隣の魔剣様
ぱちぱち、と、燃えた枯れ木のはぜる音が耳につく。
辺りがあまりに静かで、自分にしか聞こえないはずの鼓動の音すら響き渡ってしまうのではないかと思えるほどだ。
日が沈み、ずいぶんと時間が経つ。
木々の梢で遮られた月の明かりのなんと頼りないことか。
志波姫 湧は、縋るように目前の赤い火を見つめ続けていた。
ただ1人きりで奥深い森の更に奥地で過ごす夜は、辛いものだった。
たとえ成人した男であったとしても、闇の中の孤独の恐怖は誰しもが平等であり、いつもそばに感じていた家族や友人の存在が恋しく思われた。
呼吸の仕方すら忘れてしまいそうな重苦しい闇の中、ただ、自ら熾した火の明かりだけが頼りだった。
「ユウよ」
びくり、と、青年の肩が揺れた。
恐怖を見ぬ振りをして思考に耽っていた彼に、突然声がかけられた。
視線を、そっと、声の発せられた方へ向ける。
視線が向けられた先には、火の赤をぬらりとその身体に纏い反射する、一振りの剣が地面に突き立っていた。
鞘など纏わぬその刀身は、波紋が美しく、怪しい。
柄にはめ込まれた玉は、今は赤に染まっているが、昼には色の無い透明なそれであると湧は知っている。
そして、ただの剣と呼びがたいことに、剣そのものから辺りを威圧するような何かが放たれている。
近寄りがたい何かを感じることはできても、それが魔力と呼ばれるものだということを湧は知らない。
強い魔力を持つ剣が存在することにより、今この場所に、腹をすかせた獣や魔の者が寄ってくる事も無く過ごせているのだ。
むろん、ただ魔力を垂れ流しているわけではないのだが、それを湧が知る術は今のところ無かった。
「ユウ」
重ねて名を呼ばれ、今度こそ、湧は思考をやめそちらへ意識ごと向けた。
剣の向こうに人がいるわけではない。
スピーカーがついているわけでもない。
けれど、確かに、剣そのものから声が発せられている。
何度聞いても身の毛立つものだ。
湧はごくり、と唾を飲み込んでから、意を決して口を開いた。
「な、なんですか。
……武 伯父さん」
「武伯父さん……!? ゆ、ユウー!! 私の事を、お、お、お、伯父さんと!! うぉおお!! 私は嬉しいぞ! うっかりこの大樹を切り倒してしまえるほどにうれ……」
「やめろ!! 落ち着け!! 巻き込まれる! 俺が巻き込まれるから!!!」
ガタガタと揺れて存在を主張しまくる剣を、他称『エシャトンの魔剣』、自称『志波姫 武』という……らしい。
暴れそうになる魔剣を、必死になだめる湧。
重苦しいまでの静寂は、そのときあっさりと消えていったのだった。
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「可愛い甥っ子と姪っ子のために玩具屋巡りをしていたあの日……。居眠り運転をしていたトラックのせいで命を落とし、気がつけば魔剣として再び生を受け、このように自由の利かぬ身のまま時を過ごし幾星霜……。姪に頼まれた魔女っ子ものの『キラリン☆マギカ・おしゃべりペンダント』と、甥に頼まれた戦隊ものの『激烈!覇王ジャーソード』を渡せなかったことだけが心残りでな。幼い二人が『たけちゃん、たけちゃん』とじゃれてくる様は目に入れても痛くない幸せな光景だった」
「武伯父さん……」
志波姫家には、誰もが忘れられない傷跡となった出来事がある。
志波姫といえば、奇跡のホテル王と呼ばれる先々代、志波姫 武彦の名が広く知られている。
名だたるリゾート地に系列のホテルを所有するその経営を引き継いだのが、武彦の長男、武であった。
父親に引けをとらない経営手腕に、志波姫家も安泰であると皆が思っていた。
そんななか、重圧のかかる仕事の合間を縫って分家となった弟夫婦のもとへ頻繁に通っていた武。彼は、弟夫婦と、その子供たちをことさら大事にしていた。
自らが家族を持っていなかったという理由もあるだろうが、甥と姪を自分の子供のように可愛がっていたことは有名である。
彼らが生まれたことによって、それまで力を入れていなかったホテル内の保育施設に着手し、ますます 発展していこうというまさにこれからといった時。
それは起こった。
目撃者は、凄惨な事故現場だったと口をそろえる。
化学燃料を大量に積み込んだトラックの、爆発事故であった。
全てを燃やし尽くすほどの炎は辺り一帯を嘗め上げ、逃げ出した運転手や通行人は怪我を負いながらも命を取り留めたが、ただ1人、トラックと建物の間から抜け出すことができなかった志波姫 武だけが帰らぬ人となったのだった。
たまたま、いつもはそばにいる者たちを大丈夫だからと離し、1人きりだった。
たまたま、土産だけは自分で、と、1人で歩いて買い物をしていた。
大事な家族を失った志波姫家は、立ち直るまでにずいぶんと時間を要した。
その後、彼の3番目の弟である正彦がその跡を継いだ。
志波姫は変わらず存在し続けているが、それでも、それぞれの心に残った悲しみは消えることは無かった。
しかし。
「だが、心残りであった甥に再び出会えて、私は嬉しいぞ! このように立派に大きくなって……。ああ、ランドセル選びや受験の悩み相談、恋愛相談なんかも参加したかった……。うぅ……この身が恨めしい……!」
「武伯父さん、あの、さ、俺も嬉しいよ。もう会えないと思ってた伯父さんに会えて。……予想外の出会いだったけど。」
「そうか! よし、では、最後の心残りであったプレゼントを受け取ってくれる気になったか? どうだ?」
「いや、その、それは、その……遠慮し……」
「な、何故だ!!? あんなに欲しがっていただろう! 『激烈!覇王ジャーソード』を! 覇王ジャーレッドモデルだぞ!! さぁ! さあ! 手に取るのだ、私を!! さあ!!!」
がたがたがたっ!!
