第三十三話 決着の時・上
ほぼ書き直してあります。
笛の音が聞こえた瞬間。
マグドリア軍の変化は顕著だった。
「ば、薔薇姫……」
「ロードハイムがやってきた!?」
兵が恐怖のあまり叫び、その叫びがまた新たな恐怖を生んでいく。
統率が失われ、動きを止めてしまう兵士たちもいる。
だが。
「落ち着け! 兵士たち! これは敵の罠だ! オルメイア平原でも使った手だ! 薔薇姫の笛を吹いているだけで、敵に薔薇姫はいない!」
敵の使徒がそう叫んで落ち着かせ始める。
確かに。
普通ならそう思うだろう。
また同じ手か、と。
だが、今回は違う。
そうわかるのは、マグドリア軍の中ではラインハルトだけだろう。
ラインハルトと俺の間には光る粒子が展開されている。
それはラインハルトの剣を受け止め、俺に迫ることを許さない。
「くっ!」
ラインハルトが剣を引く。
ここで俺を狙っていても仕方ないという判断だろう。
「ぐっ……」
俺を捉えていたグレンがうめき声をあげて崩れ落ちた。
最後の力を使い果たしたのだろう。
そんなグレンを見て、ラインハルトが一瞬だけ躊躇する。
だが、ラインハルトはグレンから視線を切り、近くの黒騎士から馬を貰って、馬上で剣を掲げた。
「黒騎士団! 総員、守備体形! 使徒様を守る!!」
その号令に黒騎士たちが瞬時に反応する。
今まで俺の部下たちと戦っていた黒騎士たちが、ラインハルトの下に集合し始めた。
流石に早い判断だ。
だが、黒騎士団だけじゃどうにもできないだろう。
「ラインハルト!? なにをしている! 薔薇姫などいない! 早くアルシオンの銀十字を討ち取れ!」
マグドリアの使徒がそう叫ぶ。
ラインハルトはその声に耳を貸さない。
視線すら向けず、徐々に近づく笛の音に焦りの色を浮かべている
まだ何か言おうとする使徒を制したのは、マグドリア軍の者でも、アルシオン軍の者でもなかった。
ロードハイムの騎士たちと共に颯爽と現れた薔薇色の髪を持つ使徒。
エルトだ。
「マグドリアの使徒に告ぐ! 私はレグルス王国の使徒、エルトリーシャ・ロードハイムだ! 今からロードハイムの騎士と共に首を取りに行く故、しっかり洗って待っていろ!」
戦場に響く清冽な声。
よく通るその声は、エルトの存在を戦場全体に伝えた。
襲撃を勧告されたマグドリア軍も。
援軍を得たアルシオン軍も。
どちらもすぐには行動できなかった。
だが、エルトの後ろにズラリと並ぶロードハイムの騎士と、戦女神の旗を見て、それぞれ動きを開始した。
マグドリア軍は悲鳴を上げ、アルシオン軍は歓喜の声を上げた。
「我が騎士たち! いつも通りだ! 私の背を追って来い! 突撃!!」
マグドリア軍にとって死刑宣告に近い声が響く。
マグドリアの使徒も呆然としているようで、指示が出ない。
けれど、あらかじめ準備していた者たちの反応はさすがに早い。
「マグドリア軍! 戦え! たかが数千の援軍がどうした! 敵が使徒でも、我らにも使徒様がついている! マグドリア軍の誇りを見せるときだ! 祖国には勝利を待つ家族がいるのだ! この戦! 必ず勝つぞ!!」
ラインハルトの声に黒騎士団が応える。
それにつられた兵士たちが、エルトへの恐怖から解放されていく。
落ちこんだ士気が回復した。
けれど、互角ではない。
「若君!」
「レオナルドか……少し下がるぞ」
「撤退ですか!?」
「いや、後退だ。ここに兵が集結しつつある。このままだと突出した俺たちは囲まれる」
本陣に最も近い敵が俺たちだ。
このままここに留まれば、使徒を守るために集結したマグドリア軍に真っ先にやられる。
敵は本陣の守備のために、使徒の下に集結しつつある。
後退するなら今だろう。
「周りで戦ってる奴らにも伝えろ……」
「はっ!」
