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scene_14 「良かった」
 静まりかえっていた。
 だれも声を発しない。
 羽島万太は、小亜羅を見た。呆然として、ただ立ち尽くしている。
 メガネを押さえた。
 自分にも、すべきことがある。役割を、まっとうしなければならない。
「確認、しないのですか」
 静かに問うと、小亜羅はひどくゆっくりと、首をこちらに向けた。大きく見開かれた瞳は、まばたきを忘れてしまったかのようだった。表情は動きを止めている。
「……確認?」
 その口が、やっと声を発する。
 万太は静かにうなずいた。
「確認です。これがあなたの望みでしょう。あの勢いならば、花ノ宮町から出たはずです。そうなればナノカさんは、ただの女子高生だ。この高さからでは……」
「やめて!」
 小亜羅が叫んだ。憎しみのこもった目で、万太を睨みつけてくる。
 どうして睨まれなければならないのか、まったくわからない。万太は彼女がいつもそうするように首をかしげる。
「なにか? あなたの目的が達成されて、喜ぶところでしょう」
「ちがうわ。こんなことが目的じゃなかった。最後にはナノカちゃんが勝てば良かったの。ナノカちゃんはあきらめないもの。絶対あきらめないって、知ってるもの……!」
「あきらめなかったんですよ」
 本当にわからないのだろうか。苛立ちながら、万太はそれでも丁寧に、いってやることにする。
「ナノカさんはあきらめなかったんです、あなたを」
 だから、自分よりも小亜羅を優先させたのだ。
 それだけのことだった。
 わからないはずがないのだ。目を逸らしているのだろう。それでは、なにも変わらないのに。
「……認めないわ」
 性懲りもなく、小亜羅はそういった。風をまとって、浮き上がる。
 万太が駆け寄り、彼女の腕をつかむ。小亜羅はちらりと万太を見たが、止めなかった。万太もろとも宙を移動し、ナノカが空けた穴から、外へ出る。
 万太は景色を観察した。高校は後方に見える。城がある位置自体は、まだ花ノ宮町の上空のようだった。
 前方に川。消して広くはない、小さな川だ。その川までが、花ノ宮町だった。
「川より向こうなら、隣町です。ナノカさんがどこにいるのか、見えますか」
 いわなくても知っていただろうが、そういって小亜羅の様子をうかがう。
 小亜羅は答えない。
 しかしすぐに、息を飲むような悲鳴が、彼女の口から漏れた。
 急降下していく。
 万太にも見えた。
 川の向こう側、河川敷公園に、横たわる少女。
「ナノカちゃん」
 着地し、小亜羅が駆け寄っていく。
 遠目にも、わかった。
 ナノカの下に、赤い池。
 血だまりのなかに、倒れているのだ。
 万太は自らの胸を握りしめた。本当は、すぐにでも駆け寄りたかったが、懸命に耐える。
 見届けなければならない。
 悪将軍の、結末を。
「ナノカちゃん……?」
 小亜羅が、呼びかける。返事をすると思っているのか、ただすがっているだけなのかはわからない。
 万太は意識的にゆっくりと、ナノカに歩み寄った。うずくまり、口元に耳を寄せる。指先を首筋にあてた。鼓動を感じ取ろうと、そのまましばらく、待つ。
 そうして、首を左右に振った。
「嘘」
 小亜羅が、膝をつく。
「嘘だわ。ヒーローだもの。そんな簡単に、死んだりしないわ。だってまだ、これから……」
「簡単だと思うんですか!」
 万太は思わず、吠えていた。
 簡単などという言葉は、口にして欲しくなかった。ナノカだけではない、いったいどれだけの人間を巻き込んだのか、わかっていないのだろうか。
 学校関係者全員を不安に陥れ、大半を城へ拉致したのだ。本人たちだけではない、その家族たちや、関わった人々すべてが、どんな思いをしたことだろう。
 まちがっても、『簡単』ではないはずだった。
「わかってるわ……」
 小亜羅の声が、かすれる。
 堪えきれなくなったように、目を閉じた。涙があふれ出ていく。
「ごめん……ごめんなさい、ナノカちゃん……ごめんね、ごめん、本当にごめんなさい」
 涙は止まらなかった。もう聞こえていないことはわかっていただろうが、それでも何度でも謝り続けた。
「こんなつもりじゃなかったの……こんなふうにしたかったんじゃ、なかったの」
