タダノジツワ「公衆電話」
あれは確か……俺が中二の、いや、高校二年の時だったな。
君は公衆電話に番号があるのを知っているか?
そう、番号さえ分かれば公衆電話って鳴らせるんだよ。
当時、俺は陸上部に所属していてね。それなりの成績は収めていたんだ。実力はといえば、県大会に出れるか出れないかくらいだったけどね。ところが大会直前に階段で足を滑らせて軽い捻挫をしてしまったんだ。
軽い捻挫と言えども、コンマ何秒を競う大会では致命的だ。残念ながら出場を断念するほか無かった。
だが、陸部の部員連中は慰めてくれるどころか、マネージャー(当時の彼女)すらも俺を白い目で見た。まあ、階段から落ちた原因が朝寝坊とあっては、同情を得るのは難しいって事だ。顧問からもしこたま怒られた。あの時は本当、参ったよ。
そんな俺に罰として科せられたのは、部室と職員室の掃除だった。
クソ暑い夏にクソ臭い、いや、汗臭い部室の掃除なんて拷問以外のナニモノでも無かったが、冷房の効いた職員室の掃除は快適だった。そのうえ、入り慣れない職員室だけあって興味津々。教育実習の音楽の先生(結構カワイイ)とお喋りが出来るのも役得だ。
自分で言うのも何だが、俺はやる時はやる男だ。窓ガラスは当然として、窓の桟までシッカリ水拭きだ。冷房のフィルターに溜まったホコリだって許さない。
そして、職員室の入り口の引違い戸(横にスライドする例の扉)のレールを雑巾で拭っていた時だ。緑色の公衆電話が目に入った。
職員室の外だから、これは俺の管轄外。と、思ったが、やる時はやる男な俺は、サービス精神も旺盛に公衆電話もキッチリ磨いた。
本体を磨き終わり、電話台に目をやると電話機本体と台の間に結構な量のホコリが溜まっている。
俺は本体を傾け、濡れ雑巾で台の上のホコリを拭い取った。その時だ。電話機の裏にマジックで数字が書いてある事に気が付いた。これは何の数字だろう。
俺はもしや? と思い、ポケットから携帯を取り出し、その番号にかけてみたんだ。
ジリリリ!
うおっ! と、慌てて携帯を切ると、目の前の公衆電話が沈黙した。驚いた、公衆電話って鳴るんだな。
幸い、職員室から誰かが出てくる気配は無かった。校内に携帯を持ち込むのは校則違反だったから、バレたら取り上げられるトコだった。危ない危ない。
掃除も終わったし帰るか、と思った時だ。俺の頭に「あるアイディア」が浮かんだ。
くふふ。これは面白くなりそうだ。
*****
「職員室の前にある、公衆電話の上の御札を取って戻ってきたらクリアって感じで」
俺は夏休みに行われる、陸上部の校内合宿を利用した「肝試し大会」を思いついたのだ。
肝試しの内容はこうだ。
部員たちに適当に校内を巡らせるのだが、所々にショボイ仕掛けを施して油断させる。そして、最後に例の公衆電話の上に置いた御札に手を出したタイミングで電話を鳴らす。
どうだ? タネを知らなければ結構怖いぞ。これ。
――――非常灯に照らされたリノリウムの床。そこに響く自分の足音は、本当に自分の足音なのだろうか? そして、不気味な御札に手を伸ばした瞬間、鳴るはずのない公衆電話が鳴りだす!
くくくっ……奴らが恐怖に怯え、慌てふためく様が脳裏に浮かぶぜ。
ただ、自分一人だけで楽しむのも詰まらないし、女の子たちを恐怖のドン底に叩きこむのも後味が悪い。万が一、失神でもされた日には後が面倒だ。この手の企画はやり過ぎは禁物。
よって、肝試しを面白盛り上げるために、女子部員たちには事前に内容を教えて協力を仰いだ。
「へー、公衆電話って鳴るんだー。あたし、知らなかったー」
「そうなんだよ。俺も最初はビックリした。だから、『やだー、こわーい』とか言っちゃって、ペアになった男のジャージでも掴んでてよ」
「うんうん」
「男って、女子の前だとカッコつけたいから、『オレ、こういうの平気だぜ』とか言うのよ。そしたら、『すごーい! 痺れるー憧れるー!』とか何とか言っといて」
「それからどうなるの?」
「公衆電話の上の御札を取ろうとした時に電話が鳴るんだ。お前だったらどうする?」
「泣く」
「じゃあ、ゴリ先輩が泣いたら?」
「ちょー笑う」
「決まりだな」
女子部員全員の許諾を受け、俺の「肝試し計画」が発動した。
***
俺は絶妙のタイミングを計るため、灯りを落とした職員室に籠って引違い戸の裏に潜んでいた。
肝試し大会は「幽霊なんて信じてないから平気だ」なんて言ってたゴリ先輩の絶叫から始まった。ちなみにゴリ先輩は、単に「五利」って苗字なだけで、某バスケ漫画の先輩みたいなナイスガイでは無く、先輩風を吹かせては俺たちをコキ使う陰険なヤツだ。ガタイがデカイのだけは共通しているが。
そんなゴリ先輩は、あろうことか女子を残して猛スピードで逃げ去ってしまった。あの瞬発力があれば、短距離でもソコソコやれるんじゃないだろうか。
「さあて、次のペアは……っと」
スタート地点の情報を送ってくれるマネージャーからのメールを確認する。
恐怖と動揺を誘うため、全組に電話を鳴らすのではなく、普段から粋がっているヤツとか、カッコつけてるヤツを狙って鳴らすように計画を立てたのだ。お? 次のペアが来たな。
「あれ、電話鳴らないじゃん? ゴリ先輩、超ビビッてたけど……」
そう言って、次の組が何事も無く御札を持って戻って行く。「やーだーコワーイ」とか言いながら、女の子が男子部員の腕に自分の腕を絡ませるのが見えた。女って役者よねぇ。
その時、ポケットの中でマナーモードにしておいた携帯がブブブッと揺れた。
『大成功。男子大パニック』
マネージャーからだ。ぷふっ……その場にいれないのが惜しいのぅ。
***
そして、いよいよ最後の組が出発したとメールが入った。
俺は電話機の上に御札を置いた。本物の御札は意外に高かったが、一枚だけ買った物をコピーして、ダンボールに貼るだけで良い感じのニセ御札が出来上がった。ちなみに御札は学校の近くの水天宮の物だ。たしか、安産祈願の御札のはず。
来た来た。よーし、ラストも張り切ってビビらせてやるぜ。って、あれ? 一人か?
