合流
6日後、5月23日、木曜日、午後4時。
由一はマスクをしてレインコートをかぶった格好で、ホコリ除去作業に勤しんでいた。埃アレルギーの由一は、部屋を掃除するにも一苦労だった。天井から始まり、カーテンレール、冷暖房機、窓ガラス、本棚と、上から順番に埃を排除していき、最後に空気中の埃を静電風呂敷(由一が2年前に自分自身のために発明した物。特許申請はしていない)でかき集め、部屋のドアから素早く外に出てレインコートとマスクを取り、再び部屋に戻ってラップでぐるぐる巻きにしたベッドの上に、コロリと寝転がった。どこを見ても、チリ一つ付いていない。由一は満足そうに微笑んだ。由一は服を選ぶ時にも、なるべく埃の出ないような生地を選んで買っていた。今までの人生の中で、ウール100%のセーターを着たのは2回だけだった。3年前、熊本のおばあちゃんが由一の留守中に突然訪ねてきて、クマさんのぬいぐるみを4つ、本棚の上に勝手に飾って帰ったことがあったが、その時も由一は、帰宅後すぐに4匹を透明のビニール袋に詰め、赤いリボンをつけて密封し、翌朝そのまま近所のバザーに出品した。
由一は寝転んだまま、昨日までの中間テストの内容を思い返した。由一の計算が正しければ、今回の全教科平均点は約80点だった。いつもよりも少し高い。おそらく、久しぶりに学年で100番以内に入れただろう。
「だから別にどうだけどね・・・」
由一は呟きながら起きがり、机に座って本を読もうとした。その時、引き出しの中の携帯電話が鳴った。驚いて見ると、佳苗からのメールが届いていた。
【チャットしましょ】
それだけだった。由一はパソコンを立ち上げた。
【テスト期間中の分のやつです。それと、あなたに謝りたいことがあるの】
ページには、既にそう打ち込まれていた。
由一は2回読み直して、読み違いでないことを確認し、首をかしげた。謝るって一体、何のことだろう。
【何が?】
聞くと、返事はすぐにあった。
【気を悪くしないでね? 私はあなたの事を、単なる、何て言うか、風変わりなクラスメイトみたいな、そんな感じに始めは思ってたの。今はもちろん違うんだけど、最初が最初だったからね】
由一は目を瞬いた。同時に嫌な予感がしてきた。女の子が自分から謝るときは、何かを求めるサインである。と、どこかの本に書いてあったのだ。
【別に、気にしてないよ。安心しなよ。例え君に死ねって言われても、俺は何も感じないから、もっと気楽にいこう。それに、俺が少し変わり者だってのは、たぶん当たってるし】
由一はそう打ち、いろいろな成り行きを想像しながら返事を待った。
【それに、このチャットで、私ばっかりが得をしている気がするの】
【気にしなくていいって。俺も結構楽しんでるんだから】
【そこで、一つ提案があるの】
由一は、佳苗が一方的に話しているような気がした。
【提案って?】
【一度、どこかで会わない?】
由一は困惑した。
【会ってどうするの?】
【さあ。普通に話すんじゃない?】
由一は丁重にお断りすることにした。
【悪いけど、会えないよ】
【どうして】
【時間の無駄だから】
しばらく佳苗からの返事は無かった。由一は少しきつい表現だったかなと、ちょっとだけ心配した。
【なぜそう思うの?】
【さあ、なぜかな。俺が悪いのかな】
由一はここで引き下がるつもりは毛等無かった。単純に佳苗と本とを天秤にかけ、有益と思える時間の使い方をするだけなのだ。時間の使い方だけは万人共通の自由なのだ。よって、自分自身で守らなければいけない。自由とはそういうものだ。
【友達よりも本が好きなわけね】