俺は周囲を見渡し、アルシオン兵を数える。
戦いながら移動していたせいか、周りにはあまり兵がいない。
だいぶやられたのだろう。
残っている兵も強化が切れたのか、苦戦を強いられていた。
途端に体が重くなった感覚だろう。
俺は慣れているが、普通では味わえない感覚だ。
すぐに動くのは難しい。
ラインハルトとグレンに気を取られすぎたか。
これを建て直すのは難しいぞ。
レオナルドが連れてきた馬に乗ると、ラインハルトと視線が合う。
俺も向こうも満身創痍。
けど、ラインハルトの目は死んでいない。
「もう一戦か……」
セラとリカルドの様子も気になるが、ここで突撃しても黒騎士団は突破できない。
敵が集結するなら、こちらも集結しなくては。
●●●
「派手にやられたな?」
一旦、後退した俺にそう声を掛けたのはエルトだ。
俺たちが切り開いた道を通ったとはいえ、早いご到着だ。
もちろん、マグドリア軍が本陣の防御を優先したことも要因の一つだけど、エルト自身の武勇と神威が一番の理由だろう。
「ラインハルトと獣人の戦士長の二人を相手にしてたんだ……命があるだけマシさ」
俺の返しにエルトは感心したように目を見開く。
「ほぉ? 獣人の戦士長とやらは知らないが、獣人の中でも指折りなのは間違いないな。それとラインハルトを相手にして、よく生きてたものだ」
「運が良かった。エルトの助けがなきゃやられていた」
ありがとう、と礼を言うとエルトは満足そうな笑みを浮かべる。
しかし、すぐに表情は真剣なものに切り替わる。
「だが、状況はあまり良くはない」
「外のアルシオン軍か……」
現在、エルトの後ろには千人ほどの騎士が付き従っている。
俺の周りには五百人ほどだ。
そのほかのアルシオン兵やロードハイムの騎士たちは、俺たちの周りでマグドリア兵と交戦中ということだ。
ただ、エルトの兵は三千から四千はいた。
周りで戦っている騎士を合わせても計算が合わない。
なによりエルトの傍に副官であるクリスの姿が見えない。
となると、残りの騎士は。
「ああ。クリスと共に騎士を援軍として送ったが、狂戦士の勢いは止まらない。早めに決着をつけねば、犠牲が増えるぞ」
「……わかってる」
俺はエルトと馬を並べて、使徒の本陣を見る。
黒騎士団に加えて、狂化している獣人が数体いる。
残った力を振り絞って、狂化した以上、手練なのは間違いない。
そんなことを考えていると、エルトの傍にいた少年が声をかけてきた。
「おい、あんた!」
「ん? 君は……獣人か?」
「マグドリアの人質だった子供だ。カシムという。説得に使えないかと思って連れて来た」
「そんなことはどうだっていいんだ! 戦士長は! グレンさんは!?」
必死に声をかけてくる姿を見て、答えに詰まってしまう。
胸を刺された以上、あの時点で命は尽きかけていた。
まだ生きていたとしても、助からないのは明白だ。
「……俺が胸を刺した。もう助からないだろうな……」
「……どこだ……?」
「この少し先だ」
あれだけの巨体だ。
マグドリア兵もわざわざ踏みつぶしたりはしないだろう。
無事に確保できる可能性はある。
もちろん、敵に突っ込まなければいけないが。
「……オイラもついていく」
「好きにしろ。ただし、目の前で親族が殺されるかもしれないぞ?」
「平気だ。オイラの家族は姉ちゃんだけで、その姉ちゃんもあんたに保護された。その姉ちゃんの夫がグレンさんだ。せめて遺体だけでも持ちかえりたい……」
そう言いながらカシムは涙を堪えている。
つまりカシムにとって、グレンは義理の兄というわけか。
普通なら俺に襲い掛かって来そうなものだけど。
「カシム。先に言っておくが、おかしな真似をすれば斬るぞ?」
エルトが忠告する。
義理の兄を失った子供に冷酷かと思うが、後ろから攻撃される可能性もある。
