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キューピッド

作者:杉浦絵里衣
 とある都市の雑踏の中、ひとりの男がたたずんでいました。
 ナカムラさんという名の彼は、よれたスーツを着て手にはアタッシュケースを下げた、一見するとどこにでもいる中年サラリーマンといった風体でした。
 ですがこの説明は、「もし彼を見ることが出来たならば」という仮定のもとに成り立っています。
 なぜなら普通の人間には、ナカムラさんの姿が見えないからです。
 そんなわけでナカムラさんは、青信号の交差点のど真ん中で、誰にもぶつからず悠々と立っておりました。



 ナカムラさんは仕事中でした。
 今日の予定が書き込まれた手帳をチェックしつつ、忙しく行き交う人々を眺めています。
 ふと、彼のメガネがきらりと光りました。
 その先には、肌もあらわな若い女性がメールを打ちながら歩いていました。危ないことに、女性の視線は携帯のディスプレイに釘付けです。
 ナカムラさんはしばらく女性を見つめていましたが、ふいに前方へ視線を投げました。
 やがて人々の間をすり抜けるように、若い男性が自転車に乗ってこちらにやってきました。この男性もまた携帯電話に夢中で、片手運転のため前輪がふらついています。
 ふたりがすれ違う寸前、ナカムラさんは指を鳴らしました。
 すると突然男性はバランスを崩してよろけ、ふたりは接触してしまいました。
 女性は軽く跳ねとばされ、男性は片足を地面につけました。男性があわてて尻もちをついた女性を助け起こしています。
 ナカムラさんはおもむろに、左手でメガネのつるを持ち上げました。
 するとレンズに男性と女性を結ぶ線があらわれ、ある数字が浮かび上がりました。
 数字は“78%”と出ています。
 むろん、これはナカムラさんのかけたメガネに浮かんだもので、彼にしか見えません。
 数字を確認すると、ナカムラさんはにやりと笑いました。
 この数字、ナカムラさんやその同僚たちは“確率”と呼び、ノルマ達成の目安にしているものなのです。
 女性を助け起こした男性は、彼女を一瞥し「お詫びにお茶でもおごるよ」と声をかけています。かたや女性は怒ることもなく、男性の誘いに乗り気な表情を見せています。
 ふたりはナカムラさんの読み通り、そして“確率”通り、うまくいきそうです。
 ナカムラさんは予定外のノルマ達成に、満足そうに手帳に書き込みをしました。



 横断歩道を渡りしばらく歩いていくと、今度はスーツ姿の男女ふたり組がやってきました。
 女性の方が先に立ち、その少し後ろからやや若い男性が足早についてきています。
 ふたりはなにやら言い合いをしているようです。興味を引かれたナカムラさんは、彼らの会話に耳を傾けました。
「ヨシザワ先輩、待ってくださいよ」
 男性はヨシザワというらしい女性を引き止めてはいますが、口で言うほど困ったようすではありません。
 一方、先に立つ女性は、
「別にあたしは行かなくてもいいじゃん。引き継ぎはもう終わったんだし、オオノくんひとりで行ったら」
と、突き放すような口調で言いました。
「それはそうですけど、先方に担当交代のあいさつはやっぱしとかないと。先輩、新人研修のときに俺にそう教えてくれたじゃないですか」
「…………」
 その言葉を聞いたヨシザワさんは、ぴたりと立ち止まりました。
 ようやく追いついたオオノという男性に向かい、
「なによ、エッラソーに。先輩の仕事横取りして、さぞかし気分いいでしょうね」
と、噛みつくように言いました。
「とんでもない、俺はただ……」
「どうせあたしが担当だったときは、売上げ落ちる一方でしたよ」
 ふん、とヨシザワさんは顔をそむけました。
 身綺麗なスーツ姿と品のよい化粧を施した彼女は、黙っていると格好のいいキャリアウーマンそのものですが、言動がまるで子どものようです。
 そんな彼女にオオノくんはなだめるように言いました。
「そんなんじゃないですって。あそこの担当にさんざん無理な要求投げられて参ってたじゃないですか。先輩、ただでさえA社で大口の案件入ってて忙しいから、課長に替えてもらったんですよ」
「……分かってるわよ、そんなこと。あたしが言いたいのは……」
 そこまで言いかけ、ヨシザワさんは黙りこみました。グロスで光る唇をとがらせています。
 彼女が飲み込んだ言葉を、オオノくんが継ぎました。
 声に少し笑みが混じっています。
「後輩にヘルプ入られるのが気に入らない、とか?」
 するとヨシザワさんの頬が、すうっと紅くなりました。どうやら図星のようです。
 オオノくんはひとしきり笑ったあと、表情を引き締めて言いました。
「右も左も分からないド新人に営業のノウハウ教えてくれたのは、先輩じゃないですか。俺、ほんと感謝してるんです。こんなときだからこそ、お役に立ちたいんスよ」
 ストレートな台詞に、ヨシザワさんはますます紅くなりました。
 照れ隠しか、「そんな営業トークは教えてないわよ」なんて言っています。
 ナカムラさんはふたりの会話に、なにやらいやな予感を覚えました。この手の会話をするカップルは、彼の望む結果にならないことが多いからです。
 メガネのつるに手をやり、“確率”を見ようとしました。
「あたしのヘルプに入ったんなら、絶対売り上げ伸ばしてみなさいよ。下げたら承知しないからね」
「じゃあ、売り上げ伸びたら、ごほうびくれますか?」
「はあ?」
 オオノくんの冗談っぽい返しに、ヨシザワさんは呆れたようです。
「なにそれ。ボーナスアップは会社に言えば」
「そうじゃなくて、今度デートしてください。先輩の好きそうな韓国料理の店、チェックしてるんですよ」
と、オオノくんは笑いながら言いました。しかし、目はどこか真剣です。
 せっかく赤みの引いたヨシザワさんの頬が、ふたたび色づきました。
「……なんであたしなのよ!? 行きたけりゃ彼女とでも行きゃいいじゃん」
「彼女いませんもん。先輩、知ってるくせに」
「…………」
 ナカムラさんのレンズに、ふたりの“確率”が表示されました。
 3%。
 予想以上に“悪い確率”です。
 ナカムラさんは顔をしかめ、なんとかしてこのふたりの“確率”を上げられないかと思案しました。



