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Rose Garden -薔薇のアーチの向こう側-
作者:遠呼
10年ほど前の作品です。稚拙な部分もありますが、あえて手直しせずそのまま載せました。少しでも楽しんで頂けたら幸いです。




記憶の中の彼女の姿は、いつでも降り注ぐ光と花の香り。そしてきらめく緑に囲まれていた。

 

 

 

 

住み慣れた王都から遠く離れ、僕がその村にやって来たのは十四歳の夏だった。  

学校が長期の休暇に入ったのをきっかけに、両親から息抜きに田舎の伯父の家に遊びに出かけてはどうかと勧められたのだ。正直行きたいとは思わなかったが、僕は素直に頷いた。なぜなら打診の形こそ取ってはいたが、それは明らかな強制だったからだ。

父母の仲がかなり険悪で、離縁の二文字まで秒読み状態であることを、夜中に一階から伝わって来る二人の罵り合いからすでに僕は悟っていた。

それを知ってか知らずか。あるいは醜い部分を子供に見せたくないと、今更ながら気遣ったのかはわからない。でも二人の決裂が修復不可能な以上、僕の為とは名ばかりの厄介払いも同じだった。

王都から馬車で三日。更に乗換えて二日。

伯父の住む村は、田舎の二文字がおこがましいほどの辺境地帯にあった。

その村は母が幼い頃育った場所でもあり、実家に帰った母が僕を産み落とした土地でもあった。けれど長年王都で生活してきた僕に、「ここがお前の生まれた土地なんだよ」なんて言われても、今更故郷としての愛着など涌くはずもない。その田舎臭い生活の営みと閉鎖的な環境に、粗暴で品性の欠片もない従兄弟同様、嫌悪を覚えることこそあれ、僕が僅かでも親しみを覚えることはなかった。

周囲に馴染めず、身の置き所なく過ぎてゆく毎日。

そんな時だ。

散歩がてら迷い込んだ森の奥で、ひっそりと隠されように佇む古びた屋敷と、その庭を見つけたのは。最初はどこか桃源郷に迷い込んだのかと思ったほどだった。

「うわあ・・・・凄い・・・・」

僕は息をするのも忘れ、オリーブの垣根の向こうに広がる光景に見入った。

樹齢数百年は経つだろうと思われる巨大な菩提樹を中心に広がる、壮大な庭園。綺麗に刈り込まれ、良く手入れされた薔薇のアーチ。白いしっくいで作られた瀟洒な四阿。澄み渡る泉には小さな噴水があり、大輪の蓮の花がふんわりと優雅に浮かんでいる。

緑柱石の緑、碧玉の碧、翡翠の翠。宝石のような木の葉が幾枚も揺れ、眩しい陽射しの下、楽園と言う言葉が相応しい美しさに、僕は真の意味で言葉を失った。

でも、なぜこんなところに庭があるんだろう?

貴族の邸宅、あるいは避暑用の別邸という可能性も考えられないことではない。けれど乗合い馬車さえ三日に一度しか来ないようなこの地方の、しかも村からさえ離れた深い森の奥では、あまりに辺鄙過ぎないだろうか。

疑問に思った僕が、帰るなりさりげなく村の人間に尋ねると、

「ああ、そいつはウィッチだよ。もう随分と昔からあの辺りに住んでるんだ」

「ウィッチ?」

「そう。ここらに住んでいた魔女の一族の、唯一の生き残りさ」

―――――魔女。

長い寿命と、天候を操る魔導力を持ち、いにしえの叡智を守護する一族。存在していることは授業で習って知っていたが、今では滅多に聞かなくなった種族の名称だ。今から百年程前まではこの大陸にも広く頒布し、時には人と婚姻を結んだり、魔導の技を伝授したりと、人間と最も馴染み深い種族の一つだったらしい。

この森に住む魔女もそうした昔ながらの慣習を守っているらしく、たまに人里に来ては薬草やハーブなどと物資を交換したり。隣村の急診などで医者が留守のときは、代わりに医者や産婆のようなことをすることもあると言う事だった。