指揮官として当然。
連れていくだけ優しいというべきか。
「わかってる……。あんたは一族の大恩人だ。あんたやあんたの周りの人間を害することは絶対にしない」
「ならいい。それとこれから獣人を説得する。狂化している者は無理だろうが、ほかの者ならお前の姿と言葉を聞けば、気持ちも揺らぐだろう」
「任せてくれ。それで駄目ならあんたの好きにすればいい。恨んだりはしない」
そう言ってカシムは目に溜まった涙を吹き去る。
エルトの性格的に、説得しても向かってくるなら容赦はしないだろう。
本当に駄目な場合は、子供の前だろうと獣人を切りかねない。
カシムの言葉にうなずき、エルトは剣を高く掲げる。
「私はレグルスの使徒、エルトリーシャ・ロードハイム! 聞け! 狼牙族の戦士たち! 諸君らを縛る人質は私たちが解放した! 戦う理由は消えた! 今すぐ投降せよ!」
エルトは言いながら、獣人たちから視線を外さない。
獣人たちは反応したものの、半信半疑といった様子だ。
「使徒様の言うことは本当だ! オイラたちは無事だ! みんな戦いをやめてくれ!」
カシムが声をあげて、エルトの前に出た。
さすがにカシムの登場には多くの獣人たちが動揺する。
多くの者が戦いをやめるが、まだ戦いをやめない者もいる。
そんな者たちを見て、エルトは小さくため息を吐く。
「馬鹿者が……! カシム。下がれ。これ以上は危険だ。敵の矢が来る」
「あともう少しだけ……! オイラが利用されてると思ってるんだ!」
「わかってる。だが、言葉で説得できない以上、打つ手はない。悪いようにはしないから、もう下がれ」
言っている側からマグドリアから矢が放たれた。
そこまで数は多くないが、俺たちは密集しているため被害も多くなるだろう。
当たればだが。
マグドリアの矢は届く前にエルトの光壁に阻まれる。
エルトがいる以上、ここは堅牢な拠点と同じだ。
矢程度じゃどうにもできない。
「獣人の大半は動きを止めた。あとは狂化している獣人が問題か……」
「尋常じゃなく強いぞ……」
エルトといえど苦戦は免れないだろう。
なにせ剣がまともに通らないのだ。
俺のように強化できるならまだしも、エルトの神威は防御よりだ。
倒せないとは思えないが、時間がかかるだろう。
「あまり獣人に時間をかけては逃げられる。この状況だ。敵の頭には撤退のプランがあるだろうからな」
「俺ならもう撤退を決断するけどな」
「見極めているのさ。黒騎士団と獣人が私を止められるのかどうかを。ちょっとでも風向きが悪いと思えば、即撤退だろうな」
そして黒騎士団と獣人は殿として戦う羽目になるわけか。
リカルドとセラが戦っている狂戦士の狂化もそろそろ時間だろう。
逃がせば第二次攻撃があるかもしれない。
ここで仕留めたいところだけど。
「どちらにも決め手がないな……。狂化した獣人なら、満遍なく広げた光壁は突破するだろうし、かといって集中させれば黒騎士団を突破するのは難しい……さて、ユウヤ。どうする?」
エルトがそう振ってくる。
振ってはいるものの、どうせ頭の中じゃもう作戦は出来上がっているんだろう。
というか、この場合は一つしかない。
「獣人をエルトが止めて、俺が使徒を狙う」
「奇遇だな。私もそれしかないと思っていた。途中までは一緒に行ってやる。黒騎士団を何とか突破しろ」
「無茶を言ってくれるな……。俺はもうヘロヘロなんだぞ?」
「ラインハルトも似たようなものだ。大丈夫だ。お前の周りには光壁を展開しといてやる」
それはありがたいな。
防御を気にしなきゃ、まぁギリギリやれるか。
俺が頷くとエルトは不敵な笑みを浮かべる。
そしてエルトは突撃の合図を騎士たちに送った。
●●●
最初にロードハイムの騎士たちが突撃して、エルトと俺の道を作り始める。
