第二十六話~自己嫌悪に陥りました~
翌日。
「カリュネーラ王女の件なんだが」
ベッドで目覚め、俺にしがみついているマールを起こして俺はそう言った。
マールはまだ寝ぼけているようだが、しっかりと聞いてはいるようだ。
「マールの話を聞く限り、彼女はマールが『持ってる』俺が欲しいとか、そんな感じなんじゃないかと思うんだ」
「んむぅ……多分、そうだと思いますけど。後は、タイシさんが勇者だからっていうのもあるんじゃないですか」
マールは寝ぼけ眼を擦りながらそう言った。この寝起きのぼーっとした顔を見てると頭を撫でたくなってくる。
そして遠慮をする必要もないので撫でる。可愛い。
「つまり俺自身ではなく『マールの婚約者』とか『勇者』って記号に燃えてるんだよな。だから『自分の婚約者』になっちゃえば一気に飽きたりするんじゃないかと思ってるんだが」
「うーん……確かにその可能性はあるかもしれませんね。無理矢理取り上げたアクセサリーも三日で飽きたとか言って放り出しちゃう子ですし。でも、そうじゃなかったらどうするんですか?」
マールは俺の言葉に頷きながらも反論してくる。
うん、確かに。それは仰るとおり。
「あー……うん、その時は色々腹を括るしかないんだが。でも彼女、手に入らないとなったらますます燃えるし絶対に諦めないタイプだろ? あそこで断っても更に燃え上がるだけで逆効果だと思ったんだよ」
「腹を括るって……でも確かにあそこで断るともっと執拗に、かつ強引な手を使ってきた可能性は否めませんね」
マールは俺の言葉を聞いて苦笑いを浮かべる。
そうだよな、あの手のタイプはそういう感じだよな、うん。
「ところでタイシさん?」
「はい」
「あわよくばカリュネーラを頂いちゃいたいな、と思ってましたね?」
「あの時はほんの少しだけ」
今はそのつもりは毛頭ない。ないですよ。
「そうですか。カリュネーラのおっぱいってぷるんぷるんですよね」
「ああ、あれは良いものだな。マールほどじゃないが」
マールは俺の脇腹をつねってきた。痛いです、お客さんリバーにパンチはやめてください。
あのおっぱいが良いものだという事実は男として認めざるを得ないんです。
「正直すまんかった、冷静じゃなかったことは素直に認める」
「……はぁ。仕方ないですね、許します。オークの精力剤を盛られた上でカリュネーラを相手に我慢したんですから、むしろそこは褒めなきゃいけませんし」
そう言ってマールは俺への攻撃をやめてくれた。
確かにアレは凄かったよね。人体の神秘を目の当たりにした気がするよ。
「タイシさんのことですから実際に一緒に生活してみて話し合って、それで諦めて貰おうと思ってたでしょう?」
お前はエスパーか。
「タイシさん、長期間一緒に過ごしたら情が沸いてしまいますよね? まかり間違ってコトに及んだら一発ですよね?」
「ぐ、そんなことは」
「無いとは言わせませんよ。命を狙ってきた元暗殺者の犯罪者奴隷をわざわざ買って傍に置く人が何を言っているんですか」
反論のしようが無かった。
「まぁ、フラムさんの件にしては良いとしてもです。甘いです。この前舐めたビッグホーネットの蜜を百倍にしたくらい甘いです。タイシさん、これじゃ向こうの思うままですよ」
マールにバッサリと斬り捨てられてしまった。マールに正面から否定されたのは初めてかもしれない。
だが、俺には俺の言い分もある。あの時は冷静じゃなかったとはいえ、別にエロだけを考えて婚約を受けたわけじゃない。
「カレンディル王家とコネを持っておけば役立つことは多いと思ったんだよ。俺達を暗殺しようとした勢力にはちゃんと対処したみたいだし、今はゾンタークを通して互いに良い協力関係を築けているしな」
「全然ダメです。そんな甘い考えでいたらカレンディル王国にズルズル引き込まれちゃいますよ。婚約が正式なものになったらまずは名誉士爵にして、正式に側室になったら男爵位と適当な領地を与えて、とかそんな感じでガッチガチにしてくるに決まってます」
ぐうの音も出ない。
「第一、カリュネーラに対して寛大すぎます。睡眠薬と精力剤を盛って貞操を奪おうとしてきたんですよ?」
