思い出のかたち、月のかたち。 -The good night-
『月』をテーマに書き上げた短編小説です。
他の作家さんの作品は『月小説』と検索すれば見つかると思います。
では、『月』をお楽しみください。
思い出のかたち。
それは人が思い、感じ、共用したもの。
何を思い出とするかは人それぞれだと思う。
ぬいぐるみだったり、壊れた携帯だったり、色褪せた小説だったり、もしかすると物じゃなくて心の中に眠る気持ちだってこともある。
その一つひとつに思い出が詰まっていて、昔の自分を振り返ることができる。
あの頃の私はこうだった、あぁだった。
そして過去を慈しむ。
昔の自分に「ありがとう」と思い、これからの自分に「よろしく」とお願いする。
思い出を振り返った時、そこにある何かを感じとった時、その思い出が必ずしも楽しいものだとは限らないのかもしれない。
嫌な思い出だってある。
思い出したくないものだってある。
だけど、それも含めた全部が私であって、嫌な思い出も楽しい思い出もそれを丸く一つに出来たから今の私がいるんだと思う。
だから、私の思い出は、思い出のかたちは、たぶん丸いのかもしれない。
私がそれをみつけたのは、ほんの偶然が重なり合った結果だと思う。
九月中旬。
夏休みが空けて、就職活動が一段落ついた頃のこと。進学組がいそいそと課題の勉強をこなしている頃のことだ。
普通に学校へ行って、普通に友達とお話をして、普通にいつもの勉強をして、普通に放課後を迎える毎日。何もかもが普通で、何もかもが当たり前。ただ日々を繰り返すだけの平凡な一日。
それに飽きたのか、それとも嫌気がさしたのか、今の私にはわからない。
ただ、一つだけ言えることがあるとするなら。
今の自分を変えたい。
そう思っていたのかもしれない。
何か大切なものを失って生きていく毎日。何か大切なものを壊していく毎日。何か大切なものを騙していく毎日。
それが嫌いになったからなのかもしれない。
「片付けてくる」
そう一言だけお母さんに言った。
部活も引退して、放課後に帰ってくるのが早くなった頃だ。
まだ夕方。綺麗な夕日が顔を覗かせている時間帯。私はお姉ちゃんの部屋に入った。
あの日から全く手をつけていないお姉ちゃんの部屋。あの日から時間が止まってしまったような空間。まず、そこから少しだけ片付けようと思った。
全部は無理でも、小さなことから始めようと考えた。
「入りまーす」
ドアノブに手を掛け、扉を開ける。
部屋にはカーテンが掛けられていて、でも暗くはなかった。外から差し込む赤い夕日が部屋中を真っ赤に染め上げていた。
私のじゃない匂いがする。
お姉ちゃんの匂い。
懐かしくて、何処か落ち着く感じのするやさしい匂いが部屋中を満たしている。開けっ放しの押入れも、ぐしゃぐしゃになったベッドも、教科書に埋もれた勉強机も、散乱している小説の山も、その全てにお姉ちゃんの匂いが残っていた。
「……ぅ、あれ?」
気づいたら頬を伝って落ちていくものがあった。
もう泣かないと決めたはずなのに、もう悲しまないって誓ったはずなのに、この部屋を見ていると心が簡単に折れそうになるのがすぐにわかった。
右手で拭って、一歩足を踏み入れる。
もう立ち止まらない。もう振り返らない。
そう決めた私だから。
先にカーテンを開けた。橙に光る太陽が遠くに見えていて、空も雲も、この町並み全部が輝いているように見えていた。お姉ちゃんはこの部屋からあの夕日を見て何を思ったんだろう?ここからの景色をどんな思いで眺めていたんだろう?今はもう確かめることの出来ない疑問を抱き窓の外の景色を目に焼き付けていった。
部屋の中は思っていたよりも埃の量が凄くて、私が動くたびにキラキラ光るものが宙を舞っているのが見えた。
「ちょっと綺麗かも」
前にテレビで見たやつに似ている。確か北海道の番組で、ダイアモンドダストって言うものに似ている気がした。
まずは埃をはたいて、そこから物を片付けることにした。
はたきで部屋中の埃を飛ばし始める。
私が歩くだけでも舞い上がる埃は、はたく度に物凄い量の埃を撒き散らしていった。一年もほったらかしにしていたら、こんなにもなるんだ。
三十分後。
ようやく埃を片付け終わって、ここから物を整理しようっていう頃。外はすっかり暗くなっていた。闇が町を覆いつくしている、そんな感覚がしていた。
「それにしてもいっぱいあるんだね、本」
部屋中に散乱している殆どが小説の山だった。十冊とか二十冊とかのものじゃない。たぶん百冊は軽く超えた量だと思う。
その一つひとつを手にとって本棚へ戻していく。
