運行変更のお知らせ
某駅のショップで販売員として勤める私は、遅番を終え、駅のホームで帰りの電車を待っていた。スマホでLINEをチェックしていると、電車がホームに入ってきた。速度を緩め、停まり、ドアが開く。私は乗り込もうとした。そのとき、肩をぐいと後ろに引っ張られ。
「あぶない」
『えっ』と思った瞬間、私の鼻先を猛スピードで電車が通過していった。私が驚いて振り返ると、そこには同僚のチカが険しい表情で私の肩をつかんでいた。
「あんた、なにやってんの」電車の轟音に負けじと、チカが大声で怒鳴る。
「え、なに」
自分の置かれた状況を把握できずにいた私は、再び電車を見た。最後尾の車両が目の前を通り過ぎ、走り去っていった。
私は確かに電車に乗ろうとしていたはずだ。電車はホームに停まり、ドアが開き、それに乗ろうとしたはずだ。しかし今、通過電車が通り過ぎていった。ならば、私が乗ろうとした電車は、どこに消えてしまったんだろう。混乱しながら再びチカを見ると、チカが言った。
「あんた、まさか」
「ちがうちがう。うっかりしてた」
「ほんと。危ないなあ。スマホ見ながら歩いてると危ないよ。気をつけた方がいいよ」
「ごめん、気をつける。それと、ありがとう、危ないとこだった」
私はチカに聞いてみた。
「ねえ、今、電車停まってなかった」
チカは、なに言ってんだ、と言う顔で答えた。
「特急だよ。停まるわけないでしょ」
「だよねえ」
どうやらチカには、停車しドアを開けた電車は見えていなかったらしい。あれは私の幻覚だったのだろうか。
「疲れてんじゃないの。ちゃんと寝てる」チカは心配そうな顔をして言った。
数日後、遅番を終えた私は駅のホームで電車を待っていた。あれからホームでスマホをいじる習慣を改めた私は、広告看板を見たり、電車を待つ人々を眺めていた。すると、ポロンポロンとチャイムが鳴り電車の到着を知らせた。そして、がたんごとんと走行音を響かせながら電車が入ってきた。その電車の姿に、私は自分の目を疑い、息を呑んだ。電車は半透明で、向こう側のビルの灯りや、広告看板や、線路がうっすらと見える。中の乗客の姿も透けていた。電車は速度を落とすと、駅のホームで停まり、ぷしゅーという音をさせてドアを開けた。私は白日夢を見ているのだろうか。眩暈にも似た感覚に襲われながら、私は辺りを見回した。半透明の電車に反応している人は誰もいなかった。人々は、列を作り電車を待ったままだ。みな手に持ったスマホを見つめ、顔を上げる者はいない。今、目の前に停車している半透明の電車は私だけに見えているようだ。
いや、ちがう。ひとりの背広姿の男性が、その電車に乗り込んだ。男性の足は電車の床を踏み抜き、その身体は線路へと落ちていった。私以外の人間には、その男性はホームから転げ落ちていったように見えただろう。次の瞬間、私の目の前を、轟音をあげながら電車が通り過ぎた。風が私の髪を揺らす。ドンという音とグシャという音が同時に響く。悲鳴が上がる。電車はすさまじい金属音をたてながらスピードを緩め、止まった。駅は騒然となった。
私は、動けずにいた。もしあの時、あの電車に乗っていたら。もしチカに止められていなかったら。全身が震えていた。
私は会社に配属先変更の願いを出し、その願いは叶えられた。今は、あの駅とは違う駅を利用している。半透明の電車を見ることも無くなった。だが、今でも運行変更のお知らせを見ると、電車の姿が浮かんでくる。あの半透明の電車の姿が。