その記録を逆流させれば、全く同じ音が再現されるのではないかと。予想は的中し、1877年、30歳のとき、エジソンは蓄音機の発明に見事成功する。実験が成功したとき、当時の研究者仲間は雷に打たれたような衝撃を受けたと後述している。へえ」
佳苗はレポート用紙をめくり、オレンジジュースをもう一口飲んだ。
「エジソンはその2年後の1879年、1万回の失敗にもめげず、とうとう電球の発明に成功する。明治10年、エジソンは日本に助手を派遣。日本中の竹を調査し、ついに京都石清水八幡宮の竹にたどり着く。炭化させ、ひご状にした竹に真空状態で電気を流すと、それはなんと200時間以上も連続で明るい光を灯し続けた。エジソンはさっそくニューヨーク市で大胆なデモンストレーションを行った。日の沈んだマンハッタンの街の中心で、数百の白熱電球がいっせいに眩い光を放ったとき、ニューヨーク市民のみならず、世界中の人間がその明るさに驚愕し、エジソンのことを電気の魔術師と呼んだ。・・素敵ね」
佳苗は頬を少し紅潮させながらそう言った。
「これが概要よ。もっと詳しいことは、こっちに載ってるわ」
佳苗はそう言い、20枚くらいのレポート用紙を由一に手渡した。
「ありがとう。・・よく一日でこれだけ調べたね」
由一は感心しながら受け取り、一枚ずつ目を通していった。
「で、分析が得意な由一君としては、この偉人をどう見るのかしら。て言うか、分析のコツって何なの? 何かと比較するの? それとも・・・」
由一は首をかしげた。
「さあ。コツって言われても分からないな。・・とりあえず何か足掛かりを見つけて、そこから膨らませていくんだ。・・・この場合なら、キーワードはエジソンが学校へ行かなかったことと、難聴だったこと。この二つに共通することは、エジソンには普通の遊び友達を作る環境が無かったということだ。もちろん逆にも考えられる。誰にも束縛されずに済んだって事。よって、自分の興味(発明、研究)を思う存分、炸裂させることができた。・・まあ、そんな事はどうでもいい。問題は俺たち二人にとって有益な何かを引き出せるかどうかだから」
由一はそう言ってフィレオフィッシュバーガーをかじった。
「まあ、私達は五体満足だもんね。・・あ、埃アレルギー以外」
資料を真剣なまなざしで見つめる由一を見ながら、佳苗は周囲の状況に耳を傾けていた。周りには学校帰りの学生が、少なくとも3ダースはいた。休日のお昼時に次ぐ盛況ぶりだった。みんな平均して4人くらいのグループを作り、(中には10人くらいが集まって叫んでいるところもあった)楽しそうにお喋りしている。ほとんどが茶髪か金髪で、とうとう黒髪が目立つ時代に突入したなと、佳苗は思った。
「・・俺たちがエジソンから学べることは・・発明について。それ以外は、たしかに凡人と比べれば優秀な点もあるだろうが、ま、そこそこだ。わざわざ彼から学ぶ必要は無い。『天才とは、1%のひらめきと99%の努力である』なーんて質の悪いジョークも残しているしな。天才という存在の根本的な本質を調べるためには、最低でも100人以上の天才を集めて、そいつらを細かく分析して共通点を見つける以外に方法は無い。でも、エジソンがそんな非生産的な調査を行ったとは思えないしな。まあ、当時のアホ丸出しのメディアが面白がって誇張して広めた可能性もあるけどね。で、エジソンの発明法を抽出するんだけど・・エジソンはその時代において最も必要なものをピンポイントで創り出している。これはどういうことだか分かる?」
佳苗は首をかしげた。
「さあ。天才だから、でしょ?」
由一はため息をついた。足し算の方法を一生懸命に力説したあげく、自身満々に1+1=7と答えられた気分だった。俺の説明はそんなに分かりにくいのだろうか?
