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分析魔に恋して
作:広瀬 由一



幼馴染



「今度の中間だけど、あと6日しかないよね。私、昨日は徹夜で勉強するつもりだったのに、気が付いたら何故か布団の中にいたわ。ぶっちゃけ快眠だった。10時間も眠ったの久しぶりよー。佳苗はまた普通に1位とか取るんでしょ? この間は風邪気味で500人中4位だったもんね。ほんと、IQ高いって羨ましいな」
 瑠璃はポテトを食べながら、いつもの調子でぼやき始めた。幼稚園のヒヨコ組の頃から聞かされている佳苗は、もう慣れっこだった。
「そんなの関係ないよ。私、勉強してるもん。塾にも週5日通ってるし」
 佳苗がそう言うと、瑠璃はため息をついた。
「私なんて、数式や英単語を見ただけで呪われているような気持ちになるんだけど。もう努力とかそれ以前の話でしょ? なんでうちの学校って文系も理系も授業が同じなのよ。理解できないわ。頭悪いんじゃないの? 今度文部省に投書してやる。文部省ってどこにあったっけ? アメリカ?」
 学生の理系離れがマスコミなどにも注目され始めてはや5年。佳苗たちの学校は前理事長の退職と同時に、いち早く文理統合政策を開始した。佳苗も初めは自分の目を疑った。高校2年の新しい時間割表に、なぜか物理、数学、化学、生物、の欄が記載されていたのだ。それから3日後に受けた物理の洗礼は特に強烈なものとして記憶に焼き付いている。授業を受けていて分かったことは、川村という先生が何か物理的なことを一生懸命話しているということだけだった。おかげで週2日だった塾は、一気に週5日となった。
「何とかなるよ、きっと」
「まあ、追試にならないように努力はするけどねー」
 それから瑠璃はバニラシェイクを一気に飲み、ナゲットをつまみ、フィレオフィッシュバーガーにかじりつき、約10分で全てを平らげてしまった。相変わらずすごい食欲だなと、佳苗は感心しながら、オレンジジュースだけを飲んでいた。瑠璃が静かなのは、メール中と睡眠中、それと食事中だけだった。中学校までは睡眠中も十分うるさかったが、高校生になってさすがに気になり始めたのか、最近はイビキも静かにかいていた。しかし、食欲だけは相変わらずである。これだけ食べて何故太らないのか、佳苗はいつも不思議に思っていた。瑠璃は確かに頭は良くないが、顔はかわいいし、スタイルも抜群だった。しかし、彼女とまともに付き合えた男は未だかつていない。みんなもって、せいぜい一週間が限度である。最初の3日間は神経が麻痺しているために何も分からないが、4日目辺りで異変に気付き、6日目までに危機感を覚え、7日目には完全に目を覚ますのである。今までの被害者数は佳苗の知っているだけで、17人にも上った。瑠璃は生まれつき少しキレやすくて、かなり情熱的で、結構図々しい性格なのだ。根はいい娘なんだけれど。たぶん。
「また今度も佳苗の家に泊まってもいい?」
 高校に入って以来、瑠璃はテストが近づくと、必ずと言っていいほど佳苗の家に勉強を教えて貰うために泊まりに来ていた。最初の頃はイビキがうるさくて、佳苗は夜中に泣きながらリビングルームに避難していたが、最近は鼻息が少し荒いだけだったので、安心して一緒に眠ることが出来た。実を言うと、由一とのチャットを暗号化したのも、この瑠璃が泊まりに来たときのための対策だったのだ。瑠璃はもちろんプログラムのプも分からない。存在自体知らないだろう。アルファベットと数字の羅列など、プログラミングをしているとそう言えば、全く疑わずに納得する。唯一の心配は、瑠璃がキーボードの上にココアをぶちまけないかということだけだ。
「いいよ。いつもの事だし。もう用意もできてるわ」
「ありがとー!命の恩人よあなたは。佳苗がいなかったら私、もう7回は死んでるわ。テスト終わったら合コン行かない? もう予定入ってるのよね〜」
 また新たな被害者を増やしに行くようだ。佳苗は抱きついてきた瑠璃に、笑顔で首を横に振った。
「遠慮しとく。エミと彩香と三人で行ってきて」
 佳苗がいつものように断ると、瑠璃もいつものように眉をひそめた。
「何で彼氏作らないの? 男友達は多いくせに。佳苗、絶対モテるよ? 頭いいし、性格いいし、スタイルいいし可愛いし。もう完璧なのに。何で?」
 佳苗は瑠璃と話すときはほとんど頭を使っていなかったが、このときばかりは少しだけ考えることにした。どうしてなのか、自分でもよく分からないのだ。怖いのかもしれない。それとも、変態の名取由一に魅力を感じる私もやはり、少し変わってるのかもしれない。類は類を呼ぶと言うし・・・
「分からないわ。なんとなくよ。キスとか、別にあんまり興味ないし・・」
 それに比べ、瑠璃は既に小5の時に、学年一のハンサム君と佳苗の目の前でファーストキスを交わしていた。あの頃の瑠璃は今よりもさらに行動力があり、佳苗は振り回されていた記憶があった。・・まあ、それは今もあまり変わってないけど。
「好きな人が出来たらいつでも言って。きっかけなんて、一日5回は作ってあげるから。じゃあ、さっそく今日から泊まっていい?」
「いいよ。もう今から家来る?」
 瑠璃はトレイに乗せた山盛りの紙くずとポテトの残骸をゴミ箱の中に雪崩れ込ませながら、笑顔で頷いた。
 