由一は驚いた。やはり佳苗は鋭い。頭も良い。しかし、それだからこそ由一はこれ以上佳苗に近付くことが出来なかった。由一が最も拒絶したかったものは恋愛感情だったのだ。恋に落ちると、(本で見る限り)おそらく毎日毎日を幸せにだらだらと過ごし、気が付いたときには25歳である。人間の脳細胞は21歳まで成長し、そこからは後退するのみである。しかし、なぜか技術的な行動、思考、センスなどは、60歳くらいまで成長する。まあそれは置いといて、とにかく何らかの高度な理論を作成するつもりなら、21歳くらいまでは知的作業に没頭するのが最良なのである。由一には友達はいなかったが、毎日、とても忙しいスケジュールの生活を送っていた。趣味も多彩である。音楽、映画、読書、ゲーム、スケッチ、インターネット、自然鑑賞、サイクリング、料理、釣り、将棋、チェス、哲学、模擬理論作成、折り紙、etc…。全て本で学んだだけの自己流だったが、一週間にこれだけの事をこなしていると、とても友達と遊んでいる暇などは無かった。さらに、ここ数週間は、これに佳苗とのチャットも加わったのだ。少なくともこれ以上、佳苗に対して時間を割くことは出来なかった。
【君とはチャットを交わすだけで、十分だと思う】
これが由一の結論だった。
由一からの返事を見て、佳苗は少しショックを受けた。しかし、3秒で立ち直り、由一を質問攻めにすることにした。
【どうして? 理由を聞かせてくれないかしら。簡潔にね】
佳苗はそう打ち、待ちきれない思いで返事を待った。
【つまり、わざわざ会うメリットがないってことだ。俺は君と恋に落ちるつもりはないし、25歳くらいまでは誰とも付き合うつもりもない。他にやりたいことがあるんだ。デートなんかで時間を潰すなんて絶対に御免だ】
【でも、たまには息抜きもした方がいいんじゃない?】
【ありがとう。でも、息抜きの仕方くらい、サルでも知っているよ。それに、人はそう簡単に発狂したりはしない。刑務所の狭い監獄に20年も幽閉されたって、希望さえあれば正気を保っていられる。友達がいない、本の読み過ぎ、不景気なのに偉そうな政治家ばっかり、そのくらいで俺がどうにかなるなんて、ありえない話だ。俺はそんなに弱くない。あと7段階くらいは平気でいられると思うよ】
佳苗は少し考えた。
【じゃあ、息抜きが出来て、恋愛感情なんてものは発生しないようにして、時間が無駄ではなくて、さらに景気が良くなるような出会い方が出来るとしたら?】
佳苗の返事を見、由一は普通に思った。そんな事は不可能だと。
【そんなことが出来るならね。何かいいアイデアでも?】
【それをこれから一緒に考えるのよ。こんな答えも出せないようじゃあ、はっきり言って、由一君、大した学者になれっこないよ】
「・・・なるほど。見事な理屈だ」
由一は呟き、一理あるなと納得した。
【まあ、そうかもね。でも、かなり複雑になると思うけど、それでもいいのかな?】
【もちろん】
【退屈な、非感情的なデートになると思うけど。本当にそれでもいいのかな?】
【いいわ】
由一はそれならばと、しばらく考え、返事を打った。
【じゃあ、お互いに条件を出そう。中学数学の証明問題みたいに。まず君の条件を聞かせてくれないか】
佳苗も、ここは慎重に考えながら返事を打った。
【会う頻度だけど、一週間に最低一回は確保したいわ。時間は三時間。チャットは今まで通りに続ける。・・会う場所は、汚くなければどこでもいいわ。お金はできるだけ掛らない方がいいかな。でも、私の塾の時間と重ならないようにして欲しい。まあ、今はそのくらいね】
由一は佳苗の条件を見、どの程度の思索が許されるのだろうかと考えた。
【ちょっと待ってて】
由一はそう打ち、まずは条件について考えてみることにした。しかし、これといって思い当たるものは無かった。そうなると、自然に佳苗の条件に合わせることになる。その上で、何か建設的で有意義な結果を求めるのである。由一は思った。佳苗はプログラミングの他に、何ができるのだろうか。会うことによって、何がプラスとなるのだろうか。こればかりは、会ってみないと分からないのではないか?