「つまり、世の中をよく見て、本当に不便なものを厳選したってことだ。つまり、相当筋の通った論理的な考察の元、目標を定め、一度決めた目標は絶対に諦めなかった。おそらく、世の中の不便を一掃することがエジソンの目標だったんじゃないかな? だから、1090もの発明を成し遂げることができたんだ」
「なるほど」
佳苗は感心した。
「注目すべきは発明の過程ではなく、発明作業に取り掛かる前の論理的な考察段階だな・・・。創るべき目標が無ければ、例え神様だろうが何かを創り出すことはできない。まあ神様なんていないけどねー。エジソンは極めて良質な目標を作ることに秀でていたと言える。その辺のオヤジなら、夢日記をつけたり、四字熟語を一日1個覚えたり、禁煙したりするくらいで満足するんだろうけど、って言うかそれすらも出来ないんだけど、エジソンは蓄音機を創り、電球を創り、ミシン、ラジオ、発電機、強化セメント、ベニヤ板、絶縁体、高速道路、扇風機、トースター、録音機、電池、その他もろもろを千個以上発明した。つまり、それらをするという目標を掲げたということだ。さらに、それでも満足しなかった。おそらく満足という観念が無かったんだ。・・ここが偉大な点。ここがポイント。俺たちが真似する部分はこの部分だ。決して自分の成長に満足してはいけない。満たされてはいけないんだ。一時的に喜ぶのは全然かまわないけど、それが余計なプライドに繋がるような慢心をしてはいけないと言うことだ。言ってる意味分かる?」
佳苗は何度か頷きながら聞いていたが、納得した様子だった。
「分かった。ナンバーワンを目指して当たり前で、一生攻めの人生ってことでしょ? 」
「えーと・・・うん。まあ、そうかな」
由一は考えながら頷き、再び資料に目を落とした。ハンバーガーを食べ終わり、時計を見ると、まだ会合が始まって20分しか経っていないことに気付いた。由一は心の中で、3時間は長すぎたと思った。30分で十分だった。しかし、こんなにも詳しく調べてくれた佳苗に対して、いきなり時間短縮を申し出るのは、いささか失礼だとも思った。
「で、どう? 何か分かった?」
40分も経った頃、佳苗は最後の資料に目を通し終わった由一に向かって、そう訊ねた。由一は資料をテーブル上でトントンと揃え、チョコシェイクを飲み干し、ようやく口を開いた。
「先に聞くけど、昨日見せた俺の効率理論、どこまで賛成できる?」
佳苗はしばらく考え、答えた。
「まあ、半分は賛成できるわ。結局、まっとうな社会は効率化を目指すと思うし。・・・詳しくは分からないけど、結構正しいと思う」
「そうか。じゃあ、その事を前提にして話すよ」
由一はそう言って机の上のゴミを握りつぶして小さくし、両手を組んで話し始めた。
「エジソンは世の中をよく観察し、無数に存在する《不便》を厳選し、とことん打ち込む価値のある目標だけを選んで発明を行った」
「うん」
「そこで、エジソンのその行動自体を効率化しようと思う」
「・・・うん。どうやって?」
「まず、不便とは何か。そこから始める。不便とは・・非効率を含有しているプロセスのこと。地球全体の人間の行動を見ながら考えなければならない。すごく不便な作業でも、地球上でただ一人しか行わないような行動なら、結局のところ非効率指数(不快指数)は低いと言える。逆に、ちょっと不便なだけの行為でも、60億人全員が毎日実行する行為だとすると、その非効率指数は極めて高いといえる。つまり無駄が多いって事だ。・・人の行動の全てをリストアップし、60億人を全範囲として、まず一人当たりの非効率指数をはじき出す論理式を作り、実際にその行為が一年間に地球上で実行されるであろう回数を掛け、年間非効率指数を出す。その非効率指数が最も高い順に、発明的解決手法を選択する価値があるかどうか考え、発明行為を実行する。ちなみに非効率指数って言うのは、低いほど便利になるように設定する。非効率指数は燃料の消費率や、体力、肉体的精神的疲労度、公害などを含めた総合的効果によって導き出される。先入観に囚われないこと等も考えて、数式で計算できるのがベストだな」
