霊会話教室
「ねえそこのお兄さん、聞いたことある?そこのトンネルに幽霊が出るって話…」
「いや…」
咲子が話しかけると、今まさにそのトンネルに入ろうとしていた男子学生が足を止めた。咲子は胸が踊った。ようやく足を止めてくれる人と出会えた。果たして少年は私の話を怖がってくれるだろうか。咲子はトンネルの入口に座ったまま、期待を込めて少年を見上げた。帰宅途中だろうか。夕日に染められた景色の中で、彼の着ている制服が一段と白く輝いていた。
「聞いたこともねえが。大体幽霊が出るったって、アンタも幽霊じゃないか。わざわざトンネルに入らなくったって、もう幽霊は出てるよ」
「確かにそうだけど…」
少年の言うとおりだった。咲子は幽霊だった。だからこそ、生きた人間を怖がらせるのが大好きだった。だけど咲子はまだ幽霊として未熟だったので、霊感のある人間にしか咲子の姿は見えなかった。
そして霊感のある人間は、もう幽霊には慣れっこになっているので、咲子を見たくらいでは怖がってくれなかった。
「だから怖い話をしようと思って」
「待て。幽霊が見える人間に、『あのトンネルには幽霊が出る』って話して、それで怖がってくれると思っていたのか?呑気だな」
「失礼ね。聞いたことないの?『二山トンネル』…有名な話よ」
何百回りも年下の人間に呆れた顔で見下され、咲子は恥ずかしさと怒りで顔が真っ赤になった。
「知らないな。丁度良かった。昨日の雨でグラウンドが使えないもんで、暇してたんだ。聞かせてもらおうか」
「え…わ、わかったわ。いいですか…『これは実際に起こったお話です』」
少年がカバンを地面に下ろし、咲子の横の岩場に座り込んだ。予想外の展開に、咲子は内心飛び上がった。まさかこんな風にガッツリ聞かれるとは思わなかったので、怪談を作りこんでいなかったのだ。しょうがないので咲子はその場しのぎで何とかやり過ごすことにした。
「『昔昔あるところに…トンネルで事故が起こったんです…それで…何十人も死んだ…』」
「………」
「『それ以来…』…えっと…『沢山の幽霊が、夜な夜なトンネルに出るようになって…』」
「………」
「…それで…『それで終わりです』」
「…もういい、分かった。さっさと成仏するか、もっと話術を磨いてからまた話しかけてくれ」
「ちょっと!!」
咲子の静止も虚しく、少年は落胆したように顔をしかめ、さっさと長いトンネルの中へと入っていった。
「ホントの話なんだからね!幽霊と会っても知らないんだから!」
暗闇の中目掛けてそう叫んで見ても、少年から返事はなかった。何より先ほどの少年のがっかりした表情が、何より咲子の心を痛ませた。もっと会話の技術を磨かなれば。咲子は夕日に誓った。
しかし、それから道行く人に何度声をかけても、咲子の頑張りは空回りするばかりだった。誰もトンネルの事故なんて耳にした者はいなかった。大体幽霊が出ると脅かしたところで、幽霊である咲子がそれを話しても恐ろしくない、と指摘を受けることが大半だった。やがて五人目も徒労に終わり、咲子は再びトンネルの入口にヘタリ込み首を捻った。
「…っかしいなー…。有名な話なのに…何でみんな怖がってくれないんだろう。やっぱり私の話術が逝けないんだわ…」
「どうしたの、幽霊のおねえちゃん?」
諦めて成仏でもしようかとしていた咲子のところに、六人目の子供が話しかけてきた。
「『二山トンネル』の話知ってる?ここのトンネルの話なんだけど…」
「知らなァい」
「アンタも知らないのね…良いわ、話したげる。『昔昔あるところに…』」
「昔っていつ?」
「え?そりゃあ、一九六四年三月二十日よ」
「今日じゃん」
「え?」
その時、咲子の背後から大きな音がして、激しく地面を揺らした。