【今から俺の家に来ないか?】
由一は思い切ってそう打ってみた。
「・・え?」
佳苗は少し驚いた。そして、意外にも胸がドキドキしてくるのを感じた。佳苗はどうしようかと迷ったが、ここで断れば、由一と週一で会うことなど、到底できる訳が無いと思った。
【分かった。今から行くわ】
いざとなれば投げ飛ばせばいいんだし・・。佳苗は、由一をノックアウトした後も、はたして友達でいてくれるだろうかと少し心配しながら、服を着替え始めた。
【あ、住所教えてくれる?】
*
「やあ」
佳苗がチャイムを鳴らすと、由一が無表情のまま、玄関戸口に現れた。
「こんにちは。・・面と向かって話すのは、久しぶりね」
「そうだね。入りなよ」
「おじゃまします」
「誰もいないから、くつろいでいいよ」
「誰もいないの?」
佳苗は逆に緊張した。
「大丈夫。心配しなくても君には指一本触れないから。視線のピントも合わさないように努力するよ。なんなら、お互いに背を向けて椅子に座って、反対方向を向き合いながら話そうか? ・・情緒があっていいかもしれない」
由一は下駄箱に向かってそう話した。
「いや、そこまでしなくてもいいけど・・」
襲われた方がまだマシだと佳苗は思った。
「そう」
由一はスタスタと階段を上がって行った。佳苗は靴を脱ぎ、慌てて後を追った。
由一の部屋は7畳ほどの広さの、ありきたりな洋室だった。本棚に、ベッド、机、クローゼット。飾り物やポスターなどは一切無く、壁に時間割表が一つ、セロハンテープで止められているだけだった。逆に机の上には山のように沢山の物があり、溢れんばかりだった。パソコン、プリンタ、スタンド、時計、本、本、本、本、バッグ、ルーター、7本ほどの電気コード、ペン立て、小型扇風機、ラジカセ、本、本、本、ティッシュ箱。・・全て椅子に座りながら手の届く範囲に集結して置かれている様子だった。
「何これ・・なんでベッドがラッピングされてるの?」
佳苗は由一のベッドを指差し、驚いて思わず訊ねた。
「埃が飛ばないようにさ。半年に一回張り替える。今、シーツは洗濯中なんだ」
「ふーん・・」
佳苗は部屋の中を見回しながら、どの家具の上にもチリ一つ落ちていないことに気付いた。
「大変だねえ。ホコリアレルギーって」
佳苗はそう言って、変な感触のするベッドの上に静かに腰を下ろした。
「まあね。君がカーディガンとか羽毛コートとかを着てこなくて良かったよ」
由一は山積みデスクの前の椅子に座り、引き出しから何かを取り出した。
ノートだった。
「ちょうど、誰かの感想が聞きたかったんだ。読んでみて」
佳苗は突然の申し出に少し戸惑ったが、腕を伸ばし、ノートを受け取った。
「何これ?」
一五〇円くらいの古い大学ノートだった。開いてみてみると、一ページ目になにやら長い文章が記されていた。ページの端に日付とタイトルがある。
「効率理論、2005、7,7」
佳苗はちらりと目を上げ、由一の顔を見た。
「俺の趣味の一つ。理論作成。ちょっと面倒くさい文体で書いてあるけど、気にしないで読んで」
由一は少し恥ずかしそうにそう言った。佳苗もつられて赤くなり、慌ててノートに目を向け、読み始めた。
効率理論 2005/07/07
善と悪には様々な側面があるが、それらは「効率」という一つの指標によって正しく評価することができる。全ては物事の効率が問題なのである。
一部の例外を除く一般的な人間が効率よく活動するためには、こめかみに銃口を突き付けられた状態では駄目である。また、一秒に一回褒めたり、飴を与え続けていても、人間は永遠に床に寝転がったままである。適度な拘束と適度な報酬なくして、人間社会は成立しない。
言うまでも無く、社会あっての「善悪」である。そこではじめてそのような観念が発生する。効率的行動の追求の結果できあがった人間社会「法治国家」において、初めて「善玉と悪玉」という観念が語られるのである。
では、法治国家における善悪とは、一体、何なのか。ちなみに、富、名声、権力、これらは人間社会が作り上げた、人間個人に対するカンフル剤である。これらも全て効率化を目指して自然と生み出されてきた制度である。人の持つ個人的な欲望を、良い形で社会に変換するために生まれたシステムなのだ。