佳苗は真剣に聞いていたが、全く理解できなかった。ある意味R指定である。
「えーと、もう一回最初から、今の2分の1のスピードで言ってくれない? できれば日本語で」
「つまり、」由一はポテトをつまみながら言った。「1年間に、地球上で最も多くなされる行動をリストアップしろってことだ。瞬きとか、呼吸とか。で、回数の多いものから見て行き、その中から結構骨の折れる動作だなと思った行為を何個か集め、不便だと思える順に並べる。まずはそれからだ」
「・・で、私は何をすればいいわけ?」
「人間が一日にする動作の中で、消費時間の多い順に挙げていくんだ。お辞儀とかタイピングとか歩行とか呼吸とか」
「・・・分かった。じゃあ・・ブラッシング」
「その調子。時間もつけよう。読書。人類平均して1時間」
「睡眠。人類平均6時間」
「おしゃべり。3時間」
「食事。1時間」
「掃除。1時間」
「勉強。3時間」
「ダイエット。1時間」
「書き物。1時間」
「買い物。1時間」
「トイレ・・15分」
「事故処理。・・10分」
「水泳。・・2分?」
「歯磨き。10分」
「着替え。15分」
「料理。・・20分」
「・・・きりが無いな」
「そうね。これだけで四千年かかるよね」
由一はため息をついた。
「何か違うな。・・なんだろ?」
「さあ・・・」
しばらく沈黙が続いた。由一は再び資料に視線を落とした。
「不便・・不便・・つまり、便利ではないこと。だから・・便利とは?」
由一は佳苗を見た。
「便利って、何だろう」
「さあ。便利なことでしょ?」
佳苗は半分笑いながら答えた。そんなこと真剣に聞かれても。
「じゃあ、便利の条件を述べよ。30字以内で」
佳苗は少し戸惑った。しかし、なんとか即答することが出来た。
「えっと、・・使いやすくて、気が利いてて、ここぞという時に役に立つもの。でしょ?」
「うん。・・・そうだ。・・・うん。・・・違う」
「どっちなの?」
「いや、君の答えは合ってるけど、話の方向が・・えーと、あれ? ・・ああ、ぜんぜん違うんだ。かすりもしていない。俺が欲しかった回答は数値に直せる何か。つまり、軸が必要だってことだ。例えば、『便利の条件とは、現在を基準として、プラスを生む道具であること』っていうふうな回答だ。最初からはさみを使っている人は、はさみが便利だなんて、特に思わないだろ?」
「・・ああ、そっか」
「しかし、不便ってのがこの逆だとすると、おかしなことが起こる。『現在を基準として、マイナスを生む道具であること』・・・これはもはや道具じゃない。障害物、ガラクタだ。しかし、わざわざガラクタを指差して「不便だ」と確認するような暇人はいない。それに、日々効率化を進める厳しい経済界に、ガラクタの住む余地なんて始めから無い。つまり、不便なものとは、普段から何気なく使っている物の改良後の姿を想像し、それと比較することによって始めて見出すことができる。まず始めに便利の基準が生まれ、次に「昔は不便だったなあ」という結果的認識が生まれるんだ。・・エジソンはロウソクに満足しなかった。だから、電球を発明できた」
「・・どういうこと? なんとなく分かるけど・・・」
「つまり、何もかも不便だってことだ。未来に比べればね。人は学習する生き物だから、単純に考えて、どんどん良くなっていくはずだろ?」
佳苗はようやく由一の話を飲み込んだ。
「あー、なるほど。つまり、団扇に満足しなくて扇風機が生まれて、扇風機に満足しなくてクーラーが生まれたってことだから、とにかく満足するなってこと? ・・さっきの話と繋がったね。エジソンには満足という概念が無かった、だっけ? 私たち、クーラーとか蛍光灯に満足していちゃいけないんだって、そういうことよね?」
