第五十話~領地開発を始めることにしました~
あの後、実務的な細かい質問が幾つか出た。食料の配給体制に関する質問や、村の移転関連の質問だ。
獣人の村と新拠点の衣食住に関しては当面の間、今まで通り全面的に俺が面倒を見る。これはアルケニアを含め、新拠点に移住してきた樹海の民も含めてだ。
カレンディル王国にある獣人の村に関しては一人残らず新拠点への移住を強制する。
これは現状の獣人の村がカレンディル王国の領土内に在りながらも、正式に村として認められていないからだ。カレンディル王国の領土を不法占拠している状態だと言い換えても良い。
この状態だと何が問題なのかというと、カレンディル王国にバレると王国法に則って取り潰されてしまう上に、獣人全員が不法占拠の罪で国有の奴隷にされてしまうのだ。これがちゃんと国に申請している開拓村であったりすれば話は別だし、あるいは住人が獣人でなければ事後承諾でもなんとでもなる話らしいのだが、残念ながら彼らは獣人である。
そもそも、カレンディル王国では獣人達だけで村を作ることが認められていないらしい。なんじゃそりゃと思うのだが、本当に法律でそうなっているのだから納得せざるを得ない。
以前ちらっと話の出た獣人狩りもこの辺りの法律が関わっている。捕らえた獣人を役所に連れて行けば国が買い取ってくれるらしいのだ。その審査はごく簡単で、連れて行った人間が身分証明書を持っていて、連れて行かれた獣人が奴隷登録されていなければそれだけで良いらしい。獣人側の言い分や主張など一切聞き入れられないと言うのだから恐れ入る。
身分証明書って言ったってお手軽簡単に発行できる冒険者証でも良いんだぜ。杜撰ってレベルじゃねーぞ。どこからどう見ても悪法にしか見えない。
それもこれも獣人の奴隷というのがほとんど貴族の間でしか流通・消費されていないのが原因だ。国に買い取られた獣人奴隷は専用のルートを使ってカレンディル王国内の貴族にのみ販売される。そう言われれば確かに王都アルフェンの奴隷市場ではあまり獣人の奴隷を見かけなかった。
貴族御用達なだけあって奴隷としての獣人の単価はかなり高く、ひっそりと建てられた獣人の村なんてのはカレンディル王国の冒険者にとっては宝の山なんだそうだ。
カレンディル王国の貴族にとって獣人奴隷を囲うというのは一種のステータスであるらしい。多ければ多いほど良く、従順で礼儀正しければより良い。
獣人というのは本質的に卑しく、社会性に欠け、本能的で野蛮である。その獣人に文化的で知的な生活を送らせるのが優れた貴族の証であると。そういう理論に基づいているそうだ。頭おかしいんじゃないかと本気で心配になる。
虐殺の方向に動かなかったという点はまだ救いがあるが、これは所謂民族浄化というやつである。もう少し聞いてみるとまぁなんとも胸糞の悪くなる『高尚な行為』をしている連中もいるようだ。あまりカレンディル王国の貴族社会とは接触してこなかったが、正解だったかもしれん。
ちなみに、今は村総出で現地を見に行く準備中である。
話し合いが終わった後に現地を実際に見たいという申し出が殺到したため、転移門を使って全員で見にいくことになったのだ。準備はマール達がするので座って待ってろと言われて大人しく待っているところだ。
手伝おうとしたのだが
「いいからタイシさんは休んでてください、働きすぎです」
と固辞されてしまった。解せぬ。
「タイシ、怖い顔してる」
考え事をしていると、いつの間にかカレンがすぐ傍まで近寄ってきていた。カレンがおもむろに俺の頬をその小さな両手でグニグニとほぐし始める。
「そんなキリッとした真面目な表情は似合わない。いつもみたいにだらしなく笑ってるべき」
「だらしなくって、お前ね」
苦笑いしながら俺の頬を弄っているその小さな両手に俺の掌を重ねる。小さな手の甲は少女特有の柔らかさがあったが、同時にいくつかの傷痕も感じられた。カレンが今までどんな人生を送ってきたのかはわからないが、きっと平坦な道では無かったんだろう。
この歳で大人顔負けの身のこなしを持ち、それなりに高度な魔法をも操るこの少女について今まであまり深く考えてはいなかった。獣人ってなんとなく能力が高そうだからそんなもんなんだろうと思っていたが、冷静に考えればそんな筈がない。
