欲しいものが何でも手に入るわけではないと言うことは、十分承知しているつもりだけれど、手に入らないものほど欲しくなるのも知っている。
昨日の夕方、志木朔弥はわざわざ俺に決意表明してくれた。
『今晩、絶対決めるから』
シンと静まり返った麻見征二さんの部屋を、横目で眺めつつアパートの階段を下りた。
今頃征二さんと二人でベッドの中にいるのかもしれない。薄い壁越しに時折聞こえる音に、いちいち反応してさっぱり眠れなかった。
ため息を何度もつきながら町へ出た。
二人が恋人同士になって以来、俺はずっと落ち込んでいる。
朔弥は初めて自分から好きになった相手だった。これまで、相手から強引に押されて迫られて、そして何となく付き合う。そう言うのばかりが続いていた。冷めるのはいつも俺の方で、相手から断られる気持ちって言うのが全然わかっていなかった。
欲しいのが物ならば、お金を出せば手に入るだろう。だけど人の気持ちはお金じゃ買えない。たとえ買えたとしても、お金で買った気持ちなんか本物ではないし、それならいらない。
あれこれ考えてぼんやり通りを歩いていたら、ぽんっと肩を叩かれた。
「あ、やっぱり和くんだ。青井和くんでしょ」
どちら様でしたっけ、とその男の人をじっと見上げた。
背が高くて大人っぽい雰囲気だけど、ちょっと怪しい。良く言えばオシャレだけど、チャラチャラしているようにも見えた。
「わかんない? ほら、和くんのお母さんが勤めていた『シャンティ』の神崎。神崎怜」
シャンティは母の勤めていた美容室だけど、五年くらい前のことだ。母はとっくにシャンティを辞めて、今は海外に仕事で行っている。だから帰って来るまで俺は一人でお留守番なのだ。
「すみません。覚えてません」
俺にとっては知らない人だ。
「ええーっ、そうなの? 残念だな。そっか、あの時まだ六年生だったもんね」
大きくなったなー、と神崎怜は親戚のおじさんみたいに俺に言う。
「何してるの? 忙しい?」
「別に。暇だけど」
「じゃあ遊ぼうか。オレ、車あっちに置いてあるんだ」
ぐいっと腕を引っ張られる。
頭の中で警報が鳴った。
──知らない人について行ってはダメよ。誘われたら大声で叫んで助けを呼ぶのよ。
母の言葉を思い出す。
俺が小さい頃、近所で可愛いと評判の女の子の誘拐騒ぎがあった。事件は無事に解決したが、そのせいだろう。母は過剰に心配し、毎日のようにそう言っていたのだ。
「どこ行くの?」
この人は危ない人なんだろうか。見た感じ軽そうだし、かなり胡散臭い。
「ドライブしようよ」
「今日、休みなんですか?」
「うん。休み」
土曜に美容師が休めるとは思えないけれど、あっさり肯定される。
「今、アッシュってヘアサロン勤めてんの。知ってる? 雑誌とか結構紹介されたりしてて……」
神崎怜は、聞かないのに勝手に教えてくれた。年中無休の店なので、休みは交代で取れるらしい。
「土曜休みって貴重なんだよ」
「その貴重な休み、ヒマしてたって訳?」
言うと神崎怜は「うっ」と顔をしかめる。
「イタイとこ突くねー和くん。いや最近ね、彼女に振られたばっかりで暇なんだ」
それで偶然出会った俺が、代用品なのか。
「俺も……」
「え、何?」
「俺も、失恋したばっかりなんだ」
俺はもうあの頃のような小さい子供ではない。でも、子供じゃないからこそ、ひどい目に合うかもって思ったけれど、合ってもいいやって思った。
何もかもがどうでも良かった。
やけになっていた。
朔弥のこと、忘れられるなら何だっていい。
そう思って俺は神崎怜について行った。
高校一年の時、テストの点数が最下位だった俺に、トップだった朔弥は俺に勉強を教えてくれた。それがきっかけでだんだん仲良くなって、だんだん好きになっていた。
生まれて初めて自分から告白したけれど、朔弥には振られてしまった。
『和のことは弟みたいな感じなんだ』
物心ついたときから恋愛対象が男で、朔弥には理解不能だといつも言われていたから、振られるのは予想内だったけれど、問題はその後。征二さんと付き合うことになったと朔弥に言われた。
隣に住む征二さんは三つ年上の大学生で、もともと俺と仲が良かった。征二さんも男しか好きになれないと言っていたから、話が合った。もちろん朔弥を好きなことも話していたし、相談にも乗ってくれていたんだ。
朔弥を征二さんに紹介しなきゃ良かった。
二人の間にどういう経緯があったのか、詳しい事は知らないけれど、いまさら聞いてもしょうがない。
家の前まで送ってもらって、怜にバイバイと手を振った。
どこに連れて行かれるんだろうとか、何されるんだろうと身構えていたのがバカみたいだ。そうそう同性愛者が転がっている訳がない。怜は彼女と別れたと言った。普通の恋愛が出来る人で、男に興味なんてないんだ。
見かけは軽そうな怜だったが、意外に落ち着いていて、優しかった。
西の方の海までドライブして、夕日を見せてもらった後、やけに天井の高いオシャレなレストランでご飯を奢ってもらった。
会話も弾んだ。もともと人見知りしない俺は、すぐにいつもみたいにはしゃげた。
「お互い、ヒマだったらまた遊ぼう」
そう言って怜と携帯番号を交換した。
怜と一緒にいて楽しかったと思う。ちゃんと笑うことも出来たしご飯もおいしかった。
朔弥に失恋してから、落ちていたはずの食欲が戻っていることにまず驚いた。
いつものファミレスや、コンビニ弁当。ファーストフードの味とは比較にならない、高級レストランだったからだろうか。
最近ずっと、朔弥に振られた瞬間の夢ばかり見ていたのに、今日思い浮かんだのは、レストランで食べた、エビの顔だった。
閉店後に友達価格で髪を切ってあげよう、と怜に電話で誘われた。
『アッシュに来たことないだろ? おいでよ。髪、かっこ良くしてやる』
木曜日の放課後、言われた通りの時間に、教えてもらった通りにバスに乗ってアッシュに行った。
店の入り口で中を覗きこむと、怜が鏡を拭いているのが見える。
そっとドアを開けると、スタッフの人たちに一斉に見られ、一瞬身を引いてしまう。
「あ、和くーん」
怜がすぐに気付いて飛んできた。
「どーぞ入って。すぐわかった?」
怜は椅子に座って待っているように言ってから、掃除に戻ってゆく。
閉店したらしく、すでに店内にお客さんはいない。みんな忙しそうに動いているのに、俺だけじっと座っていて、ひどく居心地が悪かったが、手伝いましょうかって言うのも変だ。
「お待たせー。こっちにおいで和くん」
スタッフがみんな帰ってから、鏡の前の椅子に呼ばれた。座ると同時に、鏡越しににっこり笑いかけられる。
「どんな風にする? 長さは変えずに毛先軽くしようか。少しカラーリングもして」
「おまかせしまーす」
素人がイロイロ言うよりプロに任せた方がいい。
「高校は規則とか大丈夫?」
「平気平気。金髪でもオッケーだよ」
「オッケー。まかせて」
かっこ良くするからね、と言いながらシャンプー台に連れて行かれる。
まさか金髪にされないよね。と少し不安になってしまった俺は、怜に要求した。
「あの、お任せでも金髪はやめてね」
「ハハ、しないよ。ちゃんとかっこ良くする。じゃあ、椅子倒すね」
シャンプー台の椅子が倒され、顔に小さな布を被せられた。これって、フーッと吹いたらヒラヒラ飛んでいくんだよね。
一瞬いたずら心が湧いたけれど、我慢して大人しくしていた。
母がしてくれるシャンプーも気持ちが良かったけれど、怜のも気持ちが良かった。強すぎず、弱すぎない。かゆいところまで指がちゃんと届くんだ。流れるシャワーの音を、目を閉じて聞いていると、ふいに朔弥のことを思い出した。
朔弥は優しかった。いつもいつも、俺の我儘を笑って聞いてくれていたのに、好きだと言った時だけ聞いてくれなかった。
シャンプーの泡と一緒に、朔弥への気持ちも排水溝に流れて行ってしまえばいいのに。
「はい、完成」
どう? と言って怜が鏡を覗き込む。
「うん。すっげーイイ」
鏡を見ながら、髪に手を触れてみた。
根元に空気を入れたみたいにふわふわ立っている。毛先も自然にはねていた。そして、ミリ単位で所々に入れたと言うカラー。
「さすが怜ってプロだよねー。すごい気に入った」
小さい頃から髪は母が切ってくれていた。
こんなにかっこ良くなるなら、これから怜に切ってもらおうかな。
「俺の可愛さ百倍増しだね」
冗談っぽく笑ってみせると、怜は微笑んで返してくれた。
「ホント。可愛いよ、和くん」
弟にしたいくらい。と怜に言われて、浮上しつつあった気分は一気に下降した。
笑えなかった。
「やっぱり俺って……弟?」
「え、どうしたの?」
急にどんよりしてしまった俺に、怜が慌てる。
「好きだった人に弟みたいだって言われて振られた。ねえ、俺ってそんなに子供っぽいかな。弟みたいにガキっぽい?」
「和くん、落ち着いて」
椅子から立たされて、待合用のソファに座らせられた。怜が横に座って顔を覗き込む。
「弟って言うの禁句だったんだね。ごめんね、知らなくて」
「怜も俺のこと、弟にしか見えない?」
「オレは和くんより七つも年上だろ? 正直、和くんのことは可愛いと思ってる。いや、ホント。今日ここに誘ったのも、みんなに見せびらかしたかったからで……」
「見せびらかすって何だよ。俺、怜の所有物じゃねーもんっ!」
「ゴメンゴメン。そういうつもりで言ったんじゃないんだよ」
大した意味はなく言ったんだろうけれど、ついムキになった。謝ってくれた怜に、俺も素直に謝ろう。
「俺こそ。怒ったりしてごめんなさい」
いいよいいよ、と言って怜は笑って俺の頭をポンポンと叩いた。
「弟にしたいって言ったのは、言葉のはずみってやつだ、気にすんな」
「はずみ?」
うっかり言っちゃったってこと?