そう話してくれた村人からは、そうした魔女に対する感謝とかすかな畏怖が滲み出ていて。けれど僕は恐怖とか畏れよりも、どんな姿なのか。毎日どんな風に暮らしているのか。あの庭を作ったのもその魔女なのだろうか。と言うような好奇心や興味の方が大きかった。もしかしたら、自分と同じ村民に交わらない余所者同士といった、微かな同胞意識のようなものもあったのかもしれない。

僕は散歩にかこつけて、垣根越しに毎日あの庭園を眺めに行くようになった。もちろん周囲の伯父や従兄弟には内緒にしたままで。
 

そうした密かな自分だけの楽しい日課を持って、どれくらい経った時だろう。

変化はある日突然やってきた。

木の下で読もうと、その日も暇潰しの本を片手に庭を臨む垣根の前までやって来ると、

「何か御用ですの?」

後から突然声が背を叩いた。ぎくりとして振り向くと、いつからいたのだろう。少女が一人そこに立っていた。歳の頃は十七、八ぐらいだろうか。間近でこちらを見据えている、凛とした清水の瞳。まさかこれが噂の魔女だろうか、と僕は疑惑半分内心で冷や汗をかいた。

「いつもこの辺に立ってますわよね。何か面白いものでもありまして?」

「・・・・・・いや、あの・・・・・」

「私、はっきりしないのって好きじゃありませんの。さっさと用件をおっしゃったら?」

「えと、その・・・・庭があんまり綺麗で・・・・・」

それで?と言う風に少女の視線が上げられる。

「ほんの少しでいいんで、中を見せて欲しいんですけど・・・・・」

どうやら見かけとは違い、かなり歯に衣を着せない人物らしい。あなた名前は?と彼女が尋ねるので僕が応えると、

「最近の子供は訊かれなければ名乗れもしないんですのね。時代は変わりましたわ。私はウィッチ。魔女の一族に列なる者です。それをご存知でそんなことをおっしゃってるの?」

この年若い少女が魔女。

ほんの少しだけ驚いたが、その馬鹿にしきったような言い草にかなりカチンと来た僕は、動揺を隠したまま黙って頷いた。確かに魔女と言う未知の存在に抵抗を感じないではなかったが、それよりもこの庭をこころゆくまで見てみたいという欲求が勝っていた。

「・・・・・・・・もの好きな方もいたものですのね。どうぞご勝手に。ただしここに生きる草花を手折ったり、傷つけたりしないと誓うなら。よろしくて?」

僕ももちろんそのつもりだった。

 

夏の陽射しは厳しい。

まして空気の澄んでいる森の中のこと。遮るもののない陽光は、じかに身体を痛めつける。夢中で見て回っているうちに、僕の身体はあっという間にカラカラに干上がってしまった。ただでさえ内に篭もりがちで、身体がそう丈夫な方でもない都会の子供に、田舎の夏はやはりしんどい。ぐったりとしつつ、僕は木陰に身を寄せた。

すると、

「貴方、まったくもって馬鹿ですわね」

芝生の上にに座り込んでしまった僕の上に、容赦のない一言が陽射し以上のきつさを持って降って来た。いつから見ていたんだろう。ウィッチだ。

「真夏に長時間太陽の光を浴びていれば、脱水症状を起こすのは当然ですわ。こまめに休憩を取るとか少しは考えられませんの?倒れた貴方を村まで連れ帰るなんて、私はご免ですから」

「な・・・・別に僕だって・・・・」

そんなことして貰いたくないよ。と言いかけた時だった。いきなり目の前に盆が差し出されたのは。

面食らって視線を落すと、上にはお茶と素朴な焼き菓子が乗っている。表面に水滴が付いたコップが光に反射して、盆の上に小さなプリズムをいくつも作っていた。

「言っておきますけど、毒なんて入れてませんわよ。まあ、口にするもしないも貴方の自由ですけど」

「た、食べるよ!」

とっとと片付けられてしまいそうな雰囲気に、僕は慌てて菓子を口に押し込んだ。こうなると味なんてわかったものではない。咳き込みそうになるのを堪えながら、コップのお茶を喉に流し込む。お茶はひやりと冷たく、爽やかなミントの香りが口一杯に広がった。

