腹黒キツネとピュアたぬき
※シリーズ設定に変更いたしました。
※作者はハーフや混血に対する偏見はもっておりませんが、そういった表現が多少含まれております。苦手な方は読まないことをおすすめいたします。
※誤字修正済、ご報告ありがとうございます。
タヌキの母親は、まだ三才にも満たぬ娘を一人残し、行方知れずとなった。
村では「男と逃げたのだ」と噂され、一人置き去りにされたタヌキは、肩身の狭い思いをしていた。
幼い彼女に、罪などありはしない。
だが大人は誰一人として、彼女を気遣う者はいなかった。
そんなタヌキにとって、唯一の味方は隣に住む『キツネのお兄ちゃん』だった。
◇◇◇
タヌキの住んでいる場所は、人間世界のどの地図を探しても載っていない。
――『獣人の里』と呼ばれる隠れ里。
人が足を踏み入れることのない山奥、さらにその奥深くにひっそりと存在している。
『獣人』といっても、人間にも白人や黒人、黄色人といった人種による違いがあるように、狐や狸、兎などの小型獣から果ては獅子に虎、豹と言った大型獣まで存在する。
それぞれの種族ごとに里があり、一緒には暮らしていない。
獣の習性なのだろうか? むしろ『獣人』は、人間よりも自分の里に対しての縄張り意識が強く、他の種族の者が自分たちの里に潜り込むことを良しとしなかった。
排他主義――これこそが、タヌキの母親が逃げた最大の理由であったのかもしれない。
――タヌキが暮らしていた里は、狸族ではなく狐族の里であった。
タヌキの母親は当然――狸。だが、父親は狐であった。
本来、同じ種族で番うのが一般的だ。
異種間は認められないことではないが、住むところや子供が名乗る種族、生活習慣など、どうしても問題がでてくる。
そのため、番にあえて違う種族を選ぶものはいなかった。
だが運命のいたずらとはあるもので、タヌキの母親はまだ幼体であった頃、人間に対する好奇心から狸族の里を抜け出し、人の仕掛けた罠に掛かってしまった。
捕えられた狸の行く末など、鍋か毛皮か……。
獣なら一度かかってしまった罠から抜け出すことは不可能。
だが『獣人』――人に変化できる彼らは抜け出すことができる。そのため罠にかかったとしても、猟師に捕らわれることは滅多にない。
タヌキの母親も痛みをこらえて、人に変化すると小さな手で懸命に罠を外そうした。
だが、まだ幼女である彼女の力では、硬い鉄の罠は外れなかった。
さらに運の悪いことに、罠には鋸歯状の刃がついていた。
小型動物用であったために、足の骨に異常はないものの、ギリギリと彼女の足首を締め付ける刃は、子供の柔らかな皮膚を破り、真っ赤な血を辺り一面に散らした。
このままでは獣人ではない獣が、血の匂いを嗅ぎつけてやって来るかもしれない。彼女は焦った。
しかしどうしても罠が外れない。焦れば焦るほど傷口から血が溢れ、ぬるぬると手が滑った。
――このまま死ぬ?
