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  紫の旋律 作者:蒼夜
第一章
5 彼女と彼
 
「なにそれ!紫音ちゃんって記憶が今ないの!?」
 
 注文したコーヒーを吹き出しそうになりながら彼女が話す。
 
「そうですね。この世界でのことはさっぱりです」
「ちょっちょと、ヴィンス。どうしよう」
 
 彼女が助けを求めるのは右隣に座る精悍な男性。体格はとても大柄。肩幅もそれなりにあり隣にいる彼女がとても小さく見える。
 
 誰からみても明らかに動揺してる彼女を男性は落ち着いた様子で相手をしている。
 
「…困りましたな」
「こっ困ったとかじゃないよ!これは一大事ってやつでしょ」
「ですが、そうしたのは…っと、アスカッ」
 
 ついには座っていた椅子から立ち上がりヴィンスの髪の毛をワシャワシャといじりだしている。ヴィンスは迷惑そうにしながらもそれを止めることはしなかった。
 
「これって、あれだよね。私の立ち位置…最低じゃないっ!」
 
 ヴィンスの邪魔にならない程度にセットされていた髪は見るも無残な形に変貌を遂げている。
 
「…シオン様。すいません。アスカは混乱するとどうも手を付けられなくなってしまって」
 
 申し訳なさそうに謝るのはヴィンス。その間も彼女はああでもない、こうでもないと、唸り続けている。
 
「私の方こそ、以前からのお知り合いの方だと聞いてびっくりしました。この間のときに私がアスカさんに言ってなかったのが悪かったんです。すいません。」
 
 
 
 シルバさん。私今、とてもめんどくさいことに巻き込まれてしまった気がします。
 でも、ひとつ収穫がありました。
 この人、やっぱり私を知っているらしいです。この世界で生活していた私を。
 
 **
 
 街の人間が起き出すよし少し早い朝の時間帯。その人は物陰から出てくるとシオンの腕を掴んだ。
 
「捕まえた!みんな待ってるよ。早く帰ろう」
「えっ!だっ誰ですか」
 
 あわててその人が誰か確認しようと腕を掴んだ人を見る。
 女性は紫音にとってとても懐かしい容姿をしている人だった。黒瞳。黒髪。ここの人からすると少し幼いような顔立ち。
 
「…日本、人?」
 
 いるはずがないとわかっていても、とても似ている。その姿に驚いて口をついて出たのは日本語。
 
「ん?そうだよ!紫音ちゃんでしょ?」
 
 相手はその言葉を理解して私に同じ言語で返してくれる。
 
「貴女は…ダレ?」
「私は、飛鳥。澤代飛鳥よ」
 
 ――サワシロ アスカ
 
 私の記憶にはない名前だった。でもこの女性は私のことを知っている。
 
「アスカさん?あの、とても失礼なのですけど…」
「なになに?」
 
 アスカはとても無邪気に笑う。腕に纏わりついていたアスカの手はいつの間にかシオンの手のひらに場所を移して、二人向き合う形になる。
 
「私たちは、どこかで会ったことがあるんですか?」
「会ってないよ。あくまで私は噂の紫音ちゃんとしか会ったことない」
「噂の…?」
「うん。」
 
 触れている部分から触れた衣裳の生地はとても滑らかで、とてもこの界隈で買えるものではないとわかった。そしてシオンの頭に瞬時に浮かぶのは自分を迎えに来るかも知れないという『保証人』という存在。シルバが言っていた。『保証人』になるにはそれなりの『身分』がいるのだと。
 
