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分析魔に恋して
作:広瀬 由一



平和な教室


名取 由一は、偏差値60以上の勉強大好き人間が集まる、とある進学高校の2年生である。昨日のアレは由一にとって、単なるちょっとした遊び心というやつだった。少し一人でふざけてみただけなのだ。べつに現代社会の過剰ストレスによって頭の線がぶち切れたわけではないし、2万光年先の宇宙と交信していたわけでもない。由一は今日も朝から遅れず学校に来て朝礼を受け、数学、物理、現代文、英語、と午前の難解コンボ授業を居眠りもせずに真面目に受け、昼食は読書をしながら教室の真ん中で一人で堂々と食べ、今は5時間目の存在意義のよく分からない催眠術のような古典の授業を、半分眠りながら真剣に受けている真っ最中だった。
 由一は今日、何度か椅子に座ったまま左右に体をねじり、簡易柔軟体操をしていると見せかけて、さりげなくチラチラ盗み見ていたが、吉村佳苗は昨日のことをまだ誰にも話していない様子だった。もっとも、どうやって雑談の中に自然にミックスすればよいのか、形容テクに困る内容の出来事でもあるのだし、話の現実味も限りなく0に等しい訳だから、下手をすれば逆に彼女自体がアホになったと誤解される可能性も多少はあるわけで、それは当然と言えば当然のことでもあった。
 放課後の掃除当番も、由一はこのまま、そ知らぬ顔で済ませてしまうつもりだった。月曜日である今日の掃除メンバーは由一と、よりによっての吉村佳苗、佐藤B子、山下A夫、津川M子の5人だった。
 6時間目終了のチャイムが鳴り、担任のS先生が戻ると、ざわざわしていた教室が比較的静かになった。終礼の後、由一は真っ先にゴミ袋を二つ持って教室を出、ゴミ捨て場へ向かった。由一は重度の埃アレルギーだった。4階の教室から1階のゴミ捨て場と用具室を回って教室に戻ると、たいていの場合、掃除は終わっていた。由一はいつもこうして、埃舞い散る教室から避難しているのだ。クラスメイト達もそのことは知っていて、黙認しているというか、幸いなことに由一に少し同情気味だった。

