幕間:姫巫女
サトゥー視点ではありません。
本編の8年ほど前(後半は4~6年前)のお話です。久々の三人称です。
※9/15 誤字修正しました。
「リーングランデ!」
幼い女の子の声が広い私室に響き渡る。
「リーングランデ!」
女の子が内心の黒い感情を吐き出すように、両手に持ったクッションをソファの背に叩きつける。
「リィーン、グゥラァン、デッ!」
非力な女の子の腕力では、ぽふっと軽い音がするだけで、クッションの中に詰まった水鳥の羽根すら外に飛び出さない。
普段からあまり運動などしないのだろう、ほんの数分間クッションを振り回しただけで女の子は呼吸を乱している。
そこに控えめな少年の笑い声が漏れた。
「だれ!」
荒い息と共に収まりつつあった少女の怒りが再燃する。なぜなら、彼女は暴れる前に部屋付きのメイド達に人払いをしておくように言いつけたのだから。
「お冠だね、セーラ」
笑いを噛み殺しながら物陰から出てきたのは、女の子の兄、ティスラード・オーユゴックだ。先程からセーラが叫んでいたのは、2人の同腹の姉の名前だ。
「ティスラード兄さま! 物音も立てずに入ってくるなんてシツレイだわ」
「ごめんよ」
セーラの剣幕を柳のように受け流し、優しく微笑む少年。10歳という年齢にしては少し老成している印象を受ける。
「リーン姉さまの名前を連呼して、どうしたんだい? また、お喋りなメイド達の陰口でも聞いたのかい?」
図星を指されたのか、赤く染めた頬を膨らませてそっぽを向くセーラ。普段はめったにしない子供らしい仕草も、兄のティスラードの前ではさほど珍しくない。
「ふーんだ、いつもみたいな話よ――
『ねえねえ聞いた? リーングランデ様が失われた魔法を復活させたんですって!』
『あなたマダそんな古い話をしているの? 今度は迷宮都市の地下で、聖騎士様たちを率いて階層の主を討伐したんですって! その証に雷の魔剣まで手に入れられたそうよ?』
『まあ、迷宮の魔剣って金貨何百枚もするんでしょ? 凄いわね~』
――ですって。しかも最後は『それに比べたらセーラ様って普通よね』よ。余計なお世話だと思わない? そんなの十分わかってるわよ! 天才の姉を持った妹の大変さなんて、天才の姉を持った妹にしかわからないんだわ!」
メイド達の声色を真似て語る妹の話を聞いて、苦笑する少年。なぜなら、殆ど同じ内容を自分に置き換えた話を、執事やメイドがしているのを聞いてしまったばかりなのだから。そこできっと同じような境遇であろう妹を慰めにわざわざ足を運んだのだ。
あくまで妹を慰めにだ。彼は傷を舐めあうほど柔な感性をしていない。そんな事では、将来、祖父や父の後を継いでこの大領を治める事はおろか、海千山千の貴族達と渉りあう事などできないのだから。
「セーラ、姉さんと自分を比べるのを止めなよ。あの人は特別だ。それこそ王祖ヤマト様や中興の賢王ザラ様のような歴史に名前を残す人達と肩を並べるような傑物だよ。大樹と自分の背を比べて、私のほうが背が低いと嘆くようなものだ」
「う~、わかってるけど! 理屈じゃないの!」
僅か7歳の子供にいう言葉ではないが、同年代の子供達より遥かに聡いセーラは、兄の言葉を十二分に理解している。それでも、幼い彼女の心はそれを是としないのだ。
「怒ってばかりだと眉間に皺が寄っちゃうよ? 将来好きな男の子ができた時に嫌われても知らないよ」
「ふ、ふんだ。その時は兄さまのお嫁さんにしてもらうからいいの!」
兄の言葉に憎まれ口――というには少し可愛らしい――を返しつつも、セーラは眉間を指で撫で付ける。幼くとも乙女心はすくすくと育っているようだ。
