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ロックスミス〜解錠綺譚〜
作:落合 森



主が不在の部屋に残されたモノ


 アパートの前に着くと、大家らしき年配の女性が、途方に暮れたように、たたずんでいた。
「どうも、お電話いただいた東京ロックサービスです」
 金井健一が声をかけると、女はほっとしたように表情がゆるんだ。
「あーよかった。このアパートの二階の部屋なんだけど。家賃は引き落としできちんとしてるのに、もう半年以上、郵便とか溜まりっぱなしで、最近は部屋にもいないみたいなの。なにしろ鍵を勝手に替えられちゃって、困ってたのよ。開けられるかしら」
 アパートはまだ新しくきれいだ。アパート経営を始めたばかりで、今回のようなことは初めてなのだろう。不動産屋からの紹介で金井に連絡をしてきた依頼者だ。
「一般的なドア用の鍵なら大丈夫ですよ。プロですから」
 金井はできるだけ愛想良く答える。あまり簡単だという印象を与えてしまうと、料金が高すぎると思われてしまうし、逆でも信頼を失ってしまう。
「数分で開くか、一時間かかるか、見てみないとわかりませんが、必ず開きますよ」
「やっぱりピッキングとか、そういうのがやりやすいとか、難しいとかあるのかしら」

 十数年前のピッキングブーム以来、日本人の鍵に対する意識はまったく変わった。
 鍵屋のあいだでは、「ピッキングバブル」と言われるほど、新しい鍵が飛ぶように売れた夢のような時代だった。
 同時に、鍵そのものも、大きく変わった。それ以降に作られた錠前は、もうピッキングでは開けられないのだ。ピッキングと呼ばれていた解錠技術はもう過去のものとなっていて、まず通用しなくなってしまっている。
 世の中では鍵師のやってることも、ピッキングの類だと思われているのだろうが、実際には、使う道具もちがっているし、現代の鍵は構造がちがっていて、開錠する方法も、ピッキングと呼ばれるものとは、まったく異なっているのだ。

 最近、窃盗グループによる組織的なピッキング被害を聞かなくなったのはそのためだ。
 一時期、ドリルなどの電動工具を使って錠そのものを破壊してしまったり、窓を割って侵入するといった粗暴な窃盗事件が増えたのは、ピッキングが通用しなくなったことに対する外国人窃盗団の腹いせのようなものだったのだろう。
 そうした荒っぽい手口は危険も大きく割りにあうはずがない。そんな犯行も下火になっていったのは当然の成り行きだ

 しかし、そんな事情も、一般にはあまり知られてはいない。
 新しい鍵を売るときには、いまだに、これはピッキングでも開きませんと付け加えると、たいていの客が高いほうの商品を選んでくれるので、積極的にアナウンスしていないという業界の事情もあるのだが。

「これが大きな銀行の金庫みたいなものが数分で開いたり、机の抽斗の鍵が何時間もかかったりするんですよ」
「あら、銀行の金庫もそんなに簡単に開くものなの?」
 大家は驚いて関心を示した。きっと、貸し金庫に入れている有価証券のことでも心配になったのだろう。

「いいえ、もちろん机の抽斗のほうが簡単ですよ。銀行の金庫のほうが、開けるのは何倍も難しいし技術も必要です。ただ手順によって時間がかかったりするだけなので、短い時間だからといって、簡単に開いたというわけでもないんですよ。抽斗なら、知識がなくても偶然開くことはあっても、銀行の金庫は技能がなければ、一生かかってもあきません。難しい鍵でも、それに対する知識と技術さえあれば短時間で開くし、大した技術がいらない鍵でも、めんどうなばかりで時間を食ったりするものなんです。もちろん、高度な技術が必要で時間のかかるものや、本当に単純ですぐに開くものもありますけどね」

 いつもの営業トークだ。ひととおりの説明をしておけば、すぐに開錠しても難しい仕事だった言えるし、なにより、金井たち「鍵屋」にとっては、鍵への信頼を損なわないことが重要だ。とくに新しい鍵の場合は、それを売った同業者との取引が続いていることもある。すぐ破られるような錠前を売ったと思われれば、面子をつぶすことにもなりかねないので、気をつかう。

「それで、鍵を開けて新しいものに替えればいいんですね」
「ええ、お願いするわ。本当は家賃も滞納してるわけじゃないから、かわいそうなんだけど、鍵を勝手にされちゃうのは契約違反だから」
 不動産屋が立ち会っていないということは、とりあえず大家が部屋の様子を確認したいだけなのだろう。
 口ではかわいそうだなどといいながらも、鍵が替わっていると言うからには、事前に鍵を開けようとしているはずだ。

 念のため、身分証と大家であることを証明するものを確認する。
 銀行の家賃の振込み口座の通帳でも十分なのだが、こういった人種は、預金の残高を見られることを嫌う。たいていは賃貸契約書や不動産の仲介依頼書を確認することになる。

 鍵はよくある、簡単に開けられるタイプのものだった。
 それでも、できるだけ丁寧に作業を進める。最後のひと工程の前には、使用した道具もあらかた片付けておく。
 鍵が開いてしまえば、依頼者は早く部屋に入りたがるからだ。

 カチリとした手応えがする。
「はい、これで開きました。とりあえず新しい鍵に交換する前に、部屋の中を確認してもらえますか」
 ノブを回すとドアは開いた。かすかに、いやな臭いが漂っている。ああ、やっぱり面倒なことになりそうだなと、金井は考えていた。

「そうね、お部屋、きれいに使ってくれてるといいんだけど」
 玄関を入ると、すぐにもう一枚扉がある。大家は賃借人への遠慮など微塵もみせず、自分の持ち物なのだから当然だといわんばかりに、ずかずかと部屋に上がりこんでいった。
「わ! なにこの臭い。ごみでも腐らせてるのかしら!」
 扉を開けた途端、すさまじい悪臭が襲ってきた。吐き気を催すほどの腐臭だ。
 またか。思ったとおりだ。
 金井は部屋に入るまでもなく、中にあるモノが何なのかを察した。

 大家の女は悲鳴ともつかない短い叫び声をあげると、その場で嘔吐していた。
 金井はハンカチで鼻を押さえながら、大家を部屋の外へと連れ出す。
「だいじょうぶですか。とりあえず警察を呼んだ方がいいと思いますけど、ぼくが電話しましょうか」
 大家は泣きながら、うなずいている。

 鍵がかかったまま、そこの主がいなくなってしまった住宅の扉を開けたときには、よくあることだ。
 そもそも、夜逃げや蒸発してしまうつもりなら、そこから出て行くときに、鍵などかける必要はない。それも多少なりとも罪悪感が働くためか、賃貸住宅ならばむしろ鍵は開けたままにしておくことの方が多いくらいだ。

 鍵をかけてあるということは、だれかに奪われたくないものや、知られたくないもの、あるいは、見られたくないものがそこにはあるからだ。
 鍵を開けるということは、そうした秘密を暴くということでもある。
 そして、鍵を開けた中から現れるものは、必ずしも、素敵な宝物ばかりだとは限らないのだ。







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