「まあ、本気で弟にしたいって思ってる訳じゃないし、弟みたいに懐かれても困るよ」
困るのか。それって、これ以上馴れ馴れしくするなってこと? 甘えちゃダメだってことだよね。
「あの、いくら?」
「え?」
「髪。友達価格なんだろ。いくら払えばいい?」
早くお金を払って逃げ出したかった。
優しくしてもらって、遊んでもらって甘えていたのかもしれない。
言葉の弾みって言ったけど、怜にしてみれば七つも年下の俺なんて、子供に見えるのは当然なんだ。たまたま道で出会って、たまたまお互い失恋したてで、単なる暇つぶしの相手だったんだから馴れ馴れしくされても困るよ。そもそもまだ今日で会うの、二回目なんだ。なのに図々しくタメ口きいちゃった。
「いいよ、お金は。オレが誘ったんだ。友達価格って言ったのは他のスタッフの手前そう言っただけで、もともとサービスするつもりだったんだから」
「甘えらんねーよ。高いんだろ?」
財布の中から一万円札を出すつもりだったのに、五千円しか入っていない。
「足りねーかもだけど、ちゃんと後で払う。この前ご飯奢ってもらった分も返す。もう馴れ馴れしくしないよっ」
甘えてゴメン、って言葉と五千円札をぶつけて店を飛び出した。
しばらく走ったあと振り返ってみたけれど、怜は追いかけてなんか来ていなかった。
それをがっかりしている俺って何なんだ。
「まさか、怜のことが気になって……」
いや、違う違う。
俺は激しく頭を振った。
違うよ絶対、勘違い。こう言う事は思い込むと一気にはまるんだ。
「そうだ。朔に会おう」
会って、朔弥がまだ好きって実感しよう。そしてもう怜と会わない。望みのない相手に惹かれたって、どうしようもないんだから。
「朔……俺」
朔弥は征二さんの家にいた。
仲良さそうにしている二人を見て、ショックを受けるはずが受けなくて……。
「どうした、和」
さっき、泡と一緒に朔弥への恋心が本当に流れて行っちゃったのかもしれない。
「……好きな人、出来た」
認めてしまって、しかもあんな風に店を出て来たことを後悔している。
「どこの誰だ」
「俺の、お母さんが勤めてた店にいた人」
「美容師か。男?」
「うん。男」
「年は?」
「七つ上。二十四」
「そうか。いいやつか?」
「……わかんない」
だってまだ怜のこと何も知らないんだ。
「俺、ちょっと優しくされただけなのに変だよね」
「おい、和。大丈夫かそいつ。危ない目とか、合わねーだろうな」
朔弥は、一回会わせろと言って心配してくれる。
「過保護だね、しかも過干渉」
征二さんが淡々と嫌味を言う。
「征二は黙ってろ!」
一喝して朔弥は俺に向き直る。
「和。幸せになってくれなきゃ嫌だからな」
そして俺の髪を触って眉を顰める。
「これ、そいつがやったのか?」
「うん、そう」
「ったく。自然な黒髪が和のいいとこだったのにこんなにしやがって」
「えー、カッコイイじゃん、和。いいな、美容師の彼」
征二さんは褒めてくれた。
「んだよっ! そういえばアンタも髪、茶色いよな、染めてんの?」
朔弥の興味が征二さんに移った。
「ううん。僕の髪は天然色。いい色だろ?」
「そうだな。サラサラだし、綺麗」
「朔弥の髪もキレイだよ」
イチャイチャし始めたので、退散することにした。
「じゃあ朔、征二さん。またね」
仲良くねー、と言ってドアを閉めた。
「和!」
すぐにドアが開き、朔弥が追って来る。
「気をつけろよ。もし危なそうだったら助けてやるから。いつでも言えよ」
わかったな? と念を押された。
朔弥に心配してもらえて、以前なら嬉しいと思っていたことが、さっき鬱陶しいなんて思った。征二さんが言ったように過干渉かもしれない。
俺の恋心が朔弥ではなく、すでに怜に移っていると確信しに行っただけだった。確信してどうするんだよ。
バカだな、俺。見込みなんか全くないのに。
朔弥に失恋して、どん底に落ちた時怜に会って、朔弥で落ちた気持ちは癒えたけれど、怜に恋落ちすると同時に、再び気分はどん底に落ちてしまった。
翌日、校門を出たところで呼び止められた。
「和くん、これ。返しに来た」
怜の差し出した封筒の中身は、昨日叩きつけて来た五千円札だった。
「和くんから受け取れないよ」
俺だっていらねーよ、と突っぱねたいところだったが、どうにか笑顔を作ってみせた。
いつまでも拗ねている子供だって思われたくなかった。
「ラッキー。わざわざサンキュ。ホントは五千円も置いて来ちゃって、今月苦しいーって後悔してたんだー」
封筒を受け取って、鞄の中にしまった。
「こんなとこにいるってことは、今日休み?」
そうだとうなずいた怜は、何か言いたげに俺をじっと見ている。
「やだなー、そんなに見るなよー。いくら俺が可愛いからって、それは見過ぎっ」
軽口をたたいておどけてみせた。
だけど怜は笑ってくれない。顔がしらっとしている。
「じゃ、バイバーイ」
さっさと帰っちゃえ。
「ちょ、待てよ、和」
呼び捨てにされて、ドキンとした。
「話がある。乗れよ」
怜は車を指差した。
「やーん、何? 話って何? ここでいいじゃん。車に連れ込んで何する気?」
「ふざけないで、和。昨日、言葉足りなくて何か誤解してるんだろ? ちゃんと話がしたいんだ」
「コトバ、タリナイ、ナニカ、ゴカイ?」
「バカな振りはしなくていいから。乗って?」
ぐいっと腕を引っ張られた。
「バカな振りじゃありません。バカなんです」
「和、いい加減に……」
「おいこら、何してるっ」
誰かの声が、俺と怜に割り込んだ。
「誘拐か。拉致かっ? 離せこの野郎!」
部活の先輩だった。怜に向かって腕を振り上げている。
「わー、ダメダメ! 違うんだってば。友達だよ、知り合い!」
先輩から逃げるようにして、車に乗り込んだ。怜は急いでエンジンをかけると、車を走らせた。
「オレってそんなに怪しい? 誘拐犯みたいかな」
「違う違う。さっきの人は俺が入ってる陸上部の先輩なんだ。俺に近づく男を片っ端しから目の敵にすんの」
「和くん、男でひどい目に合ったことがあるの? たとえば襲われそうになったとか」
先輩に好きだと言われて、強引にエッチなことをされたことならあった。でも朔弥が俺と付き合った振りをしてくれて、先輩は諦めてくれた。以来、朔弥以外の男といると、飛んできて今のように目の敵にされるのだ。勝手にヒーロー気取りで、俺を守るとか何とか言って一人で熱くなっているのだ。
「襲われる? 意味わかんない」
俺はとぼけた。
「わかんないか。和くんって可愛いから、男にも狙われたりしたことがあるのかなって思ったんだ。何だか大事に思われているって感じに見えたんだ」
「可愛い後輩だからじゃない?」
「それだけじゃなさそうに見えたけど」
だけじゃないんです、とは言えない。
「もしかして和くんが好きだった人って、あの先輩?」
「えー、違う違う。別の人だよ。やだなー、先輩は男だよ。男なのに好きって何だよ。変なの変なの」
必要以上にくどく否定する。
「そうだよな、男相手に有り得ないな」
一蹴された。
一瞬、見透かされたかと思ってドキッとした。怜の中で同性愛は有り得ない。だから言えない。何とも思ってないならサラリと言えるけれど意識してるんだ。サラリは無理だ。怜の言葉とか反応、表情にいちいちビクビクする。
そうしている間に、俺のアパートに着いてしまった。
「じゃあねー」
車を降りようとしたら、腕を掴んで引き止められた。
「まだ何も話してないよ」
「あ、そっか」
先輩の乱入で話がずれていたんだっけ。
「なに? 話って」
サイドシートに座り直して聞いた。
「うん。昨日、和くんがもう馴れ馴れしくしないとか、甘えてゴメンって言って帰った後考えたんだけど、弟みたいって言ったオレが誤解させたんだろうと思った訳で……」
ごめん、うまく言えないけど、と怜は一旦話を止めた。
「何がゴカイなの?」
「うん。簡単に言うと、甘えてくれてもいいんだ。懐いてくれたって全然いいんだ」
わかる? と顔を覗き込まれる。
「いいの?」
「うん。だからまた一緒にドライブしたり、食事に行ったりしよう」
「そんなに暇なのか、怜って」
「そうそう暇なの。和くん付き合って」
「付き合う?」
「あ、いや。遊びに付き合ってって意味だよ」
わざわざ言い直さなくてもいいだろう。
一瞬、期待してしまった。告白されたかと思って心臓がドキドキした。
「いいよ。俺も暇だし」
そう言う経緯で、俺と怜は友達になったわけだが、これじゃあ朔弥の二の舞だ。怜に好きな人がいない今はいいけれど、もし出来たらまた失恋だ。
「よし!」
こうなったら前進するしかない。俺を意識してもらう作戦決行だ。好きになってもらえるよう、アプローチするんだ。甘えた振りして迫ってみよう。
俺は大学ノートを開くと、勉強そっちのけで、『恋愛成就のための計画書』を作成した。
欲しいものは、努力して手にいれよう。朔弥のときは、ろくに努力もしないままに告白して玉砕したから、今回は慎重にやるぞ。俺からは言わない。怜から告白されてやる!