「貴女は『保証人』の方ですか」
 
 シオンはアスカという女性の顔をじっと見つめる。
 
「ほしょうにん?」
「違うなら良いんです」
 
 そりゃ、自分と同じ言葉を話せる日本人がシルバのいう『保証人』なわけないか。馬鹿だ。何でもかんでも勘ぐれば良いってもんでもないのに。
 
「いままでユフィスさんの所に何度も行ったのに会わせてもらえないから、待ち伏せ。しちゃった!」
 
『しちゃった』って。こんな朝早くから随分ご苦労なことだ。
 
「あのアスカさん?私に何か用があるんですか」
「そうだよ!あのね、誤解を解きに来たの」
「誤解…ですか?」
「私は別にあんなのどうにもおもってないよ~って」
 
 そう言ってシオンの手をやっと解放すると、アスカは顔の前で人さし指をたてるポーズをする。
 
「…」
 
 どういうことなのだろうか。自分はなにか誤解して飛び出して、記憶を失くした?
 いや、安易に考えては駄目だ。
 
「あの、アスカさん私、これから仕事が入っているのでそんなに時間が取れないんです」
「えっ!ユフィスさんこんな朝早くから働かせてるの!?」
 
 別にソレは今どうだっていいのだ、私的には。
 
「ですので、後日改めてお時間を設けていただけますか?私は明後日にお休みを貰っているので、もしアスカさんがよろしければ…いかがですか?」
「…会ってくれるの?」
 
 話をしている間中なにかしら動いていたアスカの動きが一瞬を止まる。
 
「せっかく来ていただいたのに、すいません」
「ううん。全然」
 
 アスカはぷるぷるとまるで小さい子の様に顔を横にふる。
 
「あの、迎えに来るから!それと、一人連れてきてもいい?」
「はい」
「じゃあ、明後日の約束ね。二人の秘密だよ!」
「わかりました」
 
 そうしてどこへかは定かではないが彼女は駈け出して、消えていった。
 
 
 多少なりとも時間に余裕をもって部屋を出てはいるものの朝の準備には時間があればある程良い。
 正直いって長くなるのは勘弁してほしかったので適当に相槌を打っていた。それに、自分の思いだせないこの世界での自分を知れるチャンスかも知れないのだからもっとしっかり時間を取れるときに聞きたかったというのもあった。
 
 
 *――*
 
 
 場所はヴィンスさんの行きつけの喫茶店。コーヒーや紅茶の種類もとても豊富に取りそろえられている。
 迎えに来ると言っていたアスカは本当に部屋まで迎えに来た。前にストーキングをしたので部屋もわかってるのだ!と少々自慢気に言われた。
 
 二人の内緒だと言われたけれども大概休みの日はシルバと一緒にいるので昨日、自然と明日はどうする?という話題になってごまかそうと試みたけれど無駄なあがきに終わった。
 自分も付いてくるといってたシルバは朝一でシオンの部屋に行くと言っていたのだが、それよりも数倍早くアスカとヴィンスが到着して、今に至るというわけだ。
 
 部屋には一応、出かけてきます。という書き置きはおいて来てある。
 
「ヴィンス!なんで落ち着いてるのよ。これは一大事よ!」
「騒いでもしょうがないんじゃないと思うぞ、こればっかりは。そろそろ椅子に戻りなさい」
 
 大人の落ち着きというのはこういうことを言うのか。と感心してしまうぐらい落ち着き払っているヴィンスさん。と、その対照的な状態のアスカ。
 
「…だって!」
「アスカ」
「はい…」
 
 ヴィンスはアスカの名前を今までより少し下げたトーンで呼ぶ。すると大人しくだが、まだ何か不満げな様子ではあるがアスカが元いた席に戻る。
 
「今までは?ずっとユフィスさんのとこにいたの?」
「はい。幸いとても良い方達に恵まれて」
 
 面倒だったろうに、ただ倒れた時に私のそばにいたというだけなのにとても親切にしてくれる『旅人』のシルバ。
 素姓のわからない人間だというのに、快く働くことを許してくれて給金までくれる優しいユフィ。
 右も左もわからなかった自分を助けてくれた街の人たち。
 