結論から言うと、個人を中心に、様々な環境が何層にも取り巻いている中で、結果的にその個人から見て最小の(最も近い、直接的な)環境に対してのみ影響し、その環境の効率を低下させる場合、その個人はその環境において「悪」と判断される。しかし、いくつかの環境にまで影響を及ぼす個人の場合には、全ての環境のトータル的な効率計算が必要になり、その合計値で悪か善かは判断されることとなる。つまり、これは非常に難しい。(ちなみに、ほとんどの人間は、複数の環境に対して影響している)
はっきり言って、効率化を追求する姿勢の国家は、普通は軍事力も経済力も強く、生命力溢れる法治国家なのである。理不尽な暴力やブランド志向などによって、頭の悪い独裁者が君臨するような非効率極まりない政治形態の国家は、全てにおいて低レベルであり、法治国家から見れば、それは救い難い悪の組織と映る。
いかに無駄をなくし、精神的にも肉体的にも効率化を果たせるかどうか、これが「善」なるものの正体であり、本質である。
読み終えた佳苗は、様々な思いで頭の中が一杯になっていた。顔を上げて由一を見ると、由一は黄色い折り紙で、せっせとカエル(伝承)を折っている最中だった。
「これ、由一君が書いたんだよね?」
「うん、そう。三年前にね」
佳苗は驚愕した。中学二年生でこんな文章をかいていたのか、こいつは。
「すごい説ね。・・しかも、まあまあ正しいと思うな。・・たまに、暴力的な映画とかで『勝者こそが正義』とか、そういう訳わかんない台詞があるけど、これもこういう事なの? 効率を追求した者は、いざ戦いになっても負けないってこと?」
「いや、効率化を進めていると、自然と力はついていく。・・厳密にはそういう意味。まず、最大の効率化は最高のリーダーを選ぶことから始まる。頭が馬鹿だと、いくら効率効率って叫んでも、何にもならないからね。逆に、その国で一番の天才がリーダーになって、あちこちにスムーズに指示を出して活躍できたら、何でも来いっていう気分になるだろ? ・・俺はこの文章を書いたとき、面倒くさくなってこんなに短く切り上げたんだけど、本格的に詳しく書けば一冊の本になると思うよ。例えば民主制や資本主義制の上質な効率とか、弱肉強食の法則が社会の根底には存在しているから・・とか。まあ、今はもうこんな文章、どうだっていいんだ。君に俺がどういう奴かってことを分かりやすく伝えるいい手段だと思ったから見せたんだ。まあ、もう分かってただろうけど。これは俺の本心さ。俺は神なんていないと思う。効率が全てっていう訳じゃないけど」
由一はそう言いながら、ティッシュで鼻をかんだ。
佳苗はドキドキしていた。この変人が何を言っているかは、一応記憶はしているものの、ほとんど理解できていなかった。しかし、素直に格好いいと感じた。
「あなたがどういう人なのか、私は詳しくは分からないけど、頭が変ってことだけは分かるわ。・・それと、普段は目立たないようにしている。違う?」
由一は眉をひそめた。
佳苗は少し言いすぎたかなと思った。変ではなく、ユニークと言うべきだったかも。
「頭が変なんて、誰にでもできる評価だよ。分からないかな? 俺は分析が得意なんだ。目立たないのは、単に影が薄いからだと思うよ」
佳苗は目の前がパッと明るく開けたような気がした。
「あー、分析・・か。なるほどね。だから、あんなに面白い文章が書けたんだ。テレビとかで面白い台詞なんかが出たとき、由一君は、なぜ今のが面白かったのかを2秒で分析して、その原因を突き止めて、他の場面で応用して使えるのね? そうでしょ?」
佳苗は早口で一気にそう言った。由一はいつもの、あの液晶画面の向こうにいる佳苗に戻ったと感じた。
「そうだよ。君って、お笑いの事となると頭の回転速いよね」
「そうかな? ・・まあ、興味があるんだから仕方ないよ」
佳苗は恥ずかしそうに言った。
「・・・・」
由一は完成させた折り紙のカエルを指で弾いて、窓の外を眺めた。
二人の間に沈黙が訪れた。由一が佳苗の訪問に対して用意していたのは、さっきのノート一冊だけだった。二人が顔を合わせて、まだ五分しか経っていなかったが、由一はそろそろ本題に移ることにした。
