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逃亡
作:柳岸カモ





9・





あたしはまた、くだらない日常に戻ってきた。毎朝電車に揺られて、押川に出くわせば殴られて、逃げて、時々、父さんのことを思い出して。
 
真中 たぶん 好き

あの手紙は、制服の胸ポケット――エンブレムの刺繍の裏――にしまってある。これから先エンブレムをにぎりしめる時がきたら、あたしは西脇を思い出す。そんな気がする。



空間と空間を移動する。
勇気とか希望とか、そんなものはあてにならない。
信じられるのは、出来上がった未来。つまりは現実。それが受け入れられなければ逃げる。息をきらして。
つらいことまで掴むなら、あたしは何も掴まない。何も知らない、ままでいい。
間違った選択では、ないはずだから。




駅前北口。噴水から飛び散るひかりと水。
思い出すのはダルメシアンのドンのこと。死んだ時はほんとうにカチコチだったドンの体。
父さんは、ドライアイスでひんやりしていた。
誰にしてもらったかわからない、手にかけられた数珠は胡桃の殻でできていた。それもすっかり凍ったようになっていたっけ。それを触りながら、私は思い出していた。父さんの好きだった、吉田拓郎の歌。「旅の宿」。
それはたぶん、罪の歌だ。


またあたしは、ここに立っている。
ダルメシアンのドンも、諦めた父さんも、ここにいる。
そう思って立っている。
醜い顔をしたあたし、醜い過去。
すべてから逃げる。
それが唯一できることで、提出課題。
こなせばギリギリでも生きていける。そんなことばかり考えていると、おかしくなりそう。
 
バスを待つために設けられたベンチに腰掛ける。
未来は、逃げるために用意されている。





「純」

父さんが陽炎でゆらゆらしている。

思わず腰を上げて、目を凝らす。


「まだまだ逃げろ。いつか、意味くらいわかる」

そう聞こえたのは、幻聴だったのだろうか?
私はそっと、口の中でそれに答える。父さん、もう、意味は、わかったよ、と。

くっと顔をあげて、私は歩き出した。駅は、どこまでも続く道に似ている。
どこまでも逃げられる気がした。







  終














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