近況報告
翌朝、佳苗はいつも通り6時に目を覚まし、由一とチャットを交わした。
最近のチャットの内容は、お笑い補助理論についての検討が9割だった。この理論をどのように利用するか。そもそもユーモアについての理論は、現在どれほど研究されているのか。日本全国(特に大阪)にはたくさんのお笑い芸人養成所があるが、そこではどのような方法で教育や授業が行われているのか。その人たちは、「人はなぜ笑うのですか?」と質問されて、答えをスラスラ400字以内にまとめて即答することは出来るのか。佳苗の調査の結果、ユーモアについては、実行班と分析班とに完全分離している傾向があった。「なぜ笑うのか?」と、「どうやって笑わすか?」の違いである。学歴派は前者を研究し、芸人派は主に後者を習得しようとする。由一と佳苗は両方を視野に入れながら検討を進めることにした。具体的に何をしたのかというと、月水金は滑稽という概念は厳密にはどんな物なのかという事を見極めるための討議をし、火木土日はユーモア生成のセオリーを使い、出来るだけ沢山の面白話を考え、どんどんストックしていったのだ。由一の考えでは、このストックが多ければ多いほど、その人物はユーモアに長けた人物となるのである。佳苗もこのプランには賛成だった。面白い話をより多く知っていれば知っているほど、ウケ狙い隠遁を行使する際、有利になるからだ。
「ユーモア程度の知的作業なら、創造性はそれほど必要なくても遂行出来る。どれほどのレベルかと言うと、知識蓄積型職業レベル。要するに熟練工レベルだな。生活に直結しないために数が少ないから希少価値が高いだけで、きちんと手順を踏めばそれほど難しい知的作業であるはずがない。『どれだけ知ってるか』・・・これでその人のユーモアレベルは99%決まる。頭の良し悪しに関わりなくね。まあ、限度はあるけど」
「じゃあ、若手芸人よりも年配の芸人の方が絶対的に有利よね」
「ああそうだね。どうでもいいけど」
由一は剣玉をしながらそう言った。本当にどうでもよさそうな顔で。
【(前略)いよいよ最終定義にかかる。まずは分かっていることから確認しよう。人は笑うとどうなるか。普通は緊張が解け、楽しい気分になるだろう。複雑なコミュニケーションが必要な人間だからこそ笑える。つまり、複雑な思考と笑いはお互いに必要条件となっているんだ。こうなると、やはり効率理論は外せない。原始人までさかのぼって考えないといけない。初めて笑った人類・・・「ゲラオ」と名付けようか。ゲラオ達が発生するまで、どのくらいの準備が必要だったのか。笑うためには余裕が必要だ。とにかく、それまでは笑わない人間もいたんだ。て言うか、笑わない人間ばっかりだった。しかし、笑わない人間は絶滅してしまったんだ。で、今日に至る。なぜ絶滅したのか。それはちょっと飛躍的に考えるけど、笑いが緊張をほぐし、様々なプラス要素を人に社会に与えるということを示す。キリンの首と同じさ。笑わない人間はストレスか何かで生存率が笑う人間よりも低く、自然淘汰されてしまったんだ。きっと、笑えない人間はモテないんだろうな。よって結論はこうなる。「笑い」は「キリンの首」と同じで、人間が生きる上で便利な機能である。これ以上考える必要ないね。あとは「どうやって笑わすか」だ。芸能界を見れば分かるじゃないか。お笑い芸人って、変な顔してるくせに20代の美人女優と多数結婚してるだろ? これが現実なんだよ。面白い人間の方が敵も少なく、生存率が高く優秀なんだ。人間も生物なんだから、やっぱり無意識の内に分かるんだよ。よって笑いというのは・・・】
『笑いは生態系効率促進手段の一種』・・・これが最終的な由一の見解だった。世の中を単なるエネルギーの移動だと考えている無神論者の由一らしい解答だった。しかし、そう考えると・・・佳苗は思った。由一が作った『お笑い作成補助理論』と『ユーモア生成のセオリー』がもしも極めて有効だと世間に評価されれば、どこぞの学会賞だって夢ではないのではないか? と。しかし、由一はあくまでクールだった。
【お笑い芸人は最低限の知識として、こんな定義やセオリーくらいは知っているに決まってるよ。『定義』は知らなくても、体で覚えているって言うか、もはや常識になっている可能性も極めて高い。だから自惚れずに、一歩一歩マイペースに行こう。これからはストック数を増やすことに焦点を当てる。攻撃法を組み合わせて、『戦術』を作るのもいいかもしれない。定義は粘土の型みたいなものだから、一度作れば内容を変えて量産することが出来る。まあ、微妙な軌道調節は必要で、これが難しいんだけど】
