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気まぐれチョコレート

作者: 蒼崎 恵生


「これ、やるよ」


「え?」


 中3の頃、学校帰りに近くの公園に寄って一人ブランコをこいでいたら、知らない男子高生からチョコレートをもらった。それも、その辺に売ってる板チョコとかじゃなくけっこう高そうな包装のをだ。


 2月14日。その日はバレンタインデーだった。このチョコも、きっと誰かがこの人のために一生懸命選んで渡した物なんだろうなと思った。


「もらえないですよっ、しかも高そうだし! ていうか何で私?」


「甘いの嫌いだし、いらね。処理してくれるなら誰でもいー」


 まるで消しゴムのカスをゴミ箱に放り込むみたいにアッサリとチョコを手放すその男に、むしょうに腹が立った。


 年上だろうけど関係ない。ブランコから勢いよく立ち上がりその男に言ってやった。


「そんな言い方ないよ。頑張って選んだ物かもしれないのに、女心をなんだと思ってるの?」


「え、怒ってんの? 部外者のクセに」


 その時初めて、その男は私と目を合わせた。いきなり怒られて驚いたみたいだ。それは怒るよ。同じ女としてチョコレートをあげた人にも同情してしまう。


 バレンタインにもらったチョコレートを通りすがりの女子中学生にあげてしまうなんてどんだけ嫌な男なんだろう。……と思ったら意外にかっこよかった。普通にタイプかもしれない。思わず黙り込んでしまう。


「何? 文句終わり?」


「ううん、そうじゃないけど……。っていうかコレ文句かな?」


「新品未開封なんだから別に汚くないだろ。毒仕込めるスキルも持ってない。なのに何でそんな怒られなきゃいけないわけ? わけわかんね」


 前言撤回。コイツ、顔はいいけど性格は最悪だ!


「どーでもいいけど、いらなかったら捨てていいから」


「あのっ……!」


 一方的に言いたいことを言って、ソイツは公園から出て行った。


「なんかムカつくー!!」


 満足に言い返せなかったストレスで、しばらくモヤモヤしていた。押し付けられたチョコレートを抱きしめ、去っていく彼の背中を見つめる。


「東高の制服……。そこそこ頭いいんだ」


 どうしてチョコレート食べなかったんだろ……。よく見ると有名ブランドのチョコレート。しかもおいしいと評判の。


 コレ、どう見たって義理チョコじゃないよね? ていうか本命だよね。彼女さんからもらったと考えるのが自然。


 甘いの嫌いなら最初からそう言えばいいのに。そしたら彼女さんだってチョコ以外の物をくれたかもしれない。もらっておいて何でわざわざ捨てるわけ? あ、知らないうちに下駄箱や机の中に入れられてたとしたらどうしようもないか。ちょっと納得。


「知らない人から物もらうのダメってお母さんから言われてんのに、どうしようコレ……」


 結局捨てることも出来ず、チョコレートは持ち帰った。お母さんにバレないよう、自分の部屋の冷蔵庫に隠した。



 公園で出会ったソイツのことを気まぐれチョコレートと呼ぶことにした。何となく気まぐれそうな男だから。あだ名を考えたからって誰に話すわけでもなかったけど。



 あれから1年後、私は東高校の生徒になった。もうすぐ二年生に進級する。


 どうしたってあの日を思い出してしまうバレンタインデーの昼休み、廊下側の席に座る同じクラスの有希ゆきがお弁当を持って窓際の私の席に来た。


「ねえたまき、二年の人が呼んでるよ」


「え、誰? 二年に知り合いなんかいないけど」


「とにかく呼んでくれだって。顔見たら分かるって言ってたよ。廊下にいる」


 有希とは入学式の日に仲良くなった。今日もいつものように一緒にお弁当を食べようとした昼休みのはじめにそんなことを言われ、首を傾げるしかなかった。


「これって少女マンガとかによくあるリンチの前触れかな。女子の先輩怒らせる要素もモテフラグも私には皆無なんだけど。もしそうなったら有希だけは味方でいてね」


「リンチって! 違う違う! 男の先輩だったよ。けっこうかっこよかったなぁ。あんな人いたんだね~」


 男? もしかしてアイツ……?