「週に一度だけ会って、有益な何かをするかって話だけど、君にはまだアイデアはないんだよね?」
由一は佳苗を横目で見ながらそう言った。
佳苗は頷いた。
「うん。でも、由一君なら何か思いつくでしょう?」
由一は佳苗が来る間にそうしていたように、再び考えに集中した。
「そう言われてもね。簡単には思いつかないよ。・・少し待ってくれる?」
「いいわよ」
それから15分間ほどは、完全な静寂だった。ブラインドの上がった窓からは、夕日が差し込み始め、目覚まし時計のコチコチという音が二人の間に流れていた。佳苗は部屋の中を歩き回って、大きな本棚の前で立ち止まり、ぎっしりと詰め込まれた本を一冊ずつ眺めていった。佳苗が最後の段にあった『我が闘争』という本に、眉をひそめながら手を伸ばしかけたとき、由一はようやく口を開いた。
「自己紹介しようか?」
「は?」
佳苗は手を引っ込め、振り返って由一を見た。
「自己紹介? また私の名前、ど忘れしたの?」
「いや、覚えてるよ。吉村佳苗16歳。成績優秀、顔良し、スタイル良し、友達多し、プログラミングが少しできて、お笑いに興味がある。ムカつくほど爽やかな性格・・俺が君について知っていることは今のところこれだけだ。もっと時間をかけてお互いに通じるようになれば、より詳細なことも分かってくるんだろうけど、時間の無駄だから、そこん所を自己紹介しあわないかって意味。もちろん、知られたくない事は言う必要ないから。効率的だろ?」
佳苗はしばし呆然とした。何がどうなのか考えていると、再び由一が言った。
「ああ、何のためにするのかってことだけど、俺が知りたいのは、君には何ができるのかってことさ。俺は暗記や垂直跳びは苦手だけど、さっき言ったように分析は得意なつもりなんだ。二人で何か建設的な会合を開くのなら、お互いに相手の特技を知っていた方が、断然効果的だろ?」
「ああ、そういうこと。いいよ」
佳苗はそう言って再びベッドの上に座った。
「じゃあ、どっちからする?」
佳苗が照れているのに気付き、由一は自分からだなと思った。
「俺からしようか?」
「じゃ、お願い」
由一はしばらく考え、話し始めた。
「まずは長所からだけど、分析的な思考と物事の効率化が得意だ。脳みその働きについての知識に詳しい。方向感覚は良い。山道以外なら日本中どこに行っても迷わない自信がある。宇宙開発技術、蒸気機関、原子炉、心理学、発想学などに少しだけ詳しい。次に短所だけど、友人が少ない。って言うか、いない。将来の具体的な夢が無い。情熱が無い。基本的には興味で動く。たまに、何も考えないで行動する。以上」
佳苗は二、三度頷き、要点を暗記した。
「じゃ、次は君だ」
「ちょっとまってね」
佳苗は目を瞑り、自分自身について客観的に考えてみた。2分後、佳苗は目を開け、早口で指折り話しはじめた。
「まずは長所ね。暗記が得意よ。5分あれば、原稿用紙2枚は完璧に覚えられるわ。それと、パソコンだけど、ホームページを作れる。数百行のプログラムを作れる。周辺機器も、大体は扱えるわ。それから・・漢字検定準1級、英検1級、ピアノはモーツアルトが少し弾ける。・・あと、20種類くらいの料理ができる。・・短所は特に言う必要もないと思う」
佳苗は空手と柔道が二段ということと、恋愛や夢に対して臆病だということは、もちろん秘密のままにしておいた。
「分かった。・・じゃあ、まずは二人で知恵を出し合って、会合の方向と性質を決めようか。建設的で、できれば、まだ誰もやったことの無いようなものがいいな。一歩一歩、焦らずに確実に進めよう。まずは場所を決めようか。俺としては、空調が効いていて、目の前にテーブルがあって、背もたれの付いた椅子がある所がいいんだけど」
「じゃあ、図書館かマックでいいんじゃない?」
「いいよ。じゃ、次は日にちだな。何曜日がいいかな?」
佳苗はしばらく考え、答えた。
「金曜日の夕方5時から8時までは?」
「いいよ。・・・次は・・会合のジャンルか。どんなのがいい?」
「うーん・・」
佳苗は色々な想像をしてみた。マックで由一君と二人きり・・・何を話すのか?
