今は昼も過ぎた時分。夕食用の仕込みをしようという時間だ。
「おはよう。シオン」
そういって入ってくる人は銀色の綺麗な長い髪を持ち、その髪と同じ名前の『シルバ』という名前の男だ。翠玉の瞳はいつも優しさを携えているようだと誰かが言っていた。
彼の職業は『旅人』だそうだ。この国にはやっと戦が終わって平和になったのでやって来たのだと言っていた。これまでも様々な国を見てきたらしい。戦が嫌いなため比較的安全な国を巡っているために、なかなか全部を巡りきれないそうだ。
「いらっしゃい。でも、もうおはようの時間ではないと思うけど」
「それは、わかってるんだけど、仕事がない時は遅くまで寝ちゃうでしょ。いつものお願い」
「はいはい。ちょっと待っててコーヒーはもうできてるから」
シオンがこの店に出入りするようになって良く見られるようになった光景だ。
シルバは適当に席に着く。本当だったらこの時間にこの店にいることはできないので客は誰もいない。仕込みの時間だからだ。
「ユフィは今いないの?」
ユフィとはこの店の女店主である。ユフィが本気で怒ると街が震撼すると言い伝えられる程恐ろしい女の人と言われているが、怒らせる事をしなければ、優しいちょっと恰幅の良いおばさんと言ったところだろう。
「今、買いだしに行ってるの」
シオンは奥からコーヒーとこんがり焼けたトーストを持ってきた。トーストには簡単にバターのようなものが塗られている。
「また、丁度良い時に来たな」
「ちゃんと営業時間に来てくれなきゃ困るって言ってるじゃない。トーストはおまけ」
シルバが座ったのはいわゆるカウンター席だ。この場所からは厨房もよく見えるようになっている。
「これ、シオンの昼飯じゃないの?」
「多く焼いちゃったから…あげるの」
「シオン。何もこの男にやることはないんだよ」
シルバのいる場所よりも奥。店の入り口だ。そこには先ほど話題に出て消えたかの女主人。ユフィス・カズバが立っていた。綺麗に纏め上げられた髪の毛。すぐにでも厨房に立てるように着ているものはエプロンが着けられている。
「ユフィ!おかえりなさい」
「ただいま。シオン」
シオンはハッとしたように二人で話していた場所から彼女の所まで駆けて行く。そこでユフィの持っていた荷物を受け取ると厨房の奥に入って行ってしまう。
「シルバ。いつも言っているように今は営業時間外なんだよ」
「でも優しい、シオンが中に入れてこんなに美味しいコーヒーまでくれるんですよ」
「シオン!」
ユフィとシルバが揃うと空気が悪くなるので二階にでも避難しようとしていたシオンの行動はばれていたのか、素早くユフィの声が飛んでくる。
「どうせこいつが勝手に入ってきたんだろうけど次に入ってきたら追い返していいからね」
「はい」
奥からなので少々籠って聞こえる声。
「シオン~。明日も入れてね」
その声には返事がない。この三人のやり取りはすでに恒例化されてしまっていてユフィもわかっているのだ。シオンはいくら言ってもシルバをこの店に招き入れてしまうということは。
シオンにとって今のシルバはどんな人であろうと、命の恩人なのだ。その彼を彼女が無碍にできるわけがないのだから。
そして、今のシオンの生活の保障をしてくれているのはユフィだ。何も持たない彼女を二つ返事でこの店で雇うことを了承してくれたのだ。給金だってしっかりとだしてくれ、かつ必要最低限のものも揃えてもらってユフィの持っている借家の一つも貸してもらっている。
この場所での生活のかってがわからないシオンに色々教えているのはシルバと街の人間だった。
「そういえば、ここんとこ王宮が騒がしいよ。今ファクリスの所にも寄って来たけど、あいつんとこにも騎士が一人来て、なにか探してる風だったよ。シオンも気をつけな。あいつらは手段の為ならいくらでも無体なことをする連中だ」
「はい、気をつけます」
ユフィはそう静かに呟いた。と言っても店の中にいれば聞こえるほどの声量である。
ファクリスとは行商人の一人で居場所を転々としている人物だそうだ。行商人の中でも一・二を争うほどの凄腕の方なのだと聞いたことがある。
行商人とは国の偉い人にも重宝される存在だそうだ。貴重な情報を持ちかえったものには国から報奨金がでることもあるのだという。過去に何度もその重要性から国が支配下に置こうとしたこともあったという話だが、彼らは決して国に買収されることはなく、独自のルートを保っているのだという。
彼らは国に情報を売る。
一国の主でも知らないような情報を彼らは手に入れる。そして、情報を買う人間は秤にかけられる。信用に足る、もしくは何か有益なことにつながる人物でなくてはその情報は得られない。
もし、国に買収された行商人がいればその人物は情報が遮断されるそうだ。使用される情報網は超一級の機密とされ未だ一部のものしか知らないのだという。
「ユフィ。そういや巫女姫の噂のことは聞いたかい」
思い出したというようにシルバが話題にするのはこの国の平和の象徴とされている人物のこと。
「軍神の巫女姫様か」
「何でも近々国民の前に出てくるんだとよ」
「いったいどうしたんだい。」
「それが…なにか大事な発表があるんだと」
内緒な、とシルバは言う。
「まさか…また戦をするって言うんじゃないだろうね!!軍神の巫女姫様が現れてその脅威的な力によって戦の終結が早まったと言っても私は嫌だよ。もう、戦なんてしたくない。あんただっていくら戦のない国を巡っているって言ったってその惨状をみてきていないわけじゃないんだろう!」
ユフィは苦しそうにでもはっきりと言う。
「そりゃね。」
それに対してのシルバの返答はあっさりしたものだった。
「私はもうごめんだ。軍神の巫女姫様がいると言っても、私はもうこれ以上人が目の前で死んで行くのは見たくないよ」
ユフィの目の前にはきっと今も見えているのだろう。死体の山となった城下の景色が。一時はそれは酷い状態だったと言っていた。最後の戦から二年。街の住人は死臭をかき消すように復興に力を入れている。
「でも、巫女姫様はこの国に平和をもたらしてくれる方なんでしょ?」
これもシルバから聞いたことだ。昔からこの国には言い伝えがあるのだと。この国の危機に巫女が現れると。
「シオン」
ユフィは自分の隣に帰ってきたシオンの頭に手を優しく乗せる。それはとても慈しむように。
「俺さ」
カウンターの向こう側から聞こえるシルバの声。
「明日はハムサンドが良いな」
その顔はニカッと屈託なく笑っている。
「注文する権利があるのはちゃんと営業時間内に来る人だけなんです」
シルバに渡した皿に乗っていたトーストはいつの間にかなくなっていた。
「シオンの好きな異国の話をしてあげるのに?」
「ホント?!」
シオンは手をカウンターについて前のめりの格好になる。
「うん」
「じゃあ、作っておく!」
シオンはシルバの話す異国の話が好きだった。それは少しでも彼女が過ごしてきた世界を求めているからなのかもしれないが。シオンは何時もシルバの話す自分の知らない異国の話しをそれは楽しそうに聞いているのだ。
その誘惑に負けていつもシルバを店の中にあげてしまう理由の一つでもあった。今日はユフィの帰りが早かったために聞くことはできなかったが、二人の間では異国の話しが対価になる。そして、話をしてもらっているシオンはこの厨房からシルバの好きそうなものを見繕って料理を提供するのだ。
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