彼女がそう考えたとき、ガサガサとすぐ傍の茂みが音を立てた。血の匂いを嗅ぎつけた獣が現れたと、彼女は強張った表情で揺れる茂みをじっと見つめた。
だが彼女が想像していた獣ではなく、獣人がそこからぴょこんと顔を出したとき、彼女は安堵のあまり泣き出してしまった。
「うえええええん」
突然自分の姿を見て泣き出した子供。
そんなに自分の顔は怖かったのだろうか? と引き攣った笑顔を浮かべた。
「お嬢ちゃん、俺の顔、泣くほど怖い? 俺ちょっとショックで立ち直れそうにないんだけど……」
茂みからのっそりと出てきた青年は、そう彼女に声を掛けた。
「助けてぇ……罠が、外れないの……」
「罠? ああ、血の匂いがすると思って来てみたら、……酷いもんだな」
青年は小さく呟くと、彼女の傍にしゃがみ込み、いとも簡単に罠をガシャンと大きな音を立てて外す。
「大丈夫か?」
「痛いよう」
「ん。がんばったねえ」
痛みのために、狸の真ん丸な耳がぴょこんと出てしまった彼女の頭。青年はそっと優しく撫でたあと、彼女を少し離れた木陰に座らせ、キョロキョロと辺りを見渡す。
徐に立ち上がると、近くに転がっていた子供の頭部ほどの大きな石を拾い上げると、勢いよく罠に向かって叩き付けた。
ガシャッという鈍い音とともに、呆気なく壊れた罠。ぐしゃりと捻じれた罠には、真新しい鮮血がベタリとついていた。
男は元より細い目をさらにスウ―ッと細め、糸のようになった瞳で忌々しそうに足元にある罠を睨みつける。
「ったく、タチの悪いモン仕掛けやがって」
先ほどまでとは打って変わった低い声でそう吐き出すと、クルリと彼女に向き直る。
「足、大丈夫そうか?」
痛みと出血、それと罠から抜け出せた安堵感で幼い彼女には人型を保てなかったのだろう。彼女は獣化してしまっていた。小さな体をさらに縮みこませ、丸く蹲ってしまった彼女を見て、青年は仕方ないとそっと子狸を抱き上げる。
その大きくあたたかな手に、彼女は安心しきった様子で身を預けたのだった。
――そんな彼女と青年が、数年後、種族を超え愛し合ったとして、なんの不思議があるだろうか?
これが狸族の青年であれば皆が祝福したことだろう。しかし青年はピンととがった三角の耳を持つ、狐族の男だった。
狸と狐。人間世界では共に人間を化かす、昔話にもよく登場する動物。
だが獣人の世界では、この狸族と狐族は非常に仲が悪かった。
狸族の者は総じて背が低く、成体の雄でも160センチに満たない。雌は平均身長148センチ程である。体型はぽっちゃりとした、女性なら「豊満な」と称する身体つき。目は大きく真ん丸で、愛らしく童顔。髪や瞳の色は黒か焦げ茶で、肌は日に焼けた褐色をしていた。
それ対して狐族は真逆と言っていいだろう。雄は成体すると優に180センチを越える。雌でも平均が170センチ程度で、狸族の雄よりも10センチは高い。「モデル体型」と呼べる、長身痩躯の者がほとんどである。瞳は切れ長の一重で、微笑むと糸目になってしまうほどに細い。髪や瞳は金色や琥珀色で、肌は雪のように白かった。
また人間は気付いていないだろうが、彼ら『獣人』は人間社会に紛れ込んで生活しているものが多数いるのだ。
狸族は一見害のなさそうな愛らしい姿を利用し、『詐欺』をはたらく者が多い。
俗に『青詐欺』と呼ばれる、会社相手の書類や不動産関係を得意としている。
それに対し狐族は、『赤詐欺』と呼ばれる結婚詐欺や美人局といった異性相手の詐欺を生業としていた。
似ているようで、似ていない生態。騙される側にしてみれば同じ詐欺師であっても、彼ら自身は互いに「そんな商売しやがって」と思いあっていたため、非常に仲が悪いのだった。
そんな仲の悪い種族であっても、彼女と青年の間には愛があった。その結果、一人の娘――タヌキが生まれる。
当然、彼女は狸と狐のハーフである。
茶色の髪と瞳。象牙色の肌をもつ少女。どちらからも少しずつ受け継いだ『どっちつかず』。そう言って狸族の里でも狐族の里でも、受け入れられることはなかった。