 動かなくなってしまったナノカに、顔をうずめる。そのまま、子どものように、泣きじゃくる。
「うあぁぁん!」
 しゃくり上げ、声をあげ続けた。何度も何度も、まるで泣くことで罪を洗い流すかのように。
 万太は、深く、息を吐き出した。
 今の彼女の気持ちなら、手に取るようにわかった。
『後悔』。
 成功だ。
「……えへへ」
 ナノカが、笑みをこぼす。
 弾かれたように顔を離し、小亜羅がナノカを見た。
 呼吸も脈拍も確認していたが、万太も胸を撫で下ろす。あらかじめ、計画していたことだった。もちろん、発案したのも、城にある食材を使って血糊を作り、持たせておいたのも万太だ。
「生きてる……じゃない」
 単純な計画だ。
 小亜羅が悪将軍になるのと引き替えに失っている心が『後悔』だということは、J・Jの言葉からわかっていた。あとはそれをどうやって取り戻させるか。
 まずは、無抵抗で攻撃を受ける。
 それでもだめならば反撃し、追い詰められた小亜羅が城を動かすのを待つ。
 城が町から出るところで、自ら落下する──もちろん、花ノ宮町へ。着地してすぐに町の外へ出て、あとは血糊をぶちまけてその上に倒れ、死んだふりをする。
 とはいえ、実践するのは困難だった。
 すぐに追ってこられれば、それだけで台無しだ。ヒーローだからといって、城から落ちても平気だという確証もなかった。一番苦労したのは、どこからどこまでが花ノ宮町なのかを正確にナノカに覚えてもらうことだったかもしれない。彼女はとにかく、物覚えが悪いのだ。
 万太は、空を見上げた。
 城の輪郭が、消えようとしていることがわかった。悪将軍としての力がなくなったのだから、当然だ。なかの生徒たちはどうなるのだろうと不安に駆られるが、消えゆく城の光に包まれるようにして、ゆっくりと降りていくのが見えた。まだ気を失っているのか、人影が動く様子はない。ひとりだけ、フリルエプロンの人物がなにかを叫んでいるようだったが、さすがに聞こえてはこない。
「だましたのね……」
 小亜羅の声が、震える。
「うん、ごめんね」
 ナノカの声にも、覇気がない。町を出てしまったことで、町のなかでは平気だったダメージが襲いかかっているのだろう。それも予想していたことだったが、我慢してもらうほかはない。
 小亜羅は、ナノカに抱きついた。
 止まっていた涙は、もう一度溢れ出していた。
「良かった──!」
 万太はメガネを外して、空をあおぐ。
 これで、終わったのだ。
 とりあえずは……──
 ──たぶん。





 ***





 悪将軍事件から、一ヶ月。
 花ノ宮町には、以前と同じような平穏が訪れ──
 ては、いなかった。
「とりゃ────!」
 叫び声とともに、ナノカがトラックを持ち上げる。
 あわや下敷きになりそうだった少年は、「ありがとう、美少女ヒーローナノカ!」と礼を叫んで走り去っていった。ナノカは何事もなかったようにトラックを道路上に戻し、額の汗を拭う。
「危なかったねー!」
 ごく軽くいった。万太は痛む頭を押さえる。
「もう少し交通量が多かったら、よけい大事件になるところでしたよ! 考えてから行動してくださいと、いつもいっているではないですか」
「ええ、考えたよ、考えた」
 ナノカの返事はあまりにも簡単で、本当に考えたのかどうかはなはだ怪しい。おそらくは考えていないだろうことがうかがえる。
 小亜羅が悪将軍ではなくなったとはいえ、依然として、ナノカはヒーローのままだった。
 ヒーローとしての心も取り戻したナノカがおとなしく日常を過ごすはずがなく、ご町内ヒーローとして大活躍の日々だ。万太は生徒会長として、引き続きナノカの監視およびアドバイスを欠かさない。
「なれなれしいわ、イヌ!」
 そこへ、リムジンに乗った小亜羅が颯爽と現れる。今日はもともと、ナノカと小亜羅のデートの予定だったのだ。二人でショッピングということらしい。
 万太が居合わせたのは、まったくの偶然だった。昨日学校でデートの話を聞いたから、それとなく待ち合わせ場所周辺でうろうろしていた──というわけではない。決してない。
 電柱のうしろでビデオカメラを構えている変態がちらちらと視界に入るが、まちがってもあれと同じではない。万太は心のなかで断言する。