シータンを見ればよくわかるが、彼女は普通の女の子だ。獣人ならではの身体能力はあるのだろうが、それだけである。カレンとシェリーのように高度な戦闘能力を持つ獣人の少年少女は他にはいない。獣人よりも種として強力であろうアルケニアにさえ居なかった。
「また怖い顔になってる」
「わはっらはら、へほはならひてふれまへんはへぇ」
「共通語でおけ」
無理言うな。
俺の頬をびろーんと伸ばしているカレンの手を除けて真正面からしっかりとカレンの顔を見つめる。相変わらずどこか眠たそうな目をしている。その奥にある金色の瞳もじっと俺を見つめていた。
「カレン達のことを考えていたんだ」
「ぷっ」
「おい笑うなよ!? 笑うツボ無いだろ今の!」
「真顔で『カレン達の考えていたんだ(キリッ』とか言われたら笑わざるを得ない」
「やめろよ! 俺のガラスのハートが傷つくだろ!」
おおよしよしとか言いながらカレンが俺の頭を撫でてくる。なんなんですかねぇ、この圧倒的敗北感は。
カレンを撫でたり撫でられたりしている間に準備が整ったようだ。いつの間にかシェリーとシータンも加わってこの世の楽園になっていたのだが、準備が終わったと呼ばれれば腰を上げざるを得ない。
「むー、なんというかもやもやします」
「そんな理不尽な」
「頭では割り切っていても、感情がついていかないんです!」
マールがやきもちを焼いていたので撫で撫でして宥めたら、結局全員を撫で撫ですることになった。それで待たされている獣人の村の人々の視線が生温かった。
☆★☆
「さて、これから現地に飛ぶ転移門を作るわけですが、その前に済ませることを済ませてしまおうと思います」
建築資材となる多数の丸太をストレージに収納した俺は集まった獣人達を前にそう宣言した。もうあれだ、長時間生温い視線に晒された今の俺に怖いものなど最早無いのである。もうどうにでもなあれ。
「メルキナ、デボラ、カレン、メリー、シータンも前に出てきてくれ」
何が始まるのかとざわついている獣人達の中から五人が進み出てくる。デボラとシェリーとシータンは落ち着かなさげにモジモジとしている一方、メルキナとカレンはふてぶてしい程に堂々としている。というかそのドヤ顔をやめろこの駄エルフめ。
「なんというか俺としても唐突な展開で色々と追いついていないわけだが、あの状況下で臆さず飛び込んできてくれたお前達にしっかり応えるのが男の甲斐性じゃないかと思うわけだ」
そう前置きしてから俺はメルキナ用に作ったミスリルの短剣をストレージから取り出し、手渡す。その後もデボラ、カレン、シェリー、シータンにもそれぞれ用に拵えたミスリルの短剣を手渡す。
「それで急遽ミスリルの短剣を用意してきたのね。結構したでしょう? 随分と良い品みたいだし」
メルキナがニヤニヤしながら俺の渡した短剣を僅かに抜き、その刀身を眺める。
「原材料費だけだ。俺のお手製だからな」
「またまた……え? 本当に?」
俺が無言で頷いて見せるとメルキナは鞘から刀身を引き抜き、感心した様子で眺め始めた。
「うーん、意外な才能ね。ただの道楽者の自称勇者ってわけじゃないのね」
「いや、自称じゃないんだけどな? てかまだそこらへんは信じられてないのか」
ふとデボラに目を向けるとなんとなく微妙な表情で自分のミスリルの短剣……というか剣鉈を見ていた。敢えて柄だけでなく鞘も無骨で頑丈な作りにしてあるからな。他の四人の物と比べるとその無骨さが非常に目立つ。
「まぁ、私にはこういうのがお似合いかもしれないけど」
「腐るなよ。抜いてみろ」
デボラがその無骨な鞘から剣鉈を引き抜くと、精緻な装飾の施された美しい刀身がその姿を現した。剣鉈であるために分厚く、また切っ先も鋭いのだがミスリルの曇りなき銀色と細かな装飾が日光を照り返してキラキラと輝きを放つ。
「中身は別だろ? ちゃんとお前をイメージして作ったんだぞ」
「そ、そう」
俺よりでかい図体の熊がどこか照れたような雰囲気を漂わせてソワソワし始める。うむ、なんとなく可愛いが全く欲情しそうにないな! まぁなんだ、そっちはゆっくり考えよう、うん。仲間外れにするわけにはいかないからな。
