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おちこぼれエルフは、名探偵をさがしてる〜方舟キーテジ号殺人事件 作者:稲葉孝太郎

事件編

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第5話 死体標本

「大丈夫?」
 遠坂の中立な声が、霧矢の耳元に届く。呼吸を整えながら、霧矢は口の端に残った吐瀉物を水で洗い流していた。なぜこんな目に遭うのだろう。そんな霧矢の疑問も、瞼の裏に焼き付いた凄惨な映像に掻き消されてしまう。
 再び嘔吐しそうになるのを堪えて、霧矢は心の準備をする。
「別に見なくてもいいのよ?」
 そう言った遠坂だが、口調は相変わらず他人事じみている。もう少し優しい感じを出してくれてもいいのではないかと、霧矢はそんなことを思う。
 とはいえ、もとはと言えば、少年自身が言い出したことなのだ。義務感にも似た思いが、霧矢の体を洗面台から引き離す。
 心の中で10数え、ゆっくりと背後を振り向いた。
「……うっ」
 霧矢は、口元に手を当てる。
 幸いなことに、胃袋の中には何も残っていなかったようだ。胃酸の味が喉の奥に広がっただけで、観察の妨げにはならなかった。
 霧矢は今、A11号室の中にいる。
「酷いな……」
 霧矢は、見たままの感想を呟く。
 それとは対照的に、遠坂が冷静に口を開いた。
「銃の暴発ね。この様子だと、顔のすぐそばで爆発したみたいだわ」
 床の上で仰向けに転がっているのは、甘野の死体だった。
 身元が分かるのは、顔の右半分が残っていてくれたからに過ぎない。左半分はざくろのように弾け、頬骨が緋色の肉塊を覗かせている。眼球が吹き飛んでしまったのか、左の眼孔にはぽっかりと穴が空き、ただの血溜まりと化していた。
「これは困ったことになったわね」
 遠坂が、部屋の隅でぽつりと呟いた。
 別に死体から逃げているわけではない。甘野の顔を念入りに調べ終えた彼女は、現場全体を俯瞰している最中なのだ。
「ええ、まさか死人が出るなんて……」
 霧矢は、死体から目を背けるチャンスとばかりに、遠坂の独り言に食いついた。
「違うわよ。死人が出ることは、ここに来たときからおおよそ見当がついてたわ。問題なのは、これが他殺なのか、それとも事故死なのか分からないってことよ」
 遠坂にとっては、死人が出たこと自体はどうでもよく、死因の方が重要らしい。どうにもついて行けない女だと、霧矢は肩をすくめた。
 だが、もう少し会話を続けていたい。霧矢は気分を紛らわすため、思いつきの質問をぶつけてみる。
「銃の暴発なら、事故なんじゃないですか?」
「そうかしら? このシチェーションにはそぐわないと思うけど?」
「このシチェーション?」
 霧矢は、彼女の遠回しな指摘を理解しかねた。
 少年が黙っていると、答えられない生徒を前にした教師のように、遠坂の方から解答を与え始める。
「なぜ甘野くんは室内で引き金を引いたのか、ってことよ」
「あっ……」
 遠坂の言う通りだった。この客室で、銃を放つ理由などないはずである。まさか試射してみようと思ったわけでもあるまい。壁に穴を空けて、どうするというのか。
 だとすれば、可能性はひとつしかない。
「つまり、誰かに襲われて……」
「そうね、自己防衛のために射ったのかもしれないわね」
 少し曖昧な物言いをする遠坂。
 霧矢は、さらに踏み込んだ質問をする。
「でも誰に? エイリアン? それとも……」
「それはまだ分からないわ。ところで……」
 遠坂は、死体のそばにいる拓郎を見やる。
「解剖するの?」
 その言葉を聞いて、霧矢はますます気分を悪くした。
「場所と機材があれば、やりたいところですがね……」
 拓郎が、甘野の傷口を見ながら言った。
「ただこの様子だと、死因は銃の暴発で間違いないと思います。殺された後で顔を傷付けられたようでもなさそうですし……。右半分に火傷の痕がちゃんとありますからね」
「それに、第一発見者が来たときには、もう死んでいたそうです」
 拓郎が言葉を継いだ。
「第一発見者が嘘を吐いてるってことは?」
 霧矢は一人前の探偵らしく、疑り深さを示してみせた。
 けれども、それが裏目に出たようだ。遠坂が口を挟む。
「私が第一発見者だけど……何か?」
「す、すみません……でも、何で遠坂さんが……?」
「食糧の調達よ。篤穂さんの提案で、誰かが倉庫から食糧を分けてもらうことになったの。こちらとしても、ちょっとコンタクトを取りたかったし、ちょうどいいから男の甘野くんを誘おうとしたんだけど……」
 遠坂がそこまで説明したところで、別の疑問が少年の中で産声を上げた。
「ちょっと待ってください。アラームが鳴ってからここへ来たんじゃないんですか?」
 少年の疑問に、遠坂は首を水平に振って答える。
「私が甘野くんの部屋の前に来たとき、銃声がしたの。アラームは鳴り始めるし、びっくりしてドアを叩いたら、そのまま扉が開いたのよ。で、中を覗いたら……」
 遠坂は、甘野の死体に視線を落とす。
「そのとき、彼はもう死んでたんですか?」
 少年の疑問に、遠坂は曖昧に頷き返す。
「多分、そうだと思うわ。死体が動いた形跡もないし……」
