第十二話 バレンタインデー
二月三日−。約束の朝が来た。
「今日は珍しく目覚めがいいな」
隼人はロビーでテレビを見ている里美に声をかけた。今日の里美は普段とは違い、深刻な顔をしている。
「あの……」
明美がいつもと違う雰囲気を感じたのか、おどおどしながら二人に話しかけた。
「何か話があるって……」
「ああ、話す相手はもう一人いるからそこに座って待って……」
「もういるわよ」
隼人の言葉を遮るかのように、浩子がロビーに現れた。
「よし、俺の部屋に来い」
隼人の部屋は浩子の想像よりは広くはなかった。浩子と明美は彼のベットに座った。
「話してくれるんでしょ。私たちをなぜさらったのか、なぜ少年法を改正させたいのか」
浩子が聞くと、隼人は頭を掻きながら。
「一応そのつもりだ」
「一応?」
浩子は隼人を鋭く睨む。
「かなり長い話だ。昨日お前が疑問に持ったあの血痕の一件も話す。お前が納得できるかどうかは分からない」
「構わないわ」
「先輩……、血痕ってなんのことですか?」
明美が小声で浩子に尋ねた。昨日のニュースを知らないのは、この部屋では明美だけである。
「ちょっとお嬢さんには刺激の強い話かもしれないな……」
「いいわ、話して」
「私も、大丈夫です」
浩子と明美がそう言うと、隼人は大きく息を吸って語りだした。それは事件発生の五日前、つまり浩子と明美がさらわれる五日前にさかのぼる。
「服は出さないのか?」
時計は十二時を指しているのに、里美はまだ準備の一つもしていない。全く、明日は朝早く起きてアジトに向かうというのに……。
「うーん、ごめんね隼人。あたしもう寝るわ……。服を出すのは起きてから、だから目覚まし時計早めにセットしておいて」
起きたばかりの里美もそうだが、眠くなった里美もたちが悪い。里美はそういうと、そのまま寝室へと行ってしまった。
結局俺がすることになるんだろうな……。と思ってしばらくテレビを見ていたが、俺も寝ようと思って寝室へと入った。里美の奴もう寝息を立ててやがる。俺は里美を横目に見ながら、隣にあった布団に寝転がった。
そして俺は昔の夢を見た。
「また寝てるー!」
いきなり大声で言われたので、目を覚ますと両手に缶ジュースを持った彩子が隼人を覗き込むようにして立っていた。
「あんたは本当に外で寝るの好きね。」
「いや、別にそういうわけでは……」
「あたしは外で寝るなんてとても出来ないわ。特にそういうベンチ、木が硬くて硬くて…もうっ!まっ、そんなことは置いといてそんな君にははい、熱い紅茶」
「はい、どうも」
夏にこの場所を発見して以来、二人は時々ここをデートに利用していた。季節はもう冬である。年明け早々後期レポートの提出やテストが二人を悩ましていたが、今はその地獄から解放され、暇を見つけてはいつも二人で会っていた。
「しかし、こういう所でのんびりしていると、周りの一生懸命働いてる皆さんに申し訳ない気がするねぇ」
「うーん」
猫舌な彩子はちびちびと紅茶を飲んでいる。隼人は熱いものを気にせず、豪快に飲み干した。
彩子の言うとおり、この公園はビルに囲まれている。公園の周りの道も車が多く通り、歩く人も携帯電話を片手に話すサラリーマンばかりだ。
きっと自分たち以外の人は皆働いているんだろう。そう思うと、隼人も少々申し訳ない気がしてきた。
「ちょっと歩こうか」
飲みかけの缶をゆらゆら揺らしながら、彩子は歩き出した。隼人は近くのゴミ箱へ缶を投げ、それがちゃんと入ったのを見届けると、後を追った。
彩子は警視庁の前で止まった。そして彼女はその建物を見上げた。周囲は車が何台も激しいエンジン音を上げて通り過ぎていく。そんなことに構わず、彼女は警視庁を見続ける。何か考え事をしているのだろうか、隼人もつられて見上げる。
入り口を守る警官はそんな二人をのんびりと見つめている。
しばらくして、
「おーい!!」
と彩子が警視庁に向かって叫び手を振った。
「誰かいませんかー!」
「な、なにやってんだよ」
隼人は彩子を止めると警官にあやまった。初老を迎えているその警官は少し戸惑った表情をしながらも隼人に応えた。
「だって警視庁だよ、警視庁。数々の難事件を解決した有名な刑事さんがいるかもしれないんでしょ」
「そんなドラマのような人物いるわけがないだろう!」
とそう彩子をたしなめる隼人だったが、はっと気がつくと先ほどの警官の方を振り向き再び謝罪。
警官はちょっと苦笑しているようだった。
「ほら、もう行くぞ」
隼人は彩子の手を引っ張ると、もう一度警官に謝って、その場を離れた。
「いいのか、全部お前のおごりで」
帰りの電車に揺られながら、隼人は前に座っている彩子に尋ねる。
「いいの、今日はバレンタイン・デーでしょう、これくらいの事しないとね」
彩子にそう言われて隼人は初めて今日が二月十四日であることに気がついた。そして、道理でいつもより彼女のテンションが高いと思った。
「ま、一月後を期待しているけどね」
彩子はニコニコしながら隼人の顔を見る。
(こいつはかなりのお返しを期待してるな)
と隼人が覚悟を決めたとき、電車は白金高輪駅へと着いた。
「んじゃ、また電話する」
隼人が手を小さく振って電車を降りると、
「ちょっと待ったー!」
彩子が大急ぎで隼人の後を追う。間一髪彩子が電車を降りた後、ドアは閉まった。
「どうしたんだ、一体」
不思議そうに隼人が尋ねると、彩子はバックの中から一つの包みを取り出した。
「いや〜、やっぱりこれがなくちゃバレンタインとは言えないでしょ。そんな君にははい、手作りチョコ」
「あっ……、ありがとう……」
ニコニコと笑顔の彩子。この表情から一月後のお返しは高レベルなものを必要としている。
(こ……これは何か対策を考えないと……。菓子作りでも学んで手作りクッキーにでもするかな)
そうすれば、幾分安く済む。
「あっ、もう電車が来る」
次の武蔵小杉行きの電車がホームに入ってきた。彼女はこの電車で目黒まで行く。
「今日は本当にありがとな」
「いいって、こっちも楽しかったし」
閉まるドアの向こうで、彩子が「バイバイ」と手を振る。隼人はそれに応える。やがて電車は動き出し暗い闇へと姿を消す。
彩子はいつもどおりずっと手を振り続けていた。
それが最期だった。 |