おまじないほか(景時編2編)
【おまじない】
「ねえねえ、景時さん」
「なんだい?」
「なんだかすっごく気分が悪いの。胸がむかむかして、イライラして、こう……なにもかもぶち壊したくなるような……」
「そ、それはなんだか激しいねえ」
乾いた洗濯物を両手いっぱいに抱えた景時さんが、苦笑しながらやって来る。
「どこか具合が悪いの?」
「……秘密」
「そ、そう。秘密……なんだ」
よいしょ、と年寄りくさい掛け声を小さく呟いて、私の真横に腰を下ろす。
投げ出していた足を引き上げて、両手で抱えた。だって……言えないもん。生理だなんて! 毎月のこととは言え、やっぱりイライラする。当たり散らしたくなる。
こんなんじゃあ、いけないなあ。
「えっとねえ、梶原家秘伝のおまじないがあるんだけど」
「梶原家……秘伝?」
朔はそんなこと言ってなかったけど。
ああ。もしかして一子相伝とかいうヤツなのかな? 景時さん。こう見えても嫡子だし。
「右手を貸してくれる?」
言われたとおり、差し出した。きゅっと握られて、心臓が小さく跳ね上がる。
「掌にね……こうやって呪文を書いて……後はそれを飲み込むだけ」
そこに書かれたのは明らかに“人”という文字だった。それを飲み込めと?
「あの景時さん。それは緊張を解すおまじないでは……?」
「え? そう? おかしいなあ」
それとも本当は何か大切なおまじないなのに、伝わっていくうちに現代ではああいう解釈になったのかな?
「ああ。ごめん、間違えた」
「間違えた!?」
「うん」
いたずらっ子のような顔で景時さんが笑った。
「ほら、俺ってダメダメ陰陽師じゃない?」
自分で言うのもどうかと思いますよ、景時さん。
「今、思い出した。こっちだ」
そのおまじないは頭の中をリセットするものなんですね。
「あれ? あれ? 大丈夫!?」
胸のイライラはドキドキに。
暴力的な気分は甘甘に。
「キ、キスをしてくるとは……卑怯な……」
「え? 卑怯? 俺って卑怯!?」
「嘘です……大好きです。景時さん」
しわくちゃになった洗濯物を抱えて、景時さんがお日さまのように笑う。
秘密だけど。
結構、その笑顔も私には効果のあるおまじないなんですよ? ふふ。
【君の瞳にみつけた青空】
聴きなれない音楽が溢れているからだろうか。
それとも、馴染まないこの世界の息苦しさに心の奥が悲鳴でもあげたのだろうか。
夢とも現実とも区別のつかない朧な空間の中で、俺は、ひとりで───ひとりで?
いいや違う。
俺はひとりじゃない。ひとりなんかじゃ───ない。
情けない俺を受け止め、抱き締めてくれた大切な───子───がいた。
嘘でも、それしか方法がなかったのだとしても、一度はこの手にかけた───愛しいひと。
「……さん! 景時さん!」
「……?」
彼女の声が聞こえる。
えっと。
重い瞼をこじ開ける。身体がだるくていけない。どうしてだろう? 首を曲げて声のする方へと向けた。
心配そうな顔で望美ちゃんが俺を見ている。どうしてだろう。
「具合が悪いんですか? すごい汗ですよ?」
え? と驚くしかなかった。
彼女の手がふわりと俺の額に乗せられて、さらに深刻そうな顔になっているから。
俺は重病なのかな? だから、あんな見たくもない、思い出したくもないことを夢に見てしまったのだろうか。
「熱はないみたいですね。よかった! せっかくのお誕生日なのに、具合が悪いなんて。なんか損しちゃった気になりますよね? ふふふ」
望美ちゃんの安心した声が、俺の沈んでいた気持ちを浮上させてくれた。ふふふと笑った顔を、わざとなのか近づけてきて「ねえ? 景時さん!」なんて同意を求めてくる。
「そうだね。せっかくの誕生日なのに。具合が悪いなんてツイてないよね」
まだ重く感じる身体を起こす。彼女はさりげなくそれに手を貸してくれる。俺の具合は悪くない……んだよね? それともそれは一つ歳を取った俺に対する気遣い……?
い、いやだ。
俺はそこまで年寄りじゃないよ、望美ちゃん……。
「でも、調子は悪そうですね。私でよければ話を聞きますよ? 相談にはのれないけど」
ああ、話を聞くだけなのね。望美ちゃんらしいな。───ぷっと吹き出した。
「今、笑いましたね? 景時さん! いいですよ? 景時さんがそういうつもりなら! もうぜったい話なんて聞いてあげませんからっ」
「それはまた極端な話だなぁ」
「だって、心配した私の気持ちを笑ったじゃないですか! そっちがその気ならこちらも相応の仕返しを」
「望美ちゃん」
なんだか燃え滾っている彼女の言葉を遮った。
ほら、そうやって頬を膨らませて俺を見るところがとても好きなんだ。
望美ちゃん───もう一度呼んでみる。
本気で言ったんじゃないから、そうやって俯くんだろう?
さっきまでの身体の不調が嘘のように引いていることに気づく。彼女から流れ込んでくる綺麗な感情の波が、様々な負の存在から俺を解き放ってくれる。
幼子のように膝を抱えた俺は、縋るように彼女の名前を何度も呼んでいた。
「景時さん」
望美ちゃんの手が俺の膝頭に乗せられる。じわりとそこから彼女の温もりが伝わってくる。どうしてかな? 泣きそうになる。
こんなに幸せなのにね。
「景時さん」
彼女の声は優しくて、そして重みのある響きを持って名前を口にする。泣きそうになって痙攣している俺の口元に、彼女が近づいてくる。
俺は避けることも、それを受けることもできない。あの事実が拭いきれない限り、俺はきっと───。
間近に迫る彼女の瞳がこちらをみつめる。
綺麗な薄茶の瞳に映り込む、情けない俺の姿。
彼女の小さな唇がなにかを象るように、小さく言葉を刻んだ。
「耳を塞がないで、景時さん。心を閉ざさないで」
大好きよ───彼女が囁く。
胸が痛くて堪らない。君は気づいていたんだね。俺が耳を塞いでいたことを、心を閉ざしていたことを。
「大好きよ、景時さん。私と一緒にいてくれるのは、私のことを好きだからでしょう? そう自惚れていてもいいんでしょう?」
彼女の大きな瞳に映り込んでいるのは……背後の窓の……向こうにある青空だった。
「今日はいいお天気ですよ、景時さん。どこか遊びに行きましょうよ!」
「せっかくの誕生日だから……?」
「はい、そうです!」
そう元気良く答えた彼女の唇が、俺の眦に触れてくる。零れた涙を拭うように。
俺の罪を赦すように───。
「空が青いと気持ちも晴れやかになりますよね! ね? 景時さん」
そうだねと答えたいのに、俺はただ笑うしか能がない。
いつか君と同じ目線で、同じ位置に立ってあの青空を見上げることができたら、どんなに幸せだろう。
それともこれ以上の幸せを望むのはいけないのかな?
「さあ、でかけましょう!」
君に手を引かれて進むしかない今の俺だけど。
いつか。
きっと───。
「あのね。夕べね、いいものを作ったんだけど。試してもいい?」
「どこでですか?」
「う〜ん。海……かなあ」
「花火?」
「ハズレ! でも、花火がいいなら、また作ってあげるよ」
「じゃあ、それは夜ってことで! ね? 景時さん!」
いつかきっと。
君の瞳に映る青空を俺も一緒に眺めることができるように、頑張るよ───。
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