生まれた娘はもちろん、妻であるはずのタヌキの母にさえ、青年は父親に似た心境をもっていた。きっと離れている年齢のせいだろう。そのため必至に里の者を説き伏せ、なんとか狐族の里で暮らせるよう掛け合い、『里の者に迷惑は掛けない』という約束でようやく里に家を構えることが出来たのだった。
慣れない里で暮らす妻と娘のため、青年は必死で働いた。それこそ家にも帰らず、昼夜を問わずに懸命に働いた。
――だが皮肉にも、妻には働く青年の姿が浮気のように感じられたのだった。
だが彼女がそう思うのも無理もない。帰ってきた青年の身体からは、人間の香水と雌の臭い。それもそのはず。狐族の仕事といえば、赤詐欺がメインなのだから……
青年が気付いたときにはもう遅く、彼女は幼い娘を残したまま村を去った。残された父娘の仲は悪くないのだが、これまでは家を空け仕事に没頭していたためギクシャクとした雰囲気だった。
そんな娘の相手をしていたのは、隣家にすむ彼女よりも8つばかり年上の『キツネのお兄ちゃん』であった。
キツネはタヌキの母親がいた頃から、家に篭りがちなタヌキの母親に代わって彼女を外の世界へと連れ出してくれた。
里近くでの遊び方や『獣人』ではない獣への注意点。さらにはまだ見たことのない、人間界の話もしてくれた。母親と家に篭ることの多かったタヌキにとって、キツネは唯一といっていい外界との接点だった。
しかし母親がいなくなって数年後、父親も仕事に行ったきり、ふらりと戻らなくなった。原因は誰にもわからない。人間界で何かあったのかもしれない。または妻が忘れないからなのか、それとも子育てに嫌気がさしたのか……。
幸いタヌキに家は残してくれた。
しかしまだ幼かったタヌキがひとりで生きていけるはずもない。
狐族の里の者は、「迷惑をかけないという約束だったのに」とタヌキを責めた。彼女は唇をぎゅっと結んで、じっと耐え続けた。
「おじさん、おばさん。タヌキの面倒は、俺が見ますよ」
そう言って手を差し伸べてくれたのは、やはりキツネだった。
キツネは独り立ちをしている年齢のため、隣家には住んでいない。それでもほぼ毎日のようにタヌキの家に顔を出し、気遣ってくれていた。
狐族特有の黄金色の髪をもつ長身の青年。常に笑っているかのような、細められた瞳。
だがタヌキはその瞳が綺麗な琥珀色をしていることを知っていた。真剣な表情の時にだけ見れる、綺麗な夕陽色の瞳。薄い唇は冷たそうにも見えるが、いつも緩く弧を描いている。性格は温厚で優しく、里でも一、二を争う人気ぶりだ。
「お兄ちゃん……」
ひとりじっと耐えていたところに、突如かけられた優しい言葉。タヌキは涙をなんとかこらえようとしているものの、もう今にも零れそうである。
「タヌキ……おいで、今日から俺と一緒に暮らそう」
白い手で優しく頭を撫でられ、タヌキはついに「わあああん」と声を上げて泣いた。
その声を上げて泣く姿に、里の大人はようやく彼女が「子供」であったことを思い出したのだろう。みな気まずそうに視線を逸らしている。
泣きじゃくるタヌキをそっと抱き上げたキツネは、反対する者がいないことを確認してその場を歩き去る。
寄って集って何一つ罪のない子供を吊し上げたのだ。里の大人は、キツネの態度に文句をつけれるはずもなかった。
◇◇◇
数年後。
タヌキも年ごろの娘へと成長していた。これまでずっと親代わりとしてタヌキを育ててきたキツネも立派な男性となっていたが、子供はおろか、結婚さえしていない。
里の娘たちは、キツネの番になろうとあの手この手で近づいてきたが、自分よりもタヌキを優先するキツネを許せるはずもなく、大勢が脱落している。
「お兄ちゃん、私外に行きたい」
里から少し離れた、人間社会を一望できる秘密の場所。そこで遥か下に広がるビル群を見つめながら、鈴のような声で囁いたタヌキ。
ハーフだ、半端者だと狐族からも狸族からもバカにされていたタヌキだが、年ごろになるととてもきれいになった。それこそ突然花開いたかのように。