と、気合だけは十分だった。
「今度、いつが休み?」
運転席の怜に聞いてみた。
この前考えた計画を、早速実行に移そうと思った。
「二十三日の祝日。一日中遊ぼうね」
「祝日に休めるの? すっげーじゃん」
「すごいだろ」
「じゃあ二十二日の夜、怜のアパートに泊まりに行ってもいい?」
「えっ、泊まり?」
怜のうちは、俺のとこよりも綺麗なアパート。まだ中に入れてもらったことはない。
「いいだろ、いいだろ? たまには夜更かしして枕投げとかしたーい」
無邪気を装い、ダダをこねる。
「うち、余分な布団がないんだ。だから無理」
ごめんね、とあっけなく却下される。
「怜と一緒の布団でいいよ。男同士なんだし」
「そんなコトしたら……」
「したら?」
「……狭いだろ。眠れなくなる」
「あ、今誤魔化した。言葉に間があったもんっ。ホントは女でもいるんじゃねーの?」
「一人暮らしだよ。そう言ったじゃないか」
何だかいつもの怜じゃない。言い方が優しくない。
じっと観察するように怜の横顔を見ると、俺と目を合わせないようにしている。いや、運転中だから目は合わせられないんだけど、何と言うか、あえて知らん振りされているような、そんな雰囲気だ。
だけど、これくらいでめげるもんか。
「じゃあうちに泊まりに来てよ! ちゃんと布団あるよ」
「そのうちにね」
軽く笑ってかわされた。
「そのうちって誰のうち?」
「そのうちの使い方、変だよ和くん」
わかってるよ。わざとボケたんだ。
俺は小さくため息をついて、シートベルトを握り、過ぎてゆく窓の外の景色を眺めながら考えた。
泊まるのは嫌みたいだ。仲良くしてはくれるけど、そこまで踏み込むなってことなんだろうか。
「じゃあまたね」
アパートに着いて、怜を見送る。
少しの気まずさを残したまま別れてしまったが、ここで落ち込んではいられない。
布団に入って、計画書に目を通した。
「計画は完璧なのにな、俺がこう言っても怜はこう返してくれないんだもんな」
台本じゃないんだから、この通りに話が進むわけないんだけど、少しくらい期待通りの答えをくれたっていいじゃないか。
計画書の中で怜は、泊まりに行くって言ったら、いいよって言ってくれるんだ。それで仲良く隣り合わせで布団に入る。チューは無理だけど、俺が暗いのを怖がるから、怜は手をつないで眠ってくれるんだ。
計画書を枕元に置いてから目を閉じた。
違う作戦を考えなければならないのに、俺はすぐに眠りに落ちてしまった。
そして二十三日。
朝から怜は迎えに来て、バッティングセンターに連れて行ってくれた。
早速、作戦を開始した。
「俺、初めてなんだ。出来るかな」
怜に教えて、と甘える。手取り足取り教えてもらう作戦なのだ。
けれど野球は得意なので、すぐに当たるようになってしまった。
「うまいなー、和くん」
怜がすごいな、って褒めてくれたけれど、作戦は長く続かず、がっかりなのだ。
「あー。喉が渇いた」
秋とは言え、これだけ動けば汗もかくし、喉も渇く。
怜と二人で自動販売機まで移動した。
「ジュース? それともお茶にしようか」
「ジュース、シュース! オレンジがいい」
怜は冷たい麦茶を買って、俺にはオレンジジュースを買ってくれた。
ペットボトルのふたを開けて渡してくれる。
作戦その二、間接チュー。
「甘ーい。余計喉渇いたー。怜のお茶、一口飲みたい」
「え……」
「飲ませて飲ませてー」
「新しいの買ってあげるよ」
待ってて、と言って怜は行ってしまう。
ちょっと待ってよ。そこは「いいよ」って言ってくれないと計画がー。
怜って潔癖症なのかな。回し飲みとか嫌なのかな。と、思いつつも、置いて行った怜の飲みかけのボトルに手を伸ばした。
「っ……こらっ、和! 勝手に飲むな!」
戻って来た怜は、俺が無断で口をつけたのを見て慌てている。
「いいじゃん、いいじゃん。一口で良かったんだもん」
返す。と言って飲みかけたボトルを怜に返した。
「ったく、もう」
怜が、ぶつぶつ言いながらお茶のボトルを飲んでいる。それを見たとき、回し飲みが嫌じゃなかったんだと思った。
「そーゆーの、間接キスってゆーんだろ」
ぶーっと怜がお茶を吹き出し、それをもろにぶっかけられた。
「ひっでーよ、濡れちゃったじゃんか」
「ごめんごめん」
首にかけたタオルで、怜は俺の顔とか髪、体を拭いてくれる。
「和が急に変なことを言うから」
「変じゃねーよ。ホントのことだろ? それとも間違ってた?」
じーっと目を見て怜に聞いた。
「間違ってはないけどね」
ハハハ…と怜は、力が抜けたように笑った。
まあいいか。まずまず成功。かな?
作戦その三は、帰りの車の中で実行した。
必殺たぬき寝入り。
何が必殺なんだと突っ込まれると困るので、口には出さない。って、出したら作戦じゃなくなるか。
「和くん、一人で百面相してどうしたの?」
「百面相って何? あ、そう言えば昔、じいちゃんのうちに、「怪人二十四面相」って本があったんだ。二十四個の顔に変装して相手を騙すんだよ。百面相だったら、もっとすごい怪人ってこと?」
俺ってすげーとか言ってバカな振りをしてしまったら、怜にぷぷっと笑われる。
「可愛いね、和くん」
「いやあ、それほどでもあるけど」
車内は和気藹々となってしまった。これじゃあ、寝る暇なんかないな。作戦は失敗だなーと思って座っていた。
「それにしても混んでるな。ちっとも動かない」
怜がハンドルから手を放し、両手を頭の後ろで組んだ。
「運転って疲れるんだろ?」
「まあね。けど平気だよ。渋滞は嫌いだけど運転するのは好きだから」
「運転は好きなのか。じゃあ俺は?」
「え?」
「いや、何でもないです」
聞き返されたからって、二度も聞ける内容ではない。怜から目を逸らしたけれど、横顔に怪訝そうな視線をチクチク感じる。
「ああ、眠い」
俺はたぬき寝入りを実行した。
「着いたよ、和くん」
とんとん、と腕を叩かれた。
「あ……着いた?」
知らないうちにマジに眠りこんでしまった。
ハッ、しまった。たぬき寝入り!
「う……うーん。まだ眠いー」
ぐずぐず言って、目を閉じた。
「ダメだよ、起きなさい」
無視無視。無理無理、和くんは起きません。
「和くん」
ペチペチと、頬を軽く叩かれる。
可愛い寝顔にチューしたくなるだろ?
けれど、じっと待ってもそういう気配は感じなかった。
カチャリとシートベルトを外す音。そしてドアを開けて怜が車から降りる気配を感じた。
何するんだろう、とじっと眠った振りを続けていると、俺の方のドアが開き、シートベルトが外され、怜に抱き抱えられた。
「あ……」
びっくりして怜の首に手を回して、ぎゅっとしがみついてしまった。
「やっと起きた?」
「ご、ごめん。俺……」
動揺していた。
怜の腕に抱かれて、心臓がばくばく鳴っている。チューされなくて良かったかもしれない。そんなことになっていたら、俺の心臓は今の比じゃなく、破裂するかもしれなかった。
怜に地面に下ろされる。
「じゃあね、和くん」
行きかけた怜に、俺は言った。
「眠気覚ましに、コーヒー飲んで行かない?」
「眠いのは、和くんだろ?」
またね、と笑って怜は車に乗り込んだ。
怜の車が見えなくなるまで見送って、悲しくなった。怜は優しくしてくれるけど、下心なんか全然ないんだ。もし、怜がコーヒーを飲んで行こうと言っていたら、俺は怜に言ったかもしれない。
好きだって。
そしてきっと、怜は俺を気持ち悪がって、もう二度と会ってくれなくなった。だから良かったんだよ。怜が帰って良かった。
「和」
不意に声をかけられ、振り向くと朔弥が階段を下りてくるところだった。
「今のが美容師の彼?」
嘘をついてもしょうがないので、素直にうなずいた。
「うまくいってんの?」
「友達として、うまくいってる」
「友達か、ツライところだな」
「まあね。朔はいいよね、征二さんと仲良くやれて」
ちょっと嫌味っぽくなってしまい、朔弥が顔を曇らせたのを見て、失言だったとハッとする。
「仲良くないよ。たった今激しく喧嘩して帰ろうと思ってたとこ」
もう別れるかも、と朔弥が言った。
朔弥がムッとしたのは俺の失言だけが原因じゃないだろうけど、何となくほっとけなくて朔弥を部屋に誘った。
「コーヒー飲んでく?」
ホントは怜がいたかもしれないその場所に、朔弥が座ってコーヒーを飲んでいる。
「喧嘩の原因って何?」
「どっちが攻めるかで揉めた」
てっきり朔が攻めてると思っていた。
見かけだけで決め付けていたけれど、もしかすると征二さんも「攻め」だったのか?