「そう。・・だから俺たちは全ての製品を観察して、その改良後の姿をイメージする・・・それができて当然だという認識の下にね。で、イメージした後に不便が生まれる。何が不便なのか、そこで始めて具体的に分かる。で、そのアイデアを企業に売り込む。儲かる。そしてセレブになり、1000万円のペットとかアホらしい5億の壺とかを買って喜んで、挑発的なサングラスをかけながらリムジンでドライブだ。めでたしめでたしだな。じゃあ、今日はこれくらいにして、そろそろ帰ろうか?」
佳苗は腕時計を見た。午後6時半。まだ会合が始まって1時間半しか経っていない。佳苗は軽く由一を睨みつけた。由一は目をそらし、椅子の上で伸びをした。
「まだ半分あるわ。せっかくだから、そのイメージとやらを今からしてみましょうよ。製品って、何でもいいのかな?」
由一は最後の萎びたポテトを口に放り込みながら、頷いた。
「ああ。俺の考えが正しければ、この世に改良できない製品は無いはずだからね。君にそれができる想像力と知識が備わっているかどうかは別だけど。簡単じゃないよ。世の中には発明家なんて五万といるんだから。そいつ等だって、このくらいのことには気付いているに決まってる。もっと鋭い理論を持ってるかもしれない。それでもなかなか発明できないんだから」
「よーし。何を改良しようかな?」
佳苗は由一の忠告を無視して、鞄の中からノートと鉛筆を取り出した。
「まずは、身近な物から始めた方がいいよね?」
「うん。身近なもので出来なかったら、たぶん、何でやったって無理だと思うよ」
「じゃあ・・・私はテーブルを選択するわ。目の前にあるし。由一君は?」
「俺もするのかい?」
「当然じゃない。何言ってんのよ」
「じゃあ・・イスでいいや。イスを改良する。イメージ開始」
「・・うーん・・・」
それからしばらくの間、二人はそれぞれ無言で想像に耽った。15分も経った頃、由一が先に口を開いた。
「形が自由自在に変わってくれるといいな。水のように柔らかくて、クリアな感じ。こねて捻ると形が変わる。軽くて、足の小指をぶつけても痛くないほど柔らかい。17時間連続で座っていても痔にならない。14種類くらいに変形させることが可能。価格は4000円くらいかな。名付けてスライムチェアー。こんなのがあれば嬉しいけどね。問題は作り方だな。はたして素材があるのかどうか」
佳苗は感心しながら聞いていた。
「よく思い付くねえ? 私、何にも浮かばなかったわ。せいぜい折りたたみデスク。」
由一は弾かれたように笑い出した。
「あっはっは、『折りたたみデスク』か。最高だな。そこまでハイレベルだとはエジソンもびっくり・・ごめん、冗談だよ。睨まないで。・・発想にはコツがいるんだ。論理的に考えてはいけないんだよ。全く無関係な組み合わせをしてみたり、視点を変えてみたり、いろいろグチャグチャにしながらまとめていくんだ。・・でだ。ここからエジソンなら、1万回の素材実験を繰り返してでも目標を完成させるんだろうけど、俺たちにはそんな時間は無い。部下もいないし、もうすぐ大学受験だし、その3年後には就職活動だ。だから・・どうする? スライムチェアーの素材探し、一緒にしたい?」
由一がそう言うと、佳苗は微妙な顔つきになった。判断に困っているのだろう。由一には佳苗の気持ちが良く分かった。由一自身、スライムチェアーなんて得体の知れない物に、人生を賭けるつもりなど全く無かった。というか、一体どんな道の踏み外し方なのだ。
「うーん。スライムねえ・・。私は・・いいわ。遠慮しときます。8時10分から塾だしね。他の事しましょう」
「他のことねえ・・」
由一は少し疲れてきていた。16歳の高校生が、学校で6時間の授業を真面目に受けた上に、20枚以上の資料を見ながらトーマスエジソンを分析し、頭をフルに使う発想思考までやってのけたのだ。そろそろ脳の栄養分が不足してくる頃だった。
「これ以上、エジソンから何か引き出せるかな? いや、引き出せるだろうけど、その価値があるかどうかだ。俺たちにとってね。・・・ちょっと次元が違いすぎたかもしれない」
由一はそう言って資料を佳苗に返した。