◇
「洗礼?」
「ああ、ユ・テニオン巫女長が自ら執り行なってくださるそうだ」
「へえ、それは凄い。良かったね、セーラ。救世の聖女様が洗礼の儀式をしてくれるなんて、父さま以来じゃないかな?」
ティスラード少年の言う「救世の聖女」とは、ユ・テニオン巫女長が勇者の従者をしていた事と彼女の持つ「聖女」の称号から付いた二つ名だ。彼女は老齢を理由に、洗礼の儀式をする事はほとんどない。事実、この公都の跡継ぎたるティスラード少年や姉のリーングランデ嬢の洗礼さえ、彼女ではなく司祭長が行なっていた。もっとも、階位的には司祭長の方が上なので文句を言うのは筋違いだ。
セーラは満面の笑みで父と兄に抱きついて嬉しさを表現する。
彼女は特別が好きだ。
優秀過ぎる姉を持ってしまったばかりに、ほとんどの特別は姉のモノとなってしまっているのだから。
三週間の準備の後に、セーラは兄の付き添いの下、テニオン神殿へと赴く。普通なら、城内にある礼拝室で執り行うのだが、巫女長の健康が思わしくない為に、テニオン神殿の聖域内で執り行われる事となった。
「あなたが、セーラね」
「は、はいっ。巫女長さま」
緊張のあまり大声になってしまい、淑女らしからぬ己に恥じ入るセーラ。巫女長は、そのセーラの頭を優しく撫でて「お顔を上げて、元気がいいのは素敵なことなのよ?」と耳元でそっと囁く。その優しげな姿からは、勇者と共に魔王を討滅したとは想像だにできない。
巫女長はセーラが落ち着くまで膝の上で抱きしめ、その髪を優しく撫でる。セーラの緊張が解けたのを確認して、彼女の手をとって儀式の魔法陣へと向かった。
「いいこと、儀式の間は大好きな人の事をお考えなさい」
「神様にお祈りしなくてもいいの、ですか?」
「ええ、心を落ち着けて好きな人を考えるの、その暖かな気持ちを神様に届けてあげるのよ」
これは巫女長のやり方であって、テニオン神殿の公式な作法ではない。普通は、魔法陣の中に立たせて、洗礼の呪文をかけるだけで終わりだ。
「大好きな人は思い浮かべたかしら?」
「はい、巫女長さま」
「うふふ、誰を思い浮かべたのかしら。将来の旦那様?」
「ち、ちがうもん。セーラは結婚なんてしないの」
「あらあら、それじゃ巫女になるのかしら?」
「うん、セーラ、巫女になる!」
からかう巫女長に釣られて、子供のような口調になるセーラ。もちろん、彼女はその事に気が付いていない。幼い頃の姉とのやりとりを思い出して、その思い出に流されたようだ。
「うふふ、■■ ■■■ ■■ 洗礼」
巫女長の呪文に応えるように、魔法陣が青く柔らかな光を放つ。魔法陣の上に浮かび上がった小さな青い光がセーラを祝福するように楽しげに踊る。まるで、御伽噺に出てくる小さな羽妖精のように軽やかに。
そのうちの一つの光がセーラの胸に吸い込まれるように消えて、洗礼の儀式は終了した。
「目を開けなさい。神託の巫女セーラ」
「はい」
先程までの優しい老婦人のような巫女長とは打って変わった凛とした声に釣られて、少し澄ました声で応えるセーラ。巫女長の目には、彼女の身に「神託」のギフトと「テニオンの巫女」の称号が見えている。
洗礼の儀式でギフトを得る者は、ごくごく稀にだが存在する。だが、神託のギフトを得た者は、公都のテニオン神殿の長い歴史でも前例が無い。
その証拠に、巫女長とセーラを除く周囲の者達はまるで事態に付いていけずに、儀式が始まった時の姿勢で固まっている。彼らが動き出すまでに、今しばらくの時が必要だった。
