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ソラニワ 作者:緒浜
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048 Once Again

 白い肌の内側から浮き出るように滲む黒い痣。胸のところどころで放射線状に広がるそれらは花斑というその名の通り、見ようによっては花にも見える。ジインの命を脅かす竜毒の刻印だ。
「見ていてあまり気持ちのいいものじゃないだろ」
 脱いだシャツを肘の上あたりで溜め、肌を晒したジインが苦笑いで言う。ソラは首を振った。
「そんなことない。オレがこんなこと言うのもどうかと思うけど、結構きれいだよ。精密なタトゥーみたいで」
「喜んでいいのかよくわからないけど、一応礼は言っておくよ」
 ジインが小さく笑う。最近よく見せていた大げさな笑顔ではなく、目を伏せて小さく口角を上げるだけの静かな微笑みだ。
「それで、体の具合はどうなの? その……痛かったり、苦しかったりは?」
「いや、普段は何ともないよ。傷跡が痛むこともないし、腕もほとんど元どおりに動く。たまに一昨日みたいなことが発作的に起こるくらいで、体自体は健康そのものだな」
 竜創患者の最長存命記録は四十一日。ジインはその記録を大幅に塗り替え、今も健在だ。
 わずかに迷う素振りを見せてから、ジインは静かに言った。
「……竜毒の進行が遅いのは、おれが魔法で押さえ込むことに成功しているからみたいなんだ」
「魔法で進行を止められるの!?」
「完全に、ってわけじゃないよ」
 思わず身を乗り出したソラを視線でなだめて、ジインは冷静に言う。
「生物の体は基本的に魔法の影響を受けにくいんだけど、魔法士の体は常日頃から魔法に親しんでいるから、普通より影響を受けやすいんだ。最近それを医療に利用するための細胞レベルの術の開発が進められていて、」
「じゃあ、それを利用すれば……?!」
「いや、研究自体はまだかすり傷ひとつ治せないような段階だよ。対竜毒用に使えるかどうかなんて、議論にも上がっていない。ただおれの場合、NB……ナチュラルバースだからだろうけど、自分の体に対しての魔法の精度は普通の魔法士と比べるとずば抜けていいんだ。本当に魔法で竜毒を抑えられているのか確証はないけど、竜毒には元々ピアナ粒子も含まれているし、竜毒を受けてからこれだけ長く生きながらえているってことを考えると、その可能性が高いと思う」
 ジインの手が花斑をさする。話しながら考えをまとめるように、ジインはゆっくりと話した。
「始めのほうは常に意識して竜毒を抑え込もうとしていたけど、最近は無意識にできているみたいだな。でも、本当に進行を遅らせるだけだ。完全に止められるわけじゃない。普段は押さえつけている竜毒が、ダムが決壊するみたいに一気に広がる時がある」
「……それが、あの発作?」
「ああ。数分で治まるけど、ああなってる時は呼吸で肺を動かすとさらに強く痛むんだ。だから息が吸えなくなる」
「手首を噛むのはどうして……?」
「……噛むとそっちの痛みのほうへ意識が少し逸れるから、その隙に息を吸うんだ。そうでもしないと、息が吸えない。まあ、それでも痛いもんは痛いんだけどな」
 弱々しい笑顔から目をそらして、ソラは己の手のひらに密かに爪を立てた。
 その苦痛の元凶が自分だと思うと、本当にこの身を自分で引き裂いてしまいたくなる。
 けれど、それでは何の解決にもならない。
 何の役にも立たない罪悪感を心の隅へ追いやって、ソラは花斑へと視線を戻した。
 罪の重さに立ちすくんでいるヒマがあったら、少しでも体と頭を動かして解決法を考えるのだ。
「この黒くなっている部分を手術で摘出しても意味がないんだよね?」
「ああ。腕に竜創を受けた魔法士が腕ごと切除したけど、今度は傷を受けていない脚から花斑が広がったらしい」
 摘出が無意味だとしたら、薬かなにかで内側から、体全体に効くような方法で治すしかないのだろうか。
