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この小説に関して注意を。

1.とにかく長い。

2.二人の人間の一人称(章によってはまた別の形態)なので、視点がころころ変わる。

3.文章が回りくどい。

以上の3点など気にもとめないぜ!という方のみお読みください。あるいはそういうのが主食だ!という方もぜひどうぞ。ちょっとでも面白いと思っていただけたらその旨を感想・評価などしてもらえば作者はきっとにんまりとします。

「これから読むんで」とか「とりあえず飽きた」とか、そういう一言でも全然オッケーでございます。

ただ、一部ごとが長めなので、なるべくPDFで読むことをおすすめいたします。
箱に願いを
作:草壁蒼司



序章 『心』 ― One’s world in the box ―


 どこかで蝉の鳴く声が聞こえる。
 儚くて、それでも精一杯の夏を叫ぶように、遠く、近く。喧騒と呼ぶにはささやかな、しかし静寂とは似ても似つかない合唱。耳を傾ければそれだけで今が夏なのだと実感出来る、誰しも思い描く風物詩。
 もちろん、熱に踊るのは虫だけに限らない。
 木々の葉は青々とその身を日光に晒し、己の保存と成長に余念がない。一年で最も力強く自らを育む空の贈り物を無限に甘受し、時折ざわめくのは風の悪戯か、それとも彼らも夏という季節に打ち震えているのか。
 熱気はどこまでも加速していく。
 正午を過ぎれば現金なもので、太陽という支配者が天蓋に座するこの時に媚び諂うよう、半年もすればそれを忘れるというのに、ただ今を主張せんと追従する気温という従者。ああ、忘れてはいけない。湿度という名の従者もまた、この季節には首を揃える。三者が一堂に会するという現実はえてして不快の代名詞に過ぎないとは言っても、彼らも自分達が十二分の高みで生きられる時間を心得ているのだろう。
 8月の頭。夏の頃。その季節を最も痛感するこの時間帯。学生ならば夏休みを謳歌しているだろうか。社会人とて十人十色の過ごし方があり、往々にして人々はそれでも熱気になど負けぬよう、せわしなく毎日を生きている。何かに焦っているのか、焦りを知りたいのか、無為を好むのか、無為が怖いのか。人それぞれの思いと悩みを抱えながら、しかしどことない開放感を胸に抱いて。