◇
「セーラ・オーユゴック、あなたはオーユゴック家を出て、テニオンの御許に仕えますか?」
「はい、司祭長さま」
「では、今この時をもって、あなたはただのセーラです。さあ、お立ちなさい巫女セーラ。テニオン神殿はあなたを歓迎します」
作法通りの問答をすませ、少女は公爵家の令嬢の恵まれた生活と地位を捨て、テニオン神殿の巫女見習いとして入信した。
反対する者は少女を含め、誰一人としていなかった。それは、この公都――人口20万人を誇る大都市でも7人目、人口70万を超える公爵領全体で見ても9人目の「神託」のギフト持ちとあっては、そのギフトを確実に育てる手法を有する神殿に、身を寄せる以外の選択肢はなかった。
この「神託」というギフトは限定的ながらも、直接、神に問いかける事のできる力を持つ。これは神に大災害を予見してもらえる唯一の手段なのだ。
それ故に、神託の巫女の訓練は熾烈を極める。
◇
「セーラ、レレナ、ローザ、ここに並びなさい。いいですか、その魔法陣の中にいる限り安全です。決して取り乱さないように」
3人の少女達の纏う巫女服は、みな違う種類だ。それぞれテニオン、パリオン、ガルレオンの3つの神殿を指し示す聖印が縫いこまれてある。
レレナとローザは、セーラより1つ年下の9歳。セーラに1年遅れて巫女になった娘達だ。2人はセーラの血縁で、共に生まれた時から「神託」のギフトを持っていた「特別」な少女達だ。
ここは公都の7神殿が共有している秘密の墳墓。
神殿の中でも、ごくごく限られた一握りの者達しか知らされる事は無い秘密の場所だ。
「きゃっ」
「ああ、神様」
「くっ」
魔法陣の向こう側、鉄格子で遮られた広い広い通路の奥から、幾体もの不死の魔物が、ずりずりと這い寄ってくる。
それは、死後の世界への扉が開いたかのような悪夢の光景だ。
「落ち着きなさい、巫女見習い達よ」
「さあ、彷徨える怨霊達を安らかに眠らせてあげなさい」
「唱えなさい、祝福の詔を!」
「「「祝福を!」」」
少女達の後ろを固めている、護衛の神官たちの言葉が怯えを払拭させる。
「■■■ 祝福」
「■■◆ 祝福」
「■◆■ 祝福」
だが、それでも幼い少女達は極度の緊張から初歩的な魔法を失敗してしまう。セーラ以外の2人は、焦って呪文を失敗させてしまっていた。
「落ち着きなさい。レレナとローザはもう一度詠唱なさい。セーラはそのまま待機していなさい」
指導員の神官の声に叱咤され、尚も数度の失敗の末に、ようやく呪文に成功させた2人。胸を撫で下ろす彼女達を嘲笑うように、鉄格子の向こうの不死の魔物は、やかましく腕や触手を仕切りに叩きつける。祝福では不死の魔物達に僅かなダメージしか与えられない。
だが、それで十分なのだ。
「■■ 浄化!」
ここで周りに控えていた高司祭からの浄化の魔法が浴びせかけられて、ようやく不死の魔物は動きを止め、ただの屍に戻る。
無数の不死の魔物を倒した膨大な経験がセーラ達3人と高司祭へと流れ込む。急激な成長は身を引き裂くような痛みが襲う。少女達は急激に成長する己の体を抱きしめて、床の上で悶え苦しむ。それは成長の証、癒しの魔法は成長を妨げる故に使う事ができない。
少女達は知らない。
この不死の魔物達が、彼女達の成長を促すためだけに神官達の禁呪によって作られた事を。
これから幾度と無く、この秘密の儀式を行わねばならない事を。
そして成長した少女達は、神託を受ける。
過酷な未来を。
ああ神よ。
願わくは、少女達と人類の未来に、幸あらん事を――。
明日からは9章です。