「コマイヌ君?」
 ゴミ捨て場にゴミを投げ入れた時だった。由一は背後で吉村佳苗らしき燐とした声を聞いた。
「さて・・と」
 由一はとっさに気付かないフリをし、そのままスタスタと歩き去り、用具室へ向かった。昨日の事は、あれはもう完全に幻だったのだから、などと考えながら。コマイヌ?  ・・ああ、神社の横に置いてあるあの意味不明な不気味なやつね。確か、魔除けのためだとか何とか聞いたことがあるような無いような・・。
「Mr.コマイヌ、無視しないでよ」
 由一は用具室の棚からゴミ袋1パックを取り出して、チェックリストにクラス名と自分の名前を書き(コマイヌと書きそうになった)、再び気付かないフリをしながら階段へ向かおうとした。あと何回無視すれば素直に夢だったと思ってくれるのだろうか。由一の予想では、あと2.5回だった。つまり、三回目の発言の途中で「あれ、もしかして、」となるのだ。
「昨日ごめんね。変質者とか言っちゃって」
 佳苗はすまなさそうに、そう言った。
・・・いや、そんなダイレクトには言われていない。由一は密かに思った。
「え? 何のこと?」
 由一はここで初めて佳苗の存在に気付いたかのようなフリをした。
 佳苗は爽やかに白い歯を見せて、ニコッと爽やかに微笑んだ。
「昨日私、あれから家に帰って、かなり笑っちゃったんだ。何か無性にめちゃくちゃおかしくなって。実は今も噴出しそうなの。あははは・・あはははは・・。コマイヌ君って、いつもあんなことしているの?  あんな真剣な顔して?  あははは・・」
佳苗はそう言いながら、体をくの字に折り曲げて笑い出した。昨日とは取って代わって、今度は由一が彼女をポカンとした表情で見つめる番だった。こいつって、こんなキャラだっけ? 
「大丈夫? コマイヌ? 夢でも見たんじゃないの?」
「あー、大丈夫よ。誰にも言わないから。言っても誰も信じないだろうし。まさか教室でクール決めてる読書家の通君と、よりによってあんな出会い方するなんて夢にも思わなくてさー。時間が時間だったし、ウケ狙いではないよね。ストレス解消か何かなの?」
佳苗は早口にそう言った。今もその好奇心旺盛な彼女の瞳が、由一の顔の手前30センチのところで爛々と光り輝いている。優一は何やら話が妙な方向に突き進んでいくのを肌で感じた。しかし、同時に面白いことを思いつき、由一は瞬時に態度を変えた。
「俺、昨日は両親と一緒に熊本にいたぜ。おばあちゃん家に行ってたんだ。こっちに着いたのは今朝の5時だ」
由一は実際に熊本のおばあちゃん家を笑顔で訪れている自分を思い浮かべながら、真剣な、それでいて何気ない口調でそう言った。しかし、熊本ではなく九州と言うべきだったと思った。
「じゃあ、これは何かな?」
 佳苗はそう言って、ポケットから携帯を取り出し、ムービーの再生ボタンを押した。見ると、そこには由一によく似た少年がコマイヌの上から降りて、シャボン液片手に伸びをしているところが、金網越しにバッチリ撮られていた。
「さあ、何だろ?」
由一は冷や汗を逆流させながら眉をひそめ、真剣に分からないフリをした。
「コマイヌからの景色って、けっこう爽快なの?」
 佳苗は携帯を閉じながら笑顔で言った。
由一はもう面倒くさくなり始めていた。
「さあね・・コマイヌに聞けば?」
由一は邪険にそう言って佳苗をスルーし、いい加減に用具室を出ようとした。一歩、二歩、三歩、その時。
「流すよ?」
後ろからボソッと小さく呟くように、そう聞こえてきた。由一はピタリと止まって、開けかけた引き戸をゆっくりと閉め、回れ右をした。
「流すって何を・・・ああ、来週流しソーメン大会だっけ?」
「別に? 昨日熊本に行ってた人には全く関係ないことだから、全然気にしなくていいよ。」
「・・・・うん・・そうだね」
由一は悟った。少し押されている。このまま続けても事態の改善は見られそうにない。
由一はそれから20秒ほど真剣に考え、どうでも良くなり、諦めた。
「一体何が望み? つるし上げ? ・・学校新聞のコラムに載せるとか?」
 由一は捨て鉢にそう言った。
「まさか。そんな無意味なことするわけないじゃない」
佳苗は再び爽やかな笑顔で爽やかにそう言った。
「じゃあ何が目的? ・・ああ、駅前のフルーツケーキかい? あんまり甘いもの食べると太るよ? それにこの近くに駅なんて無いしな。バス停はあるけど、バス停前にあるのは居酒屋だろ?」
由一が早口にそう言うと、佳苗はまた笑い出した。
「んなわけないじゃん。通君って、パソコン持ってる?」
「持ってるけど、それが何? ・・あげないよ?」
「いらないわ。じゃあーはい、これ。今日中に連絡して。流されたくなかったらね」
佳苗はそう言って一枚のメモ用紙を優一の目の前に差し出した。
  http//www.xxxxxxxxxxxxxxx.xx.xxx.kanae.html
メモに書かれているのは、どうみてもURLだった。
「なにこれ?」
優一が聞くと、佳苗はにっこりして爽やかに走り去った。
由一は呆気に取られ、しばらく呆然としていた。ふと、メモの裏面を見てみると、そこには一言、こう書かれていた。
「続きはここから。あ=A、い=I、か=K1、き=K2、コマイヌ=K5M1IN3」