「おいしい・・・・」

素直にそう口にすると、

「それは良かったですわね」

ぷいっと彼女はそっけなく横を向いてしまう。また機嫌を損ねてしまったのかと不安になったが、すぐに違うとわかった。なぜなら彼女の白い頬と長い耳の先端は、うっすらと照れたように紅潮していたからだ。

可愛い・・・・・。

たったそれだけのことに、僕はひどく感動してしまった。初対面のキツイ台詞は置いておくとしても、何せ初め僕の想像していた魔女像は、イボイボのついた鷲鼻に黒い髪と瞳の醜い老婆。その性格は狡猾で残酷。真っ黒で裾がボロボロの衣装に捻じ曲がった古木の杖を愛用し、ペットはもちろん黒猫とカラスで、好物は子供の鮮血、肉と内臓。満月の夜にはホウキに乗って魔女の集会に出かけ、怪しげな壺の前でうんうん呪文を唱えながら、ドロドロの液体を掻き回す。
正直に言って、これが今まで抱いてきた僕の「魔女」という印象のすべてだった。でも短絡的と言うなかれ。僕が暮らしていた王都では、魔女と言うとこれが大人も子供も共通の知識の程度だったのだ。

でもウィッチにはあまり当てはまらない。性格はきっぱりしてるが嫌味はなく、格好も質素だが小奇麗で清潔そうだ。鷲鼻でもなければイボも付いていない。決して華美でこそないが、ウィッチは蜜色の髪と澄んだ泉の瞳を持つ、しっとりと美しい人だった。

それ以後、今度は見るのではなく花の世話を手伝いに、僕はたびたび庭に出入りするようになった。

彼女は特に拒絶することもなく、かといって歓迎してくれるでもなく。けれど顔を見せれば、お昼や午後の休憩時間には、必ず僕の分まで軽食やお茶が用意されていた。

気難しそうだが、本当は凄く優しいのだ。

やがて作業を共にこなすに連れ、最初は間に薄紙を挟んだようなきごちない関係も融解し、僕とウィッチは二言三言と言葉を交わすようになった。

あまり自分のことを語る人ではなかったので、もっぱら僕が喋るほうに徹していたように思う。村に来た経緯。両親や王都にいる友達、学校のこと。

ウィッチはその一つ一つに頷いてくれ、時には周囲に対する不満や愚痴さえも黙って聞いてくれた。何よりも彼女は、僕を決して否定しなかった。実の両親にさえ「もっと現実を見なさい」とたしなめられる学者になりたいという将来の夢を、「素敵ですわね。あなたにぴったりな気がしますわ」と当然のように受け容れてくれた。

僕はそんな飾らないウィッチのことがすぐ好きになった。そして美しいこの庭も。

アネモネ。ポピー。コスモス。白百合にりんどう。鳳仙花や木蓮。

美しい水と豊かな自然の寵愛を受けた庭は、まさに動物と植物の楽園であり、色とりどりの珠玉の生命たちの宝石箱だった。中でももっとも見事なのが、花壇の大部分を占める広大な薔薇の園。よほど大切に育てられているのだろう。波打つ大輪の花々は、どれもが神の乙女のくちびるさながら華麗で瑞々しく、朝露を弾いてまばゆく咲き誇っていた。

「薔薇が好きなの?」

あまりの見事さにそう尋ねると、ウィッチは小さく首を振り、

「いいえ。知り合いが・・・・・好きだった花ですわ」

知り合い。

殊更平坦に呟かれた単語は、逆に僕にそれ以上の何かを連想させるに充分だった。

そういえば、ウィッチはいつからここで一人で暮らしているのだろう。確かに純粋な魔女はなかなか見かけなくなったが、南の大陸には魔女の技や血統を受け継ぐジプシー達がいくつかの集落を作り、占いや呪いを生業にして暮らしていると聞く。そういう人々と共に生きることは、考えなかったのだろうか。