「いやまぁ、命に別状のあるものじゃなかったしいいかなって」
「タイシさん、私がそうされてたらどう思いますか?」
「ぶっ殺す」
「では、今の私の気持ちもわかってくれますよね?」
「本当にすいませんでした」
素直に謝っておいた。
確かに、未遂に終わったとしても逆の立場だったらブチ切れてる。
「まぁ、タイシさんはダダ甘のお人好しですからね……私も最初はそれにつけこんだわけですし。ほんとタイシさんはそういう所、詰めが甘いですよね」
マールは深く溜息を吐き、俺の額をペシンと叩いた。
そして俺の頬を両手で包み、顔を逸らせないようにしてから有無を言わさぬ笑みを浮かべる。
「仕方がありません、ここは私が一肌脱ぎます。タイシさん、全権を私に託してください、良いですね?」
「あ、はい。えっと、マールさんは何をするおつもりで?」
「聞きたいんですか?」
「あ、いえ。いいです、はい」
にこりと笑うマールに俺は何も言うことが出来なかった。
「じゃあ、行って来ますねー」
ドレスアーマーを着込んだマールが笑顔で手を振りながらジャック氏の用意した馬車に乗り込んでいく。
俺はそれを見送り、溜息を吐いた。今のマールは誰にも止められまい、俺も含めて。
「タイシ様も怒ったマール様には勝てないんですね」
メイベルの何気ない一言がグサリと突き刺さる。
いかん、メイドに舐められている。俺の沽券に関わる事態だ。しかし反論のしようも無い、悔しい。
「マッサージ、マッサージをしましょうタイシ様。嫌なことはそれで忘れられますよ」
「メイベル、お前俺を踏みたいだけだよね?」
俺の言葉にメイベルは視線を逸らした。おい、そこは否定しろよ。
傍に控えているフラムの目もなにやら怪しい雰囲気だ。弱った俺をどうするつもりだ、貴様ら。
「出かけてくる」
俺は逃げ出すことにした。
マールが帰ってきたら誠心誠意謝ろう。そうしよう。
「はあぁぁぁぁぁ……」
壁内の公園のベンチに腰掛け、溜息を吐く。
一晩経ってマールと話してから自己嫌悪が酷い。
何故お茶に睡眠薬が入っている時点で問い詰めなかったのか、あの時に問い詰めてメイドに飲ませてしまえばそれで終わりだったじゃないか。
かかったふりをするにしても、手枷をつけられた時に目を覚まして問い詰めれば……後悔先に立たずだなぁ。
慢心が今回の事態を招いたのは明白だ。ちょっと強くなって金持ちになっていい気になってた報いだ。死にてぇ。
そんなことを考えてベンチでぐったりしていると、鳩のような鳥がばさばさと何羽か降りてきて俺の前をうろうろし始める。
エリアルドにも鳩はいるんだなぁ。
「ピヨピヨ」「ピヨピヨ」
鳴き声を聞いてずっこけそうになった。
異世界だからな、鳴き声も違うよな。うん。
ストレージから生麦を取り出して撒いてやる。おお、ピヨピヨ言いながら啄ばんでおるわ。癒されるな。
しかしマールは一人で大丈夫だろうか。
行き先がゾンタークの屋敷と王城だから滅多な事は無いと思うが、心配だ。
レベルこそ既にベテラン冒険者の域に片足を突っ込んでいるマールだが、やはりか弱い女の子でもある。
大丈夫だろうか? 大丈夫だろう。あのマールを止められるわけがない。
今考えるべきは今後のカレンディル王国との付き合い方だろう。
マールが今回どういう結果を掴んでくるかにもよるが、付き合い方に関してはもう少し考える必要がある気がする。
まず、どこまで信用するかという所だ。
少なくとも、ゾンタークと協力体制を組んでお互いに利益を供与しあっている間は信頼しても良い。
ゾンタークのカレンディル王国に対する忠誠は本物だから、協力関係にある限りは俺を害するような政治勢力は排除してくれるだろう。
カレンディル王国が一枚岩ではないのはわかっている。最初の接触は最悪な形だったが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという精神でかかる必要は無い。
一応、前回の勇者披露の時に過去の遺恨は水に流そうと言ったしな。
後は今回の騒動についてか。
今回のカリュネーラ王女の件だって、きっとゾンタークは把握していた筈だ。