 そしてそれは―――ここに居る僕だって例外じゃないわけで。

 夏の空気を胸一杯に吸い込めば、それは確かに大きな勢いとなって前向きの力になるような気がする。
 僕も倣ってみようか。
 吸う、吐く。吸う、吐く。
 吐息だけでも夏は実感できるものだと、結構見落としがちな真理を感じていたり。
 ふと頭を傾けて見上げれば突き抜ける蒼穹。雲一つ、鳥一羽もそれを妨げることはない。果ての無い世界を夢想出来るくらいに広がる、僕らを抱く蒼。それはどこまでも作り物めいていて、今が夏であろうとこれから訪れるいつかが冬であろうと、変わらずそこに存在する。
 でも僕らは空に焦がれる。空を空想する。そこへ行きたいと願う。あの蒼に包まれたらどれほどの高揚を得るのか。あの蒼に浮かべたらどれほどの世界を見られるのか。
 変わらぬ青空は、願いの象徴でもあるのだ。
 日々の退屈を厭いながらもどこかで誰もが求める、平穏の蒼。
 そんな夏の空に守られながら、僕らは今日を歩む。
 視線を下ろす。
 ここから眺めるのは、三年前と何一つ変わらない景色。
 あの古びた時計塔も、この木のベンチも、そして他ならぬ僕も、少しだけ年を取り、でも面影を捨てないまま、あの時と同じ夏のこの日に再会を果たした。
 こうしてベンチに腰を下ろして容赦のない陽射しを浴びていると、あれこれと思い出す。
 ―――この場所で初めて、彼女と。
 それはきっと言うに憚るくらいに幼稚で、お互いに余裕もなく、彼女にしてみれば顔を赤くして否定されてしまうような、どこまでも子供じみたデートだったのかもしれない。
 それでも僕達は、ここから始まったんだと思う。
 あの日、ぎこちないながらも共に歩いて、話して、少しだけその距離を縮めた。
 単なる日常の一場面でしかなかったけれど、僕達はきっとああいう関係で居ることが何よりも性に合っていたんじゃないかと今にして思う。
 二人とも待ち合わせの時間より早く来て戸惑ったり。
 見慣れない映画についてあれこれ感想を言ったり。
 束の間だったけれど、ほんの一瞬だったけれど、そんな何でもない平和な時間を、確かに噛み締めることが出来たあの日。
 そして。
 ―――日常が非日常へと移り変わった、あの日。
 僕達が夢にも思わないところで進行していた、そしてそれは結局僕達が見ないようにしていただけの、実際には一歩外に踏み外すだけで邂逅していはずの、闇。
 日光さえ照らしきれないような暗闇の中を彷徨って。
 右も左も分からず、無様なくらいに四苦八苦して。
 だけど。
 何だかんだと言ってこうしてまた、同じ景色に出会えた。
 それはきっと価値のあることだ。
 当たり前を当たり前と思えるという、そんなどうしようもなくありふれたことが。
 僕と、そして誰よりも彼女が望んだセカイが目の前に広がっているということが……何よりも。
 そう考えれば、何の変哲も無いこの場所だって、宝石みたいに輝いて見えてくるというものだ―――
 そんなことを思いながら、僕はずっと小脇に抱えていた荷物を取り出した。
 それはごくごくありふれた一冊のノート。
 新品とは程遠い、よくよく使い込まれたという感じがする、普通の……日記帳。
 もちろん、これは僕の書いたものじゃない。僕は元々日記など長く書き続けることの出来ない性格―――そしてそれは彼女にも指摘された―――だし、何より自分で自分の日記を読み返したところで過去が覆るわけでもない。
 その事実は例え誰の日記であったところで変わらないが、しかし歴史は同じでも刻まれた想いを汲むことは出来る。
 ふと無意識に顔が綻ぶ。
 はて、日記というものの本質は心の記憶だと言ったのは誰だったか。
 すらとぼけたって、声が返ってくるわけじゃない。
 でも僕には少しだけ照れたようにそっぽを向く美しい顔がはっきりと目に浮かぶようだった。
 少しだけどきどきする。
 この日記帳が送られてきたのは昨日のこと。
 だからまだ中身には目を通していない。
 どうせ読むのなら今日が相応しいと思ったからだ。
 僕達が最も大事な約束をしたあの日からきっかり三年経った、今日という日が。
 ふと時計を見やればまだ、時間はある。
 それを確認してから、少しだけ躊躇って、日記帳の最初の一ページ目を開いた。
 紙の擦れる音が鳴り、露になるのはいつかの想い。
 正直に言えば、少し気恥ずかしい。
 が、それは向こうだっておあいこなのだから、僕が文句を言う筋合いはないのだろう。
 そこには彼女らしい流麗な文字で、他の誰でもない彼女自身が綴られていた。
 一番初めのページは6月頃の日付になっている。この頃はまだ僕は彼女に出会っていない。彼女の想いもまた、僕には予想することさえ出来ないものばかりだ。
 そうして1日また1日と、長い間一人が抱えるだけに過ぎなかった記憶を辿っていくと、ある日を境に僕にも見覚えのある出来事が登場し始める。その最初のページの日付は、7月8日となっていた。
 他人の日記でありながら僕に覚えがあるのも当然、これはとある偶然が招いた僕達の出会いの日だ。初対面という言葉で飾るに足る、全くの最初の日。姉貴あたりに言わせれば隠れようの無い必然とかいうことになるのかもしれないが、僕にすればやはりこれはほんの偶然で、ちょっとした因果が交わったというだけの、本来ならそれだけで終わってしまうはずの、いつもと僅かに違うだけの日だった。
 そこには、こんなことが書いてある。