実際デボラは見た目の割に中身が乙女で可愛いやつだし、地味に料理も上手いし良い嫁になりそうではある。問題は見た目が二足歩行する熊ってとこだな。モフリ対象としては申し分ないんだが。
「ミスリルだからちょっとやそっとじゃビクともしないが、特にデボラとシータンのは頑丈に作ってある。岩どころか金属に斬りつけても基本的にビクともしないから遠慮なく普段使いしてくれ。カレンとシェリーのはちょっとやり過ぎなくらい魔力を増幅するから扱いに気をつけるように。殺す相手以外には絶対向けるな」
「わかった」
「はい」
「使ってて気になるところがあれば遠慮なく言うように。実用性を兼ね備えさせてるから、できれば大事に仕舞っておくよりもガンガン使ってくれ。俺からは以上だ、皆待たせたな! 出発するぞ」
獣人達から威勢の良い返事が返ってくる。うむ、出陣だ。
一部砂糖でも吐きそうな顔をしてる奴らがいたが気にしない。気にしないったら気にしない。
☆★☆
「広いなぁ」
「予想以上ですな」
転移門を行使すること二回。無事に村民を現地入りさせた俺は丸太やら何やらの各種建材をストレージから吐き出していた。そのすぐ側でソーンとヤマトが辺りを見回している。
デボラやメルキナ、豹獣人のレリクスなんかは早速武器を持って周辺環境の調査に行った。獣人の村の周辺に比べると結構魔物が強めなので絶対に無理をしないように言っておいたが、まぁ最悪死んでさえいなければなんとかできるだろう。
『随分と大所帯で来たでありますな』
「現地を見たいという方が多かったんですよ」
「まぁ、これから自分達が住む場所を見たいというのは当然じゃろうしの。しかしまた随分と広い範囲を更地にしたものじゃ。やはり規格外にも程があるの」
「タイシさんですから仕方ないですね」
あちらでは干し肉やらドライフルーツを肴にお茶会をしているアリ子と王女二人とクスハ……ってあいつら何やってんだ。まぁ和やかなムードだしいいか。
「土の質は悪くない。というか気味が悪いくらい良い」
「これならすぐに畑を作れそうだね」
「粘土が近くで取れれば良いけど」
獣耳少女嫁三人を含めた年少組や草食系獣人達は対魔物結界に覆われた整地済みの部分を検分しているようだ。まぁこの中はかなりミキシングしまくったのでほぼ均一な土質になっているだろう。ちょっと柔らかくしすぎてるかもしれんから、建物や道を造るならもう一手間要るかもしれん。
その辺は土魔法が使えるカレンや俺が頑張ればいいだろう。いや、獣人達のバイタリティを考えると魔法に頼らずやってしまいそうな気もするが。
「物資は以上ですね。今日のうちに幾つか寝起きできる場所を作ってしまいます」
「安全第一でな、怪我しないように気をつけろよ」
「大丈夫です、慣れていますので」
ヤマトはそう言ってブヒヒンと笑うと男衆にテキパキと指示を出して天幕を設営し始めた。これはあれだな、グル? ゲル? 確か元の世界ではそんな感じの名前で呼ばれてた奴だな。確か遊牧民が使ってたような感じの。普通のテントよりもかなりでかくて頑丈そうだ。これなら夜も快適に過ごせそうである。
「んじゃ俺はアンティール族と話をしてから井戸掘るわ」
「はい、お願いします」
律儀に頭を下げるヤマトにヒラヒラと手を振ってから優雅なティータイムに突入しているマール達の席へと向かう。
「なんか凄い和んでるな」
「アリ子さんとクスハさんに樹海の情勢についてお話を聞いてました!」
『お話を聞かれていたであります』
「所謂茶飲み話じゃな」
「私はお茶を淹れてました」
「どこから突っ込めばいいんだ」
真面目な話をすると、俺達の村建設に対するアンティール族のスタンスや樹海に住む他の種族の話を聞いていたらしい。
「そういや気になってたんだが、何で鬼人族に最初に接触しないんだ? こういう時は一番デカい勢力に最初に接触するのが定石じゃないのか?」
「彼奴らは極度の人間嫌いじゃからな。人間を保護している妾達の里と反りが合わんのじゃ」
