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あなざー赤ずきん

 別に感謝されたかったわけでも愛されたかったわけでもない。
 ただ、彼女の笑顔が見たかっただけで。


 狼は嫌われ者だった。
 凶悪な顔で悪巧みばかりし、乱暴な態度の上に好んで人を食らう。
 村中に流れる狼の噂は全てそんなもので、狼は村に寄り付こうものなら棒で追われ、銃を向けられるのが日常だった。

 仕方ないな、と狼は思っていた。
 実際は狼は人を食べようとは思っていなかったし、考えていることといえば食事のことと天気のことぐらい。
 もちろん他の動物を襲うこともあったが、それは捕食の領域でそれ以上ではない。戯れに弱者を痛め付けたことなど一度もなかった。
 人に恐れられる強面は生まれつきのもので、口下手だから誰とも話せない。

 嫌われ者だと扱われることに、狼はいつしか慣れてしまっていた。
 悲しいと思ったこともあったが、それも昔の話。
 極力村に寄り付かず、森の中で孤独な日々を過ごすのが彼の日常。
 食事のことを考え、ねぐらで寝て過ごし、天気に気分を左右される、楽しみなど何一つない日々。
 たった一つのことを除いては――。

 狼には最近、一つの楽しみがある。

 森の奥、狼を恐れて誰も近寄らない場所。森を抜けた先にある花畑は、小さいものの満開の花々が咲き乱れる狼の心のオアシスだ。
 その花畑に近頃、訪れる小さな姿があった。

 花畑の近くの木からそっと様子を窺う。
 赤や黄色の花々に囲まれ、少女が満面の笑みでいる。赤い頭巾を頭に被り、片手に籠を提げた少女だ。籠には摘んだと思われる花が何輪も入っている。
 季節が春頃になってたびたび、少女は花畑を訪れていた。

 不思議なことに、狼はその少女が花畑で楽しそうに戯れているのを見ると温かい気持ちを得ることができた。
 あの優しそうな少女と話すことができたら、きっと幸せだろうなとも思う。
 でも、彼女の前に姿は現せない。きっと彼女は自分を恐れて逃げていってしまうだろう。
 ただ、遠くから楽しそうにしている彼女をそっと眺めていられればそれでよかったのだ。

 ただ、その日は少しだけいつもと違っていて。

 クゥ~ッと、小さく狼のお腹が鳴った。
 慌てて腹を押さえたがもう遅い。
 気付かれるなと願いを込めて木陰から様子を窺うと、それより早く向こうから少女が顔を覗かせてきていた。
 木を挟んですぐ近くで、狼と少女の視線が交差する。

 狼はひどく悲しくなった。この心穏やかで静かな時間が、これで終わってしまうと思ったのだ。
 少女はすぐに悲鳴を上げて背を向けるだろう。
 そして二度と、この花畑を訪れたりはしないのだ。

 彼女の表情が変わった。
 そしてその表情のまま振り返って、籠から取り出したものを狼に差し出す。
 笑顔と、一つのパンだった。

 呆気に取られる狼に、少女は笑顔で告げる。

「お腹が空いてるんでしょ? パンをどうぞ」

 思わず受け取ってしまうと、少女はにこにことそれを見ている。
 狼はどうしたらいいのかわからない。差し出されたパンをどうしたらいいのだろう?

「私がお家で焼いたのよ。おいしいからどうぞ」

 促されるままにパンを一口。焼き立てではなかったけれど、ふわっとした歯ごたえでとてもおいしかった。
 大きな口で一息にたいらげると、少女はまだ笑顔で自分を見ている。
 どうしたらいいのかわからなかったけれど、彼女が何か言ってほしそうだったから。

「お、おいしかった……」

「本当? よかった」

 花が咲くような明るい笑顔に、狼はそれでよかったんだと思って、安心して笑った。

「なあ、お嬢さん。君は俺が恐くないのかい?」

「村の人達はみんな狼さんは恐いって言うわ。でも、狼さんが恐いことをしているのを見たことなかったもの」

「見たことないだけで、本当に恐い奴かもしれない」

「でも、狼さんはお腹が空いてても私じゃなくてパンを食べてくれたわ。人を食べるのは嘘だったのよ」

 彼女が楽しそうに笑ってくれるのが狼は何よりも嬉しかった。自分が人を食べないと信じてくれた人も初めてだった。

「狼さんはここが好きなの?」

「そうなんだ。ここに来ると心が落ち着くんだ」

「ここはいいところだものね」

 誰かとこんなに楽しく話せたのは生まれて初めてだった。
 狼は名残惜しいと思いながら立ち上がる。行かなくてはいけない場所があったのだ。

「狼さん、行ってしまうの?」

「ああ……約束があるんだ」

「それじゃ、はい」

 赤頭巾の少女が差し出したのは黄色い小さな一輪の花。狼がそれを受け取ると、少女はまたにっこり笑った。
 狼はその花を一輪持って少女に手を振る。少女はまた花畑の真ん中に戻っていって、そこで狼に手を振っていた。


