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  紫の旋律 作者:蒼夜
序章
2 あちらと此方
 
 幾日が過ぎシルバは何時ものように営業時間外に店に入って居座る。今日はユフィがシルバの相手をしている。シオンはその二人の会話を奥の厨房で聞きながらまどろんでいた。
 この世界に落とされるまでシオンは高校三年生として生きていた。受験を控えている身でもあり、思春期の真最中でもあったのだ。いつもは何も言わず両親に従っているのにこの頃はやけに両親の言うことが気に食わなくなっていた。
 他の人よりも優れているところと言えば音楽というカテゴリーだろう。運動はまったくできない。リレーの選手などに選ばれるなど夢のまた夢の話であった。成績表はといえば、主要科目と言われる教科は横並びで、真ん中。体育の教科で一回凹んで音楽の教科で少し持ち上がる。良くも悪くもない、そんなどこにでもいる普通の人間だったのだ。
 家族は父、母がいてシオン。弟が一人いた。一族はシオンの世界ではそれなりに大きくて科学が発展した今の時代にも律儀に古くからの仕来りを守っている一族でもあった。
 本家の血筋とはいっても女であるシオンの価値は全くなかった。家のためになることと言えばシオンが政略結婚をすることぐらいだ。
 弟も成長するにつれて周囲と同じようにシオンにあまり関わってこようとしなくなっていた。
 まだ彼が幼かった頃は周りが近づくなといってもそれでもシオンの周りに居る存在であり、彼女の唯一の温もりであったのに。
 その温もりはいつからか…中学に入るころには他の一族と同じようにシオンを蔑むようになっていた。
 シオンは…ただ女というものに生まれてしまっただけなのだ。ただそれだけで――。
 あちらの世界でのシオンが今持ち得ている最後の記憶の中で彼女は親と喧嘩をしていた。理由は自分の進みたい道に行きたい。ということだった。一族の駒として一生を過ごすのならば最後の自由になる時間ぐらい自分の好きなことに時間を使いたかった。だから音楽の道に進みたいと言った。
 それは、当り前だと言わんばかりに両親に反対された。両親から返ってきた答えは彼らの望む大学に入ること…そして両親が決めた相手と結婚するのだと。その方の妻になるべく相応しい学歴を、というわけだ。

 自分はその時、確かに頭が真っ白になった気がして。

 そして、部屋に戻ったはずだった。あちらの世界の記憶はそこで終っている。気づいたらこの世界にいたのだ。この記憶に新しいものが増える気配はない。
 両親との喧嘩はあの後どうなったのだろうか。喧嘩したままなのだろうか。
 両親との喧嘩があちらでの最後の記憶だなんてなんだか嫌な気もするが私はもうこちらに来てしまっているのだから今さら何を言ったって始まらない。
 両親がつけてくれたこの紫音という名前はとても気に入っている。だからこの名前に見合うような人間になりたかったし、紫という色の持つイメージと同じような気品あふれる音を紡ぎたかった。厳しさの中にある優しさ。そんな音を紡ぎたかった。
 この世界の口語に関しては、あまり問題はなかったものの専門用語などになるとわからない単語がある。しかしそれは日常生活に支障のない程度だった。
 私の今ある状況が異世界トリップだとするのならば是非とも言語ぐらい完璧に補完しておいてほしかった。
 繰り返しこの世界は夢なのではないのかと夢ならば覚めてくれと思ったが覚めないのできっと今私が生活しているこの生活もきっと現実なのだろう。
 それにあちらの世界にいるよりもきっと楽だ。この世界にいた方が。
 シルバから聞く異国の話しは、シオンの元いた世界と同じように大陸ごとに結構文化が違うようだった。この王都の場所だけでも私としたら和洋折衷という感じが否めないのだが。きっとそれはシオンの世界観が彼らと違うからなのだろう。
 
「シオン。そろそろ俺と旅に出ないか?」
 
 あちらの世界での光景に思い馳せているとシルバの声が耳に届く
 
「まだ、出ない」
 
 それは、ためらいのない拒否。
 
 シオン何故自分がこの国の王都のこの一角にいたのか理由がわかるまでこの王都を出ることはしないと言っているからだ。
 きっと私はこの場所に何らかの目的があってきてのだと思うから。だからシルバの申し出をいつだって断ることしかできない。
  この国になんの目的で私がいたのか。それを知るまで私はここを出て行くことはできない。
 私が自分で感じている以上に時が過ぎてしまっているということは感じる。そして、この異世界に来たであろう私の記憶はスッポリと抜け落ちてしまっている。
 両親と喧嘩した時のままの格好だとすればそれは制服だ。ならば制服もある筈だが、ユフィやシルバにどのような形状のものか話しても全く要領を得なかった。
 代わりに返ってきた答えは私が着ていた服は誰でも着るような何処にでもある服だったということ。
 だとすれば、私はこの世界でどのような環境にせよ、生活していたということになるのではないだろうか。
 