 気まぐれチョコレートの顔が頭に浮かんだ。


「後で話聞かせてね! 先に食べてるー」


 能天気に言いお弁当を広げる有希に曖昧な笑みを返し、教室の外に出た。



 やっぱり。雑音にまみれた廊下で、一人窓枠に肘をついて立っていたのは、あの日公園でチョコを渡してきた東高の男ーー気まぐれチョコレートだった。



「久しぶりだな。あれ、あんま驚いてない?」


「予想ついたから。他に思い当たる知り合いいないし」


 答えつつ本当は驚いていた。


 あの後何度かあの公園に行ってみたけど、コイツに会うことはなかった。別にそこまで会いたいわけじゃなかったけど、一度変な関わり方をした身としては気にせずにはいられなかった。


「ちょっと話そ。あの時はゆっくり話せなかったし。あ、俺は穂希ほまれな。名前。そっちは?」


「環」


「へえ。意外と可愛い名前」


「意外とって失礼だね。っていうか名前訊くためにわざわざ一年の教室まで来たの?」


「まあ、それも込みで色々、な」


 言葉を濁して、穂希は屋上に向かった。


 去年初めてしゃべった時より背が高くなったかも。穂希の後ろを歩きながらそんなことを思った。


 東高校。コイツが通っている学校。だからここに入ったってわけじゃない。学力に見合った所に入っただけだ。とはいえ、同じ高校に入ったことに少しだけ縁を感じたりもしてた。


 でも、入学してからも校内で穂希を見かけることはなかった。学年が違うのだからそもそも会うはずないし、もしかしたらもう卒業してるのかもしれない。


 そう思ったからこそ、こうやって訪ねてこられたことに驚いた。穂希は今日より前から私がこの学校にいることを知っていたということだ。


 だったらもっと早く会いに来ればいいのに、どうして今さら?


 考えすぎなのか、再会して驚いてるせいなのか、胸がドキドキする。


 穂希の後ろ姿を見ながら色々考えているうちに屋上に着いた。太陽が出ていても2月の屋上はやっぱり寒い。私達以外の生徒もいなかった。


「チョコ、うまかった?」


 呼び出しておいて最初の話題がそれか。


「食べてないから知らない」


 結局、あのチョコレートは冷凍庫にしまったままだ。何となく捨ててはいけないような気がしたから。


「捨てたと思った。環のことだし」


「捨てそうなイメージなの? 私って」


「だって、チョコ渡されてあんなに怒ってたし。その後うまそうにチョコ食べる絵面なんて浮かばないだろ」


「『渡す』って言葉は違うんじゃない? あんな風に勝手に押し付けられてこっちは迷惑でしかなかったんだから」


 少しムキになると、穂希は意外と素直に謝ってきた。


「だよな。ごめん。あの時はヤケになって感情的になってたっていうか、もう何もかもどうでもいいって思ってたから。たまたまそこにいた環のことまで考えてられなかった」


 へえ。そういうことも言えるんだ。もっと横暴で身勝手なヤツだと思ってた。


 少しだけ穂希を見直した。


「で、今になってわざわざ謝りに?」


「うん。入学式で環の姿見つけてビックリした。俺のこと探しに来たのかと思った」


 フェンスにもたれ、穂希は空を仰いだ。


「何となく察してるだろうけど、あの日、あのチョコくれた彼女に振られたんだよ。最後の思い出にコレあげるって言ってアレ渡されたんだけど、全然納得できなくて。他に好きなヤツできたって言ってた」