考えてみれば、征二さんの方が年上だし慣れてるっぽいか。
「って言うことは、二人はまだエッチしてないの?」
「まあそう言うこと。キス止まりでなかなかそれ以上に進めない」
この前、今夜決めるって言っていたはずの朔弥の言葉を思い出した。
決められなかったんだ。
「あいつがさせてくれると思っていたんだ。なのにやけに積極的だし、大人しく寝ててくれない。変だなーとは思っていたんだ」
それで征二さんに聞いてみたところ、事実が判明したと言うことらしい。
「やられるのはプライドが許さないんだって。何が何でも嫌だって言うから、じゃあ別れるしかないねって、つい言ってしまった」
「征二さんはそれでもいいって?」
「……しょうがないって言った」
目を伏せた朔弥の、コーヒーカップを持つ手元が少し震えているように見える。
「征二さんと別れたくないんだろ?」
「そりゃそうだけど」
「じゃあ考えることないじゃん。原因ははっきりしてるんだし、朔が受けてやればいいだけだ」
「そうは言っても……」
男同士なんだし、いつでも都合よく役割が決まってる訳じゃないんだ。
ちょっと前だったら、喧嘩したなんて聞けばチャンスだとばかりに迫っていたかもしれない。もっと早くにわかっていたら俺が俺がって立候補したのに。
だけどもう過去のこととしてとっくに割り切れている。
怜を好きになって、失恋の痛みが癒せたと思っていたが、たぶん違う。朔弥への想いを吹っ切れたから、怜をどんどん好きになっていったんだ。朔弥に気持ちを戻すことは出来ない。自在に気持ちがコントロール出来ればこんなに悩まないんだよな。
戻そうと思って戻せるはずがなかった。
「和、メシ食った?」
「うん。食べてきた」
「オレ、まだなんだ。和のカレーライス食いたい」
どうしてもと言って譲らない朔弥が、何を考えているのか理解出来なかった。けれどきっと何か思惑があるんだろう。
「いいよ。じゃあ、買い物行こう」
近所のスーパーに行って、朔弥と一緒に買い物をした。
「じゃがいもさん、玉ねぎさん……」
食材をかごに入れていると、「人参さん」のところで朔弥がそれいらない、と言う。
「好き嫌いする子は、大きくなりませんよ」
「もう大きいもんね」
「俺は小さいから、人参さんも食べなきゃいけないんだ。それに人参さんだけ仲間はずれは可哀相。みんな仲良くお鍋に入りたいって言ってるよ」
「言うかよ」
ハハハと笑って和やかな雰囲気。
少しは元気になったようで、安心した。
「あのさ、今日和のうち、泊まっていい?」
キッチンに立つ俺の背後から覗き込むようにして朔弥が言った。
「いいよ」
ああ、これが朔弥じゃなくて怜だったら。
そう思って自分で自分を苦しめてしまった。
怜は俺の部屋には入ってくれない。怜の部屋にもだ。泊まりどころじゃないんだ。
いったい部屋の中に何があるんだ? 理由がさっぱりわからない。もしかして、怜には俺に言えない秘密があるのかもしれない。
出来上がったカレーを食べながら、朔弥が言った。
「あのさ、和」
「なに?」
「オレ、和と付き合えば良かったかも」
「今さら何言ってんの」
変な朔弥。
「征二さんが良くて付き合ったくせに。俺の事は弟みたいにしか思えないって言ったくせにさー、何なんだよもう」
征二さんとうまく行かないから、やけになってんだろうけど、いい加減な思いつきで言わないで欲しい。
「あいつ、甘えてくれないんだ」
「それは、年上だからじゃん。朔が甘えればいい」
「甘えられるか、かっこ悪い」
「同じように征二さんもかっこ悪いと思ってるのかもしれないよ」
「だから和にすれば良かったって思ったんだ。オレって実は、世話焼きタイプみたいでさ、何でも一人でさっさとやっちゃうあいつが、物足りないと言うか……」
「そんなの付き合う前からわかってただろ」
「わかってた。オレ、あいつに頭を撫でられた時があってさ、オレは長男だし、ずっと妹の面倒を見たり和にも甘えられたりしてた。だから、たまにはそんな風にあいつに甘やかされるのもいいなって思ったんだ。だけど……そうじゃなかった」
後悔役立たず……違う。後悔先に立たず。だっけ。
「和、もうオレが嫌いになった? あの美容師がいい?」
「朔は嫌いじゃないけど、怜が好き」
「怜ってゆーの、あいつ」
「ゆーの」
「そっか」
はあ……と、朔弥のため息が聞こえる。
こればかりはもうどうしてやりようもない。朔弥に同情して付き合う訳にはいかないんだ。今、俺が好きなのは怜で、付き合える可能性がほとんどなくても好きなんだ。
一応、征二さんの気持ちを考えて、少し離して布団を二つ敷いた。
「明日も学校だし、そろそろ寝るか」
先に布団に転がる朔弥に促され、俺も隣の布団に潜り込む。
「電気消せよ」
「あ、そうだね」
俺は立って、パチパチと電気の紐を二回引っ張った。
「全部消せ、全部」
「えーっ、真っ暗やだよ。怖いもん」
常夜灯が点いていないと怖くて眠れないんだ。朔弥だって知ってるくせに。
「いいから。オレがいるから、怖くないから」
朔弥が紐を引っ張ると真っ暗になった。
「わーっ! 暗いの怖いよーっ!」
「うるせーな、ガキ!」
ぐいっと引っ張られ、抱きしめられた。
「朔ー?」
「怖いんだろ? こうしててやるから」
この態勢って……なんか、緊張してきた。
「動揺するなよ、和」
「するよっ。朔、何これ」
「和はオレのそばにいればいいと思って」
「どういう意味?」
「ずっとそばにいろよ。オレがずっと和を守ってやるから」
怪しい雰囲気っぽくなっているのは、気のせいじゃないみたいだ。
頬に朔弥の息がかかる。すぐに朔弥が身体を動かし、俺の上になった。
「朔……うぎゃっ」
首筋にキスされた。
朔弥が変。朔弥暴走中?
「冗談だろ、朔。何してんの?」
朔弥の唇の感触が首筋から頬に移った。
朔弥は無言で俺の頭を抱いて、頬とか顎を辿って口接け続ける。
「欲求不満なの、俺で解消すんの?」
「そんなんじゃない」
「冗談じゃすまねーよ」
「冗談でするかよ、こんなこと」
じゃあ、マジなんですか?
「朔〜」
黙ってろ、と言われてとうとう唇を塞がれた。
ぎゃーっと心の中で叫んだ。
「んんん〜っ」
目を開けても目を閉じても、真っ暗闇で何も見えない。暗さの恐怖と、朔弥に抱かれてしまうかもしれないと言う恐怖とが、ミックスされて、俺は混乱した。
キスも抱かれることも初めてじゃないし、強引に奪われたことだって過去にはあった。
だから平気かって言うと、全然平気なんかじゃなかった。何があっても前向きに対処出来たものの、時々は思い出して後悔する。
「朔……やだよ」
軽く朔弥の身体を押すと、意外にあっさり解放された。
「あ、ごめん。オレ何やってんだろう」
我に返ったと言う感じで、朔弥は俺の上から離れてくれる。
結局、朔弥はそれ以上を求めてこなかったし、それさえ後悔しているようだった。
立ち直れないのか、次の日は学校を休むと言って、布団から出て来なかった。
やっぱり気の迷いだったんだ。
俺がいたって何にもならないと思ったから、朔弥をおいて、学校に行った。
昼休み、机に突っ伏してダラダラしていると、隣のクラスから朔弥が来た。
「あれ、来たんだ?」
「うん。あのさ、和……」
朔弥が何か言いかけた時、クラスの女子が通り過ぎざま言った言葉に耳を奪われた。
「ねーねー、アッシュの──」
俺は、女子たちの集まっている方へ目を向けた。雑誌のようなものを広げて、指を指したり笑い合ったりしている。
確かにアッシュって聞こえた。怜の勤める店の名前だ。違うアッシュなのかもしれないけれど、凄く気になる。
席を立ち、女子の輪に近づいた。
「何見てんのー?」
明るく言って、割り込んだ。
「あ、和くん。知ってる? アッシュの記事が雑誌に載ったのー」
「カッコイイよねー、カリスマ美容師だよね、柏木ハルヤ」
「ケータもいいよ。王子様みたい」
やっぱり、アッシュだ。
俺は記事を覗き込んだ。けれど怜は載っていない。女子が今言った、ハルヤとケータって言う二人が大きく載っている。
「他のスタッフは?」
隣にいた都ちゃんに聞いてみた。
「ああ、確かこっちの隅に……。ほら、あったよ?」
「あ、怜だ」
呟くと、都ちゃんが「知ってるの?」と騒ぐ。
「友達なんだー、これも怜にしてもらった」
へらっと笑って、自分の髪を指して言った。
「ええーっ、うっそー! これレイ様がやったの!」
レイ様?
「それより友達って言った?」
「紹介して、紹介」
異様な大騒ぎになってしまった。
怜って有名人だったのか?
良く話を聞いてみると、アッシュは完全予約制になっていて、ナンバーワンのハルヤって人に切ってもらうためには、半年以上待たなければならないとか。アッシュのスタッフになるための第一条件はもちろん技術だけど、必須条件は、顔がいいことらしい。
なんじゃそりゃー、って感じだけど、女子高生や、若い女性の憧れらしい。芸能人ほど誰もが知っている訳ではないが、一部の女の子たちの間では、異様に盛り上がっている模様。
「ねー、どうやって友達になったの?」
「俺の母親が美容師なんだ。その関係上」
俺の母が、シャンティに勤めていなかったら、きっと怜とは一生接点がなかったんだよな。そう思うと出会いは運命で、運命なんだからもっと何とかなるんじゃないのか。
俺は急に怜に会いたくてたまらなくなった。
「放課後、予約しに店に行こうか」
紹介してあげると言ったら、大騒ぎになってしまい、収拾がつかなくなった。
そして放課後。部活を休んだ俺は、女の子五人を引き連れてアッシュに行った。
「いらっしゃいませ」
ドアを開けると、一斉に笑顔を向けられた。
「あ、和くん」
すぐに怜が気付いてくれたけれど、お客さんの髪をカットしていて、手が離せない状況だった。
代わりに受付にいた女の人が、相手をしてくれる。
「こちらにお名前をどうぞ」
「あ、あの。予約しに来ました」
女の子たちを紹介する。みんな緊張の面持ちで、けれどしっかりスタッフを意識している。
「ご指名のスタッフの欄に記入して下さいね」
にこっと微笑む女の人も、綺麗な顔をしていた。ちょっと見つめていると、他のスタッフが呼んだ。
「ミナミ、そっち終わったらシャンプー入って」
「はーい」
「ミナミさんって、ケータの奥さんなんだよ」
こっそり耳元で、都ちゃんが教えてくれた。
「詳しいね」
「都、情報通なの。あのね、ハルヤも結婚してて、子供もいるの。すっごい美人な奥さん。だけどハルヤ人気は衰えないのよー」
うっとりとハルヤを見る彼女の目は、ハートマークが浮かんでいるようだ。
「あ、あっちがね、シュウさん。で、あそこにいる人がツバサくん。で、レイ様」
「ホント、詳しいね」
ある意味すごい。感心するな。
「レイ様も奥さんいるよね、確か」
「え……」
都ちゃんは、何気なく聞いたんだろう。だけど俺に確認されても知らない。そんなこと聞いてなかった。
その後も隣に座って、都ちゃんはいろいろ教えてくれていたけれど、もうほとんど聞いていなかった。
みんなの予約をし終わって、怜にまたね、と言ってから店を出た。
「ケーキ食べて帰ろうよ」
「駅ビルにタルトのおいしい店があるよ、そこ行かない?」
「いいねー」
「和くんも行こうよ。紹介のお礼に、みんなでおごるよ」
誘われたけれど、そんな気分じゃなくなったので、用事があるからと断って帰った。
怜は、結婚している?