「少なくとも、周りに人がいるから笑かさないでね?」
「ああ。俺もお笑い芸人じゃないんだから、そんなに笑わせ続けることはできないよ。俺、体力無いし。で、どんなのがいい?」
「任せるわ。由一君に。あなたについて行くわ」
「背後霊みたいに?」
「もう」
佳苗は思わず冗談で「投げ飛ばすよ?」と言いかけ、慌てて口を閉じた。
由一は椅子から立ち上がり、左手でブラインドを下ろし、まぶしい夕日を閉め出した。そこでふと思い出した。
「たしか、君は一日6時間勉強するんだよね」
「ええ。そうよ」
「じゃあ、あまり精神的にきついのは敬遠した方がいいかな?」
「・・うん。できれば」
佳苗は少し嬉しかった。感情をほとんど見せない由一が、佳苗の事を気遣ってくれている。
「じゃあ実験台系はだめだね」
由一は残念そうに呟いた。佳苗はがっかりした。
「そうして。私はドMじゃないから」
「じゃあ何か、ゲーム感覚で頭を使うってのはどうかな?」
「ゲーム? ・・例えば?」
「例えば、クロスワードパズルとか、なぞなぞとか・・・もちろん、実際にそんな不毛な事はしないけど、頭の使い方としてはそれに近いようなこと。ただ、一回きりのゲームとは違って、建設的に、創造的に、有益な何かを達成できるように設定する。つまり、何か目標を設定するんだ。・・そうなると、やっぱり情報が必要か・・」
由一は唇を触りながら、ゴミ箱を見つめながらそう言った。
「情報? どんな?」
「一番手っ取り早いのは過去の事例を沢山見つけてきて、それを一つずつ分析して、一般的な法則を見つけ出して、それに順じた行動をとることだから、まず手始めに必要な情報は、エジソンとか、ライト兄弟とかの成功する前の詳しい実話だ。インターネットを使って、一番詳しい情報がどこにあるのか、今度調べてきてくれないかな? 分析は俺がやる。で、お互いどこまで進んだのか、君なら調査資料を、俺は分析してまとめたレポートを持って、ここから17キロ離れたマクドナルド横浜支店のどれかで待ち合わせをする」
佳苗は驚いた。
「横浜? 学校の近くのマックでいいじゃない。大丈夫だって。誰にも会わないよ」
由一はニヤっとした。
「冗談だよ。ただ、誰かに会ったとしても、宿題を教えあっているって事にしておいてくれよ。君以外の奴を仲間に入れる気は無いから。・・まあ、俺の話をわざわざ聞く変わり者なんて、君くらいしかいないだろうけど。それに、変な噂が立つのも嫌だからね。君は学校では人気者だし」
由一は少しだけ自虐的にそう言った。
佳苗は少し胸が苦しくなるのを感じた。由一の言っていることが正しいからだ。クラスのポジション的に考えて、私たち二人が密かに仲良くなることは本来ならば有り得ないことなのだ。ああ、どうして・・・
「どうしてみんな自分で自分の首を絞めたがるのか・・・」
「ん? 今なんて?」
由一が怪訝そうに訊ねた。佳苗は首を振った。
「なんでもない! OK。じゃあ、さっそく明日までに何か調べてくるわ。誰がいい?」
「明日からするのか? ・・まあいいけど。じゃあ、エジソンから始めよっか」
「まかせて。じゃ、今から帰ってやってみるわ」
佳苗はそう言って立ち上がり、ドアノブに手をかけた。
「できるだけでいいよ」
由一は玄関まで見送り、外に出た佳苗に向かって小さく手を振った。
「じゃ、バイバイ」
由一はぎこちなく手を振りながら、懐かしい動作だなと思った。由一が最後に手を振ったのは、5年くらい前の中学受験の朝だった。
「さよなら」
佳苗は笑顔でサラッとそう言い、夕焼けの街に消えて行った。
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