「い、いやだぁああああ!!!!!」
魔剣……もとい、『激烈!覇王ジャーソード・レッドモデル』が、自ら動いて湧へと近づいてくる。
その様は喜劇的なホラー。
頭を抱えて絶叫する湧に、彼の伯父の意思が宿った剣が迫る。
「この世界でこの姿になり、あらゆる物を切ることができるようになった。魔王だとて私にかかれば豆腐のように切り捨ててやろう!魔法だって切り裂くことができるのだぞ! もちろん、覇王ジャーの必殺技、炎を纏う『覇王・火炎斬』や、大地も切り裂く『覇王・ダイナミックキル』もマスターしている! 更に! この柄の飾りは取り外し可能でペンダントになり、尚且つ、『キラリン☆マギカ』と唱えればあらゆる魔法を使用することができる! ちゃんとおしゃべり解説機能付だ!」
さあ、さあ、さあ!!!
私を手に取ってくれ!!!!
しゃべる魔剣に迫られる……それも、自らの身内の魂を宿したホラーな物に迫られるという、前代未聞の経験をすることとなった、志波姫湧。
背中が堅い壁に当たった。
それは、それまで背にしていた大樹だった。知らぬうちに後ずさっていたようだった。
精神的にも体勢的にも追い詰められたと感じた湧は、その瞬間、ふ、と力が抜けた。
何故こんなことになったのか。思い起こせば、十数時間前。
自宅でのんびり休日を楽しんでいた。
そんな時、実家から持ってきた姿見の鏡が突然発光し、気がつけばこの森にいた。
近くに原因と思われる鏡は無い。
実家の隣の家の異世界へと通じる鏡の話は聞いていたので、おそらくそれに似たものだろうとあたりをつけ、現状把握のために散策していたときに剣を見つけたのだ。
遠い記憶をくすぐる形状をした『それ』。
石の台座に突き立った剣は、日の光を反射して輝いていた。
悲しい記憶と共にあるイメージを奥底から引き上げたときに呟いた、『覇王ジャー』という言葉が鍵となり、その剣は目覚めた。
というよりも、もとより目覚めていたが、自らを勝手に使おうとする者たちに辟易していたのだという剣は、寝たふりをしていたのだと言う。
そうして狂喜する剣と互いに自己紹介しあったのが、もう幾日も前のことのように思われる。
そこで回想を止めた湧が視線を上げると、梢の間から先ほどまでは気づかなかったが美しい夜空が見えた。
ああ。
世界って、広いな。
「さあ、ユウ!! 私を手に取ってくれ!!!」
期待に満ち溢れたような、弾んだ声。
湧は、その声の主を冷静に見つめ。
口を開いた。
「うん、あのさ、伯父さん。俺、もう、アラサーだし……。」
戦隊物は卒業しちゃったんだよね。
選ばれたものだけが触れることが許されるという、伝説にある魔剣。
伝説が眠ると言われ、人を寄せ付けぬその森に、その日、男……魔剣の悲痛な悲鳴と嘆きの声が響き渡ったのだった。
END
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※「隣の王様」「隣の隣の宰相様」の王様たちの世界と、「隣の魔剣様」の世界は違う世界。
志波姫 湧
>>「隣の隣の宰相様」の志波姫 泉の兄。泉とは双子。
>>現在は実家を出て一人暮らし。実家から譲ってもらった姿見の鏡のせいで異世界へ。
>>勇者っぽいことを期待されて召喚されたかどうかは、不明。
>>自宅の姿見とつながる鏡を探す為に、しぶしぶ魔剣を携えて旅をすることになる。予定。
志波姫 武:エシャトンの魔剣
>>湧と泉の伯父。事故に巻き込まれて死亡するも、気がつけば異世界で魔剣と呼ばれる存在になっていた。
>>死亡したときの心残りが反映されたのか、当時流行っていた戦隊シリーズ『覇王ジャー』の覇王レッドが使用していた剣の形になっている。
>>同じく、当時流行っていた魔女っ子アニメ『キラリン☆マギカ』のアイテムペンダントも剣の柄に装備。
>>魔剣になってからしばらくはストレス発散に暴れまわっていた為、『エシャトンの魔剣』と呼ばれ、伝説となっている。
>>伝説には尾ひれがついているが、正当な持ち主が所持すれば大きな力を発揮できる。はず。