アパートに寄らせてくれなかったのは、奥さんがいるからだ。そしてうちに泊まれないのは、奥さんが家で待っているからなんだ。
彼女と別れたって言ったのは、嘘なんだ。
やっぱり俺がいくら頑張っても、怜に想いが通じる時は来ないのかもしれない。
女の子憧れの店にいて、お客さんは女ばかりで、雑誌にまで紹介される。そんな人が、ただの高校生の、しかも男になんか本気になってくれるはずがない。奥さんがいるならなおさら。俺と付き合ったら、不倫関係になってしまう。
足取り重く家に帰ると、朔弥が待っていた。
「話途中だったから、待ってた」
「ごめん」
鍵を開けて中に入る。
「和、今日も泊まってもいい?」
「別に、いいけど」
たぶん最初から朔弥はそのつもりだったんだろう。
夕食に、あり合わせの材料でオムライスとスープを作った。朔弥が風呂に入っている間、暇つぶしに紙を小さな四角に切って、赤いペンで日の丸を書いた。爪楊枝に端を糊でくっつけて旗を作って、お子様ランチ風に、オムライスに立てた。
何かしていないと落ち着かなかった。携帯を取り出し、メール画面を開く。
今まで届いた怜からのメールを見ていく。
いつも明るい内容の文章。絵文字や顔文字はないけれど、必ず音符マークがついているのは、楽しい気分だってことかな。
気配を感じて振り向くと、朔弥が後ろに立って画面を覗き込んでいた。
「もう、勝手に見るなよ」
パタンと携帯を閉じたと同時に、メールが届いた。
メールは怜からで、『たくさん紹介してくれてありがとう』と今日も音符マークつきで書いてあった。続けて、次回の休みの日が記されていて、平日だけど夕食を一緒に食べようと書いてあり、俺の予定が尋ねてある。
「和、早く食おうぜ」
朔弥に言われてハッとする。
「うん」
朔弥の向かいに座って、スプーンを手に取る。オムライスをすくって口まで運ぶ途中で、朔弥が聞いた。
「今のメール、怜ってやつ?」
「え、うん」
「オレがいると邪魔だった?」
「そうじゃないよ。今日、店に都ちゃんたちを連れてったんだ。紹介してくれてありがとうって話」
「ふうん。もしかして和、怜ってやつの仕事に利用されてんじゃねーの?」
「そんなんじゃないよ」
今日のことは、俺が勝手にやったことだ。利用だなんて、怜のことをそんな風に思われるのは心外だ。
「和……。もしかして、オレのせい?」
「なにが?」
「和が元気ない理由。ごめんな。あの時オレ……なんか訳わからなくなって……」
ああ、キスのことだ。朔弥は俺にキスしてしまったことで、俺の元気がなくなっていると思っているんだ。でも違う。怜の結婚疑惑で頭がいっぱいになっていて、朔弥とキスしたことなんか、どうってことなかった程度に霞んでしまっている。
「オレ、やっぱり泊まるのよそうかな」
ため息を落としながら、朔弥が窺うように俺の顔を見ている。
「どうして? いいよ、泊まっても」
「そういうことを言うと、今晩も襲っちゃうかもよ」
ふざけた調子で朔弥が笑うのに、ムカムカと腹が立って来た。
「征二さんがいるくせに、何言ってんの?」
「征二なんかもういい。もともと向こうに押し切られる感じで付き合い始めたんだ。オレはそんなに好きでたまらなかった訳じゃない。もう別れるし」
朔弥は自分の言葉の無神経さに気付いていない。俺のことはあっけなく振ったくせに、そんな理由で付き合ったなんて。
──バカにされている。
ひどく軽く見られている気がして、俺の中のささやかなプライドが、傷ついてしまった。
「だから和。これからもオレといよう。オレが好きだって、言ってくれたよね」
「やっぱり朔、帰って」
「和?」
「朔とは弾みみたいなものだから、気にしないで。だけど、今日もって言われたら、それは困るし、征二さんと別れてその身代わりにされるのも嫌だ」
朔弥がスプーンを皿に置いた。金属同士がぶつかる音が、部屋に響いて聞こえる。
「俺、怜が好きだから朔とは付き合えない。朔のことはもう終わったんだ。だから……」
「わかったよ、いいよもう!」
乱暴に席を立つと、朔弥は一旦俺の部屋に戻り、着替えてくるとそのまま外に出て行った。
俺が断ったからって、あんなに怒らなくたっていいと思う。きっと朔弥は俺が付き合うと思っていたんだろう。怜に脈がなさそうなのを感じ取って、言ってくれたんだ。
本気なのか、同情なのか。それとも征二さんとダメになりそうで、朔弥のほうが、俺に救われたかったのか。
考えてもわからないけれど、お互いを必要と思う時期が、合わなかったってことはわかる。
それはつまり、縁がなかった。
オムライスは、もう食べる気がしなくなって、けれど捨てるのは勿体ないので、ラップをかけて冷蔵庫にしまった。
食器をシンクに運んで、洗ってしまおうとスポンジを手に取った時、玄関のチャイムが鳴った。
水道の蛇口を閉めてから、濡れた手をタオルで拭きつつ玄関を開ける。
「朔弥来てる?」
征二さんが部屋の中を覗きこむようにして、聞いた。
「朔は来てたけど帰った。帰ってもらったんだ」
「へえ、どうして?」
「俺、好きな人がいるから。あんまり他の男とか、女とか、二人きりになりたくなくなった。だから征二さんも帰って」
やんわりと断るつもりが、とげとげしくなってしまう。
「冷たいな、和くん。オレさー、朔弥に別れられそうなんだよね。ちょっとヤケ酒に付き合って」
手首をつかまれ、有無を言わせないって感じでコンビニに連れて行かれる。次々にビールや酎ハイの缶をかごに放り込むのを見て、つい口を挟んだ。
「お酒なら、駅前のディスカウントストアが安いよ」
「知ってるよ。いいんだ、やけ酒なんだから」
訳のわからない理屈。お金をヤケクソで使うと、後が苦しいのに。
征二さんは、つまみも何も食べずにぐいぐい缶を空にしてゆく。いくらやけ酒でも、こんな飲み方はまずいんじゃないかと思う。
「俺、何かおつまみ作ろうか?」
言ったら、ギロリと睨まれた。
「あ、すみません」
「作れ、何でも使っていいから適当に。食えるもん作れよ」
すでに酔っ払っているらしく、人格まで変わっているようだ。
キッチンに立ち、冷蔵庫から出した卵とウインナーで、卵とじを作った。何を食べて生活しているのか、征二さんのうちは、食材がほとんどなかった。
ジャガイモが一個あったので、スライスしてからウインナーの残りと一緒に塩コショウで炒める。
野菜類が何もない。
スライスチーズがあったので、チーズオムレツを作った。
これでやっと三品だ。
「こんなのしか出来なかったけど」
テーブルに置くと、征二さんは無言で食べ始めた。おいしいとか、まずいとか、何のコメントも貰えなかったけれど、まずかったら食べないだろう。
「飲めよ、和」
いきなり酎ハイをぐいっと押し付けられる。
「俺、未成年」
「いい子ぶんなよ。飲めるだろ」
「飲めませんー」
本当だった。ビールはもちろん苦くて無理だし、酎ハイだって舐めるだけならまだしも、一口でも飲むと、気持ちが悪くなるのだ。
飲めない体質、飲むとすぐ酔っ払う。
「しょうがないなー」
征二さんはぐいっと酎ハイを飲んだ、と思った次の瞬間。
「んっ……」
俺の頭を引き寄せると、口移しで俺の中に酎ハイを注ぎこんだ。吐き出すことが出来ずに、俺はごくんと酎ハイを飲み込んだ。
「飲めたじゃん」
ハハハと楽しそうに笑う征二さんは、すでに完全に人が変わっている。
「……気持ち、悪……」
口元を押さえて立ち上がろうとした。
「逃げるなよー、わかってて部屋に入ったんだろー」
「何がだよ」
「いいからいいから」
無理やり口元に酎ハイの缶を付けられる。
「ほら、もっと飲んで飲んで。酔っ払って一緒に気持ち良くなろう」
「ぐふっ……」
溺れそうになって吹き出した。
「ああもう。和くんったら、こんなに濡らして」
脱ぎなさいと言われ、服を脱がされる。
「ちょ……やめて。助け……」
人にはたかがあれくらいの量でも、俺にとっては、酔っ払うのに十分過ぎる量だった。
「和くんにすれば良かったなー」
俺に覆い被さりながら、征二さんが言った。
「朔弥も可愛かったんだよー。だけど付き合ってからの朔弥、ちっとも可愛くない。和くんはいい子だよね、可愛いし可愛いし、とっても可愛い」
力が入らず、ぐったりなっている俺と、同じように俺の上で、ぐったりなっている酔っ払いの征二さん。
「重い……」
どいて欲しいのに、征二さんは俺に全体重をかけたまま、眠りこけている。
「征二……さん」
少し身を捩った瞬間。
「あ、ごめんごめん。うっかり眠ってしまうとこだった」
はっと我に返った様子で、やっと解放されるかと思ったのも束の間。
「一緒に気持ちよくなるんだったね」
「は……?」
征二さんの手が、身体を這い回っていた。
何をするんですか、と聞くまでもなかった。征二さんは、俺を抱こうとしている。
朔弥の身代わりだ。
昨日の朔弥に続いて、征二さんまでもが俺をこんな目に合わせる。
くるんと身体をひっくり返され、脱がされて後ろから抱え込まれる。
すぐに後ろに圧迫感を感じた。
「わっ……あ」
「感度いいね、和くんサイコー」
普段の温和な征二さんじゃない。優しそうに微笑んでいたあれは偽者? それともこれはお酒のせいなんだろうか。
どちらにしてもわかったことが一つある。征二さんは間違いなく「攻め」だ。
「嫌だっ……ダメっ」
びくびくと身体が震える。逃げたいのに力が入らない。
「エッチな身体だな、そんなに気持ちいい?」
「良くな……いっ。やめて征二さ……」
「もっと? まだ足りないの?」
「足りなくないっ、いらない、もういい」
いくら言っても征二さんはやめてくれない。
「嫌だっ……」
怜……助けてっ!