マックを出ると、外は既に夕焼けが広がっていた。この時間帯に瑠璃と二人で歩いていると、佳苗はいつもなぜか小学生の頃を思い出した。よく二人で遊んでいた、懐かしき無邪気な日々だった。今から考えると笑ってしまうようなことを、毎日のようにしていた記憶がある。一日に何人の男の子を見かけられるかゲーム。担任の教師を見つけて、どこまでも追跡ゲーム。繁華街キモ試しゲーム。占い師観察ゲーム。落し物追跡ゲーム。無線盗聴ゲーム・・・などなど。思えば、女の子の遊び方としては少し変わっていたような気がする。事実、小学校低学年までは、瑠璃はクラスでも少し浮いた存在だった。彼女は早熟で、4年生にもなると、よく中学生に間違われた。瑠璃に強制的にお洒落をさせられ繁華街に飛び出して、11歳の誕生日までに二人で何度ナンパされたことか。佳苗は毎回心臓が止まる思いでいた。5年生にもなると、瑠璃の女性としての魅力は徐々に加速し始め、この頃から瑠璃は浮いた存在から、男子の憧れの的へと鮮やかな転身をはたしていく。中学3年生の頃がユリの人気の全盛期だったように思える。しかし高校に入ってからは、なぜか瑠璃は行動を控え始めた。ドラム役として所属していたセミプロバンドも抜け、銀色だった髪の毛も、黒と茶色のマーブル模様になった。(それでも普通と比べれば十分派手だった)そして、あれは高校1年の1学期期末試験のとき。瑠璃は佳苗に生まれて初めて勉強についての質問をしてきたのだ。佳苗は最初、瑠璃は何かの罰ゲームにはまったのだろうと思っていたのだが、瑠璃は真剣に英語の時制法則について考えているのだった。つまり、彼女はなぜか大学に進学する気になったのだった。(瑠璃は小学校6年のとき、自分は宇宙一タレントの才能があると言っていた)佳苗はこの奇跡に感動し、快く教師役を引き受けた。そして少し嬉しくなって、つい口がすべり、「泊りがけで勉強合宿でも開こうか?」と言ってしまったのが運の尽きだった。 最初の勉強合宿は佳苗にとって、トラウマものの修羅場と化した。合宿初日の午前一時、瑠璃は二次関数がどうしても理解できず、癇癪を起こして佳苗に襲いかかった。柔道二段だった佳苗は瑠璃を投げ倒しておとなしくさせたが、瑠璃はその衝撃で覚えていた(数少ない)英単語を全て忘れてしまったと言い張った。佳苗は絶対に割に合わないと、理不尽な思いで泣きそうになりながらも、近くの24時間営業のファミレスで瑠璃にイチゴパフェをおごり、なんとかなだめすかしながら勉強を続けさせた。寝不足とストレスによって、テストが終わる頃には、佳苗の顔には4つもニキビが芽吹き、体重は3キロも落ちていた。(瑠璃が帰った後、それらの症状は2日で治った)
家に着くと、佳苗はさっそくテスト勉強の準備を始めた。ウォーミングアップとして3次式の因数分解を15問ほど解いた頃には、佳苗は既に教師モードに入っていた。そして勉強開始25分後には、瑠璃は大学受験を決心したことを既に後悔し始めていた。いつもこうだった。佳苗は、瑠璃の1時間前までの勉強に対するやる気と情熱が、きれいな放物線を描いて急降下していくのを感じながら、不思議な気持ちでいた。なぜこんなにも急激にやる気が失われていくのか。佳苗には理解できなかった。まるで穴の開いた風船だった。もう少し、せめて3日間くらいは持ち堪えてくれてもいいのに、という言葉を呟きかけ、佳苗は慌てて口をつぐんだ。右手にポテトがあった頃の瑠璃の目をダイヤモンドの煌きと仮定すると、今は死んだフナのうろこ程度の光沢を発している。目蓋もドッキング体勢に近づいていた。
「ルリ? 公式は覚えてるよね?」
「もちろん。・・今から覚えるところっす」
「はー・・。まず公式が分からなければ、数学に関しては0点しか取れないわ。確実に」
「・・・マジっすか?」
「大マジよ。まず、解の公式は分かる?」
「あー、面積を求めるやつでしょ? それくらい知ってるわ」
 瑠璃は自信満々にそう言った。佳苗は思わず拍手をした。
「さすが。ぜんぜん違うわ。2次方程式を因数分解できない時に用いる公式。エックスイコール2エー分のマイナスビープラスマイナスルートビー二乗マイナス4エーシー。まずこの式と、この公式を見ながら30回繰り返し唱えてくれる? 今日中にあと7個の公式を覚えられなければ、今夜は床の上で寝てもらいます」
「・・・はーい」
 最近の瑠璃は妙に大人しかったので、佳苗も安心して荒療治的な学習計画を進めることが出来た。オペに例えるならば、脳腫瘍を摘出しながら肝臓を交換しながら心臓にペースメーカーを取り付けるついでに肺ガンをレーザーで焼切るというところだった。結局その日、瑠璃は喉が枯れるまで公式を唱え、ペンだこができるまで計算式を書き続け、夜中の2時半、ようやく佳苗からベッドインの許可が下された。
「明日は瑠璃の得意な英語と日本史ね。これはテストに出そうな重要なところをまとめるだけだから簡単ね。数学の公式暗記の復習は学校で休み時間中に済ませておいて。明後日からは物理と化学を集中的にするから。気合入れなきゃだめよ? 体調に関する言い訳は聞かないからね」
「イエッサー・・」
瑠璃は虚ろな目でそう言って佳苗の隣に倒れこみ、そのまま深い眠りについた。












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