「じゃあ、次はもっと身近な偉人をターゲットにする? でも、身近な偉人なんて、いるのかな? ・・芸能人とか?」
佳苗は資料を鞄に入れながら言った。
「芸能人ねえ・・。芸能人に必要なものは、容姿、ユーモアセンス、金、自己主張力、演技力、歌唱力、作詞作曲技術、度胸、人脈、それなりの知能、忍耐、この内のせいぜい2個以上だろ。ま、ある意味では尊敬できるけどね。次、行ってみよー」
「じゃあ、ジョン・レノン」
「うーん。・・ある意味、エジソンより遠くないか?」
「でも、興味あるなー」
佳苗はそう言って由一をじっと見つめた。
「・・興味あるのか。じゃあ、仕方ないな」
由一は目をそらし、鞄から取り出したメモ帳に、平仮名で「びーとるず、じょん」と書いた。そしてふと、恐ろしい展開を予想し、思わず佳苗に聞いた。
「次の会合まで一週間あるけど、まさか、レポート用紙150枚くらいになったりしないよね?」
「さあ。まあ、50枚以内にはまとめておくわ」
「・・どうも。なるべく大きい文字で頼むよ」
由一はそう言って再び時計を見た。7時20分。あと、40分。
「由一君は、誰か調べて欲しい人いないの? 言ってくれれば、調べとくよ」
「さあ・・・じゃあ、アインシュタイン」
「いいよ。じゃあ、今度は二人にしましょうか。3時間で一人って、よく考えればちょっと長かったね」
「そうだね。・・ちなみに、このエジソンを調べるのに何時間かかった?」
「えーと、40分くらいかな。ネットで30件くらい調べたかな。プリントアウトは学校のパソコン室でしたから無料だし。USBって便利よねー」
佳苗は消しゴムサイズのUSBディスクをポケットから取り出し、指でくるくると器用に弄んだ。由一は素直に驚いた。たった40分間でこれだけ調べれるものなのか、と。同時にある事に気付いた。
「すごいね。・・なあ、考えたんだけどさ、そのデータを直接俺のパソコンにメールで送ってくれれば、わざわざ会う必要は無いよね? 学校の紙も無駄にならないし」
佳苗はUSBディスクをテーブル上にポトっと落とし、唇の先を尖がらせた。由一は慌てて付け加えた。
「もちろん言うまでも無くこの会合は続けるよ? 内容を変えてね。今のこれだと、会ってる意味が薄いだろ? どうせ会うなら、どうしても顔をつき合わせなきゃ出来ないことをするべきだ。何か・・漫才の練習とか、キャッチボールとか、物理的に不可欠な面会条件みたいな・・・だろ?」
「それは、そうかもしれないと言えないこともないと思えるかもしれないけど・・・じゃあ何する?」
「うん。・・それが問題」
由一は物理的な協力条件について考えてみることにした。・・・物理的に協力する。なぜか? それは、一人では出来ない事をするため。だから、注目すべきは一人では出来ない事。人が一人では絶対に出来ない事とは何か? ・・・サポートだ。
「君が俺の手伝いをするっていうのはどうかな?」
佳苗は眉をひそめた。
「どういう事?」
「結局、俺には分析しか能が無いんだ。だから、分析のサポート的な行動をとってくれるかってことさ。それなら会う意味がある」
「・・具体的には何するの?」
「会話だな。適切な質問。それと、応答。純粋な感想」
由一は一息ついてから話し続けた。喋り過ぎで、喉が少しヒリヒリしてきていた。
「会話そのものをゲームと認識するっていうのはどうかな? 10秒以内に返事をしないと、マイナス一点。30秒以上話し続ければ、プラス一点。俺は君の送ってくれた資料を分析した、結果発表的なトークをする。君はそれに対して感想を述べたり、矛盾点を見つけて質問をしたりする。矛盾点指摘も感想も、俺の分析力向上のためには欠かせない要素だし、君にとってもきっと有益だろうから、この会話ゲームは二人にとって有益な結果をもたらすはずだ。・・どうかな?」
佳苗は頷きながら賛成した。
「いいアイデアね。その、点数が溜まったら何かあるの?」
「うーん。マイナス10点になったら、何か罰ゲームをしてもいいんじゃないかな? 体育の授業のときに、ラジオ体操を2倍速でしたり、クラス対抗リレーで逆走したり、一日中、何が起ころうと名古屋弁で話し続けたり」