「川の民の族長筋とは交流があるようなので、先にそちらに渡りをつけた方が良いというアドバイスがクスハさんからあったんですよ」
「妾の紹介でもあの赤鬼には会えるかもしれんが、彼奴は妾が人間に肩入れしていると決め付けてかかるじゃろうからな。まともな話し合いにはなるまい。じゃが、川の民を間に置けば話くらいは聞くかもしれん」
「なるほど。それで先に川の民を口説き落とすわけか」
「そういうわけですね!」
ちょっと興味あるんだけどな、鬼人族。話を聞いてみると川の民の領域への通り道に近いところにあるし、少し覗いてみるかね。
ほら、ありがちな展開だけどいがみ合ってた人間と鬼が力試しの末に互いを認め合ってユウジョウ! とか憧れるじゃん。
「で、アンティール族の方はどうなんだ?」
『それについては自分が説明するであります』
アンティール族としてはこの土地の脅威を監視していただけで、その脅威は俺が取り払ったのだから俺の好きにすると良いという考えのようだ。
ただ、俺達の懸念通りアンティール族はこの土地に隣接する結構広い範囲の地下に彼女らの住居を造って住んでいるらしい。このままだとやはり生活圏が重なる恐れが高い。
『そちらも周辺で狩りをするのであれば、かち合う可能性はあるでありますな。ただ、獲物の枯渇に関して心配する必要は無いと思うであります』
アリ子が言うには彼女らの現在の規模が現状での拡張限界であるらしい。これ以上拡張すると食糧の需給バランスが崩れてコロニー崩壊の恐れが出るのだとか。
アリ子達の戦闘能力は普通の人間よりは高いそうだが、樹海の魔物相手に完全に優越するレベルでもないそうだ。狩りで命を落とす個体も少なくないとのこと。
『当面は現状維持でありますな。というか、基本的なスタンスとしてそちらと敵対する気は無いということを伝えておくであります』
「そうじゃよな。敵対しても殲滅されるのが目に見えておるしの」
「妥当な判断ですね!」
「お前ら……」
ティナは沈黙を守って苦笑いしている。実に心外だ。一応粘り強い交渉は行うぞ。一応は。最終的に交渉が決裂した場合は武力行使も辞さないけど。
え? 横暴だって? そりゃ俺だって殴らなくても良いなら殴りたくないけど、綺麗事だけじゃ世の中動かないからなぁ。搦め手もそりゃあるだろうけどまどろっこしいことはあんまり好きじゃないしね。
「こっちとしても一方的な従属を強いる気はない……って事でいいよな?」
「そうですね。そうすることは可能かもしれませんが、将来的に見てあまり利がありませんし。互助関係を築ければ理想的ですね。アンティール族としてはどんな利益を私達に提供可能なのでしょうか? こちらから提供できるのはタイシさんの庇護、望むのであればタイシさんの領地内での市民権、ミスクロニア王国やカレンディル王国で流通している食料や様々な物資の提供などでしょうか。他にも色々とありますけど」
俺の言葉にマールがスラスラと答える。一方アリ子は触角をピコピコと動かして仲間と話し合ってるっぽい。少しして仲間内での合意に至ったようだ。
『私達が提供できるのは労働力と地下資源の類でありますな。土木工事と地下工事はお手の物であります。今の所提供できる地下資源として粘土、鉄鉱石、銅鉱石、銀鉱石、黒曜石、他にも水晶や宝石類も備蓄があるであります』
「なるほど。そっちにその気があるなら交易はできそうだな」
「そうですね。他領への輸出に関しては備蓄量や生産量次第ですけれど、領内の需要を満たせるだけでも十分有用ではないかと」
「領内での立場をどうするかが問題ですね」
アンティール族は既にこの樹海の地下に自分達の領土を築いている。獣人の村の獣人達と違い、別に俺の庇護下に入らずとも自給自足でやっていくこともできるのだ。そういう意味ではクスハのアルケニアの里も同様である。
「まだちょっとふわっとした考えなんだがな」
そう前置きして俺は樹海の民達が住んでいる集落に自治権を与えたいという方針を示した。ついでに自治区民が自治区の出入りをするのは自由だが、自治区民以外が自治区を出入りするには領主というか行政の許可証を必要とする事とする。
