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1000文字小説 作者:折坂勇生
70/82

70・踊りましょう

 32年間生きて自分なりに精一杯努力して築き上げてきた地位が、花瓶を振り落とした事で崩壊してしまった。
 水が零れていき、バラ、リンドウ、カーネンションなど色鮮やかに咲いた花がスローモーションのように床へと散らばっていった。
 水溜りに佇む僕の足元は、ほんの数秒前には顔を赤らめ怒り狂って襲い掛かってきた男性が、驚愕とした表情で倒れていた。
 さっきまで生きていた。
 その生命は、今はもうない。
 僕が殺したのだ。
 この僕が……。
 これが妄想ではなく現実であることを受け入れられなかった。
 いくら後悔しようが懺悔しようが許しを請おうが、後戻りはできない。
 僕に人殺しの烙印を押されてしまったのは、どう足掻こうとも変えられない事実だ。
 人の生命を奪ったことによって、栄光の道は消え去り、僕の人生のなにもかもが崩壊してしまった。
 厄介なのは、破滅したとして、僕は生きているということだ。
 これなら僕が殺されてたほうがまだよかったと、転がっている死体を見ながら思っていた。
「死んでくれたのね。これで夫の忌々しい顔を見ないですむ。罵倒だって聞くことはない。暴力に苦しむ毎日はもうなくなったの。わたしは解放された。自由になったのよ!」
 背中から声がした。彼女はソファに手を置いて、自分の夫だった死体を興奮状態で見つめていた。
「そうだね。終わったんだよ。君は亭主の束縛に苦しむ必要がなくなった」
「信じられないわ。あれだけ気性を荒くして、あんなに私を殴ってたのに、死ぬときはこんなにあっさりだなんて!」
 彼女はドメスティックバイオレンスに悩んでいた。ネットで知り合った僕に相談を乗るうちに、不倫の関係に走ってしまった。それが夫にバレて、今日のような事件となったのだ。ドラマとしては良くある展開だ。ありきたりすぎて退屈になる三文ドラマであったが、現実で起ころうとは思いもしなかった。
「君は開放されて良かっただろう。僕はそうじゃない。その代償として、全てを失ってしまったんだ」
「私だって同罪よ」
「いいや。君は殺していない」
「殺したわ。私と貴方の二人で彼を殺したのよ」
 あはははははは、と彼女は狂ったように笑い出した。
 CDプレイヤーのスイッチを押して音楽を再生させる。
「踊りましょう」
「こんなときに?」
「こんなときだからじゃない。今日ほど素晴らしい日はないわ」
 彼女は両手を広げて近寄ってくる。僕はその手を取った。
 観客の死体に見られながら、僕たちはダンスをする。
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