「あっ」
その時、一冊の本を落としてしまった。ガサっと紙が擦れる音を立てて落ちた小説。でも私にはそんな音は聞こえていなかった。
別のもの、その小説の間から出てきたものに釘付けになっていた。
「何、これ?」
手にしたのは一枚の写真。
何処かで撮った風景写真みたいだった。暗い夜の写真で、道があって、町があって、家があって、その上にくっきりと浮かび上がった三日月が見えている写真。本当に普通の風景写真、誰が撮ってもおかしくはないただの写真。でも私には、何か感じるものがあった。
インスタントカメラで撮ったらしいその写真には右下に日付が載っていた。
04/09/24
一瞬だけ自分の目を疑った。
丁度、今から二年前の写真だ。二年前の今日、何処かでお姉ちゃんが撮った写真が今は私の目の前にある。
本当に何かの運命とか、そんなものにしか思えなかった。
写真の裏を見る。
「………」
言葉がなかった。また涙が出そうになった。でも堪えて私は部屋を飛び出した。飛び出さなきゃいけなかった。もう今を逃したら間に合わないと、これは本当に運命なんだと私の中の私が告げているように思った。
そして私は家を飛び出していった。
この空の下、暗い暗い夜の町へ。
冷たい風が私を追い越していく。
風が音を立てて吹き抜けていく様は、もう夏が終わったことを訴えているみたいだった。
そう、もうあの夏は終わったんだ。
写真の場所はすぐ見つかった。町の商店街から右に外れた小さな公園。そこがこの写真が撮られた場所で間違いはなかった。だって、写真の端っこにブランコが写ってるんだもん。間違えるわけがない。
ただ月が見えていない。
曇り空の夜空は所々から星は見えていても、肝心の月はまだ顔を出していなかった。
公園のベンチに座る。
お姉ちゃんはどんな気持ちでこの写真を撮ったんだろう。どうしてこの写真を撮ろうって決めたんだろう。写真家の人達から見たらただの写真かもしれない。プロの人に比べるまでもなく安っぽい写真かもしれない。でも、だけどこの写真は私にとって何よりも代えがたい写真に見えた。
どんなに普通でも、どんなに安っぽくても、それでも大切なもの。
あぁ、今わかった。
思い出は、本当の思い出って言うのはこういうものを言うのかもしれない。思い出はどんなにお金を掛けたって出来るものじゃない、どんなに有名になっても出来るものじゃない、本当の思い出っていうのは、こんな風に普通で安っぽくてそれでも大切に思えるものなのかもしれない。
じゃあ、これが私の思い出。
私とお姉ちゃんの本当の思い出なんだ。
写真を握り締め、私は夜の公園で一人泣いた。顔には出さないで、心の中で静かに泣いた。
また風が私を吹き抜けていく。
闇の空間、暗いだけのこの場所に光が戻る。
「あ――…」
ちょっと錆び付いたブランコが、ペンキの剥がれたジャングルジムが、少し硬い砂場が、公園の全体が光を宿そうとしていた。
雲が晴れようとしていた。
立ち上がる私。
見つめる写真。
見上げる空。
輝く月。
「――満月、だ」
そこに輝くのは綺麗な曲線を描いた三日月ではなく、まん丸と光る青白い満月だった。写真に写る三日月ではなくて、目に映った満月。
少しだけ納得した。
やっぱり私の思い出のかたちは丸かったんだ。
再び風が吹き抜けていく。
夜の外はやけに寒かった。
思い出は、いつも綺麗なものだとは限らない。
思い出したくない過去であっても、それは私にとっての思い出なんだ。楽しいことや嬉しいことだっていっぱいある。それが思い出だって言う人もいる。だけど、辛いことや悲しいこと、泣きたいような過去だってそれは間違いなく思い出なんだと思う。
そうやって全部を受け止められるから、人は前を見ていられるんだと思う。
思い出のかたちは一言では言い表せないものかもしれない。
どんなかたちをしているのかは、それはきっと本人にもわからないこと、確かめようのないものなのかも知れない。
でももし、そのかたちを自分で決めることが出来るなら、私はきっと丸くするだろう。
綺麗なまる。
そう、あの綺麗な満月のように。
長らく『真美と亜美』のお話にお付き合い頂き、誠にありがとうございました。
皆さんにたくさんのアドバイスを頂きながら書き上げて言った『真美と亜美』シリーズですが、今回で終了とさせていただきます。勝手にごめんなさい。
近いうちに、この短編をまとめた長編を出すつもりですので、その際には何卒よろしくお願いします。
次回のテーマ小説からは、また新しいものをはじめていこうと考えております。