 どれが欠けてもきっと、私は今きっとここにはいなかった。
 
「何も…覚えてなかったの?」
「そうですね。この世界のことは、何も」
 
 今も、何も思い出せていない。だから少しでも自分を知っているかもしれないアスカに話を聞きたかった。
 
「…ごめんね。そんなに苦しめてたんだね」
 
 先ほどまでの元気はどこへやら、聞きとるのが精一杯の声で話すアスカ。
 
「あの、今の紫音ちゃんに言うのは、ずるいのかもしれないけど…もしよかったら私を一緒に紫音ちゃんが生活していた場所に帰らない?」
 
 まっすぐとシオンを射抜く瞳。
 
「わたしの、生活していた場所?」
「覚えてないなら不安なこともたくさんあると思うけど、私が守るから!それに、みんな待ってる、今もきっと探してる」
「それが…」
 
 本当だとしたら、私はその場所で少しは意味のある存在だったのだろうか。
 
 でも今の私にとってこの場所が拠り所であることは変わりない。その大切な唯一の場所を放り出していくことなんて、今の私には――。
 
「アスカさん。少し考える時間をくれませんか」
「そうだよね。今の私ってシオンちゃんにとったら不審者とおんなじだよね」
 
 アスカは力なく微笑む
 
「そんなことはないんです。アスカさんのお話を信じますよ。でも、今の私はここで生活していて…だから、あの」
 
 記憶を失くしてここで新たに始めた私の人生だけど、それも私の人生の中の一部には変わりない。
 今、失くなった記憶の場所に行ったところで本当に自分の居場所があるのもわからない。なら、わからない過去を信じるより私は今を信じたい。今まで自分を支えてくれた人たちを。
 
「そうだ。アスカさんのお話も聞かせてください。日本ではどこに住んでいたんですか?」
 
 無理やりにでも話題を変えたかった。これ以上入り込んだら何かが、掘り崩されていしまいそうで、怖くなったから。
 
 逃げた
 
「……日本の?私は東京出身だよ!」
 
 少し間があったけれど、アスカはシオンの話に乗ってきた。
 
「私も東京です。近くに住んでいたのかもしれませんね」
「だね!私ね、剣道やってたの!結構上位まで行ったんだけど、決勝戦の前日にここに来ちゃって~」
「それは、災難でしたね」
 
 決勝戦の前日。本当に最悪のタイミングだと思った。それまで一生懸命やってきたことが意味を為さなくなったも同じことだから。
 
「でしょ!ホント最初は怒鳴り散らしちゃったんだ~。こっちの都合も考えろって!でもね。ヴィンスがここにも強い奴ならごまんといるから、相手にしたらどうだって連れてってくれたの。」
「…その話はやめろ」
 
 次の展開がわかっているのかそれまで何も口をはさんでこなかったヴィンスが横槍を入れる。
 
「そんな恥ずかしがらなくても良いじゃん」
「違う」
 
 正確な年齢は聞いていなけど、アスカとはそんなに年齢が離れていない様な気がする。
 学校にいたときもこうやって上辺だけの友達と集まっておしゃべり、をしていた。
 二人の会話を聞きながら顔に微笑みを張りつける。いつもと同じように。相手を不快にさせない程度に相槌を打って…。
 ふと窓の方に視線をやるとシルバを見つけた。一回通り過ぎたものの気付いたようでシルバがこちらに向かってくる。
 店に入った時店主から『いらっしゃいませ~』と言われたもののそんなもの無視という風にこちらに寄って来る。 
 
