第七話 遺影
事件三日目、浩子は昨日と同じような朝を迎えた。相変わらず里美はソファーでぐったりしている。浩子はそれにかまわず隣に座ってテレビを見ていた。直江官房長官の昨日の会見がVTRで流れていた。
「少年法を改正するかしないかは、現在各党内で協議して前向きに検討する方針を固めようと……」
いつもの官房長官と違い、歯切れが悪い。
それを後ろで見ていた隼人が不意に電話をかけた。
「おう、俺だ。今どこにいるんだ」
どうやら他にも仲間がいるらしい。
「……そうか、じゃあ総理官邸へ電話をかけてくれないか。あいつらの尻を叩こうと思う」
浩子の目の前で、犯人の二回目の要求が始まろうとしていた。
その電話を受け取ったのは、捜査一課の刑事、角田良一であった。
「もしもし」
角田は相手の返事を聞くと、人差し指を一本立てて円を描いた。犯人からだ、という合図である。課長の神取はそれをみて、「長くしろ」と小指で支持した。
「私は総理の秘書の色部です」
「色部」の名を騙ったのは、犯人が秘書の名前まで調べているかもしれないという用心のためである。
「そうか、じゃあいまから言うことを各マスコミや各政党に伝えろ」
「はい、かしこまりました。お伺いいたします」
隼人の言葉に角田は出来るだけ電話を長引かせようと、相槌をいれたり、わざと丁寧に話したりした」
「各党は改正案が完成したら、それを公表してほしい。全文をマスコミに流せ。どうも改正はするが、あんたらの思い通りの法律ができるような気がしてならないんだ」
「はあ……」
「この電話の内容は今日の午後六時までにニュースに流せ。……まあ前回同様それより早く報道されるだろうが……」
逆探知ができる。と角田は思った。犯人自ら必要ないことまで話しているからだ。
しかしここで念を入れてさらに長引かせて見ることにした。
「お嬢様は無事なのですか、元気な声を聞かせてください」
隼人は浩子を一瞬ちらりと見たが、
「面倒くさい」
と、電話を切った。
「もしもし、もしもーし」
角田が叫んでも相手の返事は無い。
「逆探知されているんじゃないの」
浩子がソファーにもたれながら、隼人に聞いた。
「だろうな」
平気さ、とでも言いたそうに答える隼人。
浩子の忠告どおり、官邸に逆探知の結果を知らせる電話が入った。
「広島県広島市、市民球場の近くの公衆電話からです」
「よし、分かった」
神取は、広島県警へと電話を入れた。
三十分後、市民球場の周りがパトカーと警察官で埋め尽くされていた。その光景は、お城の天守閣から良く見える。
「一体何の騒ぎだ?」
「なんでも凶悪な誘拐犯が、この辺りにいるんだってよ」
「こわいねぇ」
「ほんとだねぇ」
観光客やガイドたちが、口々に怯えた表情で話している。その中で、同じような表情をしながらも、内心は別のことを考えている男がいた。
(これで当分は捜査の目は広島に限られる)
彼こそ総理官邸へ電話をかけた男、後藤隆である。
隼人は隆の携帯に電話をかけた。隆は自分の携帯にイヤホンをつけ、一方は自分の耳へ、もう一方は公衆電話の受話器に押し付けたのだ。
隼人の声は後藤の持ったイヤホンを経由して角田刑事の耳に入ったことになる。
(さてと、次はどこへ行こうかな)
金は十分ある。使い方に気をつければ日本一周だって出来る。
(その前にお好み焼きを食べよう)
広島のことが書かれているガイドブックを開くと彼は普通の旅人に戻った。堀の向こうでは、まだけたたましいサイレン音が鳴っている。
官邸から戻った神取と角田は一課の刑事より報告を受けていた。
「田原弁護士というのはなかなかのやり手ですね、刑事・民事共に勝訴率が高く、特にここ二、三年前から少年事件の裁判を担当し、結果少年たちに有利な判決が下っています」
「例えばどんなのがある?」
「一番有名なのといえば、あれです、三年前の『三茶デパート爆破未遂事件』でしょうか」
「ああ、あれか。確か爆弾は処理できたが、代わりに警備員が刺されてしまったんだよな」
神取はそのとき捜査一課の刑事の一人として、現場にいた。
「そうです、警備員が男子トイレで爆発物をしかけている少年を発見し、取り押さえようとしたところ胸を刺されてしまいました。直後に少年は他の警備員に取り押さえられましたが、刺された警備員は間もなく病院で……」
「私は被害者の顔は見なかったが、現場のトイレは血まみれでひどかったものだ」
たくさんの事件の現場に立ち会ったとはいえ、その事件現場は彼にとって刺激が強すぎたようだ。神取の顔が少し青ざめている。
「逮捕された少年は、その後どうなりました」
「田原弁護士の弁護があったおかげで『精神が薄弱しており、善悪の判断は問えない』ということで、一時的な精神病院の送致と保護観察処分になっています。たぶん今頃は自由に外を……」
角田の問いに刑事は少々悔しそうに答えた。
「おそらく田原弁護士はそのような事件を何件も解決しているんだろうな」
「そのとおりです」
「田原弁護士が今まで関わった少年事件の被害者の現状を徹底的に洗い出してくれ。どんな小さな情報も見逃すな! 角田、お前もそっちへ回れ」
「はいっ!」
刑事たちは勇ましく現場を飛び出していった。部屋には神取が残った。
神取は三年前、その警備員の葬儀に出席したのを思い出していた。遺影はなぜか二つあった。それは警備員の妻だった。彼の死を聞いた彼女は、放心状態となりふらふらと家を出たところを車に跳ねられたという。
残された遺族は三人とも、涙を流さず気丈に振舞っていた。その彼らの顔を神取は今でも覚えている。そして、今日この家族が思い出されたことを神取は偶然とは思っていない。 |