「俺、そろそろ一人で旅するのに飽きてきちゃったんだ。根なし草だし。シオンっていう帰る場所を提供してくれないかな」
 
 カウンタ―席に座って何時ものように優しい瞳をシオンに向けるシルバ
 だがその瞳を映さないようにシオンは彼から顔を背けだままだ
 
「ここに帰ってくればいいのよ」
 
 感情のこもらない淡々とした口調で紡がれていく言葉
 
「ここに…ここに帰ってくればいいの。何時だってユフィが待っててくれるわ」
「だって、シオンは連れて行かないと。記憶が戻ったら、いなくなっちゃうんだろう?そんな危険な状態じゃおちおちこの街を出られやしないんだ。だから一緒に旅に出ようよ」
「……でないよ」
 
 決して二人の方を見ないシオンは今彼らがどんな表情をしているか見ることはなく、髪の毛に隠れてしまっているシオンの表情を彼らが見ることもまたなかった。
 
 何度も聞いたセリフだ。なんでシルバが自分を誘いかけるのか理解できなかったのだ。
 彼はただ記憶を失う前の自分に運悪くつかまってしまったというだけなのに。
 最初こそシルバを疑ったりもした。でもシルバは何も知らないのだという。本当にただ通りかかったら私がいたらしい。
 
「シオン。すまないね。今日はもう帰っておくれ」
 
 その声はユフィだ。すぐそばで聞こえた。
 顔をあげてみれば案の定その人は自分のすぐ側まできていたのだ。
 
「そんな顔をしないでおくれ、別にシオンが邪魔だって言ってるんじゃないんだよ。今日はちょっと嫌な客が来ることになってるんだ」
 
 そんな顔とはいったいどういう顔をしていたのかシオンにはわからなかった。ただあちらの世界でのことを思い出して感情がよくわからなくなっていたということはあるが自分はそんなに変な顔をしていたのだろうか。
 
「嫌なお客さんですか?」
 
 ユフィはまったく正体不明のシオンを店に雇ってくれるような人だ。そのユフィが嫌なというのならその人物は相当嫌な人物なのだろう。
 
「ちょっとばかし、シオンじゃ相性が悪いんだよ」
「でも…私も手伝います」
 
 ユフィの力になれるなら何でもしよう。自分との相性が悪くたって接客をユフィがやるとして自分は厨房から一歩も出なければいいのではないだろうか。
 
「駄目だ」
 
 シオンはユフィの瞳を見る。
 それは何を言おうとこの意見を帰るつもりはないということが見て取れるものであった。
 
「わかりました」
「シルバ、いるんだからシオンを家に送っていきな」
「承知」
「あと、次来る時は営業時間内にきな!」
「…はい」
 
 ユフィは私の方がそれでいいのかと心配になるほど誰でも受け入れてしまう気性の人間だ。その人物が『嫌な』というのだ。少なからず興味がある。
 
 けれどもそんなシオンの思考を見抜いてかしっかりと帰るようにシルバというお目付け役をつけたのだ。
 
「シオン。俺の家よって勉強していくか?」
「そうだね」
 
 以前シオンにシルバが新聞を見せた時シオンには全く意味のわからない物体が羅列してあっただけなのだ。その時まで口語ができるのだからと確認しなかったのが悪かったのだが、まったく文字が読めなかった。
 それからシルバを師と仰いでの勉強が始まった。旅人だといって色々な国を私歩いているだけあって彼の知識はとても深く、そして広いものだった。極め付けにとてもわかりやすく私の文字の練習はとても順調に進んでいるのだ。
 勉強をするならシルバの部屋に行くのだろう。彼の部屋の方が教材になりそうな文字の羅列してある資料が沢山あるのだ。

 ** 

 シルバの部屋はいつものことながらたくさんの書類が乱雑に置かれている。それを簡単にどけて机の表面を出すという作業を行うのが慣例になってしまっている。

「そこ、スペル違う」
 
 食卓用の机に向かってシオンはシルバが朗読した言葉を文章におこすという作業をしている。
 単語は一通り覚えたので次は聞き取れてしっかりと書きとれるのかという訓練中だ。
 
「どれ?」
 
 英語のような文字だがそれとはまた違う。しかし、象形文字ともいえない。何とも言葉に言い表しがたい文字である。
 
「シオンは別に文字の読み書きはそんなにできなくたって良くない?」
 
 それは今シオンに文字を教えている人物から発せられた言葉。
 
「駄目。私はこちらで生活していくんだもの。自分が生活するための必要最低限の教養は身につけなきゃ」
 
 ひとりになった時困らないための予防策だ。
 
「俺がいるし、読めないなら読むのに」
「…私はできるだけ自分のことは自分でやりたいの。文字を読めるようになればそれだけ見聞も広がるわ。それに、この世界の歌も歌えるようになるし」
 
 シオンの一番やりたかったことは音楽を奏でることだ。今ちょっとずつ給金を貯めていると言ってもまだまだ楽器を買えるような額はたまっていない。
 シオンが今音を奏でるものとして使っているのは自身の声だった。
 
「そうだな。それには賛成だ。シオンの声、すごくきれいだから」
「ありがとう」
 
 シオンは音楽のことを褒められ嬉しそうに頬を綻ばせる。
 
「最初はどんな女なのかと思ったよ。記憶がないってのに、むやみやたらに騒ぎ立てないし。でも…」
 
 シルバの言葉はそこで止まる。
 
 私のこの世界での始まりは……。


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