 赤頭巾の少女と別れた狼は、今度は森の外れに向かう。
 そこには一軒の家が建っていて、狼はそこの住人に呼び出されていたのだった。
 狼が家のドアをノックすると、中から返事があって狼は家の中に入った。
 小さな家の中には大きなベッドがあって、そこに一人のお婆さんが寝ている。狼を呼び出したのはお婆さんだった。

「約束の時間を少し過ぎてるよ」

 お婆さんはその優しげな風貌とは裏腹に、低くドスの利いた声で狼を恫喝した。狼はそのお婆さんに対して、小さくなりながら頭を下げる。
 狼とお婆さんという力関係からすればおかしな光景だったが、それも当然の話だった。
 なぜなら、このお婆さんはお婆さんではなく魔女なのだから。
 魔女はもともとこの家にいたお婆さんを魔法で消して、お婆さんに化けて成り代わっているのだった。

「俺を呼び出して、一体どうするつもりなんだ」

 狼が訊ねると、魔女は低く笑いながら言った。

「あんたにね、ちょっと協力してほしいんだよ。お礼はたっぷりするよ。食べきれないほどの食事でも何でも用意しよう」

「一体、何の話なんだ」

「ちょっとね、あんたに一人、子供を食べてほしいのさ」

 お婆さんに化けた魔女が言うことに、この魔女が化けたお婆さんはずいぶんとお金を貯め込んでいて、それを自分が死んだら孫に全て渡すことにしていたらしい。
 お婆さんに化けたのだからそのまま使えばいいのに、魔女はお金だけでなく若い体も欲しいというのだ。

「なるほど、それで俺に孫を食べろというんだな」

「そうさね。お礼はたっぷりするよ。もう孫は呼び出してあるから、ちょいと捻ってくれればいい」

「その孫、どんな子供なんだ」

「いつも赤い頭巾を被った小娘だよ。パンと、何処で摘んだのかわからない花をいつも持ってくるね」

 魔女が窓際に飾ってある花を睨んで忌々しげに言う。花瓶に入った花は狼が持っているのと同じ花で、何日か前からあるらしく少し萎れていた。
 狼の視線に気付いた魔女が花に指を向けると、花はあっという間に萎れてからからになってしまった。

「さて、もうすぐ来るはずだけど、手伝ってくれるね?」

 魔女はもう準備は整ったとばかりに笑う。キキキと響くその声はあまりにも醜く、狼もニヤリと口元を歪めた。
 それを了承と受け取った魔女が背を向けるのを見計らって、

「魔女さんよ、あんたは確かに頭が回る。だが、俺にその話をしたのは馬鹿だ」

 振り向くより早く、その首をガブリと一噛み。
 魔女は一瞬こわばった顔を狼に向けて、何事か言おうとしてそのまま倒れ込み、ピクリとも動かなくなった。
 血に濡れた牙を拭うのも忘れ、初めて人を噛み殺した狼はどうするべきか途方に暮れる。
 と、誰かが家の中に入ってくる気配がして、


「キャーーーーーーーッ!!」


 狼が振り返ると、入り口に座り込んでいる赤頭巾の少女が目に入った。
 彼女は真っ直ぐに倒れた魔女を見ていて、持っていた籠を落としたことにも気付いていない様子だ。
 落ちた籠からはおいしかったパンと摘んできたばかりの花が広がっている。
 魔女は死んで尚、彼女のお婆さんの姿を保っていた。これでは狼が彼女のお婆さんを噛み殺した現場にしか見えない。

 何を言えばいいのかわからず、狼は彼女に一歩近付く。足元に広がっていた血がピチャリと音を立てた。
 悲鳴を上げていた赤頭巾はその音で初めて狼に気付いたように視線を向け、そして大きな瞳いっぱいの涙をぽろぽろと流した。
 その姿を見て、狼は何よりも心が締め付けられる。

「どうして……」

(違うんだ。これは君のお婆さんじゃ……)

「優しい狼さんだと思ったのに……」

(違う。俺はそんなつもりじゃ……)

「やっぱり、人を食べるの……?」

「ち、違うっ!」



「さっきの悲鳴は何だ!?」


 赤頭巾に何を言えばいいのかわからない狼が叫ぶのと同時に、家の中に新たな人影が入ってきた。――猟師だ。
 猟師は入り口に座る赤頭巾と狼を見比べ、手にしていた猟銃を一瞬で構えて狼に向けた。
 狼がその銃口を見つめた瞬間、激しい音と衝撃が狼をふっ飛ばしていた。

 放心状態でいる赤頭巾の横を猟師が抜けて、倒れているお婆さんの死体に歩み寄る。
 その死体を検め、完全に死んでしまっているのを確認して振り返った猟師は赤頭巾に尋ねた。