自治区は行政の許可証を持たない者が自治区に侵入した場合これを拘束する権利を有する。樹海に通す予定の街道は各自治区から一定の距離を設けることとし、樹海の出入り口に関所を設けてその旨を広く公示する。
つまり不審者は樹海の住民が取り押さえてよしというわけだ。原則的に殺すのはなしだが、激しく抵抗した場合はそれもやむなし。初犯は厳重注意に留め、二回目以降は罰則を設ける。
まぁ街道から離れたら多分樹海の魔物の餌食になると思うけどね。街道には魔物避けの結界柱を設置する予定だから、街道にいる限りは安全を確保できるようにするけど。
「という感じで考えているんだがどうだろうか」
「ふむ……かなり妾達に配慮されている法じゃの」
『好き好んで私達の巣に足を踏み入れる人間がいるとは思えないでありますが、もし事が起こった場合には確かにそうでありますな』
「でも問題も多そうです。自治区の範囲設定もそうですし、あまり強く引き締めると冒険者や商人が集まりませんよ?」
「それも尤もだが、その辺もある程度考えてる」
そもそも交易を行う商人が大樹海に入ることは考えられないので、まずここには何もする必要がない。街道しか通らないだろうし、各自治区との直接取引を禁止すればわざわざ危険を冒して各集落に行くこともないだろう。この辺りは各自治区の交易権を侵害することになるが、今まで外部とのやり取りをしてこなかったのだから影響は無いと思って良いはずだ。。
各自治区で生産された特産品の買上額と外部の商人への売却額をしっかりと開示するように体制作りをすれば不満もそう出ないだろう。
『良いのでありますか?』
「別にお前らを利用して阿漕にがっぽり稼ぐのが目的じゃないからな。今の時点で金は余ってるくらいだから私腹を肥やそうとも思わん」
「タイシさんのそもそもの目的は獣人の方々が安心して暮らせる場所作りですからね」
「うむ。まぁその中にお前らも入れようってだけだからな」
『そうでありますか』
アリ子はそう言ってピコピコと俺に向けて触角を動かす。
とにかく問題は自治区内にずんずん入っていきそうな冒険者の扱いだ。樹海の魔物はかなり強いからそう簡単に樹海を抜けて各自治区に侵入するとは思えないが、大氾濫の時に魔物相手に無双してたAランクのおっさんトリオみたいな規格外もたまにいるから油断はできない。
「そういうのには関所か領都の冒険者のギルドで各自治区の説明と一緒に探索許可証を発行すればいいだろ。説明を無視して各自治区の住民や財産に手を出したら相応の罪に問うという感じで」
「だが妾達自治区側の戦力で対処できぬ輩が現れたらどうする? 取り締まる側の力が及ばない場合大きな被害が出かねんぞ」
「自治区とうちの領の治安維持部隊に俺が自重しないで作った武器を装備させれば問題ないだろ」
「いや、自重してください。タイシさんが自重しないで作った武器とか一振りで騎士小隊が消し飛ぶじゃないですか」
「わかった、自重しない非致死武器の開発をしよう」
マールに強力な睡眠薬とか催涙ガスとか作ってもらってそれを散布するような感じでも良いかもしれんね。これはおいおい考えよう。
『我々に対する制限は無いでありますか?』
「そりゃ無いわけは無いわな。盗むな、攫うな、犯すな、殺すな、火をつけるなは当然として、さっきも言ったように勝手に外部の商人と交易をするなとか、反乱を企てるなとか、その辺は約束してもらうことになるんじゃないか。あと、今の所具体的にどうするかは考えてないけど税を払えとかも出てくるかもな」
『税でありますか』
アリ子がこくり、と首を傾げる。
うん、声の通りの外見だったら可愛いのかもしれないけどデカいアリなので微妙だ。見方によっては可愛いのかもしれないが。
「ぶっちゃけ俺はその辺完全に門外漢だからなぁ。実際にどの程度納めてもらうのが妥当かはちょっとわからん。さっき話したのと重複するが、領主としてはその対価として強力な魔物が出た際の戦力の派遣、病気や怪我の治療の提供、教育支援、雇用の創出、なにか不測の事態が起こっても飢えないようにするとか、そのへんを提供する形になるか」
俺の言葉にその場の全員が『何か変なこと言い出した』みたいな表情をした。
あれぇ? 俺変なこと言った?