低すぎず高すぎない身長。狸族の豊かな胸に尻。狐族のくびれた腰と足首。茶色の髪はふわりと波打ち、切れ長の二重の瞳。そして象牙色の肌は健康的に日に焼けている。
――彼らの里がある、『日本』に適した見た目だった。
「そうか……タヌキも人間界に行ってみたいか」
「うん。みんなが私に似ている人がたくさんいるって」
過去の一件以来、里の者はタヌキに対して若干優しくなった。最近では、若い男たちが何かと用事を見つけてはタヌキに話しかけようとする光景も良く見られるようになっていた。
そんな彼らが、タヌキの気を引こうと人間界の話をしても不思議ではない。
「まあ、確かに似てはいるが……彼らはお前が思っているよりも残酷で冷たい生き物だぞ?」
「別にずっと住むつもりじゃないし、人間を番にしようとも思ってない。ただ、見たいだけ」
「わかった。なら、行くといい。だが注意事項は覚えているな?」
「うん。人間に里の存在を教えない。知られない。話さない。気付かれない。病院には近寄らない。動物の傍にも可能な限り近寄らない。特定の人物とだけ親しくならない。……で全部だったはず。あってる?」
「ああ。それだけ覚えているなら大丈夫だろう。それと多分人間に交じって他の種族がいるだろうが、肉食獣には気をつけろよ。……出来るなら近寄るな。喰われちまう」
「うん。食糧になるつもりはないよ。気を付ける」
それから10日後には、タヌキは人間界に遊び……見聞を広めに行くのだった。
◇◇◇
「うわあ、凄いな……」
噂には聞いていたものの、人でごった返す道。排気ガスと食べ物の混ざった匂い。人の話し声と笑い声と自動車のエンジン音にクラクション。
人間界はおろか、獣人の里からさえほとんど離れたことのないタヌキにとって、目も眩みそうな喧騒だった。
呆然と見上げる巨大なビルを前に、思わず立ち止まり口をポカンと開ける。後ろから来た通行人に、邪魔だと言わんばかりにぶつかられ、ようやく足を動かし始めた。
「……やっぱりお兄ちゃんについて来てもらったほうが良かっ……ううん。一人でも大丈夫。私が傍にいたら、お兄ちゃん番も持てないんだから!」
タヌキが突然「人間界に行く」と言い出した理由。それはキツネのためであった。
小さなころからずっと傍にいたため失念していたが、キツネだって『雄』なのである。彼女にとってはお兄ちゃんでも、他の女性からしたら『恋人にしたい雄』であり、『番たい相手』なのだ。
大抵の女は飄々としたキツネの態度に諦めるものの、それでもまだ数人は彼の隣に納まろうと粘っている。
狐族の里にはたくさんの娘がいるといっても、数は限られている。
そう考えたタヌキは、自身がいるとおちおち恋愛もしていられないだろうと、この繁殖期直前に人間界へとやってきたのだ。
――自分が帰るころには、キツネはもう大切な相手を見つけているかもしれない。今までのように自分だけのお兄ちゃんではなくなるかもしれない。
タヌキは覚悟して里をでた。
キツネの事を兄と呼んでいても、血の繋がりも何もないのだ。ただ、隣の家に住んでいただけ。それだけの繋がりで、キツネの一生を縛ることはできなかった。
「さてと、まずはお兄ちゃんが用意してくれた家に行きますか」
キツネがタヌキの為に何かしてくれるのは、これが最後かもしれない。そう思った時、タヌキは突然に胸がツキンと痛くなった気がした。
その理由に気付かない振りをして、小さく呟きひとり気合を入れ直すと、人の波へとその身を投じたのだった。
◇◇◇
「すみませーん、隣に引っ越してきた田貫と申しますが……」
ドアフォンを鳴らしたあと声を掛けると、ゆっくりとドアが開いた。
「あ、お忙しかったですか? すみません。田貫と申しますが、隣に越してきたのでご挨拶をと思いまし……て」
タヌキは何度も練習したはずの挨拶を、思わず口ごもってしまう。
ドアから顔を出した人物は、里ではお目にかかれないようなカッコいい女性だった。