僕がそのことについて触れると、

「そうですわね。そういう選択もありましたわね」と彼女は心得ていたように頷いた。つまり、敢えてそちらの生き方を選ばなかったということになる。

「どうして?寂しくないの?」

「寂しい?」

「だってずっと一人ぼっちで、ここに住んでるんでしょ?」

「確かにここには私の他に魔女はいませんわ。でも寂しくはありませんの。こういう生活には慣れてますし、見えるかしら。あそこにアーチがありますでしょう?」

僕はウィッチの指差す方向に視線を向けた。菩提樹を挟んだ向こう、生垣の一画に、蔦の絡まった門が見える。僕が初めてこの庭を見たときも、見事な薄紅色の花を咲かせていた薔薇のアーチだ。

「あの向こうで、私の大切な人たちが暮らしています。会えないけれど、すぐそばに」

「あの向こうで?」

僕は首をかしげた。ウィッチには内緒にしていたが、子供特有の好奇心が疼き、実は何度かあの門を僕は通っていた。けれど向こう側にはここと同じ感じの薔薇園があるのみで、そう特別なものは何もなかったはずだ。

「そうですわ。でも今は行くことは出来ません。ある人と約束をしたんですの。待ち続けると。その時まであの―――――」

ここではない彼方を見つめるかのように、ウィッチの湖面の瞳に、ふと遠い灯がよぎり去った。

「あの門を決して一人でくぐったりしないと」

その一言に、僕は計り知れないほどの時の重みを感じた。約束一つ胸に抱いて、彼女は一体どれほどの時間、孤独をやり過ごして来たのだろう。

「ウィッチは・・・・・誰を待っているの?」

そう尋ねると、彼女はうっすらと口許に笑みの光を宿してこう言った。

 

「過去を待っているんです」

 

 

 

花を育てるということは、その華麗で優雅な印象とは裏腹に、結構な重労働を課される。並々ならぬ根気と体力。加えて臨機応変で細やかな気遣い。

それぞれの方法で種を植え、季節を踏まえた頻度で水をやり、雑草を抜く。花種に合った肥料を撒き、まめに剪定をする。

剪定。

こと薔薇などの観賞花は、なるべく美しい花に養分を行き渡らせる為に、育ちの悪い蕾や芽を切ってしまうのが常だ。弱い株を間引きし、強く美しい薔薇のみを選別して次代へと受け継がせる。

平原の動物たちの間では、強者のみが血を残す権利を持つように、生き残りを掛けた徹底的な優良血統主義のようなものが植物の中にも確かに存在しているのだ。

何かをよりよく生かすために、何かを犠牲にする。逆を言えば、何かを犠牲にするからこそ、何かをうまく成し遂げることが出来る。それはある意味普遍の真理であり、この小さな箱庭の世界にも共通する自然の掟だった。

ウィッチの白く長い指先が、繊細な花首をそっと摘まみあげ、

――――――パチン

左手に握られた鋏が、細い茎をためらいなく裁断する。

育くむのと同じ手で、刈り取られる命。単調な音色に胸の痛みを覚えながらも、その矛盾を孕んだおごそかとも言える儀式に、僕はなぜか魅了されてやまなかった。

そうした彼女の姿を、僕はときどき黙って遠くから眺める。

質素なローブから覗く、僕のものよりも華奢な腕。照りつける陽射しにも負けず、練り絹のように白い肌と、瑞々しく上気する薔薇の頬。金の睫毛は細工物のように繊細で、水色の瞳に瞬く知性の光をきらきらと飾っている。

そんなささやかな一瞬たち。胸ときめく刹那の積み重ねが、僕は好きだった。

それは美しく根付く花を見守り、手折ることなく愛でるような喜びに似ているかもしれない。

小ぶりのシャベルを片手に、爽やかに汗ばんだ額をぬぐいながら、僕の姿を見つけるとそっと微笑んでくれるウィッチ――――僕の憧れ。

 

庭にいる間中、僕は彼女から多くのことを吸収した。
花の世話の仕方や肥料のやり方など植物に関することはもちろん。庭仕事の合間には勉強を見てくれたり、香りの良いハーブを使った菓子を一緒に作ってみたり。森で何かあっても困らないように、野生している薬草や食べられる茸。簡単な火の起こし方なども教えてくれた。