「いや、領主の仕事が軍事面だけってこたないだろ? 人材育成のために教育は必須だし、領民が健やかに過ごして生産性を維持するためにも医療や福祉も必要だ。領内を豊かにするために農業や商業も計画的にやるべきだし、それによって雇用が生まれれば領内で経済が回るようになる」
「教育ってどんなことをするんですか?」
「俺としては一定年齢以下の子供を集めて最低限の読み書きや計算、社会常識なんかを教えることを想定している。確か識字率ってそんなに高くないよな?」
「はい、そうですね。貴族や商家の子供ならそうでもないですけど、一般市民や農民の識字率はそんなに高くないと思います。獣人の皆さんがどうかはわかりませんけど、ヤマトさんはかなり教養がありそうですよね」
頰に指を当てながらマールがそう答える。うむ、確かにヤマトはやたらインテリっぽいんだよな。でもソーンとかデボラとか絶対文字読めなさそう。
その辺の事情はあとで誰かを捕まえて聞いてみるとしよう。
「妾の里では子供達に読み書き計算は教えておるぞ。里に迎えた人間や老人が教師役をしておる」
『私達は文字という概念は知っているでありますが、文字そのものは用いていないであります』
クスハとアリ子がそれぞれの教育事情を教えてくれる。ふむ、クスハのとこではすでに教育を行っているのか。どの程度のものかわからんが、場合によってはその教師役の人員をうちで雇っても良いかもしれないな。
アリ子はまぁそうだろう。意識共有みたいなことしてるっぽいし、文字を使う意義が無さそうだ。覚えさせたらすぐ覚えそうだけどな。
「アリ子達は文字を頑張って覚えてくれ、今後必要になる。あとは医療と福祉か。この辺って普通どうなってるんだ?」
「福祉というのはちょっとよくわかりませんけど、医療に関しては回復魔法を使える魔法使いか錬金術士が開いている施療院か、神殿でお金を払って治療してもらうのが一般的だと思います」
俺の疑問に今まで黙っていたティナが答えてくれた。目が合うとにこりと微笑んでくる。何故かその横でマールが悔しそうな顔をしている。いやいや、張り合わんでいいから。
「ありがとう。俺としては領民に対して限りなく安い値段で医療サービスを提供したいと思っている。周辺の魔物が結構強いから、怪我人はそれなりに出ると思うんだよ。今まで住み慣れていた土地とは離れた場所だから、病気も増えるんじゃないかと思ってる。ましてや人がほとんど足を踏み入れていない樹海にはどんな未知の病があるか予測もつかない。そんな中、高くて医療サービスが受けられないなんて事になったら大変だろ?」
「それはそうですけど、実際問題どうやって医療を施すんですか?」
「まぁ最初は高待遇で雇うしか無いだろうな。最終的には回復魔法の使い手を自前で用意できるようになればベストだろうが、まぁそれは先の話だろ」
「ああ、それで教育ですか。いずれは見習いに治療させて一石二鳥にするわけですね」
マールが納得したように頷く。流石俺の嫁、理解が早い。
「あと、教育を施す学校では給食――無料で昼食を出すつもりでいる。あと、原則的に月謝も取らない」
この言葉には流石に驚いたらしく、つい今しがた納得した顔をしていたマールもぽかんと口を開けて呆けた表情を見せた。