カリュネーラ王女の策が実って俺と肉体関係を結べばよし、そうでなくとも今のように『名目上』ということで婚約の約束を取り付けてしまえば良い。
俺が家を空けている間にでもカリュネーラ王女を押し掛けさせて、なし崩し的に既成事実を作ってしまえば問題無いと踏んだんだろう。
俺がフラムを囲っているのは勿論知っているだろうから、俺の性格も把握しているはずだ。
肉体関係を結べば一発、そうでなくとも情が沸けばカリュネーラ王女を邪険に扱うことはない、そう思っていたに違いない。
「アカン、舐められてる」
事実そうなんだから仕方ないんだが。
昨日、俺がマールを説得して承諾した時点でゾンタークはチェックメイトした気分だっただろうな。
きっと今頃マールがそれを粉々に粉砕しているんだろうけど。
カリュネーラ王女の件が潰れたとしても俺がカレンディル王国にとって有用なのは変わらない。
今では軍部での俺の評判も上がっているようだし、少なくとも大氾濫が終息するまでは信用して問題ないだろう。
まぁ、そうでなくとも俺とマールが一緒に行動しているのは公表してしまったわけだし、今後カレンディル王国が物理的に俺達を排除するという線は消しても問題無いはずだ。
カレンディル王国にとってメリットは何一つ無いんだからな。
今後気をつけるべきは過度な懐柔に対してだけと思って良い。それこそ今回の件みたいな内容だ。
後は俺とマールに対する離間工作か。今回の件はこれも兼ねてるよなぁ。
あと、今回はゾンタークへの義理とかそういうものが利用されたわけだ。
実際、カレンディル王国やゾンタークに俺は武器を供与して、それを他国へと回してもらった。それに対する彼らへのリターンは武器の供与だけである意味解決している。
だが、人を動かすにはカネもコネも手間も掛かる。
「うーむ……」
今回はそれに対する義理人情を利用されたわけだが、これを蔑ろにすると人として大事なモノを失う気がする。
俺は考えるのをやめた。
「不覚を取ったこの経験を生かそう。んでマールに謝ろう。うん、それしかないな」
ダメな時はそれを取り戻そうと躍起になってもダメなもんである。
こういう時はスッパリと気分転換をするべきだろう。
さて、気分転換となると何が良いだろうか。色事関係は懲りたので、他のことが良い。
冒険者ギルドに行って何か軽い依頼でも受けてくるか? それとも第四城壁の建築に汗を流すか?
どっちも気分が乗らない。
なら買い物だ、マールに何かプレゼントを買おう。
ご機嫌を取るのにプレゼントというのも安直だが、有効な手だと思う。
俺はフラフラとマールへのプレゼントを探しに歩き出した。
「で、なんでアンタはここに居るんだい?」
「いやぁ、色々見てみたんだけど宝飾品ってのもなんか違うなぁと思って」
「だからって防具屋に来てどうすんのさ……」
俺はペロン防具店でペロンさんとダベっていた。彼女は人妻なので色々と安心である。
ちなみにリッツ氏はカウンターで怨念の篭った視線をこっちに向けてきている。取る気は無いから落ち着けロリコン。
「何か今失礼なことを考えなかったかい?」
「気のせいです、マム。ところで以前からマールが熱心に盾を見てたんだが、どんな盾がいいと思う?」
俺の質問にペロンさんはううんと唸った。
「マールちゃんは速さを生かして戦うスタイルだろう? なら小型の盾じゃないかい?」
「うーん、そうなんだけどこう、持ち手のあるタイプにするか腕にベルトで固定するタイプにするか……あと大きさもなぁ」
マールは二刀流を諦めたわけではないようだから、持ち手の無い腕に固定するタイプの方が良いか。
手首の動きが阻害されないように湾曲もさせて……ってこれ殆ど大型の篭手じゃないか。
「あー、なんかダメだなぁ」
なんだか体がだるくてテンションが上がらない。
ネガティブな時は何をやってもダメだな。いっそマールの様子を見に行ってしまおうか。
いやいや、邪魔になったらマールの苦労が水の泡になるかもしれないし。
「勇者ともあろうものが、覇気が無いねぇ。マールちゃんと喧嘩でもしたのかい?」
「喧嘩ならまだいいんだがな。一方的に俺が悪い上に健気に尽くしてくれてるから居たたまれない」