濃い金髪をベリーショートにした、中性的な雰囲気。
しかしピタリと体に張り付いたキャミソールから、はみ出さんばかりの胸の膨らみが女性であることを主張していた。
スポーツインストラクターでもしているのかと思いたくなる、引き締まった身体。
日に焼けた褐色の肌がなめし革のように艶やかだ。
色の薄い金茶の瞳と視線が交わった途端、なぜかタヌキの全身に震えが走った。
タヌキは挨拶回り用の粗品を思わずぎゅっと握りしめた。
彼女の緊張感など知る由もない迫力美人は、友好的ににっこりと笑う。
「あら、そうなの。……ご丁寧にどうも。私はデネボラよ」
「あ、よろしくお願いします。じゃ、じゃあご挨拶に伺っただけですのでこれで……」
「待って! ここに住んでいるのは私だけじゃないのよ。ちょっとみんな来て!」
さっさと隣の自宅に逃げ込もうとしたタヌキの腕をとったデネボラは、室内に向かって声を掛ける。
「え……」
タヌキは思わず戸惑いの声を漏らした。
というのも彼女がひとりで人間界に行く際、住む場所などの手配はキツネがしてくれた。用意してくれたのはオートロックのマンションの角部屋で、『隣は女性が住んでいる』と聞いていたためてっきり一人暮らしなのだと思い込んでいたのだ。
「もーう、何よう? 折角お楽しみだったのにぃ……」
顔にソバカスのある下着姿の女性を先頭に、「何の用なの?」と口々に不満の言葉を吐きながら、ゾロゾロと奥の部屋から出てくる女性たち。
タヌキはバカみたいに口を開けたまま、ポカンと彼女たちを見ていた。
「あら……可愛い子ね。誰?」
下着姿の女性がタヌキに気付き、デネボラに尋ねる。
「お隣に引っ越してきた、田貫ちゃんよ。えーと、こっちから順にアルギエバ、ラス、アダフェラ、アルテルフよ」
「あ、田貫です」
同性といえ、目のやり場に困ったタヌキは視線を下に落としたまま小さくお辞儀する。
アルギエバと紹介された女性は、「よろしくね~、田貫ちゃん」とからからと笑いながらご機嫌な様子だ。
「じゃ、あ、お忙しいみたいなので、これで私は失礼しま」
「匂うな……」
誰かが発した失礼な言葉に遮られ、またしても最後まで言い切れず去るタイミングを逃したタヌキ。
だがそんなことよりも、恐怖に全身が逆毛経つ。脂汗が額に浮かぶ。
「レグルス……あなたまでわざわざ出て来たの? めんどくさがりのあなたにしては珍しいわね」
「嗅ぎ慣れない匂いがしたからな……どんな女かと思えば、まだ小娘か」
そう言ってレグルスと呼ばれた男性は、印象的な金茶の瞳でタヌキを見据える。
間に女性五人挟み、ドアの外と室内廊下の最奥という離れた場所に立っているのに、まるで眼前で睨まれているような威圧感。タヌキはガクガクと足が震えるのを止められなかった。
「……田貫ちゃん、震えてるの~?」
「ホントだー」
「レグルスって女の子に『カッコいい』って頬を染められることはあっても、こんなにも怖がられることなんてないのにね」
「オチビちゃんには、まだレグルスの色気は早いんじゃないの~?」
好き勝手なことをいう彼女たちに、レグルスは鼻でフンと笑う。
「お前たち俺をからかっているのか? それとも本当に気が付いてないのか? おい、こいつ何て名前だ?」
「えー、他の女の子気に掛けるとか、ちょっと私嫉妬なんですけどー」
ブーブーと不満を漏らすアダフェラをよそに、女性たちのまとめ役でもあるのだろうデネボラが「田貫ちゃんよ」とレグルスの問いに答える。
「田貫……ね。随分と捻りのない偽名だな。おまえ、狸っぽくないけど狸族なのか?」
「っ!!」
人間は『獣人』の存在を知らない。知っているのは同じ『獣人』。
タヌキは必死で考える。レグルスの種族を……。
女性たちよりも更に鍛えられた筋肉質な身体は、大きく逞しい。キツネの倍はあるだろう厚み。ニヤリと笑った口元からは、鋭い犬歯がちらりと見えた。
印象的な金茶の瞳。濃い金色の髪。
堂々とした風格は、まるで王様のようだ。……王? 金髪の王様?