「いや、考えてみろよ。領民に基礎的な教養を身につけさせるためにやるのに、誰も来なかったら意味ないだろ。子供だって立派な労働力だ。獣人達は俺に言われればそりゃ従うだろうが、なんでそんな事をって思う奴も多いはずだ。だが、無料でしかも昼食の面倒を見てくれるってんなら喜んで学校に行かせるだろ? 親は自分の仕事に集中できるだろうしな」
『幼生体の育成にはそれなりのコストがかかるであります。賄えるのでありますか?』
「子供の五十人や百人くらい何ほどのもんでもない。俺が毎日一時間魔物狩るなり武器作るなりするだけで余裕で釣りが来るさ」
実際問題そういうわけである。最終的には税収で賄えるようにする必要があるが、軌道に乗るまではそれで十分だ。子供なら一人当たりの食費なんて一食銅貨2枚から5枚程度だろう。百人いたとしても銅貨500枚、銀貨たった5枚程度だ。
トロール一体で金貨30枚くらいになる。金貨30枚は銀貨300枚なので、子供百人を六十日間食わせられる計算になる。余裕だな。実際には教員に支払う給料や文房具代なども必要になる訳だが、なんとでもなる話である。
「次、話を変えるぞ。福祉ってのは全ての領民が最低限の生活は送れるようにしようってことだ。怪我や病気、なんらかの障害でまともに働けなくて明日食うものにも困るとか、飢えて死ぬとか、そういう領民を可能な限り無くそうというわけだな」
「なるほどなるほど、それは治安の向上が見込めそうですね。そういう人達を放っておくとそのうち貧民街ができて様々な犯罪の温床となりますし。それに万一亡くなった方の死体が放置されるようなことがあれば、疫病の発生原因にもなりかねません。あるいはアンデッドになるかもしれません」
マールが感心したように頷いて小さな手帳のようなものにメモを取っている。今話し合った内容をメモしておいてくれれば後々話し合う時に役立つかもしれないから、助かるな。
「ふむ、道理じゃな。しかし主殿は門外漢と言いつつもよくそういう所に気がつくの?」
「まぁ、俺の住んでた所でそれなりの教育を受けてきたからな。俺の住んでた所の良い所を模倣してるとこも多分にあるよ」
『随分進んだ文化を持つ所であったのでありますな。興味深いであります』
アリ子がピコピコと触角を動かす。お前達が向こうに現れたら「アリだー!」とか「サ、サンダー!」とかなりそうだからやめとけ。そういやこいつら蟻酸は生成できるのかね? 何に利用できるかわからんけど、錬金術の素材とかになりそうだよね。
「模倣でもなんでも知識を有効利用できるなら大したもんだと思うがの。そんなに卑下することもあるまい」
「私も同感です。武器や魔法と同じでどう使うか、使えるかが大事だと思います。出自は問題ではないですよ」
クスハとティナがフォローしてくれる。ううむ、励まされてしまった。確かに使えるかどうかが問題で、この際パクりとかそういうのは深く考えないことにしよう。うん。
「さて、いろいろ脱線しましたけどまとめましょう! 差し当たってアルケニアの里とアンティール族はこちらの方針に従っていただけるということでよろしいですね?」
「妾達は今更じゃろ。従うさな」
『これまでの話し合いの内容を総合的に勘案した結果、従うという方向で決まったであります』
「はい、ではそういう事で。予算編成や税の設定、法の整備など色々とやることが山積みですが、頑張っていきましょう!」
綺麗にまとめてマールがそう宣言する。
こうして俺達の、俺達による、俺のための領地運営が始まるのであった。
俺はまず井戸掘らないとな。
次から新章です_(:3」∠)_