頭はくらくらするし、身体は熱い。涙が流れ、何度も意識を飛ばしそうになった。
「ああ、腰が痛い……」
明け方になって部屋に戻り、シャワーを浴びた。何だか解らないうちに、征二さんにやられてしまった。朔弥がやらせないから代わりにされちゃったんだ。
「はー、だるい、だるい、最悪ー」
身体も心も、とてつもなくツライけれど、小学校、いや、保育園時代から昨日まで、俺はずっと休んだことがない。もらい続けている皆勤賞を、こんなことで止めるのは不本意だ。絶対行ってやるっ。
「くっそー、負けるもんか」
着替えて鞄を持つと、俺は学校へ急いだ。
気合は入れたけれど、身体はつらい。二日酔いなのか、頭が痛かった。
体育を休んで、何とか一日の授業を終えて帰途に着く。今日は部活も休みにした。
アパートの階段を上がっている途中で、争うような声が聞こえて、俺は足を止めた。
窺うように覗き見ると、どうやら朔弥と征二さんらしかった。
「だから、別れるって言ってんだよ」
「理由は? 僕が抱かれてやらないから?」
「そうだよ、オレたち一生無理だろ、だから別れる。短い間だったな」
朔弥がこっちに向かって来るのに、慌てて階段を下りて隠れた。
朔弥は気付かずに行ってしまう。征二さんが追いかける様子はなかった。
「和くん、隠れてる?」
征二さんの声に呼ばれ、素直に階段を上がった。
「盗み聞き?」
「違う。出て行ける雰囲気じゃなかっただけだ」
「だよね。別れの修羅場だもんね」
征二さんは笑っていた。別れの修羅場が楽しい訳じゃないだろう。
「あーあ、こんなことなら朔弥と付き合うんじゃなかったな」
大袈裟にため息をついた後、征二さんが言った。
「朔弥、和くんと付き合うんだってさ。もうキスしたんだってね」
俺は言葉に詰まった。
「朔弥のこと好きだったんだしね。良かったね。あれ、けどそうすると美容師の彼はどうなるんだろう。僕とのことは? もしかして和くん、誰とでも寝る人?」
言葉に笑いが含まれていると感じた。
征二さんは面白がってるんだ。だけど、どうして? 俺をからかって楽しいんだろうか。俺をからかう意味もわからない。
「俺、身体キツイんだ。だからさよなら」
征二さんの脇をすり抜けて、部屋の前に立ち、鞄から鍵を取り出した。
「ねえ、和くん。僕と付き合わない?」
「は?」
征二さんの顔を見ると、やはりからかわれているとしか思えなかった。
「朔弥より美容師の彼より、大事にしてあげるよ。身体の相性も結構良かったみたいだし」
「無理。征二さんとは付き合わない。俺、怜が好きなんだ。朔弥にもそう言った」
「ふうん、うまく行きそうなんだ?」
「それは征二さんに関係ない」
「えー、そうかな。和くん、酔っ払ってて記憶にないのかもしれないけど言ってくれたよ、僕のことが好きになったって」
「……言って……ないと思う」
もしかすると、そう口走ってしまったかも。わからない、覚えてなかった。
「だから、言ったんだって。和くん……」
「酔ってたときのことだし、弾みなんだし。気にしてないし、朔にも言わない」
はっきり言ったら征二さんは黙った。
「朔も征二さんも、俺に逃げられても困る。早く仲直りしなよ。別れるって言ったのは言葉の弾みだよって言えばいいじゃん。好きで付き合ったんだろ」
違う? と聞いたら、征二さんは目を逸らした。朔弥だって、それほど好きじゃなかったみたいに言ってたけど、きっと後悔してるに違いない。
「エッチは付き合うのに、必須条件なのかな」
「そりゃあ……そうだろ?」
「そう思うなら、征二さんも我慢して、受けてやればいいじゃん」
「いや……しかしそれは」
朔弥に言ったのと同じ事を征二さんに言ったら、征二さんも朔弥と同じ反応をした。
これじゃあ、いつまでたっても解決しない。
「俺にしたみたいに強引にすれば? 無理なら朔を縛ってやっちゃえば?」
冗談っぽく笑いながら、軽く言ってみた。
「縛って?」
征二さんの目が、キラリと光ったような、ないような。
「そうだな。まあ、やれるだけやってみるよ」
征二さんは急にそわそわとして、一人で結論して帰って行った。
「縛られるかも、朔……」
部屋に帰ってドアを閉めて、昨夜のやりかけだった洗い物の続きをしようと思ったとき、携帯が鳴った。着信を見ると、怜の携帯からだ。
「ハイハイ、和くんでーす!」
落ち込んでいるのを見透かされないように、俺は明るく電話に出た。
『元気だね、良かった』
「なんでなんで?」
『なかなかメールの返信が来ないから、何かあったのかと思って』
「心配御無用なのだ。ちょっと家事大忙しで出来なかっただけ」
『で、水曜の予定は?』
「オールでオッケーでーす」
『オール?』
ハハハと軽く笑われた。
「レイ様さえ良ければ、一晩中お仕えいたしますー」
『どうしたの、変にハイテンションだね』
変ってバレてる。
「そうかなー、俺っていつでもハイテンションだよ。変なんて言う怜のほうが変でございまするー」
『やっぱり変だよ。どうしたの、何かあったの? 言ってごらん』
優しい口調で言われたら、張り詰めていた糸が、プツンと音を立てて切れたかのように脱力し、俺のテンションが下がった。
「……会いたい、怜」
『え……』
「水曜まで待てない。今すぐ会いたいんだ。俺、会って聞きたいことがある」
『なんだろ。電話じゃ聞けないようなこと?』
電話よりも直接会って聞きたかったんだけど、会えないなら電話でもいい。とにかく早く真実を知りたかった。
「都ちゃんに聞いたんだ。あ、都ちゃんって、この前連れて行った女子のうちの一人なんだけど、アッシュの情報通なんだって」
俺はちょっと息を吸うと、一気に言葉をぶつけた。
「怜って、結婚してるんだろ」
すぐに、ええーって言葉が返ってくるものだとばかり期待していたのに、電話の向こうの怜は、しーんとしていた。
「言ってくれれば良かったのに。だから、俺を部屋に入れてくれなかったんだろ? 二人の大事なスイートホームだから──」
『和くん』
俺の言葉は怜に遮られた。
『直接会って、話そうか』
それから十分もしないうちに、怜はやってきた。
「どうぞ入って」
中へ入ってもらおうと誘いをかけるが、やはり断られる。
「いや、外で話そう。何か食べながら。和くんが好きなアイスでも何でも食べていいから、どこか店に入って……」
「いいじゃん、ここで。何でうちじゃダメなんだよ。怜はどうしてっ……」
「近所迷惑だよ、大声出さないで」
怜が視線を外に向ける。
「あ……」
小さく怜が呟いたのにつられて外を見ると、ちょうど朔弥と征二さんが、一緒に帰って来るところだった。
「やっほー、朔!」
明るく言って手を振った。
「和……」
「和くん」
朔弥も征二さんも、二人して照れ臭そうに顔を見合わせている。良く見ると、しっかり手をつないでいる!
「上手くいった?」
一目瞭然だけど、あえて聞いたら認めてくれた。
二人が部屋に入ってしまうのを見計らって、俺は再度、怜を誘う。
「散らかってるけど、入って入って」
上手くいった様子の朔弥と征二さんを見たら、俺のテンションが少し上がっていた。
「和くん、キミはどうしてそんな……」
はあ、と深くため息をつかれる。
「どうしてそんな、何?」
じっと怜を見上げて見つめた。
「無邪気なのは、時として命取りになるよ」
「はー? 何言ってんの、怜。訳がわかりませんねー」
本当に意味がわからなかった。
「それより、怜。もういいや、ここで。玄関で立ち話もなんですけど話しましょうかね」
まあ、座って座って、と怜を促し、俺はその場に座り込んだ。
怜も諦めたように、座ってくれる。
「はー、参ったな」
怜が前髪をかきあげた。少し困ったような表情にも、胸がきゅんとときめいた。
「レイ様。お話の続きなんですが」
「……何そのレイ様って」
怪訝そうに見られる。
「女子が言ってたんだ。ハルヤさんはカリスマ。ケータさんは王子様。怜は、レイ様」
「オレだけそのまんまじゃん」
笑われた。
「俺じゃないよ。女子が言ってたんだ」
「そう。女子が言ったんだね、オレが結婚しているってことも」
「あ、そうだよ。その話が聞きたかったんだ」
「結婚はしてないよ」
「ホント?」
疑わしげに怜をじっと見つめる。
「まあ、今はしてない。昔ね、してたけど。きっとその当時の情報だろうね」
結婚はしていた。すなわち今は離婚して、バツイチとか言うやつ?