 教室に戻ると、掃除はもう終わっていた。由一は息を止めながらゴミ箱にゴミ袋をはめ、いつも通りに戸締りをチェックしていった。吉村佳苗や他の連中は、既に帰る準備をしている。佳苗は教室を出て消え去るまで、由一と目を合わせようとはしなかった。しかし、「なんか、流しソーメン食べたくない?」と、津川と佐藤に嬉しそうに話しているのを由一は聞いた。由一は最後に教室の鍵を閉め、鍵を職員室に戻して校門を出た。
高校に入学したときから通学は行きも帰りも、いつも一人きりだった。
教室でも、由一は貝のようになっていて、誰かに話しかけられるまでは自分からは話さなかった。入学式の日、全ての休み時間を有効的に使えば、高校卒業までに休み時間だけで300冊以上の学術本を読むことが出来るという些細な事実に気付いたからだ。教室での由一は「比較的に親切で、少し暗めのデミ優等生」、という感じだった。成績は上の下くらいで、特に仲のいい人間はいないが、逆にこれといって邪魔な人間もいなかった。
「今まではね・・」
 合コンも文化祭もコンサートもお祭りもカラオケもデートもファーストキスも初体験談も、ここ3年ほどの由一には全く無縁のものだった。そんな退屈な青春を紛らわすために、料理(たまご系)をしたり、真夜中にランニングをしたりする。そして時々、本当に50回に一回くらいの頻度で、魔が差す。メレンゲを1時間ほどかき回し続けてビーチボールほどの大きさにしてみたり、2日間絶食してみたり、意味も無く3日間徹夜してみたり、自転車で家から約200キロ離れた名古屋城に出向いてみたり、ハトに餌をやったり、窓からミニ紙飛行機を飛ばしたり、コマイヌの上に座ってみたり、コンビニで5円チョコを箱買いしたり、千羽鶴を折ったり・・・。それに、一見頭のおかしな行動と思えるようなことが、結果として新たな発見を生み出すことが少なくなかったのだ。メレンゲの時には右手の握力が2キロもアップしたし、自転車で日帰り名古屋旅行をしたときには、何回か車に惹かれそうになって人生の走馬灯が見られたし、体重もその日一日で5.7キロもやせた(ほとんど水分だったけど)。絶食した後の食事は今までの人生のなかで一番おいしく感じられたし、三日間の徹夜によって睡眠の重要性を体で思い知ることが出来た。千羽鶴は集中力の訓練。ハトは意外と可愛かった。
由一は思った。考えてみれば今までのお茶目で唯一失敗だったのは、クラスメイトに見られてしまった昨日のコマイヌ事件だけなのだ。それについても、数年ぶりにクラスの誰かとまとまった会話をするという精神安定剤的な特典だと無理やり考えれば、捨てたものではないのかもしれない。異性との会話は脳細胞の活性化にも繋がるし・・。何事もプラス思考で考えるのが重要だ。失敗というものは本当に取り返しの付かないことをしてしまうことであって、それ以外の失敗とは、その後の考え方と行動によって、いくらでも修復可能どころか、逆に努力次第で吉に変える事だって出来てしまうのだ。これが通 由一(16)の持論だった。だてに読書はしていないのだ。
バス停でバスを待つ3分間が暇だったので、由一は吉村佳苗について考えることにした。今まで一人ぼっちでコツコツと読んだ本の知識を総動員して彼女を簡単に分析してみることにしたのだ。何事も、ゲームだと思えればやりやすいのは何故なのだろうか? 
(好みじゃないけど、顔は結構かわいい。女優を100としたら80・・9点くらいか? ・・たいていの奴ならあの爽やかな笑顔でイチコロだな。身長は俺より少し低いだけだから170くらいか。・・高いな。どうでもいいけど。・・スリーサイズの仕組みは俺には分からない。興味も無い。けどスタイルはさっき見た限りではいい。性格は・・・不明。いくらでもネコかぶれるだろうし、心理学的に厳密に言えば人の性格はもともと一つではないし。ただ、クラスで見ている限りは、明るくて親切で爽やかな人気者キャラだ。男子全員を君付けで呼んでいるからな・・。それから・・金銭への執着は特に無し、か。たしか、勉強の成績とIQは俺よりも遥かに上だったはず。中一の頃に一度、そんな噂がたった。将来性や本質的な頭の良さはもちろん俺より下に決まってる・・特に根拠は無いけど。・・家庭環境は順調そうな気がする。友達は男女問わず、俺の20倍はいるだろう。それから、さっきの態度から推察するに、パソコンが比較的得意らしい・・・あとは・・・)
独特な分厚いエンジン音と共に、バスが近づいて来た。由一は考えるのをやめ、バスに乗り込んだ。












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