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分析魔に恋して
作:広瀬 由一



決意


 翌朝、佳苗は人生史上最大級の大笑いの発作に襲われた。約15秒間、全く息ができなかった。佳苗は何とかして笑いを抑えようと、床に四つん這いになって、死にそうになりながら呼吸を整えた。懇親の力で笑いを止めて立ち上がろうとしたが、椅子に手をかけ、ディスプレイに目を向けた瞬間、佳苗はもう一度先ほどの文章を思い出し、今度は床の上に倒れこんで、そのまま再び笑い転げてしまった。由一が打った文章は次のようなものだった。
【(前略)だから、ユーモアについて、もっと徹底的に分析しようと思うんだ。実は俺って、少し完璧主義者なんだ。部屋の埃だって、なにも細菌研究所のクリーンルーム並みにする必要は特に無いんだけど、マスクとレインコート(掃除コスチューム)に着替えると、ついチリ一つ残さないぞっていう気分になってしまうんだ。昨日、エジソンの話を聞いて、決めたよ。全ての笑い要素を抽出して、定義してやるってね。で、昨日徹夜して考えたんだ。人は何が原因で笑うのかについてね。様々な状況があると思うけど、必ず何か一般性、つまり共通点があるはずなんだ。物理の常識的概念として、『自然は単純である』っていう言葉があるけど、これは裏を返せば人間の思考が複雑な方向へ突き進みやすいってことだ。で、単純化を念頭において2時間ぐらい考えたんだけど、結論から言うと、俺は『強調』だけが18の定義すべてに共通する要素ではないかと思った。つまり全ては強調なんだよ。例えば、「繰り返し」は一つのシーンを強調しているし、「外し(ボケ)」は、「誤り、失敗」を強調している。「未知との遭遇」は「不可解」を強調している。「不意打ち」は「流れの変化」を強調して表現するためのものだ。書くのが面倒くさいから後は省略するけど、全て何らかの強調であることは間違いない。よって、「人を笑わせるための必要条件は何でしょうか? 」という問題が面接試験に出たら、迷わず「それは、何らかの事象を適切に強調してやることです」と答えればいいと思うよ。出る訳ないけどね。もちろんこれはまだ仮説の段階だ。いまから実験して証明しなければならない。だからここからはランダムに事を運ぼうと思う。よって、50音順に進めることにした。まずは「あいさつ」からだ。「あいさつ」の何を強調するかだけど、強調可能と思われる要素は「場所」「動き」「掛け声(音量)」「表情」「服装」「人数」「言葉」「状況」・・まあ、ざっとこんなもんだ。想像してごらん。先生に向かって、左右に揺れながら挨拶したり、オペラ歌手みたいな裏声で叫びながら耳元で「おはよー」って言ってみたり、ヌンチャクを振り回しながら「おじゃまします」とか、お見合いで席に着くなり「お元気で」や、ネコや物に向かって真剣に「やあ、よろしく」とか。ただ「あいさつ」を強調しようと思っただけで、20秒足らずでこれだけ作れるんだ。たったの20秒でだ。笑いの本質が「強調」である可能性がまた一つ上がっただろ? 次は俺が30分もかけて考えた、状況系の単発作品集だ。何をどう強調したのかは、面倒だから、わざわざ書かない。それから、驚いて目が飛び出すとか、辛いものを食べて口から火を吹くといった古典的な強調の類はなるべく除外することにした。その方が新鮮味が増すだろうから。じゃあ、しっかりイメージしてね】
 佳苗を笑い死にさせかけたサビの部分は、ここからだった。佳苗のツボ攻撃をミッションとした由一の力作である。
【1、教室にて、机の上で両手両足をピンと伸ばしたスーパーマンの飛行スタイルで読書しているデブの読んでいる本が、先生の愛読書である『正しい姿勢とマナー』。2、裁判長が新聞を勢いよく広げたら一枚も残らず全てバラバラになって飛んでいって、それが原因で交差点で大事故が発生。3、習字教室にて、腕と上半身を精一杯伸ばして、半紙から40センチ以上もはみ出して机の上にまで及ぶ特大の字を真剣な眼差しで書き上げ、最後に満足げに「よし」と呟く。先生に怒られたら、芸術がどうのこうのと言い訳する。4、3人で無理矢理相合傘している所へ、4人目が笑いながら突入していくところの後姿を、セピア調の油絵の具で描いた大作。5、床屋さんで、前半分を刈り終わったところで床屋の主人が心臓発作で倒れる。6、進路指導室の前で進路相談の順番待ちをしていると、中から「蛇使い」という単語と、「だめだ!ばかもん!」