 花斑をもっとよく観察するためにジインの背の側へ回り込み、あれ? と首を傾げる。
「背中には花斑が出ていないんだね。傷はこっちのほうが大きいのに」
「そうか? 自分じゃ見えないからわからないけど」
 肩甲骨がやたらと目立つ白い背中にはいたるところに傷跡があり、右肩近くには竜の牙が突き刺さったであろう大きな傷跡が二カ所、痛々しく残っている。
 けれど、花班のような黒い痣はひとつも見当たらない。
 ジインがふと首筋に手をやり、考え込む顔になる。
「どうしたの?」
「いや……背中のことで、なにか忘れてる気がして……」
 ぼんやりと呟いた後に、ふと思い当たった様子で、
「そうだ……あの時桐生が確か、背に“シンモン”がどうのって……」
「あの時って……『ハコ』の屋上でのこと?」
 ジインがうなずく。ソラは記憶を漁った。
 『神の左手』のメンバーが乗ったヘリから飛び降りて自分の意志で竜の姿になり、『ハコ』のヘリポートにひとり残ったジインの元へ駆けつけたあの時。
 あの時は竜の本能をはねのけて理性を保つのに必死で、まわりのことを気にかける余裕はなかった。
 けれど思い返せば、スピーカーからやけに気味の悪い男の声が聞こえていた気がする。
 “その背に神紋が現れるその時まで”
 声の主はキリュウというのか、とぼんやり思ったところで、ソラはあっと声を上げた。
「キリュウって、“なんとかプロジェクト”のリーダーって奴か?!」
「……何の話だ?」
 ジインが怪訝な顔をする。ソラは『ハコ』のデータ室で見聞きしたことを記憶の底から引っぱり出した。
「『ハコ』のデータ室で情報を盗み出そうとした時、ジインのデータだけロックがかかってたんだ。それで、ええと……そう、確かR・S・プロジェクトとかいう表示が画面に出てきて」
「R・S・プロジェクト?」
「データ室の女の人が、そのプロジェクトのリーダーがキリュウだって言ってた。そうだ、ジインがなにかの候補だとも言ってて……ジイン、なにか知ってる?」
 眉根を寄せしばし考え込んだ後、ジインは首を振った。
「いや……そんなプロジェクト、初めて聞いた」
「R・Sって何の略だろう……ジインがなんの候補なのかも気になるね」
「候補か……まあ天然の魔法使いは希少だからな。何かの実験体の候補にはいくらでも上がるだろうけど」
 何にせよ、まったくいい予感はしないな、と苦笑いしたジインが、
「ああ、そういえば『カミノシカク』がどうの、とも言ってたな……」
 “すばらしい……すばらしいよ黒瀬くん! もしかしたらとは思っていたけれど、まさか本当に『神の資格』を手に入れるなんて!”
「おれが何かの候補なら、『カミノシカク』の“シカク”は、“資格”かな……」
「カミノシカク? カミって、神さまの“神”?」
「さあな。わからないけど、もしそうだとしたら……シンモンは、神紋、かな」
 神といって思い浮かぶのは『神ノ庭』だ。陸島の遥か上空、世界の何よりも高いところにある、竜しか立ち入ることを許されない前人未到の神の領域。
 ジインがはっと顔をあげる。
「そうだ。おまえあの時、竜が歌うのを聞いたか?」
「竜が歌う? なにそれ」
「あの時、ヘリポートで竜たちが突然鳴きはじめたんだ。吠えるんじゃなくて、喉を鳴らしてクルルって……まるで歌うみたいに。あんなの、初めて聞いたよ」
「うーん……ちょっと覚えてないなあ。ヘリポートへ向かう途中で何か聞こえたような気もするけど、あの時は竜の姿をコントロールするのに必死だったから」
 そうだ。あの時は意識を奪おうとする鈴の音がうるさくて、空から降るすべてをはねのけていたのだ。
 けれど思い返せば、はねのけていた音の中に何か質の違うものが混ざっていたような気がする。
「竜が歌うのを聞いた桐生が、おれに『神の資格』の資格があるって……たしか竜はおれのにおいを嗅いだ後に歌いだしたんだよな。なんか匂いでもするのかな、おれ」
 ジインがくんくんと自分を嗅ぐ。ソラは飛び上がるくらいの勢いでぱちんと手を打った。