「そうですか……」
 霧矢も、まさか彼女が第一発見者だったとは予想していなかった。
 しかし、そのおかげで話は単純になったように思われる。遠坂が嘘を吐くはずがない。アドバイザー同士の信頼関係を前提にするならば、銃声、端末の警報、そして甘野の死体の発見まで、ほとんど時間差がなかったことになる。
 つまり、拓郎の見立て通り、銃の暴発で即死だったのだろう。霧矢は、そう結論付けた。
 そんな推理に耽る少年を尻目に、遠坂が唇を動かす。
「ところで、もうひとつの死体はどうなっているのかしら?」
 遠坂がそう言い終えるが早いか、入口から子供っぽい声が聞こえてくる。
「拓郎さん、そちらはどうなってます?」
 室内にいた全員が一斉に振り返ると、サダコが扉の枠内にちょこんと収まっているのが見えた。
 拓郎が狭い室内で位置を変え、サダコを視界に収める。
「サダコ先輩、こちらは終わりました。銃の暴発で即死したものと思われます」
 拓郎が、ここまでの経過を丁寧に説明する。
 サダコはふんふんと頷きながら、それを手帳に逐一記録した。
「……なるほど、拓郎さんの検分が正しそうですね」
「遊花さんの方は、どうでしたか?」
 拓郎が小声でそう尋ねた。
 サダコは、ぽりぽりと頭を掻く。
「それがですね、こっちは何とも言えないんですよ。死因が不明で……」
「死因が分からない? どういうことかしら?」
 遠坂が、後ろの方から質問を投げ掛ける。
「まあ、見てもらった方が早いでしょう」
 そう言って、サダコはA10号室へと引っ込んだ。
 霧矢たちはお互いに顔を見合わせた後、場所を移動する。
「失礼します」
 遠坂を先頭に、拓郎、霧矢の順でA10号室に足を踏み入れる。
 それを迎え入れたサダコは、黙ってバスルームを指差した。
「そこです」
 曇りガラスのドアが開け放され、ドクターの屈み込んだ背中が見えている。霧矢たちの気配に気付いたのか、ドクターは首だけそちらに向きを変えた。
「なんだ、見せ物じゃないんだぞ……と言っても無駄か……」
 諦めたようにドクターは立ち上がると、バスルームから体を乗り出した。
 霧矢は、前に立つ2人の肩越しに、中の様子を恐る恐る伺う。
「ずいぶんと奇麗な仏さんね……」
 そう呟いたのは、遠坂だった。
 確かに、甘野のそれと比べれば、目の前にあるのは遥かにマシな光景である。全裸の少女が、水の雫を身に纏い、糸の切れたマリオネットのように壁にもたれ掛かっていた。右首筋から左の乳房にかけて、3本の赤い線がくっきりと刻み込まれている。
 一瞬、3度斬りつけられた痕かと、霧矢は思った。しかし、それにしてはあまりにも美しい平行線を描いている。
 いったい、どんな凶器が使われたのだろうか。少年はその形を、粘土細工のように脳内でこねくり回してみた。造詣がはっきりしてくるにつれて、霧矢は背筋を凍らせる。
「まさか……エイリアン……!?」
「だろうな……だから言わんこっちゃないんだ……」
 そう言って、ドクターが溜め息を吐いた。
 けれども、それに同調する者はいなかった。霧矢は不思議に思い、遠坂たちの顔を順番に見比べる。誰もドクターの説明に納得していないようだ。
 そこで霧矢は、先ほどのサダコの台詞を思い出す。死因は不明だと、彼女は言った。
「ドクター、ここに解剖できるような施設はありませんか?」
 拓郎が、さりげなく切り出した。
「解剖……? どういう了見だ?」
「額面通り受け取っていただいて結構です。死体を解剖したいのですが」
 ドクターは、目を見張って拓郎を見返す。正気かと言わんばかりだ。
「あんたら何者だ? 医療の知識もあるようだし……警察か何かかね?」
「ええ、それに近い職業と考えていただいて結構です」
 ドクターは両腕を組み、しばらく押し黙った。
 疑っているのだろうか。なるほど、霧矢がドクターの立場なら、見知らぬ登場人物に警戒心を抱いたことだろう。
 しかしその一方で、拓郎たちの言動が、この手の事件に精通したエキスパートのものであることも、すぐに察しがつくように思われた。ドクターも、それが分かっているようだ。
「しかし……解剖となると他の連中が……」
「あるんですね、そのような施設が?」
 拓郎が、畳み掛けるように尋ねた。
「ああ、だが、なぜそんな必要があるんだ? どう見ても斬り殺され……」
「それはどうかしら。私は医者じゃないから分からないけど、遊花さんの傷、即死するほど深くないように見えるのよね」
 遠坂の指摘に、ドクターはもう一度、遊花の死体を観察した。
「それは……ワシもおかしいと思ってたところだ……むしろ失血死に見える……」
「ということは、解剖の必要ありね」
 どうやら、意見が纏まったらしい。
 霧矢は遠坂たちに、恐る恐る声を掛ける。
「あのう、まさか解剖にまで立ち会えって言うんじゃ……」
 霧矢の問い掛けに振り向いた拓郎は、片方の眉を上げて微笑んだ。
「いえいえ、ここは私にお任せを。キリヤさんは、トト検史官にこれまでの状況を知らせてあげてください。嫌がったら、無理矢理にでもお願いしますよ」
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