「マールちゃんは許してくれたんだろ? ならそんな辛気臭い顔してないで堂々としな!」
「そう思って気分を切り替えるためにプレゼントでも買おうと思ってたんだけどな」
下がりまくるテンション。
これはもう無心に工房で槌でも振るってたほうが良いんじゃないかと思い始めてきた。
工房で槌を振るっていればメイベルもフラムも俺を放っておくだろうし。
「タイシ様はいらっしゃいませんか!?」
そんなことを考えているとバァン! と扉を開けて小さいな人影がペロン防具店に飛び込んできた。
メイベルだった。凄い慌ててる。
「マ、マール様が! 大変なんです! や、屋敷に! 早く!」
俺はメイベルの言葉を理解した瞬間、メイベルを抱き上げてペロン防具店を飛び出した。
後ろでペロンさんの怒声が聞こえたような気がするが、構っている暇は無い。
魔力強化を使って建物の屋根の上へと飛び上がり、屋根から屋根へと飛び移って第三城壁の門へと急ぐ。
「うおっ!? ゆ、勇者殿!?」
「緊急事態だ! 罷り通るぞ!」
慌てる門兵にそう言い放って門を突破し、一直線に屋敷へと向かう。
見た感じ屋敷そのものに異変は無い。
俺に抱えられているメイベルが青い顔をしている。俺の本気の動きに乗り物酔いみたくなってしまっているのかもしれない。
メイベルを玄関前に下ろし、屋敷へと突入する。
「フラム! マールはどこだ!?」
「錬金工房に篭っていますよ」
やたら冷静なフラムに若干の違和感を覚えつつ、鍛冶工房を経由して錬金工房へと入る。
そこには焦った表情で錬金術のレシピ書を捲っているマールの姿があった。
見た感じ外傷などは無いようだ。
「マール! 無事か!?」
「ぶ、無事ですけど無事じゃありません! しくじりました!」
そう言ってレシピ本を捲くるマールの視線は忙しなく動いており、緊迫した雰囲気が伝わってくる。
「どうしたんだ!? 一体何があった!」
「ゾンターク侯爵の方は上手く片付いたんですが、カリュネーラの方をしくじりました! ま、まさかあんなことになるとは……」
ようやく目当てのレシピを見つけたのか、マールは材料置き場を慌てて引っくり返し始めた。
そこでビクリと身を震わせる。
……ーリエルぅ……ぁっ!
どこか遠くから聞こえてくる声。
開け放たれた鍛冶工房と、錬金工房の扉の向こうから近づいてくる何かの声。
「ぎゃー!? きたー!? タイシさん! 食い止めてください!」
「な、なんかよくわからんがわかった!」
ヒタヒタと近寄ってくる足音。
フラムと何か言い争うような聞き覚えのある声。
え、何これどういうこと?
「ふふ、うふふふふ、ここね? ここにマーリエル様がいるのね?」
鍛冶工房に入ってきたのはカリュネーラ王女だった。
顔は赤く、呼吸は荒い。どこか酔っ払ったような雰囲気。
この症状を俺は知っている気がする。
「あら、マーリエル様についてる悪い虫じゃないの。その奥にマーリエル様が居るんでしょう? お退きなさい!」
カリュネーラ王女の目は据わっており、呼吸も荒い。
ぶっちゃけ怖い。
「お、おいマール! 何事だこれは!」
「カリュネーラにキツいお仕置きをしてやろうと思っただけなんです! 身の程を思い知らせてやろうと思っただけなんです! まだ効果が残ってるなんて思わなかったんです!」
「うふ、うふふふふ、マーリエル様ぁ、もっとぉ……!」
「ひぃぃぃぃ! 今中和剤を作ってますから! タイシさんはカリュネーラを食い止めてください!」
マールが錯乱寸前だ。
俺を突破して錬金術工房に押し入ろうとするカリュネーラを捕まえる。
大体内容は察した。すまん、許せ。マールのためだ。
「ひぃんっ!」
かなり強い出力で魔力を循環させ、カリュネーラの意識を刈り取る。
原因を考えると逆効果な気もするが、外傷を与えずに無力化するとなるとこれしか知らないので仕方ない。
「どうするんだこれ……」
「と、とりあえず精力剤の効果を中和して、そっと王城に返しておきましょう……」
「ん……あら? 私は一体……?」
「ぐっすりと眠っておいででした」
「んん? 何かおぞましい夢を見たような……」
「夢です。忘れてしまったほうが良いです、ネーラ様」