表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

女子高生、坂東蛍子

坂東蛍子、間違いを犯す

作者: 神西亜樹

 国際交流というものには乗り越えなければならない壁が多い。それは文化の壁だったり、言葉の壁だったり、環境の壁だったりとケースによって様々なものがあるが、そのどれもが実際に体験してみないと壁の大きさは分からないという点で共通している。例え地球の裏側で背の高いアイルランド人が日本に興味を持ったとしても、実際に訪問しない限り、発酵する大豆の強烈な匂いも、トイレに設置された手をかざすと水音がする謎の装置もその実体を把握することは出来ないのだ。そしてこれは惑星間の交流においても全く同じことが言えた。重力、自然環境、生態系。宇宙人が他の惑星を訪れる際の壁は、同じ星の中で生まれるそれの比ではない。豆腐と炭化ジルコニウムぐらい強度に差があるものなのである。

 幸いにも擬態能力を持っていた大城川原(だいじょうがわら)クマは、惑星間交流において第一の壁となる惑星環境の壁を大した難なく乗り越えることが出来たが、それでも解決しなければならない問題はアイルランド人よりは多く抱えていた。何より彼女は学生という立場で人間達の集団に潜伏することを命じられている特派潜入員だったため、生活における避けられない問題の数は、彗星が恒星を破壊した数よりもずっと多い(宇宙ジョークである)。

「よーし、じゃあ始めるぞー」

 教師が試験開始の合図を高らかに宣言すると、大城川原クマは歯を食いしばり覚悟を決めて鉛筆を握った。

 彼女にとって学生生活における最も難儀な課題が勉学だった。クマは殆ど全ての教科が苦手だった。例えば国語。彼女は特殊スーツの環境翻訳機能によって日常レベルの言語は習得することが出来ていたが、学問としての国語(この場合は日本語)となると、自分の星とは異なる言語体系を基礎を飛ばして理解しなければならないため、どうしても環境順応処理が追いつかなくなってしまう。勿論英語など手に負えるわけがない。理系の科目は方程式や自然摂理が一から十まで自身の体感してきた常識とすり合わず、自己否定をされている心境に陥るため一番辛い。主要科目以外のものも文化や風習の違いからクマはかなり手を焼いていた。保健も苦手だった。体の構造が違い過ぎるのだ。目の数ぐらいしか一致するものが無いのに、自分に無い臓器の名前と役割まで覚えなければならないのは、デブリから愛を見つけるのに等しい苦行だ(宇宙ジョークである)。

 そういうわけで、大城川原クマは潜入員として目立つ行動を避けなければならない立場にありながら、試験結果の張り紙で常に目立つ位置に名前が載ってしまっているのであった。それだけならまだ良いが、とクマは思った(思った後ですぐに「いや、良くないはないが」と心の中で訂正した)。地球の教師共は彼女の試験結果の悪さに頭を悩ませ、とうとう一年の終わりに留年を示唆してきたのだ。その時は本星からの全面バックアップにより何とか試験結果を()()させて危機を脱したが、今後も赤点の数次第ではどう転ぶか分からない非常に危険な立場にいることに変わりは無かった。嫌だ、とクマは思った。留年生として目立つのはさすがに嫌だ。

 雨の音が静かに響く三限目の教室で、科学の中間テストは粛々と執行されていた。クマは強制送還もあり得る赤点判定回避のためにこの数カ月間血のにじむような猛勉強を重ね、なんとか殆どの科目の基礎を理解することが出来るようになっていたが、この「科学」だけは未だに飲み込めていないのだった。現在外で降りつづいている雨だって、クマの惑星では大地から巻き上がる現象だったのだ。この地球という星の分けのわからなさには本当に憤りすら覚える、とクマは俯いて唇を噛んだ。

 幸い今回の試験は記述問題が少なく、殆どがマーク式の回答だったが、それでもクマは赤点回避のために万全を尽くす気概であった。クマは教師に違和感を持たれないように頬杖をつき、そっと指先を耳元に伸ばし、自身の耳たぶを三回叩いた(彼女は耳たぶに潜ませたマイクロマシンから電波を発することで、半径10m以内の人間の脳と自身の脳をリンクさせ対象の視界をジャックすることが出来た)。狙うのは勿論学年で最も頭の良い人間だ。彼女は脳内に送り込まれてきた様々な結節要求信号の中から坂東蛍子の信号を探し出し、同期を始めた。


 科学の答案用紙が返却され、右上に記載された点数を見てクマは愕然とした。

(42点!?)

 そんな馬鹿な。トレース相手はあの類稀なる才智と慧眼を備えた地球人きっての秀才、坂東蛍子だぞ。クマは予想だにしなかった事態に気を動転させ、思わず斜め前の席に座っている蛍子の方を見てしまった。蛍子はクマの視線に気づいて振り返り、彼女の目を見てにっこり笑った。慌てて目を逸らしながら、やられた、とクマは思った。あの女は私が視界をジャックしていることなどお見通しだったのだ。だからわざと間違えた回答を提示した。地球人でありながら宇宙人の存在を看破し、未知のテクノロジーを考慮し、心理を悟られないように巧みに裏をかく。なんて恐ろしい女なんだ、とクマは蛍子に潜在する底知れぬ英気に改めて畏怖し、その後で彼女の笑顔に諌められたような気分になって、ちょっとだけ安易にカンニングに興じてしまったことを反省した。


 あの子、なんて名前だったかしら。坂東蛍子が愛想笑いを浮かべながら必死に頭を捻っていると、背後から声をかけられていることに気付き、慌てて振り返った。

「坂東さんがそんな点数なんて、珍しいね」

「うん、なんかマークする位置いっこずつズレてたみたい」

 驚いた様子の藤谷ましろに、蛍子は照れくさそうに頬をかいた。

【大城川原クマ前回登場回】

尾を飲み込む―http://ncode.syosetu.com/n4350ca/

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