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1000文字小説 作者:折坂勇生
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30/82

30・彼女と過ごしたあの列車(1500文字)

 夕焼けに染まった午後六時十八分の停車駅。彼女はいつも三両目の車両の二番目のドアから入ってくる。
 四駅先で降車するまでの十二分間。
 僕と彼女のデートの始まりだった。
 彼女はドアの端にある手すりに寄り添って、ネックレスのようにぶら下げたiPodで音楽を聴きながら、英語の単語帳を静かに読んでいた。手前にある長いすの隅っこに座っている僕は、夕陽の色をあびた彼女の綺麗な横顔を、こっそりと見つめていた。
 魔法のような十二分間。
 一方通行のデート。
 永遠に続いて欲しい、できるならば時間を止めて欲しいと願ってしまう幸福なひとときだ。
 彼女の存在を知ったのは一年近くも前だ。七時からのバイト先に向かう電車の中で、お喋りをしてる女子高生たちの輪から彼女を見つけたのだった。ショートカットの髪に丸みのある顔立ち。
 他の子と違って、周りの乗客に気を使ってトーンを落としながらも、大きな笑顔でお喋りをしていた。
 一目惚れだった。
 体中に電流が駆け抜けて、時が止まり、彼女以外のなにもかもが見えなくなった。これほど激しい感情が襲ったのは生まれて初めてだった。過去に体験してきた恋のすべては、ままごとのようなものだとショックを受けたほどに。
 あの日から僕の心は彼女しか住んでいない。
 彼女の名前は美希と言った。高校二年生で、手芸部に所属していて、編み物をするのを趣味にしている。成績は中間よりもちょっとだけ上で、苦手な科目はないけど、とりわけ得意なのがあるわけでもない。運動は得意だが、汗をかくのは嫌っている。お父さんは弁護士で、お母さんは華道の先生。兄弟は、姉と弟が一人ずついる。
 恋人はいない。毎日が忙しくて、作る暇はなかった。
 だけど、片思いの男の人はいる……らしい。
 友達との会話を盗み聞きすることによって、知ることが出来た美希の情報だ。一つ、一つ、知るにつれて、彼女がどんな生活を送っているのかと想像できて、嬉しさが込み上げてくる。
 だけど、美希は僕の事をなにも知らない。毎日のように電車で会っていようとも、僕はずっと電車の中の風景の一人でしかなかった。いつまで経っても、見も知らずの他人のままだ。
 それでもよかった。僕は、美希と同じ車両を過ごすだけで幸せだったから。
 そんな僕に人生の転機がやってきた。
 バイト先の店長から、正社員にならないかと勧められたのだった。
 一年間働いてきたホテルのバーだったが、そこの社員になる事は夢にも思っていなかった。バーテンの仕事を続けて来れたのは、美希の乗る電車で通勤できるという理由しかなかった。
 幸福な時間を過ごした後だからこそ、仕事も楽しくなって、それが店長の目に止まったのだろう。
 願っても無いチャンスだ。だけど、社員になると、出勤時間が早まるので、美希に会う機会が減ってしまう。
 それは僕の天国を失うこととなる。
 電車の中。美希はいつもの場所で、静かに文庫本を読んでいる。
 僕は意を決して、彼女の前に立った。
 彼女は文庫本から目を放して、僕の顔を見つめた。一年近くもの片思いから初めて、僕たちの目線が合わさった。そしてお互いに逸らすことなく見つめ合う。
 美希はイヤホンを耳から外した。
「いきなり声をかけてごめん。君に言ってほしい言葉があるんだ。がんばってって、そう僕に言ってほしい」
 見知らぬ他人の突然の願い。だけど美希は嫌がらなかった。
 それどころか、優しい表情を浮かべていた。
「がんばってください」
 エールを送るように、にっこりと微笑んでくれた。
「ありがとう」
 電車がプラットホームに入ってドアが開かれた。仕事先のある駅だ。僕は礼を言って、電車を降りていった。
 嬉しさのあまり走り出した。僕はがんばれる。自分の夢を叶えていこう。
次話の
『彼と過ごしたあの列車』とセットです。A面。
両方あわせて3000文字となります。

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