「あっ!来ちゃった」
「お久しぶりです」
 
 最初に声を出したのがアスカ。明らかに嫌そうな態度を隠すことなくシルバに向ける。
 ヴィンスに至っては『久しぶり』と言っている。
 
 シルバはシオンの真後ろに立つろシオンの左肩に自身の左手を置いた。
 
「あれ?シルバと知り合いなんですか」
「おい、どういうことだ」
 
 私の言った質問には誰も答えない代わりにシルバが間髪いれずに話しだす。
 
「俺が言ったことを理解できていなかったのか」
 
 この二人をシオンは知り合いで、シルバはこの二人がわたしの記憶と関係しているということを知っていたのだろうか。
 
「ヴィンス。もう帰ろう。これがいたんじゃおちおち話もできない」
 
 呆れた、という様に紡がれた言葉
 
「っおまえ!」
 
 シオンの肩に置いてある手に力がこもる。痛いと文句でも言おうかとシルバの顔を見合えればシルバの周りから険悪な雰囲気が漂っている。
 
「紫音ちゃん。返事は今度聞かせてよ」
 
 シルバの存在をまるで無視するかのように二人は立ち上がり店を出ていく。去り際、ヴィンスがこちらに向き直って一礼していくと、アスカを追う様に少し駆け足で去って行った。
 
 なんとも邪悪な雰囲気漂わせるシルバと残されたシオン。これまで何カ月か一緒にいたけれどシルバがこれほど怒っている姿は初めてだった。いつだって優しく微笑んでいたから。貴重な瞬間といえば、そうなのだろう。ただし対象が自分でなければ…。
 
「とりあえず場所を変えるぞ、シオン」
「う…うん」
 
 ハァと一つため息をついて出された言葉。肩に置かれていたシルバの手が今度はシオンの右手と繋がる。
 
「おじさん、お勘定」
 
 シルバは三人が頼んだものの支払いを済ませる。それが終わるとここに居たくない、とでもいう様にシルバは私の方を向き直ることなく歩きだした。
 いつもならあわせてくれる歩調も今日は全く合わせる気が無いようで少し小走りにならないと付いて行けない。
 何処に行くのかもわからないけど、ただ置いていかれない様に、繋がれている手が離れない様に、一生懸命シルバについていく。
 
「シルバ、どこいくの?」
 
 繋がっている手には痛いくらい力がこもっている。いくら声をかけても応えてくれない。綺麗な銀髪が風に揺られて靡くだけ。
 
「…ルバ」
 
 こんなに近くで呼んでいるのに…気づかない。気づいてもらえない
 
「シルバ!!」
 
 最後の悪あがきの様に今までより大きな声で呼んだのに応えてはもらえない。
 呼べばどんなときだってその翠玉の瞳で私を見てくれたのに。その優しい瞳を少し細めて『どうした?』って…。
 
 嫌なのに。視界がかすむ。こんなところで泣くなんてしたくない。
 私はしゃくりあげたくなるのを必死で抑えた。
 
 その後もシルバは後ろを振り向くことはなかった。どれぐらい歩いたのか。ただ付いてきただけなので今自分がどこにいるのかもわからない。
 
 ――ボスンッ
 
 前を見て歩いていなかったことも相まってシルバが止まったのに気付けなかった。
 
「…シオン」
 
 やっと振り返った彼の顔は眉根がよっていてとても苦しそうに見える。
 繋いでいた手が離れて襲ってくる不安。
 
「あ…」
「シオン?」
 
 嫌だ。自分はもう、置いていかれるのも…。一人になるのも。
 
 
 浅ましい考えの…自分
 
 
 
「シ…ルバ」
 
 それだけ言ってシオンはシルバにひしっとつかまる。シルバの身長が幾分か高いために腕が回っている位置は腰より少し上だ。
 
「……」
 
 なにも言わずただ首を横に振り続けるシオン。次第に嗚咽が混じり始めシルバはシオンが泣いていることを悟る。
 
 怖い。
 呼んでも、応えてくれなかったけど。さっきまで手が繋がってた。触れてた。でも離れたら、離したら消えてしまうような。不安。
 勝手な思い込みだけどこのままなんだかシルバが遠くに行っちゃう気がして…どうしても繋ぎとめたかった。
 
 気づいたらもう、自分はシルバに抱きついていた。
 
 どんな言葉を彼にかければいいのだろう。どうすればもう一度私に笑いかけてくれるのか。どこにも行かないでくれるのか。
 
「ごめんなさい」
 
 この言葉しか知らなかった。
 
「ごめんなさい、ごめん…なさい」
「シ…オン」
「お願い…」
 
 
 もう、ひとりはいや。
 


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