「ああっ! するよ、匂い!!」
「えっ!?」
「たぶん竜毒の匂いだと思うから言わなかったけど、たまにふわっと、ジインからすごく甘い匂いがする時がある!」
 とつぜん発覚した事実に、ジインはひくりと頬を引きつらせた。
「あ、甘い匂い……?! なんだそれ、本当に竜毒の匂いなのか?」
「わからないけど、たぶん。右肩が一番強くにおうから。匂いというか、香りって言ったほうが近いかも。甘い砂糖菓子みたいで、なんだかすごくいいにおいなんだよ」
 言いながら、ソラはくんくんと花班を嗅いだ。吸い込む空気の中に、ほんの少しだけ甘い粒子が混じる。
「う……やめてくれ、なんか恥ずかしい」
 顔を引きつらせたジインが、ソラの額を手のひらで押しのける。
「でも竜毒からにおいがするなんて初めて聞いたぞ」
「うーん、オレの嗅覚でかすかに香るくらいだから、普通の人には全然わからないと思うよ。測定機みたいな機械を使ってもわかるかどうか……」
「竜にしかわからないにおい、か……」
 シャツを羽織り直したジインが、眉間にしわを寄せてうーんと首を傾げる。
「情報をまとめると、竜はおれの竜毒のにおいを嗅いでクルクル鳴き始めて、それが『神の資格』で、そのうち背中に神紋が現れるってことか?」
「ねえ、もしかしたらその神紋ってやつが背中に出るまで、ジインの体は大丈夫なんじゃないかな?」
 期待に目を輝かせて身を乗り出すソラに、ジインが苦笑いする。
「それはちょっと楽観的すぎるだろ。その神紋とやらがいつ現れるのかもわからないし、現れたらどうなるのかもわからない。そのまえに竜毒の進行が脳や内蔵に達したらその時点でアウトなんだ」
「でもキリュウとかいう奴は、時間に余裕があるような言い方してなかった? ……そうだ、たしか“時間が必要”とかって……」
 “どこへでも逃げればいいよ。この世界は狭い。ちょうど時間も必要だ。そう……その背に神紋が現れるその時まで、空に閉ざされたこのちっぽけな世界をせいぜい逃げ回ればいい”
「だから、その神紋ってやつが出るまではまだ時間があるってことじゃない?」
 膨らむ期待を抑えられずにソラは言う。すべては仮定の話だ。それでも、わずかに差した希望の光にソラは胸が高鳴るのを感じた。
 竜と神。竜毒と神紋。謎に包まれたままのR・S・プロジェクト。繋がりそうで繋がらないバラバラのピースは、カードの足りない神経衰弱のようだ。めくるべきカードはどこかへ隠されていて、簡単には見つかりそうにない。しかし、それらが救いのクモの糸となるかはかわらないけれど、手がかりが何もないよりマシだ。
「“神”といえば、『神ノ庭』だよな」
「まだ言っていなかったけど、オレの竜化も『神ノ庭』に関係があるみたいなんだ」
 言いながら、ソラは自分の両手を見下ろした。
「竜化する時は、なんていうか……空から命令が降ってくるみたいな感じがして」
「命令?」
「そう。“竜はこうあるべきだ”っていう形が見えるっていうか……それが本当に『神ノ庭』から降ってくるのかどうかはわからないんだけど」
「『神ノ庭』……竜しか入れない、前人未到の領域……」
 首筋をさすりながら思案していたジインが、ふと気づいたように呟く。
「もしかして、竜の姿のおまえなら入れるのかな?」
「『神ノ庭』に行けば、竜や竜毒のことが何かわかるかな?!」
 ベッドを軋ませて身を乗り出す。今すぐにでも飛び出して行きそうなソラに、ジインは慌てて両手を振った。
「いや、待て。落ち着け。『神ノ庭』に関してはあまりにも情報が少な過ぎる。帰ってこれる保証もないし、そもそも『神ノ庭』なんて場所が本当に存在しているのかどうかもわからないんだ。空の上に見えているあれはただの気象現象かもしれないって説も出ているくらいだしな。上へ行けば行くほど竜の数も多くなるし、考えなしに近づくのは危険過ぎる」
「オレだって竜なんだから、竜が多いのは問題ないよ。遠くから様子を見るだけでも場所として存在しているかどうかわかるかもしれないし、もし上陸できそうなら――」