エルトが先頭に立たないのは、エルトが真っ先に出てしまうと、すぐに獣人と黒騎士団が立ちはだかるからだ。
それでは使徒にたどり着くまで時間がかかる。
ある程度、距離を詰めてから突撃をする予定だ。
そんなわけで、後方で指揮を取っていたエルトの場所に知らせが来る。
「少し先に瀕死の獣人を発見しました」
その報告を聞いて、エルトと俺、そしてカシムは前に出た。
どうせ、そろそろ突撃する予定だ。
問題ないだろう。
少し先に進むと、グレンが倒れていた。
こうしてみると、俺たちが戦った場所だけ血の色が濃い。
それだけ血を流し、敵を斬ったわけか。
「グレンさん!」
倒れるグレンを見て、カシムが慌てて近寄る。
息をしているかも怪しく、周囲には血の海ができている。
胸を貫かれて、腕も切り落とされている。
生命力の高い獣人じゃなきゃとっくの昔に死んでいるはずだ。
しばらくカシムが揺さぶっていると、奇跡的にグレンの意識が戻る。
本当に最後の奇跡になるだろう。
「……カシム……」
「あ、ああ! オイラだ! 大丈夫だからな! レグルスの使徒様が助けてくれたんだ!」
「……そうか……礼を……言わねば、な……」
二人のやり取りを黙ってみていたエルトが、馬上から声を掛ける。
「私がレグルスの使徒だ。マグドリア軍の人質になっていた狼牙族の者たちは保護した。安心して逝くといい」
「あり……がたい……レグルスの使徒よ……どうか……我が一族の……悲願を……」
「ラディウスへ行きたかったそうだな? だが、そこまでしてやる義理はない。保護はした。安全も保障しよう。だが、お前たちは手段を間違えた。たとえ、脅され、屈服させられた結果だとしても。魔族と人の関係はこれで更に悪化する。お前たちに優しくするには血が流れ過ぎた」
エルトの言葉にカシムが涙を流し始める。
そんなカシムを見て、グレンは小さく笑う。
「……そうか……ならば子供たちに……託そう……。仲間の下へ……我が一族も……。カシム……ピナに……すまないと……」
徐々にグレンの目から光が無くなっていく。
それを見て、カシムが泣き崩れる。
エルトは騎士を数名呼び、カシムをグレンの遺体と共に後方に下げるように指示を出す。
その指示を終えると、小さくため息を吐いて戦場全体を見渡す。
だいぶロードハイムの騎士たちが押し込んだせいで、敵の本陣は近づいた。
しかし、それは向こうも同じこと。
エルトが前に出たのを見て、敵の獣人が動き出している。
「さて、敵が動き出したな。私は獣人を止める。敵の使徒は任せたぞ?」
「自信はないが、任された」
俺の返事を聞くと、エルトは苦笑を浮かべる。
「武運を祈るぞ。ユウヤ」
「そっちもな。助けに来てくれた礼をまだしてない。しっかり考えておけ」
「おお! そうだった! しっかり礼をしてもらうから、覚悟しておけ!」
そう言い残して、エルトは光る粒子を残して駆けだした。
向かう先には狂化した獣人が数体。
エルトがロードハイムの騎士たちの周りに展開していた光壁を打ち破り、ロードハイムの騎士たちを吹き飛ばしている。
やはりエルトは獣人に釘付けにされると思ったほうがいいな。
エルトが残した光る粒子は、俺の周りに漂っている。
これで防御はほぼ完ぺきか。
あとは俺と残りの兵が敵陣を突破できるかどうか。
敵の本陣近くには黒騎士団がおよそ三百。本陣の守備兵は一千といったところか。
こっちは五百のアルシオン兵とロードハイムの騎士が三百で、合計八百。
やってやれないことはないか。
「行くぞ……! 目標は敵の使徒! 必ず殺せ! 生かして帰すな!」
あいつの神威は凶悪だ。
だが、それ以上にあいつの人間性が凶悪だ。
生かして帰せば、必ず災いとなる。
ここで仕留める。