「おい、もう入れ替わった後なのか?」

 意味がわからなくて顔を上げた赤頭巾を見て、猟師は面倒くさそうなため息を一つ。

「そうだよな。段取りが違うもんな。死体は小娘の分があるはずで、婆さんの死体を用意するのは後のはずだもんな」

「な……何を、言って……」

「だから、計画だよ。魔女とオレの。婆さんの体を乗っ取った魔女が、今度はお嬢ちゃんの体を乗っ取るはずだったの。狼がお嬢ちゃんを殺して、その狼をオレが殺して山分けにする予定だったんだが……狼が魔女を殺したみたいだ」

 猟師はやれやれと首を振ると、魔女の死体の傍に倒れていた狼の体を蹴り付けた。腹から血を流して動かない狼はごろりと赤頭巾のすぐ傍に転がった。

「悪名高い割に頭の悪そうな狼なんぞ、簡単に騙して使えると思ったんだが、とんだ計算違いだ」

「じゃあ……狼さんは……」

「さて。仲間割れかもしれんし、狼らしくもなく正義感を出しちゃったのかもな。どちらにせよ、お嬢ちゃんには死んでもらう。計画が駄目になった以上、この家の中の金目のものだけでも頂いてかにゃならんからな」

 倒れている狼の体を抱き寄せて、赤頭巾はギュッと強くその体を抱き締める。
 向けられる銃口など気にもせず、ただただ狼に何度も心の中で謝りながら。

(ごめんなさい。ごめんなさい。あんなに優しく笑ったあなたを、信じられなくてごめんなさい……!)

「お祈りの時間は済んだか? ……じゃあな」

 猟師が酷薄に笑い、あまりにも軽々しく銃の引き金を引いたその瞬間――真っ黒の大きな体が赤頭巾の前に立ち塞がっていた。




 銃声――衝撃に体が大きく震える。

 銃声――新たに空いた穴から血が噴き出す。

 銃声――三度その体に鉛の弾を受け、しかし倒れない。

 狼は、倒れない。



「な、何なんだ、お前はーっ!」

 焦って構えた猟銃が見当違いの壁を撃ち抜き、そのタイミングを待っていたかのように飛び出した狼が猟師を押し倒す。
 猟銃を弾かれて夢中で暴れる四肢を押さえ込み、狼は見せ付けるようにグワッとその大きな口を開けた。
 拭っていなかったその牙は、魔女の血で真っ赤に染まったままだった。

 ――それが猟師の見た最後の景色。





「――! ――カミさんっ!」

 誰かの叫ぶ声に目を開けると、すぐ近くに少女の顔がある。
 涙を浮かべたその顔を見て、狼は無性に腹を立てた。
 この子にこんな顔をさせてるのは誰だ。この子は笑っているのが一番似合うのに、悲しい顔をさせやがって。

「狼さん!」

 目を開けた自分にしがみ付く赤頭巾を見て、ようやく彼女を泣かせていたのは自分だと狼は気付いた。
 そして、そんな自分を殴ってやりたくてももう体が動かないことにも。

「狼さん……ごめんなさい。私……私っ」

「……い、いいんだ……」

 よかった。体は動かないけど声は出る。

「ど……こも、怪我……してない、か?」

「うん……うん……! 私は大丈夫。お、狼さんが助けてくれたから……っ」

「……そう、か」

 よかった。それぐらいのことはできたのか。

「ねえ、ねえ、狼さん……大丈夫、だよね? こんな怪我、へっちゃらだよね?」

 体にいくつ、穴が空いているのかもわからない。その穴から出る血の量もずいぶんと減ってしまっていて、もう助からないのがよくわかっていた。
 その諦めが瞳に出たのか、赤頭巾の少女が大粒の涙を零す。

「ごめんなさい! ごめんなさい……私なんかのために」

「……いいんだ」


 別に感謝されたかったわけでも、愛されたかったわけでもない。
 ただ、彼女の笑顔が見たかっただけで。
 もうそれが見られなくなると思ったら、それが何よりも耐えがたかっただけだから。


「……笑って」

「え……?」

「笑ってくれ……そうすれば……俺、幸せになれる」


 ギュッと一度強く目を瞑って涙を流し、血に濡れていない袖でゴシゴシと顔を拭って。
 涙の跡がまだ残る顔だったけれど、赤頭巾の少女は笑みを浮かべた。
 どこかぎこちないけれど、眦にまた涙が浮かぶのを堪えられなかったけれど、花畑で見た笑顔と何も変わらなくて。
 それが嬉しくて、狼は笑った。

 笑って長い息を吐いて、そのまま動かなくなった。





 森の奥、小さく開けた場所に花畑がある。
 赤頭巾の少女は毎日のように森に出かけて、その花畑にやってくる。
 そしてそこで花を摘むと、さらに花畑の奥にある場所へやってきて、その花を手向ける。
 そこには小さいけれど綺麗にされたお墓があって、墓標には「優しい狼」と刻まれていた。
 そして、そこに花を手向ける赤頭巾の少女は笑顔。



 いつの日か、狼が見た笑顔そのものなのだ。
狼がかっこよくてもいいじゃない、そんなお話。

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