「それで帰ってこれなかったら元も子もないだろうが」
 呆れたようにジインが言う。ふう、と息を吐いてジインはソラへまっすぐに眼差しを向けた。
「いいか? もしおまえになにかあれば、おれもそこでおしまいなんだ。手配書はもう国中に行き渡ってる。変装にも限度があるし、発作だっていつ起こるかわからない。……情けないけど、おれはもう、おまえなしじゃ身動きがとれない。今のおれにはおまえだけが頼りなんだ」
 言葉の端に、ほんのわずかに懇願するような響きが混じる。
 夜色の瞳に見つめられ、かあっと体が熱くなった。
 後先考えずすぐに突っ走りそうになる自分への恥ずかしさと、頼りにされているという嬉しさが、ごちゃごちゃに混ざって体に充満する。
「だから、頼むから一人で勝手に突っ走って無茶しないでくれ。わかったか?」
 かき口説くような声音で言われ、ソラは頬をこすりながらこくこくと頷いた。
 ほう、と安堵の息を吐いたジインが、再び思案に沈む。
「ただ、最終的に『神ノ庭』へ渡るかどうかはともかく、『神ノ庭』に近い陸島を目指すってのはあると思う。この鋼雪陸島は『神ノ庭』から一番離れているからな。もっと上の陸島へ行けば、竜や『神ノ庭』について魔法院が知らないような情報が……」
 そこで言葉を区切り、ジインが黙り込む。
 鋼雪陸島はその軍事力と技術力でほとんどの陸島を掌握しており、魔法院は世界各地で竜や魔法士に関する調査、研究を行っている。
 魔法院が知り得ない情報など、この世界に果たして残っているのか。
 思案に沈みかけたジインが、ふ、短くと息を吐いた。
「……あるかどうかはわからないけど、まあ、とにかく上を目指してみるか」
 顔を上げて苦笑したジインを力づけるように、ソラは強く大きく頷いてみせた。
「何はともあれ、まずはこの国を無事に出るところからだよね……オレが竜になってジインを背中に乗せて空を渡るのはやっぱり無理なの?」
「そうだな。おまえひとりなら簡単に渡れるだろうけど、生身の人間が飛空船なしで凍流層コルダを渡るのは不可能だ」
 陸島と陸島の間には、気温と気圧が極端に低い凍流層コルダと呼ばれる空気の層が流れている。人がそこを渡るには、何層にもなる頑丈な壁で守られた飛空船のような乗り物が必要だ。
「飛空船の手配をもう一度求紅に頼む?」
「うーん……望み薄だけど、それも案に含めて考えてみるよ」
 ジインが首筋に手をやる。何かを深く思案する時のジインのクセだ。最近めっきり見かけなくなっていたが、今日は何度も目にしている。前へ進むことをジインが本気で考えてくれている証拠だ。
 嬉しさで胸が膨らむ。凍りついていた時間が音を立てて動き出すのを感じた。
「……なに笑ってるんだ?」
「ん? べつにー」
 にやにやと笑うソラを、ジインが半眼で見返す。
「……思い出し笑いはむっつりスケベの証拠だぞ」
「え」
「おまえあんまり下ネタとか言わないなーと思ってたけどそうか。むっつりなのか。猥談のワの字も知らないような顔して頭の中はあんなコトやこんなコトでワッショイワッショイか」
「ちょ、ワッショイワッショイってなにそれ」
「スーケベスケベ、ソーラくんのスケベー」
「なにその変な歌、やめて! ジインが歌うと無駄に良い声でなんか名曲っぽく聞こえる! 流行ったら困る! やめて!」
 真剣な顔で言う。ジインが吹き出した。
「こ、こんな歌、どこからどう流行るんだよ……おまえ、時々、なんかズレたこと言うよな……はははっ」
 肩を揺らしてジインが笑う。久々に聞いた気がするその笑い声につられてソラも笑った。
 悩み、迷い、立ち止まりはしたけれど、ジインはまだ生きていて、二人でこうして笑えている。
 改めてスタートラインに立ったような心持ちだ。
 ここからもう一度、ジインと二人で歩き出す。
 たとえこの道が、明日には途絶えようとも。
 その瞬間まで、歩みを止めずにいたいと思う。
+注意+
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