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1000文字小説 作者:折坂勇生
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47・母の味


 五年前、母を癌で亡くした。
 私が結婚式を挙げて1ヶ月後のことだった。
「娘の晴れ舞台を見届けて、母としての責任を果たしてからこの世を去ったんだ、お母さんは幸せ者だった」
 父と会うたびに、お約束のように聞かされるセリフだ。
 定年退職をした父は、アメリカ、フランス、ドイツなど方々を旅するようになった。初めの頃は、パッケージツアーでの観光だったけれど、制約が多くてつまらない、もっと自由に世界を見て回りたいと個人旅行をするようになった。
  私は、旅行を連れてって貰った記憶があまりない。あっても、つまらなそうな父の顔が脳裏に浮かんでくる。
 だから、父は旅行嫌いだと思っていた。
 母は海外旅行に憧れていたのに、父が嫌がるものだから、一度として日本から出たことがない。
 元気のときに、連れてってあげたら良かったのに、と不満があった。
 父は長い時は一か月も旅をする。私が止めても言うことを聞く父ではない。
「心配するから、三日に一度は連絡すること」
 私の頼みは律儀に守り、旅先から風景の写真と一緒にメールが送られてくる。
「バイエルン国立歌劇場、マクベスを観賞」
 といった手短な文だけど、日本にいるより音信は多かった。
 母の命日に、父はインドから戻ってきた。墓参りをして、私の家にやってくる。
 三日ほど、泊まることになっている。
 夕飯になり、出来上がった料理を運んでいると、
「おまえが料理するなんて信じられない」
 と父に笑われた。
「少しはお母さんの味に近づいたんだから」
 私は母の手書きのレシピを参考にして、いつも食べていた味を思い出しながら作っている。
「料理なんてどれも同じだろ」
 バカにしたように箸を手にする父に、食器を投げつけたい衝動がわいてしまう。
「おじいちゃん泣いてるよ」
 だけど、使用した鍋を水につけているとき、息子がズボンを掴んでそう伝えた。食卓に戻ってみると、声を殺して泣いている父の姿があった。
 隣の席にいる夫はオロオロと戸惑っている。
 料理に口をつけたら父は黙り込んで、急に泣き出したとのことだった。
 母の料理を意識して食べたことのない父だ。だけど、口にしたとき、いつもの味に、懐かしさが込み上げてきたのだろう。
「お母さんの味、思い出した?」
 嗚咽したまま大きく頷いた。
 テーブルの下に一枚の写真が落ちていた。母が写っていた。いつも持ち歩いているようで、ボロボロになっている。
 父は、お母さんと一緒に旅行していたんだと気付いて、胸が熱くなった。
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