これって喜んでいいのかな。それとも傷つくところだろうか。けれど、独身だってことだから良かったのかな。でも、結婚していたってことは普通の恋愛なんだから喜べない。
「じゃあ、どうして部屋に入れてくれないの? 泊まってくれないし、何でだよー」
「それは……」
「理由は何だよ。俺に隠したい何が怜にあるんだよ。秘密にされてると気になるよ」
「和くん」
「怜が休みの日しか、会ってくれないし。他の日は俺のこと、ほったらかしじゃんか。電話だってメールだって、少な過ぎるしっ」
「ちょっと待って和くん。ひとつ聞きたいんだけど」
「なになに?」
「どうしてかな。和くんがそこまでオレに踏み込もうとする理由。何なんだろう、束縛して欲しいの?」
言われて初めて気が付いた。
これじゃあ恋人気取りだってこと。俺と怜はただの友達で、ただの友達がここまで相手に我儘みたいに言うのって、ちょっと変かもしれなかった。
「泊まれ泊まれってしつこいし」
「しつこかった?」
しょんぼり。
「それに寝たふりなんかして、何考えてんのかわからない」
ばれてるし。
「間接キスとか言って、オレをからかう」
「ごめんなさい。俺、いつもこんなノリで、友達にするみたいに怜にもしちゃった。嬉しかったんだ、仲良くなれて。仲良くなれたらもっともっと一緒にいたくなるし、知りたくなるし」
「和は誰に対してもそうなの? オレだけじゃなく、知り合った人の何でも知らなきゃ嫌な訳?」
不意に、「どんっ」と凄い音がして、続いて「ぎゃあーっ」と言う叫び声が聞こえる。
「なんだ、今の」
怜が驚いた表情で、辺りを見回す。
「隣だと思う。さっき会った朔と征二さん」
「何やってるんだろう」
「たぶん、エッチ」
「ええっ!」
やっぱり驚くよね。男同士でエッチなんて。
きっと朔弥が縛られて、暴れて足が壁に当たったとか、たぶんそんなところだろう。
「あの二人、恋人同士だよ」
「ええ、そうなの?」
「そうそう。最近、喧嘩してたんだけどやっと仲直りしたみたいだね。俺が仲直りさせてやったんだ。仲直りエッチだー」
キャハハと笑って俺は言った。
「和くんって、同性同士って平気なの?」
「うん、平気だよ」
「偏見とかないの?」
「ないけど……」
もしかして、怜は引いてる? 怜って、同性愛に偏見ある人だったのかもしれない。
俺も朔弥も征二さんも、普通に恋愛話していたからうっかりしていた。普通の人には普通の会話なんかじゃなかったんだ。
「それじゃあもしもオレがキミに好きだといったら、受け入れられるのかな。それとも自分自身に降りかかると困ってしまう?」
怜が何か言ってる。
「同性同士の恋愛を認めるのと、自分が同性と付き合うのとじゃ、それはやっぱり違う次元の問題だよね」
怜の目が俺をじっと見ている。俺もじっと見ていたら、怜の黒目に俺が写っているのが見えた。俺が首を傾げると、怜の黒目に写る俺も首を傾げた。
「そういう風に見つめられると、正直困る」
「何言ってんの、怜」
回りくどすぎて良く理解出来ないながら、本当は何となくわかっていた。言っても大丈夫な気がして、俺は告白した。
「俺、本当は男オッケーなんだ。怜に会って好きになった」
「和くん……」
怜は目を瞬いて、俺を見ている。
「好きって言っても、カレーが好きとか、そう言うんじゃない。恋愛なんだ。俺、怜とキスしたい、怜に抱かれたい。そう思う好きなんだよ、だから……」
「ちょっと、待ってくれないかな」
怜は躊躇している。やっぱり引かれた? 俺の勘違いだったのかな。やっぱりそう簡単に行く訳がないか。
だいたい俺は、怜のほうから告白して欲しかったはずだ。なのに自分から告ってしまってこんな風に気まずくなった。
何やってるんだろう。やっぱり努力しても無理なものは無理で、欲しくても手には入らないものはちゃんとあって……。それともまだ努力が足りなかった? 俺、焦りすぎたかなあ。
「ごめん、怜。急にこんな風に言われても、困るよね」
俺はその場から立ち上がると、玄関のドアを開けた。
「もういい。ごめん怜。我儘言ってごめんなさい」
さよなら。と言って怜を玄関から押し出した。
「いや、いいんだ。そうじゃなくて……」
「もういいんだってばっ!」
怜の身体を突き飛ばすようにしてから、俺は固くドアを閉めた。
ドアの向こうで怜が呼ぶこともなく、ドアが叩かれることもチャイムが鳴らされることもなかった。
「ほら、やっぱり困らせてんじゃんか」
ドアに背をもたれたまま、その場にずるずると座り込んだ。
言わなきゃ良かった。結婚のことも知らなきゃ良かったな。そうしたらまだ怜と友達でいられたんだ。恋人は叶わなくてもそばにはいられたはずなのに……。
しばらくそうしてじっとしていたが、やがて気持ちが落ち着いてきた。
ゆっくり立ち上がると、自分の部屋に入る。そして枕元に置いておいた『恋愛成就のための計画書』を手に取り、押入れにほおりこんだ。
「もう、いらないんだ」
計画書はほとんど役に立たなかった。
人の心が計画通りに動くわけがない。そんなことも気付かないでこんなものを作って、怜を試すようなことばかりやった。
バカな俺が立てた計画なんか、所詮その程度。バカみたいでしかなかった。
朔弥と征二さんがうまくいって、俺は失恋した。状況も気持ちも、また振り出しに戻っただけなんだ。
怜と会わなくなってしばらくたった頃、都ちゃんが俺に言った。
「和くん。昨日ね、都の予約の日だったの。アッシュに行ってきたんだけど、レイ様から伝言お願いされちゃったの」
そういえば都ちゃんの髪が綺麗になっている。長さは変わっていないけれど、髪の色が明るくなって、つやつやしている。
「綺麗でしょ? レイ様にやってもらったのよ」
「怜? 都ちゃん、ハルヤさんに予約してたんじゃなかったっけ」
「だってハルヤは人のものだもん。都の情報によると、レイ様は離婚していて今はフリーよ。それで都、レイ様に予約を変更したの」
都ちゃん情報は、正確らしい。焦って怜に聞かず、都ちゃん情報を待っていれば良かったかもしれない。
「でもね、レイ様元気がなかったの。和くんに嫌われたかもしれないんだって言うの。だから都が、和くんとレイ様の仲直りに一肌脱ぎますって宣言したわけ。それで伝言」
怜の元気がない理由が、俺に嫌われたかもしれないせいだって? 気持ち悪いと思われて、呆れられたんじゃなかった?
「今度の休みは金曜日です。和くんさえ良ければ、学校が終わったら、うちにおいで。ですって」
「怜の……うちに?」
「いいなあ、レイ様の家なんて。都も行きたいなー」
都ちゃんは冗談っぽく笑うと、じゃあ伝えたからね、と言って女子たちの集まるほうへと駆けて行った。
都ちゃんの言うのが本当なら。いや、きっと本当だと思うが、怜は俺と仲直りをしたいと思っていると言うことになる。
いいのか? 俺が怜のそばにいても本当にいいのだろうか。
金曜日になるまでの間、何度も電話をして確認しようかとか、メールでそれとなく確かめてみようかなとか散々悩んだ。けれど結局何も行動に移せないまま、金曜日の放課後になってしまった。
「今日だね、和くん」
都ちゃんに念を押された。
「ちゃんと行ってよ。都が伝言し忘れたと思われたくないからね」
ふふふっと都ちゃんは可愛らしく笑って肩をすくめる。
「ちゃんと行くよ。行ってくる」
可愛い女の子に心が揺れず、男にばかりゆらゆら揺れる。女の子を好きになれればもっと楽に恋愛出来そうなのに。自分で言うのも図々しいが、俺は女の子に結構人気があるんだ。告白されたことだって何度もある。その気になれば彼女作り放題なのに、その気になれない。だからしょうがないのだ。
俺はやっぱり怜が好きだ。
せっかく怜から歩み寄ろうとしてくれているんだ。逃げずに怜と話そう。たとえ友達のままでもいい。怜の近くにいたいと思う。
俺は校門を出て、いつもと反対方向へ歩き出した。
怜の家の方へ向かって。
「あ……、和くん」
ドアを開けてくれた怜は、俺を見るとぽかんと口を開けて固まった。
まさか本当に来るとは思われてなかったのかもしれない。社交辞令をまんまと真に受けてしまったんだろうか。
「都ちゃんに、伝言頼んだんだろ」
視線が合わせられなかった。
玄関脇に置いてある傘たてをじっと見ながら、言われたからしょうがなく来てやった、というような態度を取った。
「ああ、そうだよ。頼んだ」
怜が入って、と俺を部屋の中に促す。
「いいの? 部屋……」
「どうぞ」
散らかってるけど、と怜は言ったけれど謙遜だ。ちゃんと綺麗に片付けられている。思っていたよりもずっと綺麗に整頓されていた。
「座って」
リビングに置いてあるソファには、綺麗なグリーンのカバーが掛けられている。腰をおろすと、ふんわりとした感触が気持ち良かった。
怜もすぐに隣に座って、俺の顔を横からじっと見つめてきた。
俺はまともに顔が見れずに足元に目を落とす。横になんか座られて、平常心でいられるわけがない。
「なんか……、話でもあった? わざわざ伝言頼んで呼び出したんだ。用事があるんだろ」
好きなのに、こんな言い方しか出来ないなんて、子供っぽくて嫌になる。
「そう。話があったんだ」
聞いて、と怜は言って続ける。
「和くんが、きちんと気持ちを言ってくれたことに対して、オレもきちんと答えたいと思ったんだ」
俺は伏せていた目を、怜に向けた。
「本当は、何度もオレから和くんに伝えに行こうと考えていたんだ。だけどダメだね、自分から出向く勇気がなかった」
それで、こんな形で呼び出す結果になったけれど、来てくれて嬉しいと怜は言った。
「ごめんね、情けなくて」
「いいよ、怜。謝らなくてもいい。俺だってあんな風に怜を追い出したし、連絡しなかったんだ。それより、怜の話──」
「ああ、そうだったね」
怜がうなずいて話し始めてくれた。
「これまでずっと、女の子と恋愛していたと思っていた。そして結婚もした。けれどどの恋愛も、そして結婚も上手くいかなかった理由。認めたくなくて必死で抵抗してきたけれど、和くんに告白してもらってから、ずっとずっと考えた。そして出た結論は、どうやら認めるしかないようだなってことだ」
怜の言葉、回りくどい気がする。すーっと心に入って来ない。理解力の欠如? もっと分かりやすく言ってって言ったら、いけないだろうか。
「どうして上手くいかなかったの?」
「うん。つまり、女の子との恋愛に興味が持てなかった。抱きしめたいとか、キスしたいとか、そういう欲求が湧かなかったんだ」
「欲情しないってこと?」
「そうだね。そうなのかもしれない。オレが結婚した相手には、確かに好意を持っていた。大事にもしたつもりだった。だから清いままに結婚した。だけど、清いまま終わったんだ」
やっぱり恋愛にエッチは必須なんだなって、ちょっとだけ確信してしまった。
「オレが女の子に対して抱く感情は、確かに好意ではあったけれど、それは人として良いと感じる気持ちであって、恋愛感情ではなかった。結婚しようと決めたのは、彼女から強引に迫られて決断したんだ。結婚とは家族になることであるから、心の結びつきさえしっかりあれば、大丈夫だと思っていたんだ」
「勘違いしてたんだね、怜。抱いてくれないって、奥さんが怒った?」
「そう、怒った」
苦笑いで答えてから、次の瞬間。怜は驚くような発言をした。
「ストレートに言うと、オレは和に欲情する」
「ええっ! ストレート過ぎっ!」
大袈裟に驚いてみせるのがいっぱいいっぱいだった。心臓がドキドキして息苦しい。
「アハハ、そうだよね。オレも言ってびっくりしてる」
それからさらに怜は、自分の気持ちを教えてくれた。
「和くんに出会ったのは偶然だったけれど、すぐにわかったよ。あの頃のまま、背だけが大きくなっていた。可愛い顔は昔のまま、今でもとっても可愛いなって思うよ」
可愛くて良かった。
「学校帰りに良く店に来てたよね。ランドセル背負ったまま、椅子にじっと座ってお母さんを待ってた。その姿が可愛いなって思っていたんだ」
小学生の頃から想われていたのか?