「こあらちゃん! あのね-、偶然万太くんに会ったんだよ。せっかくだから、一緒に行こうか」
「いやよ、どうしてこのイヌと」
 小亜羅は前にも増して辛辣だ。完全に敵認定されている。
 しかし万太は、くじけなかった。
「せっかくなので、ご一緒してもいいですか」
 ぐいぐい押していく。あからさまにいやそうな顔をして、小亜羅が腕を組む。
「どうして? 二人でデートなの。割り込まないでいただきたいわ。あなたがわたしよりもたくさんナノカちゃんを愛しているというのなら、考えないでもないけれど?」
 本当だろうか。むしろ余計に邪魔者扱いされるのではないだろうか。
 小亜羅のこのいいかたには、もう慣れていた。そういえば萎縮して、なにもいい返せないと思っているのだろう。実際、いままではそうだったのだ。
 しかし、今日の万太は、ひと味ちがった。
 意を決していた。
 この一ヶ月、ずっと、いおうとしていることだった。今日こそはと、腹に力を込める。
 ナノカがヒーローとしての力をもう一度欲したときに、決めたことだった。あのときには止めることができなかったが、その代わりに、自分にできることがあるはずだった。
 否、やらなければならない。
 ぜひ、したい。
 それこそが、万太の使命だと感じていた。
「ナノカさん」
 小亜羅の身体を丁重に押して、どいていただく。ナノカを正面から、見る。
「なになに?」
 ナノカは純真そのものだ。万太は息を飲んだ。勝負所だ。決してどもらないようにと、自らにいいきかせる。
「あ、あなたの恋心は、必ず僕が取り戻して、みみみせま……」
「ナノカちゃん、大変! 虹色の猫が空を飛んでいるわ!」
「え、どこどこ!」
 小亜羅の声に、ナノカはあっさり首をまわす。
 空飛ぶ虹色の猫。
 そんなわけのわからないものにすら、勝てない自分。
 万太はうなだれた。
「……ナノカちゃんをどうこうしたかったら、わたしとお兄さまの屍を越えて行きなさい」
 ドスのきいた声で、小亜羅が囁いてくる。
 万太は想像した。
 小亜羅とヒロシがタッグを組んで敵にまわったら、まず勝てる気がしない。
「それだけじゃないわよ。あれからJ・Jの再捕獲のため、三ッ山家が総力をあげてこの町中を捜索したのだけれど……」
「J・J?」
 万太は思わず反応する。J・Jのことは、気になっていたのだ。商売だといいつつも、結局のところナノカに協力してくれたJ・Jに、一度は礼をいいたいと思っていた。
 J・Jが封印されていた家というのは、三ッ山家のことだったらしい。十二年前、ナノカに喜んでもらいたいという一心で、小亜羅が封印を解いたのだという。J・Jにそれとなくほのめかされたときに、そういうことなのだろうと万太は予想していたが。 
「J・Jが、どうかしたんですか」
 問うと、小亜羅はにやりと笑った。かつての悪将軍らしい、意地の悪い笑みだ。
「逃げられたそうよ。野中ナノカという人間に興味があるから、彼女の人生が終わるまでは捕まるわけにはいかない、って」
「────!」
 万太は息を飲んだ。なんという意外なライバル。
 いもしない虹色の猫を必死に探すあの馬鹿そうな──実際にそこそこ馬鹿な──少女の、いったいどこがいいのだろう。
 と、自分にも問うてみる。そして頬を染める。
「ねえ、こあらちゃん! いない、いないよ!」
「あら、変だわ。たしかにいたのに……」
 白々しく、小亜羅が首をかしげる。しかしそれを疑わないのが、ナノカだ。
「あたし、ちょっと探してくる!」
 ナノカは左手を引き、右手を突き上げた。
「とう!」
 叫んで地面を蹴りつける。
 飛んだ。
 この一ヶ月で、ナノカはとうとう、空まで飛べるようになっていた。
「デート、あとでねー!」
 叫び声が、だんだん遠くなっていく。
 いったい彼女は、どこまでいってしまうのだろう。
「平和って、いいわねえ」
 その様子を微笑みながら見守って、いったいどの口がいうのか、平然と小亜羅がいう。
 万太はメガネを押さえた。
 ……これは、平和か?
 思わないでもないが。
「そうですね」
 あたたかい日差しに目を細め、そう答えた。














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