「手切れ金ならぬ手切れチョコ?」


「そう! そんなん聞いたことないよな」


 声に笑いがにじんでいるものの、穂希がどんな気持ちなのか分からなかった。穂希はずっと空を見ていた。


「別れるくらいならチョコなんてくれなくたってよかったのにって思ってさ。受け取ったら素直に別れを受け入れた感じがして、包みを開くこともできなかった」


「で、通りすがりの私に押し付けたと」


 ホント迷惑な話だ。


 なんだろうコレ。何となく分かってたはずなのに、元カノのことを話す穂希にイラついてる。初対面の時には感じなかった種類の気持ち。


「ホント悪かった。恥ずかしいとこ見られたな、環には」


「ホントだよ。一人で勝手にピリピリしてさ。巻き込まれる方は大変だよ。あれから他の人に同じことしてないよね?」


「しねえよ。あの時だけ! アイツのことはもう引きずってねえし」


 バツが悪そうに、穂希は右手で髪をかき混ぜた。


「環は知らないヤツだったし、もう二度と会うことないと思ってたから」


「だけどこうして会っちゃった上に同じ学校の下級生だって分かったからフォローしなきゃならないと思った?」


「まあな」


「……はぁ」


 ため息が出た。穂希に対しての呆れもあるけどそれだけじゃない。私自身の気持ちにビックリしたからだ。


 会えない間、穂希の恋の行方が気になってた。この1年間ずっと。手がかりが少ない中で一方的に探すばかりの日々はとてつもなく長く感じた。


 受験や合格発表、高校の入学式、新しい出会い。色々あって毎日が目まぐるしかったけど、穂希のことだけは記憶から薄れていかなかった。


 たとえ再び顔を合わせたとしてもたいしたことにはならないって思ってたのに、想像以上に喜んでる自分がいる。そのことが甚だしく意外で、そのことに自分を納得させるまで時間がかかった。


「何で今日なの? もっと前から知ってたんだよね、私のこと」


「知ってたよ。でも顔合わせづらくて、最初は校内で環を見かけるたび逃げ隠れてた」


 通りで、同じ学校なのに全然出くわさないわけだ。


 穂希は穏やかに笑い、久しぶりにこっちを見た。


「でも、もっと早く会っとけばよかった。環、いいヤツだし」


「なにそれ。別にいいヤツじゃないし」


 だって、穂希が元カノと完全に終わったって知って浮かれてる。


「いいヤツだろ。一年前から。でもさ、あんなカッコ悪いとこ見せた後でどうしたらいいか分からなかったんだよ」


「今日会いに来たのに?」


「それは……。バレンタインデーだし! これ以上時間経ったらどんどん謝りづらくなると思ってっ」


 しどろもどろに言い訳を重ねる穂希を見て、笑えた。もう細かいことはどうでもいいや。


 気付いたら口にしていた。


「あのチョコ捨てとくから、放課後新しいチョコ食べに行こうよ。駅前のカフェで、有名なショコラティエのコラボ商品出すんだって。しかも今日だけの限定品。有希が…さっきのコが言ってた」


「環とチョコ?」


 穂希はマヌケな顔をする。


「イヤなの?」


「イヤとかじゃないけど、普通そういうのって彼氏と行くんじゃない?」


「勘違いしないでくれる? 元カノのこと吹っ切れたから謝りに来たんでしょ? そういうところを見込んで友達くらいならなってあげてもいいって言ってるの」


「ホント……? 前から気になってたんだよ、そこの店。行こ! 今日何も予定ないしっ」


「じゃあ決まりだね。放課後昇降口で。待たせたらこの話流すから」


「絶対待たせない!」


 穂希は心の底から笑った。


(穂希、やっぱりホントは甘いの好きなんだ。あんなに嬉しそうな顔してさ。バカじゃない?)


 穂希より先に屋上を駆け出し、教室に戻った。


 寒さでかじかんでいた指先はすでに熱く、気のせいか全身もあたたかい。これは、放課後の予定が穂希との約束で埋まったせいじゃ、決してない!



 気まぐれなのは私の方だった。


 穂希と食べるチョコの味を想像し、今から甘い想いに頬を緩ませた。




《完》


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