美しく博識で、学校の教授よりも多くのこと知っていて。厳しく優しい彼女は尊敬すべき師であり、頼りになる姉のようでもあり、この秘密の庭を愛する仲間だった。
僕たちは本当の姉弟のように、この庭で一夏を過ごした。

 
そんな平穏な日常が終りを告げたのは、夏も終り、やや肌寒い秋の風を感じるようになった頃のことだった。

始まりは、突如蔓延し始めた死病による、村で飼育していた家畜の鶏の全滅。
くちばしから泡を吹き、甲高い狂気の歌をさえずりながら、腐った目玉を撒き散らす。やがて最後は身体を痙攣させ死に至ると言う、具体的な対処法のない凄絶な病だった。

しかも病の原理は解明されておらず、他の牛や羊、肉を摂取する人間が大丈夫だという保証はない。もともと物資が乏しく、自給自足を余儀なくさせられていた村にとって、食糧となる家畜の欠損は深刻な事態だった。更に夏にあった日照りと干ばつのせいで、麦や稲穂の収穫がおもわしくないことも、人々の不安に拍車を掛けた。

そんな時、誰かが言い出したのだ。


"こんな恐ろしい病は、魔女が悪魔と契約したからに違いない"と。


憶測は暗雲のように村人を包み込み、やがて根拠なき事実へと形を変えた。
明らかな濡れ衣だった。森の奥でひっそりと慎ましやかな生活を送る彼女に、一体どうしてそんなことをする必要があるだろう。だが、皆そんなことはわかっているのだ。重要なのは真実ではなく建前。要するに彼等は無から有を生み出す魔女の力と、永い寿命が妬ましかっただけ。だから彼女を悪者にした。行き場のない憤りをぶつけ、心の安寧を計ろうとした。

そう、それは遠い昔の呪われた因習「魔女狩り」も同然だった。

確かに突如降って沸いた疫病、不作と言う不幸に見舞われた村の人々にも、いろいろな葛藤ややり切れない思いがあったのかもしれない。

けれど長い年月、皆に対して尽くしてくれた彼女に、こんなにもあっさりと手の平を返す。自分たちの弱さや間違いを黙殺し、静かに腐りゆくことを望んだ故郷を、僕が無意識とはいえ見限ったのは多分この時だったのだろう。

僕は彼女に村人の裏切りを報せ、すぐに逃げるべきだと告げた。それですべてがうまくいくと信じて。だが彼女の見せた反応は、まったく予想だにしていなかったものだった。

僕の話に穏やかに頷くと、彼女はこう言ったのだ。

この地を離れることは出来ない、と。

 

「―――?!ウィッチ?!」

「私は魔女です。変わりゆく世界が私の存在を否定すると言うのなら、自然の掟に従いますわ」

そう告げるウィッチの表情は、まるでこうなることを悟っていたかのように、どこまでも静かに凪いでいた。僕はそれが無性に哀しく、同時に信じられない気持ちで一杯だった。

「な、何を言ってるんだよ!!このままじゃ何されるかわからないんだよ?!皆は武器だって持ってる。ウィッチは・・・・・ウィッチは死んじゃうつもりなの?!!」

「咲いたことに少しでも意味があるなら、きっと散ることにもまた意味があったということですわ。私が抵抗すれば、村人の誰かが必ず傷つくでしょう。私が逃げれば、逃げた先で同じ事が繰り返されるでしょう。けれど・・・・」

ふと、彼女はため息のように言葉を切った。そしてゆっくりと、周囲で変わらぬ営みを続ける自分の庭を愛おしげに見つめた。

 

「私がいなくなっても、花は咲きますわ」

 

優しく、歌うように。

 

「咲くんです。何一つ変わらず」

 

まだ子供だった僕には、ウィッチの言いたいことがすべて理解できたわけではなかったが、頭で理解できなくても、肌で感じ取ることが出来た。

恐らくは大陸最後の魔女であるウィッチ。人間に居場所を追われ、各地で今も数を減らし続ける半獣人や精霊。

使える者を選ぶせいで衰退の著しい魔導学に代わり、今や人々の間にもっとも浸透しているのは蒸気と科学の力だ。

目に見えないものや不可思議なもの。世界の流れはそれらを沈黙のうちに葬り去り、古き良き時代の影にしようとしていた。

その時、ようやく僕はわかった気がしたのだ。

独りぼっちのウィッチが、ずっと待ち続けていたもの。澄んだ水鏡の瞳が、薔薇の門の向こうに見ていたものとは、一体何だったのか。

 