これが今から約一ヶ月前、梅雨頃の会話だった。その日から由一と佳苗は戦術作りをせっせと進め、8月までに計50個の戦法を定義するに至った(ほとんど由一の作品だった)。佳苗は吉野山の旅館では、これらを更に組み合わせ、最上級の応用戦術へと昇華させる会議を開くつもりでいた。由一もこれには賛成だった。佳苗は今から4週間前に行った由一との週一デートでの会話を思い返した。
「全てのお笑い芸人たちが18の定義改までをマスターしているものとして話を進める。よって、創造的かつ圧倒的な何かを得るためには、この更に上を行かなければならない。戦術を組み合わせて、出来るだけ幅広い状況に適合する汎用的な戦法を編み出して定義しよう。少しでも多くだ。それを使って笑い話を量産する。本当に笑える話を毎月100通もまとめて送れば、向こうからコンタクトがあるかもしれない。その時は誰か代役を仕立てて送り込もう。自分の知ってる奴がテレビに出たら、きっと何かいつもと違う雰囲気になるはずだ。下らない番組でも面白く見えるだろう」
「・・誰をどうやって送り込むの?」
「さあ。まあ、それなりに度胸があって、報酬次第で動く・・・さっぱりした性格で、頭はあまり良くないほうがいい。扱いやすいからね。そんな奴を探し出して契約するだけさ。年齢は15歳以上23歳以下だな。そうなるとやっぱり、お笑いに興味のあるイケイケが最適か・・。不良要素の薄い人間には、芸能界なんてムリだろう。少なくとも1000人以上の前で平然と話したり、歌ったり出来る奴じゃなきゃ駄目だ。・・俺はそんなことしたら心臓発作起こして死んでしまう。君もムリだろ?」
佳苗は頷いた。同時に瑠璃の顔が頭に浮かんだ。
「一人だけ身近な該当者を知ってるわ。女でもいいの?」
「もちろん」
「まあ、それは『戦法』が出来てからの話よね」
「そうだね。最低でも20以上は型を作っておかないと、送った作品の中から法則を見破られてしまう恐れがある。多数の戦術をばらばらに混ぜて送らないといけない。そう考えると・・やっぱり30は必要か? ・・いや、30くらい創れないようでは、アレか」
「私にはムリね。今回は手伝えそうに無いわ。5日間くらいずっと考えてるんだけど、戦術の「セ」も作れなかった。組み合わせって簡単に言うけど、何通りあると思ってんの? 同じの何回でも使ってもいいんでしょ? 同じのを含めて3つ使うとしたって、18×18×18で約6000通りもあるし。よっぽど勘が良くなければムリよ」
「俺はもう11個考えた。使えるかどうかはまだ分からないけどね。て言うか君、何か誤解してるよ。18の定義をそのまま使っても出来る訳ないじゃないか。定義の下には色々な要素があるって言っただろ? 『キャラ』の下には千以上。『強調』や『外し』の下にも沢山あるって。その最小要素レベルで考えないと一生解けないよ。その要素同士を考えて、そこから逆に定義同士の組み合わせ方を見つけるんだよ。分かった?」
佳苗はため息をついた。
「・・ぜんぜん分からない。何言ってんの?」
「だから・・・無限に近い『最小定義』で話を組み立てる必要があるってことだ。どう言えばいいのかな? つまり、『外し』にも色々あるだろ? 「スルー」とか、「ミス」とか、「非常識」とか、「予想外」とか。それと組み合わせが可能なものを同じ最小定義で考えるんだ。最も古典的な大戦術は『ボケとツッコミ』だ。まあ俺は『ボケ』と『ツッコミ』とは定義しなかったけどね。『ボケ』は『外し』。『ツッコミ』は『指摘』『訂正』とした。そのほうが分かりやすいから。ここで初心に戻って考えてみてくれ。『ボケ』と『ツッコミ』はどのようにして成立したかということだ。そんな定義、最初からあるはずが無いだろ? 大まかな経緯は多分こうだ。昔々、あるところに、口うるさいAさんと、ボンクラのBさんが一緒に暮らしていたんだ。Bさんの行動はすべて『ボケ』で、かわいそうなAさんの行動は全て『ツッコミ』だと考えてくれ。しかし、そんな定義は存在していないとしてだ。二人は普通に生活しているつもりだったが、周りの人々は二人のことを『面白いコンビだな』と思ってたんだ。そこで初めて『ボケとツッコミ』あるいは『正反対なのに上手くマッチしている二人組み』などという奇怪な概念が生まれ、そのずーっと後に漫才が生まれた。この時、二人の行動の一つ一つが最小定義だ。もう分かっただろ?」
佳苗は由一の話を聞くうちに、何となく理解できたような気分になった。
由一は鞄からノートを取り出して机の上に広げ、佳苗に見せた。