という叫び声が聞こえてきた。7、真夏のアイスクリーム屋さんで2日間連続で停電。8、何の前触れも無く、目の前で牛乳を飲んでいた子の口がいきなり白く暴発。9、お婆さんが揺り椅子で編み物をしながらラージヒルをジャンプし、見事にK点を突破するオープニング映像で始まる物理の教養番組。10、割り箸を普通に割ろうとしたら粉々に砕け散り、無数の細かい木屑となって、ふりかけの様に弁当箱の上に散らばる。11、トイレの水(大)を流そうとしたら逆噴射。12、長さ2メートルのネジ(右に4000回転させれば外れる)を50本取り付けてくれという依頼を受け、3日後に腱鞘炎になってキレかけながら通院している大工さん。13、塵取りを構えてしゃがんでいる先生の目の前で、箒をフルスイング。14、風呂敷並の大きさの眼鏡ふき。15、テスト終了3分前に、後ろからビリビリビリーと何かが派手に裂ける音が聞こえてきた。16、何気なくシャワーをつけたら、その水圧で吹っ飛ぶ。17、蛍光灯をつけたら、あまりの眩しさに目を押さえて叫びながらのたうちまわる。18、念願のマイホームを一撃で吹き飛ばす威力のデコピン。19、最後の頼みの綱と思って育毛剤をつけたら、全部抜けた。・・ごめん。本当は42個考えたんだけど、疲れてきたからこの辺りでそろそろ終わるよ。どうだった?  PS,これらの状況説明文の後に、『次の瞬間〜』や、『同時に〜』や、『まさにその時、』などの、『状況継続拡散キーワード』なるものを付けてやると、イメージが広がり、2連鎖3連鎖と次々に作成して行ける。不思議だね】
 佳苗は何とか笑いを噛み殺し、震えながら返事を打った。打ちながら、早めに「絶対に笑わない人」を見つけ、緩む口元をどのように引き締めればよいのかについて、さっさと調査するべきだと思った。それと、人は何分間、連続の笑いに耐えられるのかについてもだ。・・・ギネスブックに載ってるかな? 
【まあまあ面白かったわ。強調が笑いの本質で間違いなさそうよ。でも、これだけ聞かせて。『ボケ』と『突っ込み』は一体どんな強調なの?】
 由一は既に答えを出していた。
【俺の考えでは、一流の『ボケ』として認証されるのは『無理やり』『矛盾』『無駄』『不可解』だ。で、これらに共通するのは『独走性』だ。周りの環境を全て無視し、一人で突っ走ることを示す。もう存在自体が強調的だろ? で、それを改めて指摘したり、訂正したりするのが『ツッコミ』だ。独走中のボケは自分の世界に入り込んでいるため非論理的なことが多く、普通の人にはその行動が何を意味するのか、すぐには理解できない場合がある。それを分かり易く要点だけを強調してダイレクトに伝える翻訳家がツッコミだ。まあとにかく、一種の強調であることには違いないよ。これからは『ユーモア理論』ではなく、『強調理論』あるいは『強調技法』として考えよう。その方が的を射ているはずだから。ちなみに『天然』もボケの一種だよ】
 佳苗は納得した。そしてワードを立ち上げ、今朝の文章を全てコピーして保存しておくことにした。しかし、天然キャラになるつもりは無かった。
 再び由一が打った。
【これからしばらくの間は、この強調理論を追求することに専念しないか?】
 佳苗はしばらく考え、賛成した。
【いいわよ。私は何をすればいい? 何でもやるわ。命令して】
【OK。じゃあ、何もしないでくれ】
 佳苗は椅子から転げ落ちそうになった。
【HA?】
【まず、大まかな流れを説明するよ。強調理論が作成可能だとしたら、俺が本気で考えれば完成まで3ヶ月もかからない。徹底的に効率的に動くことになるから、君と相談する暇は無い。邪魔だからね。だから、君にはこれから3ヶ月間の俺の学校の勉強を見てもらいたいんだ。俺は授業中にも授業を受けていると見せかけて、強調理論について考えるから。で、理論が完成したら、真っ先に君にそれを教える。それを読んだ君が俺を大爆笑させる文章を1時間以内に3つ以上作ることが出来たら、成功だ。理論の完成と言える。上質な理論が出来たら君にあげるよ】
【私は勉強の手伝いをするだけなの?】
【うん。それで十分。分析は一人でやる。その方が早いから】
【何か情報が必要になると思うけど? ・・・例えば、お笑いの法則を導き出すには、沢山のお笑いビデオを見て、一つ一つ分析していく必要があるでしょ? 私、記憶力には自信があるわ。映像なら一回見ただけで完璧に覚えられるし、きっと役に立つわよ】