"あの向こうで、私の大切な人たちが暮らしています"

 

"過去を待っているんです"

 

門の向こうで彼女が育てていた幾万本もの薔薇は、愛しい者達の墓碑の代わり。

永い時間待ち続けていたのは、いつか自分を消し去ってくれる時代の趨勢。

 

一緒に逃げよう。

喉まで出かかった言葉は、食いしばった歯の隙間からこぼれ落ち、声にはならなかった。本当はそう言いたかった。いや、そんな陳腐な台詞なんてどうでもいい。僕はただ彼女を守りきれるだけの大人の男でありたかった。それだけだ。それだけ。

大人たちは良く言う。あの頃に戻りたいと。大人と子供の狭間にある、微妙で危うい年代。その時が一番輝いていたと。

だが僕は、非力でありながら己の限界をわかってしまえるほどには大人な今の自分が、殺したいほど憎かった。

「ウィッチ、お願いだよ。お願いだから・・・・・」

「あなたと過ごした毎日、とても楽しかったですわ。独りの冷たさに慣れきっていた私に、人と交わることの素晴らしさ、遠い昔の懐かしい日々を思い出させてくれた・・・・・」

「やめてよ。やめてよ。ウィッチ」

僕の目頭が熱を孕んだ。そんな今生の別れみたいな言葉、聞きたくなかった。

「僕、来年も絶対来るよ。今年植えた種もきっと芽を出してるだろうし、庭を手伝いに必ず来る。また勉強も教えて?僕、頑張るから・・・・頑張るから・・・・」

僕は必死に言い募った。未来の話をすれば、こんな現実はすべて嘘になるような気がしたのかもしれない。

「ねえ、うんって言ってよ・・・・言ってよ!ウィッチ」

駄々っ子のように哀願する僕に、ウィッチは困ったように微笑むと、そっとその白い手を僕の頬にあてがった。僕はもう涙をこらえられなかった。

ウィッチの手。

庭仕事をし、本のページをめくり、魔導を操る。そしてお茶の時間には甘いお菓子を用意してくれて、時にはちゃんと叱ってくれた優しい手。大好きだった手。

 

 

ああ、それはこんなにも。

 

 

こんなにも小さく儚かったのだ。

 

 

「あなたは私の知り合いにそっくり。率直で自分の気持ちに正直で。そうかと思えばプライドが高くて、意地っ張りなんですの。あの頃は認めることが出来なかったけれど、私は彼のそんなところが好きだった・・・・・」

透き通るような彼女の瞳。遥かな遠い場所を求めてさまようように。

「もう一度会えたら、今度はもう少し素直になれますかしら」

ウィッチはほんの少し寂しげに微笑むと、その二本の腕で僕を抱き締めた。ふわりと花の匂いが僕を包み込む。

「あなたのことは、忘れませんわ・・・・・」

「ウィッ・・・・」

何か魔導を使ったのだと気付いたときには遅かった。

急激に遠くなる意識の底で、僕は夢を見た。泣きたくなるような美しい夢だった。

今は昔話の中にしか登場しない魚鱗人や、古めかしい鎧をまとった魔導師がいた。

そしてまだ幼さの残る、金髪に青いとんがり帽子の少女。自分の身体よりも大きなホウキを抱えて、くすくすと楽しげに肩を揺らしている。

空はどこまでも高く澄み渡り、太陽は慈しむような恩恵を降り撒いていた。

小鳥がさえずり、爽やかな風とともに森が歌う。

そこには永遠があり、白い光の中、少女は幸福そうに笑っていた―――――。

 

 

 

―――――ここは・・・・?

気が付くと、森の外れに僕は倒れていた。既に陽は傾き、辺りを夕闇が覆い始めている。何があったのか頭が鮮明になると同時に、僕は駆け出した。

 

ウィッチ・・・どうしてだよ・・・・どうして・・・?!