――鬣か!!!
やばい、獅子族だ。間違いない!
それならタヌキが本能的に感じ取っていた恐怖にも納得がいく。
女性数名と男性一人。面倒臭がる男性。有能そうな女性陣。
それに、……レグルス、デネボラ、アルギエバ、ラス、アダフェラ、アルテルフといえば、しし座を構成する星の名前。
タヌキのように安直に偽名を付ける者、彼らのように少し遊び心を出す者、それは個々の性格だ。タヌキは狸族らしからぬ外見のため、早々にバレることもないだろうと安易な名前にしたのだが、彼女はすでにそれを後悔していた。
「あー、言われてみれば、美味しそうな匂いがする」
そんな恐ろしい言葉を平然と吐き出すアダフェラに、タヌキは逃げ出したい一心で握りしめていた粗品をデネボラにぐいぐい押し付ける。
「これつまらないものですが……ではっ」
何とか挨拶回りの品をデネボラに押し付けることに成功したタヌキは、脱兎のごとく逃げ出した――つもりだった。
だが踵を返したと同時にレグルスの「逃がすな」という低い指示が辺りに響く。
それまで面白そうにタヌキを観察していた女性たちが、いっせいにタヌキとの距離を詰めて周りをぐるりと取り囲むまであっという間であった。
まさに蛇ににらまれたカエル――ならぬ獅子に囲まれた狸である。
――絶体絶命
タヌキの頭の中にはその四字しか浮かばない。
逃げられないことを承知しているのだろう。上位であることを見せつけるかのように悠々と前に来たレグルスは、凶悪な面構えで愉しそうに口を開く。
「今日からお隣さんだな子狸ちゃん。なあに、今のところ腹は減ってねえし、お前みたいな小動物食っても腹が膨れねえ。だから安心しろ」
「た、食べないってことですか?」
タヌキが半泣きでそう尋ねると、鋭い犬歯を覗かせながらガッハッハと笑ったあと「食わねえよ」と頷く。
タヌキがほんの少しホッしたの束の間、レグルスがニヤつきながら再度口を開いた。
「ま、違う意味で喰うことならアリかもしれないが、これ以上群れを増やしたら、こいつらが煩いからそれも出来ないしな。ま、獣人同士仲良くしようぜ」
決して「仲良くしよう」なんて言葉が似合わない、獰猛な笑いを覗かせるレグルスに、タヌキは恐怖のあまりぴょこんと真ん丸な耳を出してしまう。
「あら、……田貫ちゃんかわいいお耳が出ているわよ」
「そのまあるい形、私たちと似ているわね」
「イヌ科なんだけどな……」
「イヌ……」
イヌ科だというレグルスの言葉に、どこか楽しくないといった表情を浮かべる彼女たち。
「でも田貫ちゃん、純粋な狸じゃないわよね?」
「え、あ、あの狐族とのハーフなんです」
「狐族。あのスキモノの~? でも言われてみれば、その切れ長の瞳とかそうよね」
「キツネ、ね」
「え?」
狐とは少し違った慣れ親しんだ響きに、タヌキは思わず声を発したレグルスを見遣る。
「いや、狐族とのハーフにしては、初心だなと思ってな」
先程までの豪快な笑いとは違い、レグルスは口端だけをクッと吊り上げ、「何なら俺が本格的に手ほどきしてやってもいいぞ」とタヌキの髪に手を伸ばす。
「け、結構です!!!」
思わずズザザと後ろに逃げたタヌキだが、綺麗な顔を面白くなさそうにしたアルギエバにドンとぶつかって止まる。
「す、すみません」
「……ねえ、レグルス。ご挨拶もすんだことだし、続き、しようよ」