「思えばあの頃すでに、男の子を見て可愛いと思っていたんだ。早く気付けばいろんな人を傷つけずにすんだのにな」
「今で良かった。だって早くに気付いたら俺とこうしてなかっただろ? 他の男といたかもしれないじゃんか」
この際、言っていることが俺の自分勝手な言い分だと言うことは、あえて気付かない振りをした。
「そうだね。この年になって初恋の気分。和くんで良かった。これが恋愛感情なんだなって、やっと気付いた」
「俺だって、怜と過ごすうちに気付いたよ。好きなのに部屋にも入れてもらえない、俺の好きは怜に伝わらないんだって、そう思って悲しかった」
「ごめんね、家に上げられなかったのは、二人きりになって、自分を抑えられる自信がなかったからなんだ。助手席で眠った振りをしている和くんにも正直やばかった。和を失いたくなかったんだ。いきなり男が襲い掛かったら怖いよね」
「ううん。きっと喜んだ」
「和くんの気持ち、知らなかったから。オレの片想いだと思ってた」
「これって、ホモはホモを呼ぶってヤツ?」
「類は友を呼ぶだよ。この際どうでもいいけどね」
まるで夢を見ているようだと怜が言った。
「夢じゃないよ」
俺は怜の両頬を指でつまんで引っ張った。
「痛いね。けど和、こういうのは普通、自分の頬で確かめない?」
「痛いの嫌だもん」
「オレが痛いのはいいの?」
「それはー……」
「ハハ、敵わないな、和くんには。ホント、何もかも許せてしまうし、振り回されて喜んでいたりする」
「怜って、マゾなの?」
「和くん限定で、そうなのかも」
「俺はSではないので、レイ様のマゾっ気を満たせるかどうかわかりません」
「そういう意味のマゾではないので大丈夫」
俺と怜は、顔を見合わせて笑った。
本当は怜のうちに泊めて欲しかったけれど、怜に断られた。
「どうして? もう問題ないじゃん。泊まって何されても俺、文句言わないよ」
「そういう理由じゃないんだ。人の家に一人でいるより、自分のベッドでゆっくり眠ったほうがいいだろ? オレは明日も仕事で早く出るんだから」
「じゃあ、怜がうちに泊まってくれるの?」
「どうなってもいいなら」
「いいです、いいです。怜になら、何されてもどうなってもオールオッケーです」
いつものテンションにすっかり戻った。
すっかり諦めていたんだ。それが見事に覆された。しかも良い方に。嬉しくないわけがなかった。嬉しくて幸せで、俺はすっかり舞い上がっていた。
「どうぞ入って、入ってー」
うちに着くなり、怜を部屋に引っ張り込んで、俺は自分の部屋の方を指差した。
「布団は万年床を用意してありますー」
「和くん、万年床なの?」
「そうなんだ。俺ってか弱くて、布団が上げられないんだ」
「ああそう」
「納得すんの?」
「してないけど、そんなのどうでもいいかと思って流した」
それより、お母さんは? と怜に聞かれる。
「お母さん?」
「佐和さん、だっけ。確か和の家って母子家庭で二人暮らしだったはず。一緒に住んでないの?」
「佐和様は、ただいまフランス辺りだと思われます。仕事でアメリカ行くって言った」
「アメリカなの? フランス?」
「あ、ちょっと待って」
どっちだったかな。確か、この前もらった絵葉書が……。
「あったあった。あ……」
「どうしたの?」
「アメリカだった。サンフランシスコって書いてある」
「そうか。それで寂しかったんだね」
「ずっと朔が遊びに来てくれてたんだ。だけど征二さんと付き合ったから来てくれなくなった。寂しかったけどもう平気。これからは怜が泊まりに来てくれるよね」
「オレのうちにも今度、泊まりにおいで」
欲しかった言葉がやっともらえた。
俺の部屋を見た怜は、フリーズした。
「嫌だ嫌だ。溶けて溶けて」
怜の身体を揺さぶった。
「凄い勢いで、散らかってるね」
リビングやキッチン、バスにトイレは綺麗にしてるんだけど、自分の部屋は何故だか片付けられない。
「寂しいからさ、本とか雑誌とか、しまってしまうとガランとなるだろ? 殺風景って寂しいんだ。だから一緒に遊んでるって空間を作っているのだ」
苦しい言い訳だけれど、怜は妙に真剣に納得してくれた。
「寂しかったんだね。まさか和、寂しいから誰でも良かったんじゃ、ないよね」
「ギクリ」
数回目を瞬かせて、しまったという顔をしてみせたら、予想以上に怜が不安気な表情をしたから慌てた。
「和……」
「嘘だよ。冗談。怜が良かった」
「からかわないで、和。オレ、いっぱいいっぱいなんだから」
ほーっと息をつく怜を見て、冗談も通じないくらい真剣だったのかと知ると、とても愛おしい気持ちになった。
「可愛いー、レイ様」
ぴょんと飛びついたら、怜共々布団の上に倒れこみ、怜の上に乗っかって怜を見下ろす。
けれど、これじゃあ立場が逆だと思い、怜の上から降りて、怜の横に仰向けになって寝転んだ。それから目を閉じて言った。
「どうぞレイ様」
ちゃんと意味を解って貰えたらしく、怜は身体を起こして、俺に覆い被さって来た。
「いいのかな、ホントに。和くん」
「うん。いい」
うなずくと、すぐに怜の唇が降ってきた。
触れた瞬間、身体がびくんと震えてしまって、戸惑った。
キスは初めてじゃない。だけど今までのどのキスよりも、優しい気がした。
「和くん、制服なんだね。なんか、ヤバイ」
「先に脱げば良かった? そう言えばシャワーもしてない」
「いいよ。オレが脱がせる。シャワーは後でいい」
キスされて、うっとりと陶酔する。
「こんなに余裕がなくなったのは初めてだ……ごめん、優しく出来ないかもしれない」
平気だよ。と笑って言ってあげたいところだったけれど、俺も余裕がなかった。たかがキスひとつで骨抜き状態なんだもん。
本当に好きな人とするキスは初めてだ。好きのキスは、こんなに気持ちがいいんだな。
「和くん……怖くない?」
両手で頬を包み込まれるようにして、間近で顔を眺められる。
「怖くない。怜……好き」
初めてじゃないのに、今の俺、純情可憐な乙女みたいになれてる。
再び唇を求められ、俺は薄く唇を開いて、怜を迎える。切なくて、やるせないような、泣きそうな感覚が体中を駆け巡った。
怜の首に両腕を回してすがりつくようにすると、怜も俺を強く抱き返して、背中を撫でてくれた。
キスが深くなり、お互いの舌が絡み合う。
剥ぎ取られて行く制服を、手で追いたくなるくらい、肌を晒すのが恥ずかしい。
「怜、俺……恥ずかしい」
言ったら、怜も自分の服を目の前で脱いでくれた。
「同じだよ、恥ずかしくない」
「ん……」
怜が触れるごとに胸がドキドキと鳴って、怜にも音が聞こえてるんじゃないかと思うほどだ。髪を撫でられ、俺は顔を上げた。
「和……」
名前を囁かれ、泣きたくなるほどに胸がいっぱいになったけれど、泣くなんて恥ずかしいから、俺はぐっと唇を噛んで我慢した。
怜が唇に触れる。優しくキスを受けて、噛んでいた唇を開いた。
「ん……あ……はぁ」
「そうそう、息してね。息しなきゃ死んじゃうよ」
ホッとしたように怜の表情が和らいだ。
軽く触れるキスから徐々に深いキスへと変わってゆくごとに、お互いの息も鼓動も上がってくる。
「和くん、いい?」
俺の足を抱えあげて、怜が中に入ってくる。身体の奥深くに怜の熱を感じた。息がくるしくなって、頬を伝う涙で、泣いてしまったことに気付いた。
「痛いの?」
怜が指で涙を拭ってくれる。
「ううん、平気。幸せで泣けただけっ」
元気に言うと、怜がちょっと困ったように笑った。
「じゃあ、もう少し。すぐに終わるからね」
怜の動きが大きくなった。
ひときわ大きく上げた俺の声に煽られるようにして、それからすぐに怜の身体が震えた。
俺は怜でいっぱいに満たされた。
「どこでそんな色っぽい表情を覚えたの」
額に汗で張り付いた髪の毛を、怜が指で剥がしてくれる。
「俺? 色っぽい?」
「いつもの無邪気な顔じゃなくなるんだもん。何か怖いな」
「怖い? なんでなんで? 俺、怖くないよ」
「他の人には、見せちゃダメだからな」
怜が額にチュッと唇をつけた。
「怖いから?」
「そう。怖くてとても見せられない」
笑って怜が唇にもキスをしてくれた。
「嘘。色っぽい顔の和くんを見たら、みんなはクラクラなっちゃうよ。和くんを他の人に取られるのが怖いんだ」
自分が抱かれている時の表情なんか、自分じゃわからない。色っぽいなんて言われたのは初めてだから、知らなかった。
「俺も怜を取られるの怖い。レイ様、女の子にモテモテですから……」
「大丈夫。オレは和くんだけだよ」
「じゃあ、俺も。レイ様オンリーです」
「そのレイ様ってゆーの、やめない?」
怜が苦笑いで言うから、俺はわかったと大きくうなずいた。
「じゃあ、怜くん?」
「怜でいいよ。今まで通りに呼んで」
ギュッと抱きしめられ、胸の中に顔を埋める。怜の心臓の音を聞いて、俺はゆっくり目を閉じる。
「眠くなってきた」
「うん。おやすみ」
髪を優しく撫でられる。安心して身を任せられる。好きな人と想いが通じた喜び、そして幸せを身体中に感じながら、俺は深い眠りに落ちていった。
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