由一は絶対に勝つ自信があったので、めちゃくちゃな罰を提案した。
「・・分かった。結構スリルあるね。ルールはそれだけ?」
「いや、他にも作れそうだけど。例えば・・・これはゲームだから、もちろん普通の会話じゃない。一種の攻防戦だ。だから、攻撃と防御のルールって言うか、定義が必要だ。まあ必要って言うより、ユーモアの定義みたいに、あったら便利って事だけど。・・・俺は君の調べた資料を元に、分析結果を発表する。君はそれに対して、もっと突っ込んで質問する。俺は答える。君は質問する。俺は答える。・・これだけだと、つまらないだろ? だから、ゲームを盛り上げるために、話を広げるための装置を用意しておく。「自分ならどうするか」とか、「もしも〜があの時こうしていたら」とか。18の定義みたいに言うと、「仮定」「なりきり」「転生」・・かな」
「転生って?」
「例えば、エジソンが女で、中世のヨーロッパに生まれていたとしたら、蓄音機を造った時点で間違いなく魔女だと誤解されて、火炙りの刑になっていただろうね、とか」
「なるほど。会話を広げるテクニックね? すごく良いよそれ。コミュニケーション技術の訓練にもなるもん。・・あ、そうだ。ウィットに富んでなきゃいけないことにしない? 相手を笑わせればプラス一点。笑っちゃったらマイナス一点」
「いいけど、大笑いしないでくれよ? 周りに注目されたくないから」
「わかってる。私はポーカーフェイスの訓練も兼ねてやるわ」
佳苗は笑顔で言った。「楽しくなりそうね」
「そうかもね」
由一はそう言って立ち上がった。
「じゃあ今日はこれで」
佳苗は腕時計を見た。もう7時55分だった。
「もうこんな時間? 早いねー。時間が経つの。私はこれから10時まで塾だ。コーヒー飲まなくちゃ」
「大変だね。じゃあ」
「じゃね」
外はもう真っ暗だった。二人は連れ立って外に出、それぞれ反対方向へと歩き出した。
由一は一度だけ振り返り、佳苗を見た。もう既に40メートルほど離れており、佳苗は塾の建物の傍に備え付けられているジュース販売機の前に立って、鞄の中から財布を探していた。
帰り道、由一はさっきまでの佳苗との会話を振り返っていた。即興でエジソンを分析して見せたが、はたして正しかったのだろうか。由一はもう一度考え直してみることにした。
エジソンは学校へ行かなかった。よって、テストで100点を取ったことも無いはず・・・だから、上限なるものを刷り込まれずに成長し、結果として満足・・と言うか、慢心を知らない人間になった。・・合ってるよな? しかし・・・。由一はさらに考えてみた。本当に注目すべき点は、エジソンが生まれてから8歳になるまでの出来事ではないのか? ・・エジソンは1+1=2に納得しなかった。当然、夜暗くなり、ランプに火を灯す時にも反論したはずだ。「なぜ、ランプなの? 」と。そういう思考が発明の才能となったのだろう。でも、8歳以前のエジソンがどんなのだったかなんて、正確に把握できるはずがない。ストーカーじゃあるまいし、それは不可能というものだ。結局、一番大切な情報は霧の中なのだ。別に発明家になりたい由一ではなかったが、分析家にとって、最も肝心な部分が抜けているとは、全くもってやる気が奪われるものだった。ビートルズにしろ、アインシュタインにしろ、エジソンと同じく肝心な幼年期の詳細なデータというものは、やはり存在しないだろう。これでは無意味ではないのか? 由一がそう思ったとき、『全く無意味な努力など、この世には存在しない。』という言葉が突然、由一の脳裏に浮かび上がった。誰の台詞だったかは忘れたが、どこかで読んだ本にそう書かれていたのだ。
「・・出来るだけやってみるか」
由一は歩きながらそう呟いて星空を見上げ、気分を楽観主義に切り替えることにした。
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