緑色の非常灯の灯りだけが頼りの中、廊下の向こうから歩いてくるヤツが誰なのか判別がつかない。だが、男子の制服を着ているのだけは分かった。ペアの女の子はどうしたんだろう? 途中で怖くなっちゃったのかな? まあ、いいか。
さあ、手を伸ばせ。御札を取れ……って、待てよ。どうして制服を着ているんだ? 部員は全員ジャージを着ていたはず。
――――こいつは誰だ?
制服の男子は電話機に手を伸ばす。そして、御札を……違う。彼が手に取ったのは受話器だ。
電話をかけているのか? 俺は電話を鳴らすタイミングも忘れて聞き耳を立てた。だが、ぼそぼそと喋る男子生徒の声は上手く聞き取れない。
その時だ、手に持った携帯にメールの着信が入った。思わず携帯を取り落とすほどに驚いたが、液晶に浮かんでいた文章は――――
『最終ペアが戻ってきちゃったよ』
ぞわっ、と鳥肌が立つのを感じた。
カチャリ
受話器を置く音が聞こえた。
***
「おめー、マジふざけんなよー。超怖いじゃんよー」
公衆電話が鳴るというタネ明かしをすると、男連中からは盛大なブーイングが上がった。だが、女子の手前、本気で怒り出すようなヤツはいなかった。
「花火やろうぜー! 花火ー!」
あれだけ怖がっていたのもサックリ忘れて、連中は浮き足立っている。この状態では、電話をかけにきた制服姿の男子の事を聞いても余計な混乱が拡がるだけな気がする。
そこでマネージャーに声をかけてみたが、彼女もそんな生徒は知らないという。だが……
「ねえ、ゴリ先輩、帰るって」
「え? どうして?」
「具合が悪いんだって」
「あらら、肝試しが怖すぎたかな?」
「それがね、ゴリ先輩、変な事を言ってたの」
「変な事?」
「うん……『あいつがいた』って頭抱えて震えちゃって」
あいつがいた? 制服の男子の事だろうか?
*****
一週間後、ゴリ先輩が死んだ。自宅のマンションから飛び降りたという。
俺を含めて何人かが学校に呼び出され、警察に事情を聞かれたが、ゴリ先輩はイジメこそすれ、イジメられるようなタイプでは無かったし、進学や恋愛の悩みの心当たりも無かった。
その帰りだ。歩きながら先輩達が奇妙な事を話し出した。
「しかしさぁ……ゴリが飛び降りってのは無いよな」
「ああ、よりによって飛び降りは無い」
どうして飛び降りは「無い」のだろうか。変な話、ポピュラーな「方法」だと思うのだが。
「あの、先輩。どうして『飛び降り』は『無い』んですか?」
先輩二人は足を止め、顔を見合わせていたが、どちらとも無く話し始めた。
「俺らが一年ン時さぁ、ウチの生徒、一人自殺してんの知っとる?」
「はい、聞いたことだけは……」
「それがさぁ、飛び降りだったんだけど、ゴリがイジメの首謀者だったんよ」
「マジすか? 初めて聞きました」
「でよ、『これから死ぬから』って、ゴリの携帯に電話あったんだって。しかもそれがさぁ、電話したすぐ後に飛び降りたらしいんだよ」
その時、俺のポケットの中で携帯が振動した。
「あ、先輩、すんません。電話来ちゃいました」
先輩に断り、ケツポケから携帯を取り出し液晶を確認する。そこには「公衆電話」と、表示されていた。
俺は無言で携帯を切った。このところ無言電話が増えた。いや、無言では無い。聞き取りにくい声でボソボソと何かが聞こえる時がある。それは――――
「これから死ぬから」
確かに、そう聞こえた。