『7月8日
 今私はいつもとは異なり入院しながらこの日記を書いている。入院と言っても検査入院だが、やはりいつ来てもこの病院という建物は好きになれない。消毒液の臭いなんかもそうだが、やはり私のように〈違う〉性質を持つ人間からしてみれば、忌避すべき潔癖さなのだろう。
 今日について最も語るべきは、不愉快、という言葉が全てだ。
 恐れていた事が現実になってしまった。しかも一気に二つだ。
 一つ。麻美に対して殺意を持ってしまった事。今まではこんな事はなかったのに。やはり私は……いや、あえてここには記すまい。それでも私は生きたい。きっとそれだけで十分だ。それに私がどれ程罪悪感を持ったところで、当の麻美本人はそんな事を知る由もないし、知ったところできっと何も変わらない。ふうんと一つ頷いて、いつも通りに笑顔を向けてくれる。そんな気がする。
 二つ。私のこの性質について感づかれた。別段私の不覚というわけでもないのだが、何だか悔しい。
 それにあの……鳴上恭司なるかみきょうじという男は、どこまでも不愉快な男だ。
 馴れ馴れしくて、突然現れたかと思えばあの瞳は何と言うかこちらを見透かしているかのようで。私という人間に勝手に干渉し、勝手に心配し、勝手に説教をする。そんな得体の知れない男。でもよく分からない。もどかしいのだが正体が掴めない。言いようのない強制力というか、そういったものを感じてしまう。
 好き勝手に言うだけ言って、私に釈然としない想いなどさせて、本当に不愉快だ。
 ―――あんな奴、出来れば二度と会いたくない』


 あ、まずい。読みながらにやけてしまった。
 ふと顔を上げて周囲に目線をやる。特別僕に対して不審な目を向けている人はいない。ふう、セーフ。いやもしかすると見て見ないフリをしているだけとか……いや、まあいいか。
 それにしても、初対面だというのに随分と嫌われたものだったんだなぁ。そりゃまあ不躾だったというのは認めるし、あんなことの後だから普通の感想ってわけにもいかないんだろうけど……何だか僕がもった印象とは全く正反対だ。何せ二回も不愉快って言われてるし。
 ふーん、なるほど、ね。
 とりあえず読み進んでみると、次に僕の記憶に触れるのはその二日後だった。


『7月10日
 嫌な予感が的中した。
 昨日退院後の後処理を色々とした時に恭司が言っていた馬鹿げた妄言が現実になった。頭を抱えるしかない。一体あの男は何を考えているのだろう。相変わらず馴れ馴れしいし、これで定期的に顔を合わせなければならなくなったわけだ。正直そこまでやるかと言いたいくらい。まあ、言ったところであの男が考えを改めるとも思えないが。
 今日の騒ぎにしたってそうだし、絶対普通じゃない。私が言うのもなんだが、普通じゃない。
 ただ……私の事をよく観察している、という事だけは褒めてもいい。的の外れた事は言わないし、気遣いは素直にありがたいとは思う。だがそれだけだ。本人には言うまい。思い上がるに違いないからだ。
 それと、血は争えないというか、あの男の姉も姉で得体の知れない。一体どうしてこんな面倒ばかり起こるのか。
 私は……普通に生きていたいだけなのに』
 

 最後の一文には、彼女の想いの全てが詰まっていた。
 それはきっと生まれた時から何度も何度も繰り返し心の中で唱えた願いに違いなくて。
 だからそんな彼女を、そんな彼女のセカイを、僕は守りたいと思ったのだ。
 うん、と頷く。その考えは今も変わっていない。
 ……それからしばらくは目立って何事もなく、どんな本が面白かったとか、麻美ちゃんとどこそこに行ったとか―――そしてたまに僕の名前が挙がるくらいの、いたって彼女らしい簡潔な文章が続く。
 そして、その日がやって来る。
 最後の平穏。
 最初の不和。
 裏返したコインみたいな関係の、本当にすぐ傍に合ったセカイとの接触。
 無意識にノートを持つ手に力が入り、暑さではない何かによって、掌が汗ばんでいく。
  

