〆S5 下層街の朝
頬を撫でる微かな風。目を覚ますと、そこは寝台の上だった。
「朝か」
部屋に差し込む和らかな陽光。昨日から降り続いていた雨はいつの間にか上がっていた。
身体を起こして洗面所で顔を洗う。
鏡の前に映った自分の顔は浮かない表情だった。
「早く忘れなって」
鏡の中の自分にそう呟く。
昨日の事件から僕の心にはずっと靄がかかりっぱなしだった。
理由を上げればキリがなかった。
依頼主が死んでしまった上に、挙句の果ては悪夢だったり。それを解決したのも自分達じゃなく、事件の間に出会ったアリスという女の子。その女の子は同い年くらいなのに、請負人として熟練したスキルを持っていた事。
あの現場では圧倒的な実力差を感じずにはいられなかった。相手は女の子なのに。彼女が居なかったら、僕達だけじゃあの事件は無理だった。
「よう、おはよう」
背後から掛けられた声。フェザも起きたのか。顔から察するにあまり良い睡眠は取れなかったように見える。
「おはようフェザ。お目覚めは?」
「最悪」
そう言ってフェザは横のシャワールームへと消えていった。
「あー……くそ。あの女何だったんだ……」
シャワールームからそんな呟きが聞こえてきた。どうやらフェザにも僕と同じ種類の靄がかかっているらしい。
「何、気になってるの。恋?」
「お前ベランダの外までふっとばすぞ」
ベランダの外か、ここ3Fだし、それは困る。
「あの子何だったんだろうね」
あの後……
――あなた達もスイーパーなら、またどこかで会うかもね――
――さようなら――
アリスはそういい残して去って行った。
名前以外の事は何も聞いていない。不思議な女の子だった。
「でも気づいたか?あいつ上層の人間だぜ」
上層?
「あの子そうだったの?」
「身形みりゃ分かるだろ」
「暗くてよく見てなかった」
「上層街」と言えばお金持ちの代名詞。僕ら下層の人間にとっておよそ関わり合いのない世界だ。この街は大きく分けて二つの区画に分かれてる。その一つが「上層街」。この街の富裕層が暮らす区画だ。その「上層街」のエリアのほとんどは厳しい検門によって下層の住人が入る事を禁じている。実際に僕らが知っている「上層街」の姿はその検門まで。その先の世界は知らない。そしてその検門が隔離しているもう一つの区画が僕らが住む「下層街」だ。またの名を「廃虚街」。名前が示す通りここの生活は生きる者にとって厳しい。法の存在しないこの世界では、道を歩いてて、たとえ、いきなり殺されたって文句は言えない。自分の身は自分で守る。それが「下層街」での唯一のルールなんだ。
「なあ、そこ石鹸ある?」
「あるよ」
洗面所においてあっただいぶ小さくなった白い石鹸を手渡すと、「サンキュ」といってフェザの手は引っ込んだ。
この石鹸一つ手に入れるのだって僕らにとっては一苦労なのに。
「やめた」
僕は敢えてそう声に出した。
上層の事なんて考えたってしょうがない。考えるだけ無駄だ。
「今日どうする?」
「まずは朝飯。それから考えようぜ」
予定の無い一日の始まり。
僕らに予定など無意味。その時その時を懸命に生きる。それだけさ。
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