 と、そこへ、ラフな格好をしたひとりの男性が通りかかりました。
 男性はオオノくんとヨシザワさんの方をじろじろ見ていましたが、ふいに進路を変えてヨシザワさんに声をかけました。
「ヨシザワ!? 東学のヨシザワだろ?」
 いきなり名を呼ばれたヨシザワさんは、ぎょっとした顔で男性を見つめ返しました。
「経済統計のゼミで一緒だったカジだよ。覚えてるか?」
 男性が名乗ってはじめて、ヨシザワさんは、ああ、と声を上げました。
「カジくんかあ。すっごい、久しぶりだね。卒業以来じゃない? あたしのことよく分かったね」
「そりゃおめー、変わってねえもん」
 そう言いながらカジくんは、無遠慮な視線をヨシザワさんの全身に走らせました。傍らにいるオオノくんは完全に無視です。
 カジくんの視線にたじろぎつつ、ヨシザワさんは控えめに訊ねました。
「カジくんは今なにしてるの?」
「あ、俺? 今は職探し中。つっても俺に合う仕事ってなかなかなくってさー。ほら、俺って人に命令されたりすんの嫌いじゃん? 前の会社も偉そうな上司とケンカして三日で辞めてやったしよ。束縛されんのってムカつくんだよなー」
 一気にそうしゃべると、カジくんはジーンズのポケットから取り出した携帯を開き、
「なあ、それより番号教えてくれよ。今度飲み行こうぜ、いつがいい?」
と、言いました。
「あ、うん。でも今はちょっと忙しくていつになるか……」
「じゃあメアドだけでもいいからさ」
 なあなあ、と強引に詰め寄るカジくんに、ヨシザワさんの腰は引きぎみです。
 ナカムラさんはためしにと、カジくんとヨシザワさんの“確率”を見てみました。
 やがてレンズに“89%”という数字が浮かびました。これはかなりの“高確率”です。
 ナカムラさんはほくそ笑み、指を鳴らそうと右手を持ち上げました。
 しかし指を鳴らす前に、ナカムラさんの手首は何者かによってつかまれました。
 驚いて背後を振り向くと、そこには場違いなほど暑苦しい、全身レザーとシルバーアクセサリーに包まれた男が立っており、手首をひねり上げているではありませんか。
 普通の人間にはナカムラさんを触るどころか、見ることすらできないのです。
 となると、答えはふたつ。
 同業者か、ライバルか。
 男はにやりと口許を引き上げ、言いました。
「じゃますんなよ」
 ナカムラさんが困惑していると、それまで黙っていたオオノくんがわざとらしく腕時計を確認しました。
「先輩、そろそろ行かないと」
「あ、うん。そうだね」
 カジくんの攻撃にたじたじだったヨシザワさんは、ほっとした表情でオオノくんの助け船に乗り込みました。
「ごめん、カジくん。しばらく忙しくて時間取れそうにないの。飲み会の連絡はほかの子を通してくれるかな?」
「えー、なんだよそれ。俺は飲み会じゃなくて……」
「ほんとごめん。また回覧回すから!」
 言い残すと、ヨシザワさんは憮然とするオオノくんに「行こ」と声をかけ、さっさと歩き出しました。
 むくれるカジくんに無言で会釈すると、オオノくんもまた彼女の後を追いかけてます。置いてけぼりのカジくんは、舌打ちひとつしてからどこかへと行ってしまいました。
 そうしてナカムラさんとレザーの男だけが、その場に残されました。



 ややあって、ナカムラさんはつかまれた腕を振りほどきました。
「……じゃまをしないでください、サトウさん」
「サトウじゃねえよ、ジョニーって呼べっつってんだろ」
「誰がジョニーですか、まったく」
 ナカムラさんがおおげさにため息をついてみせると、自称・ジョニーはサングラスをはずしてふてぶてしく笑いました。
「あぶねーところだったぜ。あんたの『呪文』は強力だからな」
「あなたがいなければ、今ごろ成功してたんですよ」
「そりゃー、あんたにとっちゃ『成功』だっただろうよ。けどな、あのふたりはもともと俺たちの管轄だ。あんたら……」
 そう言いつつ、自称・ジョニーはナカムラさんに人差し指を向けました。
「『縁切りの神』が手出しするこっちゃねえよ」
「人を指差さないって、小学校のときに習いませんでしたか?」
 ナカムラさんは不機嫌な顔で、差された人差し指を払いました。
「『縁結びの神』の俺から見た“確率”は97%。イコール、別れる“確率”はわずか3%ってこった。あんた、それが気に入らなかったんだろ?」
「…………」
「だからって、わざわざ別れる“確率”の高い方とくっつけようとするのは邪道じゃねえかな。いさぎよく祝福してやれよ」
「……あなたがそんなに仕事熱心だったとは知りませんでしたよ」
 自称・ジョニーはなおも笑いながら、
「悪いな、俺は仕事に関してはいたって真面目なんだよ」
と、言いました。



END
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