未だ下着姿のままのアルギエバは、タヌキに返事をすることはなく、艶を秘めた声でレグルスに甘える。
「あ? それもそうだな。子狸ちゃん、まあそういうことだ。今後もお隣さんとしてよろしく頼むぜ」
そう言い残し、室内にさっさと入ってしまう。レグルスに従うように、それまでタヌキを取り囲んでいた女性たちも、何事もなかったかのように「じゃあね~田貫ちゃん」と、部屋の中に消えていく。
一人残されたタヌキは、大型肉食獣に取り囲まれながらも無事生還できたことに安堵しつつ、抜けてしまった腰で七メートル先の自宅玄関まで、這いながら向かうのであった。
◇◇◇
ブーブーと携帯のバイブ音が静かな室内に響く。
喧騒の中では頼りない『音』とも呼べぬものだが、ひとり静かな室内でははっきりと聞き取れる。
「はい。――ああ、そうか。――ックク、いや悪い。こちらの話だ。――ああ。すまなかったな、そんなことを頼んで。――いや、助かる。まだまだ――っとすまない。噂をすれば彼女から電話が入った。ああ、またな。じゃ」
すぐさま話していた電話を切り、キャッチで割り込んできた電話に出る。
「もしもし? ――ああタヌキかい? ――ん?俺? 俺は変わりないよ」
先程とは違った優しい声色で電話に向かって話すのは、狐族の青年――キツネである。
電話相手は先日里を出て、人間界に遊びに行ったばかりのタヌキ。
キツネに迷惑を掛けないと決意して引っ越した初日だというのに、さっそく電話を掛けているが本人は先程までの命の危機に、それどころではないようである。
「――そうか、ごめんごめん。女性の名前で借りられていたからてっきり一人だと思っていたよ。――獅子族? ああ、でも雌がいたってことはプライドを形成しているんだろう? それなら人間界に溶け込んで長いだろうし、いろんな意味で飢えていることはないから大丈夫だと思うよ? ――彼らは繁殖期はないしね。この時期でも大丈夫だと思うよ?」
アハハと笑いながら、楽しそうにタヌキの話を聞くキツネ。
「うん。気を付けるのは、肉食獣でも群れていない雄。それにまだ人間界に来て間もない者。お隣さんは大丈夫だとは思うけど、あんまり近づかないようにね。――うん、じゃ」
電話を切ると、キツネは目を細めクスクスと声を上げて笑う。
「本当に、タヌキは可愛いなあ。俺が、隣が獅子族なんて重要なこと見落とすはずがないじゃん」
自室の窓辺に近寄り、細めていた目を開ける。
夕陽のようなブランデー色をした瞳。その縦長の瞳孔が見つめるのはただ一点。狐族の里にある、唯一の出入口。
窓の外を見ながら携帯を慣れた様子で操作する。
「――もしもし? あ、俺、キツネ。久しぶり。少しお前に頼みたいことがあるんだけど? ――うん、もちろんタダでなんていう訳ないだろ。――了解。用意しとくよ。なあに、簡単な事さ――」
数分後、じゃ、とそっけない挨拶で電話を切ったキツネ。
「タヌキ、憧れていた人間界は怖いことが多いだろう? 俺が守ってあげるから、早く俺の下に帰っておいで」
じっと出入口を見据えたまま、そっと呟くのだった。
◇◇◇
その後、行く先々で虎や豹などの大型肉食獣に遭遇し怯え切ったタヌキが、予定を大幅に切り上げ心許せる唯一の相手――キツネの下に逃げ込んだ。
だが繁殖期真っ只中のキツネの下に戻ったタヌキが、どうなったかは言うまでもない。