『7月24日
 良い事と、悪い事がある。
 今日という一日を振り返れば、途中までは間違いなく前者に属し、終わってみればきっとそれは後者に区分されてしまうのだろう。
 ……本当は、今日は日記を書くような気分ではない。だけれど私が培った習慣は勝手に生活の一環としてこの作業に馴染んでいて、知らず知らずのうちにこうして筆を取ってしまっているのだ。
 こんな事をしている場合ではないというのに。
 それでも、もしこうしている事に意味が在るとしたら……いや、それは甘えというものだ。訂正しよう。こうしている事に意味づけをするなら、だ。
 私は試されているのだ。
 自分でも馬鹿げた考えだとは思うが、そう考えてしまうのだから仕方が無い。天秤の針が左右に触れるように、日常と非日常の境に立って、私がどういう決断をするのか。どういう決断をするべきなのか。その岐路に立っているような気がするのだ。
 私という人間と、狂気という性質。
 持って生まれたモノと、培われた意識。
 ……駄目だ、分からない。
 私は縋りたいのか、突き放したいのか。
 決して孤独が好きなわけじゃない。でももし今日みたいに、あんな無様な事になるのであれば。
 私は、独りでいるべきなんだろうか。
 恭司と居た時間は確かに私の求めたもので、きっと贔屓目に見ても理想に近いと言っていいものだった。垣間見た本音はどこか眩しくて、私には手の届かないくらいに綺麗なもので、それでも恭司は私を普通の女の子と呼んでくれた。
 そんな幻想を壊したくないのなら。
 結果を先送りにしては、いけないとは思う。
 でも……やはり今はそんな重大な事に結論を出すような精神状態じゃない。
 気になるのはたった一つだ。
 ―――麻美。
 貴女は今、どうしているの?』


 何だか随分と読み耽ってしまった。さほど時間は経っていないはずなのだが、何だか前を行く人通りの様子も多少変わってきたように思える。
 ふう、と一息吐く。
 ここに収められている出来事のいくつかは僕も体験したことであり、そして当然だが彼女が体験した想いの全てだ。
 本当なら僕などには知る由もなかった、ありのままの彼女の感情、思考。
 興味は尽きない。
 だが興味だけで読んでいいものじゃない。
 これを読むということは、彼女に触れるということ。
 だから、焦らずにいこう。
 僕だって抱えている想いくらいはある。そもそも意味のない比較だけど、それは彼女のそれにだって引けは取らないと思う。
 だから、真っ直ぐに応えよう。
 一つ一つにしつこいくらい相槌を打って、時には反発して、時には感じ入って、時には涙して。
 だから―――


 季節は巡る。
 閉じた輪っかのように、しかし端のない紐のように、同じようで少しだけ違う明日を繰り返して、螺旋を描いてどこかへと続いていく。
 今日は、いつかの夏の、もう一つの世界。
 それはやっぱりどこまでも夏で。
 しかしあの時の夏とは決して相容れない。
 暑くて、少しでも歩けば汗まみれになって、日陰に入ればそれだけで些細な幸せに浸れて、太陽が眩しくて、家の中にはいられなくて、何かをしたくて、どこかに行きたくて、誰かと会いたくて、そんなそんな、当たり前の夏が。
 僕は大好きだ。
 彼女と出会えた夏が。
 そして、
 ―――僕の前から彼女を攫っていった夏が。


 太陽は僕達のことなんてお構いなしに、まだまだこんなものじゃないぞと不敵に笑うかのように、燦々と輝く。
 あの時と同じようで違う景色に埋もれながら。
 僕は彼女の想いを一つずつ、紐解いていく。
 その、月城七瀬つきしろななせという少女が感じた全ての物語を。












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