〆S22 消えゆく灯火
アルバートさんの家を出た僕らは迷路のような路地を抜け、薄明るい朝空の下を歩いていた。三人の間に会話は無かった。僕はただ昨日の夜から今朝にかけて起こった出来事をただ思い返していた。
悪夢のようなあの光景を前にして、何一つ動けなかった自分。いや、今よく考えてみても、あの場で僕に何が出来た?何も出来やしない。退魔の知識だって皆無に等しいし、まさかあんな化け物が彼女に取り憑いてるなんて思いもしなかった。あの場で僕に出来た事なんて、無かったんだ。
でも、そんな中でも、フェザは動いた。吊るされた彼女を見たあの数秒間の判断。あの一瞬の間に、フェザが下した判断が結果、彼女を救った。僕がただうろたえていたあの時もフェザは冷静に状況を見ていたんだ。
結局、何一つ出来なかったのは僕だけ。役立たずは僕だけじゃないか。
「それじゃ私は朝の礼拝があるから」
二又の分岐点に差し掛かった辺りでアリスはそう口を開いた。
「礼拝?ああ、そうか。お前教徒なのか」
「術者にとって信仰は命だもの。それじゃまた今日の夕方、黒部屋で」
そう言い残しアリスは僕らの前から去って行った。
「また今日もやんのかよ。もう首吊りは勘弁だな」
アリスの後姿を見ながら呟くフェザ。フェザがアリスを呼んだ『教徒』という言葉。それはこの街の人間なら誰もが知っている『セントクリス教徒』の略だった。俗には『クリス教徒』『教徒』などとこの街では略されて呼ばれている。
悪夢の歴史が深いこの街は、信仰に満ちている。信仰に満ちているというと語弊があるかもしれないけど、それは人々の信仰が深いという意味じゃなくて、この街のあらゆる文化が信仰から生まれた要素が多いってこと。
例えば、この街の暦である聖暦なんかがいい例だ。この暦はなんでもセントクリスが戦ったという悪魔達の記録を元に作られているらしい。まあ、どうでもいい事だけどね。信仰を捨てた僕にとってこの街の歴史なんか興味も無い。
「早く拠家戻ってシャワー浴びてぇな」
「そうだね」
フェザとそんな言葉を交わしながら噴水広場付近までやってきたその時だった。
突然、路地から飛び出してきた少年が僕らと接触してその場に崩れ伏せた。
「痛ぇな、なんだよコイツ」
フェザが倒れた少年を振り返り、不快な声で言った。
青年は、その場に倒れながら必死に起き上がろうとその場でもがいていた。
「そんなに慌ててどうしたの?」
僕の言葉に、少年はこちらへ仰向けに振り向くと、手で身体を支えながらじりじりと後ずさり始めた。
「あ……ああ……」
言葉にならない呻き声を上げる少年。
「何言ってるかわかんねぇよ。薬中かお前」
少年はフェザの言葉に息を乱しながら大きく首を横に振った。
「……んでる」
少年の言葉はよく聞き取れなかった。
「え、何?落ち着いて。僕ら何もしないからさ」
優しく微笑み掛け、少年を落ち着かせるようにもう一度尋ねる。少年は大きく息を吸い込んで路地を指差し声を絞るように張り上げた。
「死んでる!!!」
少年はそれを告げると、その場から立ち上がって逃げ去るように消えた。取り残された僕らはただ呆然と少年の言葉を反復する。
「死んでるって……」
僕が少年の言葉を理解しようとする傍らで、フェザは少年が指差した路地の方へ既に歩き始めていた。路地を突き進んで行くフェザを追って慌てて後ろから続く。
「ちょっとフェザ……!?」
建物に挟まれた細い路地の向こうで、開けられたマンホールが見える。おそらく、マンホールの中が彼の拠家だったんだろう。
「死んだって奴はあの中か」
そう呟きさらに奥へと向かおうとするフェザ。
「ねぇ、フェザ行くの?」
怖気づく僕にフェザリオは到って落ち着いた表情で言葉を返してきた。
「死んだように見えるだけでまだ生きてるかもしれないだろ?助かる可能性があるなら、救ってやろうぜ。ダメなら死体を見て帰る、それだけさ」
フェザリオは言葉を終えたときには既にマンホールへ片足を踏み込んでいた。
「それだけって。もし殺人とかだったらどうするんだよ、この辺りにまだ犯人いるかもしれないし。それに、もしナイトメアが絡んでたら……」
「その時はその時さ。単純に胸クソ悪ぃだろ。聞いたまま放置ってさ」
そう言ってマンホールの中へと姿を消したフェザの姿を求め、上から下を覗き込む。下は浅くそこは小さな空洞になっているようだった。何やら排水管が壁に沿って複雑に入り組んでいるのが見える。
「フェザ、どう?」
僕の弱々しい呼び掛けに対する返事はない。その場で頭を悩ませながらも、僕は心に一つの決意を収め、ゆっくりと片足をマンホールの梯子へと掛ける。マンホールの中へ入ると、外の空気と比べ、少し暖かかった。
錆びた梯子を下り、小さな空洞の中へ降り立つ。そこには確かに人が生活していたという生活感を感じる事が出来た。下水の臭いはあまりしない。ここはまだ水が綺麗なのかもしれない。奥の暗闇の中へ浮かぶ小さな蝋燭の明かり。少し移動したところでフェザが何やらしゃがみこんでいた。
「フェザ?」
そう言ってフェザが居るところまで歩を進めたところで、思わず息を飲む。
「やっぱり手遅れだったみたいだな……死んでる」
そう呟くフェザの肩越しに覗く毛布の中に包まっている小さな少女の真っ白な顔。血の通っていない生気の抜けたその表情は、人形のようにも思えた。
少女は静かに瞳を閉じ、もう二度と起きる事のない深い眠りについていた。
「外傷はないな。栄養失調ってわけでもなさそうだし、薬もやってない。死因がよくわからないな」
「死因なんてギルドに任せておこうよ。とりあえずここから出ようフェザ」
「そうだな」
僕らは少女のために軽い瞑想を捧げるとその場を後にした。
人の死に触れるのはこれが初めてじゃない。この街で死は日常茶飯事。言ってみれば僕らは死と隣り合わせで生きている。栄養失調、麻薬中毒、喧嘩、自殺。
死ぬ原因なんていくらでもこの街には転がっているんだ。
『下層一番街』
この街の中でも、生きる事が過酷な地域だ。でもそこに僕らが今存在するのは紛れも無い現実である事に変わりない。
――生きている事よりも死んだ方が幸せな事だってあるかもしれない――
――あの少女はどっちが幸せだったんだろう――
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