「昨日までに俺が作ったのは、この11個だ。まあ俺が作ったって言うか、ほとんど既存の物を再定義し直しただけだけどね。これを読んでよくイメージしてくれ」
佳苗はノートを引き寄せ、さっそく目を通してみた。
相手を無条件降伏(大爆笑)させるための基本戦術集
一つ目 不意打ち+チェケラッチョ×強調
二つ目 言い換え+強調
三つ目 キャラ×キャラ×キャラ
四つ目 擬態+未知との遭遇+不意打ち
五つ目 外し+指摘+切り替え+指摘
六つ目 外し+間隔+擬態+強調
七つ目 外し+繰り返し+ダメ押し+スルー
八つ目 冷静+非常識+強調+未知との遭遇+指摘
九つ目 恥+指摘+スケール操作+繰り返し+スルー
十個目 外し+チェケラッチョ+訂正+チェケラッチョ
十一個目 冷静+チェケラッチョ+繰り返し
佳苗は先ほど理解しかけたのは、完全な勘違いだったと悟った。
「ごめん。やっぱり全く全然わけが分からないわ」
由一はこれには驚いたようだった。
「これでも分からない? ・・そう。じゃあ、仕方ないな。・・もっと分かりやすく、単純に・・そうだな。・・今度は一つにまとめみるか」
由一は独り言のようにそう言った。
「抽象度を下げて、もしかして、こういう言い方なら分かるかな? 『比較チェケラッチョ』。これ、どんなのか分かるかい?」
佳苗はしばらく考え、なんとかイメージすることが出来た。
「・・分かるわ。ふざけた比べ方するんでしょ? 例えば・・人の顔とヒョウタンとか。・・大根足とかが有名よね? 小学4年の時の担任の野中先生って、みんなに『大根さん』って呼ばれてたわ。まあ、最初に言い出したのは私だけど・・・」
由一はニヤッとした。
「その通り。『フォークビッツ』とか、『お月様』とか、『ハム』とかね。そうか。これなら分かるのか。分かった。じゃあ、まずはこの抽象レベルで細かく定義していこうか。・・例えば他にもこんなのがある。」由一はノートを捲りながら話した。「『意味不明チェケラッチョ』『褒め殺しチェケラッチョ』『冷静チェケラッチョ』『再度言い換えチェケラッチョ』『無関心チェケラッチョ』『黙殺チェケラッチョ』『不意打ちチェケラッチョ(罠系いたずら))』『ものまねチェケラッチョ』『責任転嫁チェケラッチョ』『大被害チェケラッチョ』それから・・『赤っ恥強調批評』『的外れ指摘』『指摘スルー』『特徴すり替え』『特徴移植』『特徴異常強調』『全キャラ統一欠陥保持強調』『間隔強調』『大合唱コーラス強調』『予想外強調』『繰り返しダメ押し強調』『内外差異常強調』・・他にもまだまだあるよ」
『全キャラ統一欠陥保持』が佳苗のツボに入ってしまった。ポーカーフェイスに亀裂が走り、佳苗は静かな図書館の中で大笑いしてしまった。
佳苗はあの時の事を思い出すと、今でも少し顔が赤くなった。しかし、あの会話が無ければ、おそらく50以上もの(佳苗にも理解の出来る)『戦法』を生み出すことは出来なかっただろう。由一はあの日を境に何かコツを掴んだようだった。それからは一日20個のペースで定義を増やしていき、10日目(今から2週間前)にもなると、『戦法』の数は既に200を越えていた。佳苗が「多すぎて把握できない。」と指摘し、由一は定義を厳選することにした。ちなみに、選ぶ基準は『組み合わせ方の数』である。戦法同士を組み合わせ、連鎖的な爆笑を生むのが最終目標なのであるから、それは当然のことだった。
旅館での話題に困らないように、佳苗は旅行5日前からチャットを休止させることにした。
【夏期講習で忙しくて。宿題が50ページ出たの】
これは事実だった。しかし、佳苗はこれを3日で終わらせてしまっていた。
【大変だね。俺はようやく学校の宿題が終わったところだ。物理と数学の問題で分からないところが6箇所あったんだけど、また今度教えてくれる?】
【わかったわ】
【ありがと。じゃあ駅で。朝の7時半だったよな?】
【そうよ。遅刻しないでね】
【わかってる。じゃあ】
佳苗は部屋の明かりを消し、ベッドの中で目を閉じ、最終確認をした。いよいよ明日だった。幸せな両親は『東大を目指す女だけの勉強合宿』だと信じ込んでいる。お金は三つに分けて鞄と財布の中に収納した。『お笑い補助理論』に関する質問提案はしっかりと溜まっていて、例え奈良が4日間連続の大雨に見舞われようが、退屈する恐れは全く無い。風邪薬、胃薬、地図、その他もろもろも確認した。佳苗は昂ぶる気持ちを無理やり抑え込み、眠りについた。
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