 

すぐに息が上がり、心臓が悲鳴をあげる。小枝が髪に絡まり、剥き出しの腕や手足を傷つけていく。方向感覚が掴めない上、魔導の眠り特有の倦怠感も身体を鈍らせたが、構ってなどいられなかった。

 

ウィッチ・・・・!どうか無事でいて・・・!!

 

ただひたすら、僕は脇目も振らず夏の間中通った道筋を急いだ。

菩提樹に守られた、あの美しい魔女の庭園を目指して。

けれど。

「・・・・・っ」

それを見たとき、僕の喉からは声にならない声が洩れた。

僕たちが優しい時を過ごした森の揺りかごは、無残に踏みにじられ、かつての美しさは跡形もなくなっていた。

火が放たれたのだろう。未だぶすぶすと地面からくすぶる黒煙。辺りには硝煙の匂いが充満し、熱と炎に侵略された木々の残骸が、そこらを覆うように広がっている。

ウィッチの家も、彼女が丹精こめて育てていた薔薇も。

あれほど鈴なりに生い茂っていた緑の枝もすべてが炭と消え、かろうじて残った菩提樹の幹の死病のような黒い焦げ痕が、凄惨な事の顛末をもの言わず語っていた。

 

 

そっと、音もなく。

 

 

雫が、頬を伝った。

 

 

 

――――――パチン

 

 

耳の奥によみがえる、優しい死の宣告。

脳裏に焼きついた、刈り取られてゆく色とりどりの花々。

 

弱い株は淘汰され、強く美しい薔薇だけが生き残る。

では彼女は弱かったのだろうか。

いいや。僕はそうは思わない。彼女は強い人だった。瞳を湿り気で潤ませる事はあっても、まなじりに溜めた光が水滴を形作ることは決してなかった。

どんな逆境を前にしても、毅然と前を向いて自分の道を決断できる人だった。彼女は多分、強すぎるほど強く、聡明すぎる人だったのだ。だからこそ摘み取られてしまった。自分の刺の鋭さを知っていた薔薇は、進んでその身を差し出したから。

 

僕はそのとき初めて、無力と言うものがいかに罪であるかを知った。

 

 

 

その後、村を出た僕は魔導師を目指すべく、王都の王立魔導学校に入学した。

すでに斜陽を迎えていた魔導学の分野は停滞の一途を辿っていたが、それでも諦めはしなかった。消えていく知識という遺産を、少しでも次世代に伝え残していきたいと思ったこと。そして彼女――――ウィッチや魔族、精霊たちが魔導を通じて人と手を取り合い、助け合っていたという証をほんの欠片でもいい。後世に残したかったからだ。

彼女に教えて貰った幾ばくかの知識も僕の勉学を後押ししてくれ、数年後には魔導について、それなりの権威として名を知られるようになった。

今は王都の魔導学校の講師として教鞭を執る傍ら、魔導学の歴史を綴った史書の編纂に追われる毎日を送っている。そこには勿論、今は姿を消してしまったウィッチ達種族のことも記してあることは言うまでもない。恐らく僕の生涯を賭けた一世一代の大仕事になるだろう。

 

時間は矢のように過ぎ去り、毎日は忙しなくも充実していた。

僕は平凡だが気立ての良い妻を貰い、大通りから一本入った学校職員専用の住宅街に居を構え、何不自由ない生活を送っている。先月二人目の子供も生まれた。

けれど、そんな家族との素朴で幸福な生活の合間に、ふと僕は思い出すのだ。

時が止まった花の楽園で過ごした、あの輝くような夏の日々のことを。

 

優しい土の匂いと、弾ける陽光。

小さなシャベルの脇に置かれた、冷たいハーブティーと手作りの焼き菓子。

そして砂金の髪を涼しげにそよがせ、むせかえるような緑の中で微笑んでいた彼女。

その光景が夢のように美しく、尊い光に包まれていて、僕は今でも涙ぐみそうになる。

 

木漏れ日に揺れる菩提樹の庭。

鮮やかに咲き誇っていた薔薇のアーチの向こう側で、彼女は今、何を育てているのだろうかと――…。

 

 

 

 

 

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