【いや、今回は強調の法則を何個か比較するだけでいい。そこまで絞られたからこそ、俺は理論作成に臨むんだ。これには調べ物は必要ない。必要なのは発想力と分析力だけだ。情報には頼らない。さっそく今から取り掛かるよ。このチャットも今日で最後だな。勉強の方だけど、ノートにまとめて渡してくれないかな? そういうことで、今度話すのは夏休み明けだ。それまでさよなら。じゃあね】
 由一はそう打ち、パソコンを閉じた。10秒後、佳苗から電話がかかってきた。
「もしもし」
「ちょっと!」
「なに?」
「いきなり終わらないでよ」
「ああ、でも俺は今から理論作成に勤しむから。大丈夫。夏休みが終わればまた普通に話そう。その頃にはもっと楽しいことになってるから。じゃあね」
「私、絶対何かの役に立つって保障するわ。私にも手伝わせて。お願い」
 由一は少し困った。
「うん。君が役に立つことは知ってるよ。俺より頭の回転速いし。記憶力も良いし。でも、これは俺にとっても自分を試すいい機会なんだ。一度、何か大きな分析をしてみたかったんだ。ついでに記録を採って、自分の思考も分析する。そうすることで、俺はもっと優秀な分析力を手に入れることができる。正確には君はその点について邪魔なんだ。君が手伝ってくれることによって、俺の成長が阻害されるんだ」
 佳苗は絶対に食い下がるつもりでいたが、これには降参するしかなかった。
「・・分かったわ。じゃあ、この次は私にも参加させてね。そう約束してくれる?」
「いいよ。別に」
 しばらく沈黙が流れた。
「もしも夏休みが終わっても理論が完成しなかったら?」
 由一が電話を切りかけたとき、佳苗がぽつりと言った。
「・・その時は、ユーモア理論は作成不可能だという事実が判明する。ただそれだけさ」
「ノートはいつ渡す?」
「いつでも良いよ。一週間に一度、どこかで渡してくれればいい。翌日に返すから」
「・・分かった。じゃあ、しばらくさよならだね」
「うん。理論が出来た時点で連絡するよ。じゃあ」
 由一は携帯を切り、学校へ行く準備を始めた。
 佳苗は携帯を閉じ、部屋の中でしばらく、ぼんやりとした。今日はいい天気だった。窓の外からは清々しい白い朝日が差し込んできている。佳苗は窓から身を乗り出して家の前の道路を見下ろし、地面に映っている黒い影の部分をじっと見つめた。佳苗はぼーっとする時には、いつも決まって日影を見つめた。人の影、建物の影、電信柱の影。影を見ると、佳苗はなぜか、自分の気持ちや考えを落ち着いて整理することが出来た。佳苗はもちろん、由一のことが好きだった。普通の友達以上に好きだった。しかし、これ以上好きになってはいけない(と言うか無意味)という事も十分に理解していた。由一ははっきりと誰とも付き合うつもりは無いと宣言したし、例え25歳まで待っていたとしても、あの名取由一なら、遺伝情報の遠い外人と結婚した方が子孫繁栄的に効率指数が高いから、明日からフロリダに移住するね、などという突拍子も無いことを真顔で言い出しかねない。いや、伝さえあればきっとそうするはずだ。
「ふう・・・」
 佳苗はため息をつきながら洗面所に向かい、顔を洗った。部屋に戻り、コーンフレークとヨーグルトとオレンジジュースの朝食を摂りながら、佳苗は難しい問題に直面したと思った。由一に惚れてはいけない。しかし、由一とはずっと一緒にいたい。一体どうすればよいのか? こういう場合は感情的になってはいけない。冷静に、何か解決法を考えるのだ。佳苗は考えるうちに、少し普通ではないアイデアに到達した。この今の気持ちを由一に話してみては? ・・・一体どういう反応を見せるのだろうか。この気持ちを由一君に分析してもらえば・・・
「・・いやいやいや、何言ってんのよ私ってば」
 佳苗は考えるのをやめた。訳の分からない複雑怪奇な言動や思考は、S級変態の由一だからこそ、普通に何の違和感も無くこなせるのだ。自分にも出来るなんて思っては駄目だ。由一は普通ではないのだから。贅沢を言ってはいけない。佳苗は確認した。答えはシンプルなのだ。由一とずっと友達でいる覚悟と、奴に見捨てられないよう、努力を怠らなければいいのだ。ただそれだけの事だ。簡単だわ。
「よーし。・・私もがんばるか」
 佳苗は学校へ行く途中、コンビニで新品のノートを3冊買った。佳苗は知力の限りを尽くし、極限に分かりやすい授業の解説本を作ってやろうと思った。これで奴の鼻を明かしてやるのだ。












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