第一話 浩子の不満
寒い。これ以外に何を言えばいいのだろう。時間は十二時を過ぎている。今日は朝から晴れ、だから当然暖かくなってもいいのに……。―と上杉浩子は思った。
「まったく、なにが『今年は暖冬です』よ。一体誰が言ったのかしら」
最近彼女に会った人なら必ず聞けるセリフである。気象庁やマスコミの暖冬の予報を見事に裏切り、ここ東京でも週に一度は雪が降るという記録的な冬になってしまったのだ。
「まっ、愚痴を言ってもしょうがないんだけどね」
浩子は肩をポンと叩いた。
今日も部活動の練習は雪かきだった。週に一度の大雪は浩子の所属する陸上部のグラウンドを容赦なく覆ってしまっている。そのために練習の時間の大半を雪かきに費やすのである。
雪を除いてもグラウンドはグチャグチャになってしまい、とても走ることはできない。
(せっかくの日曜日なのに……)
走るために学校に来た浩子としてはかなり損をした気分だ。有名な私立の女子高に通っている浩子だが、決してお嬢様ぶらず部活動に励んでいる。スポーツ大好きな家庭に生まれたこともあり、浩子にとっては生きがいといっても過言ではない。
しかしここ最近の天候は、浩子に欲求不満を与えるだけでしかなかった。
「まあ腕の筋肉がつくから雪かきも役にはたつけど」
愚痴を言うのはやめて物事をいい方向に捕らえようと思った浩子だったが、目の前を並ぶ枯れた桜と、それに寄り添うようにある根元の白い雪、その光景を通り過ぎる風に浩子はまたしても
「寒い」
と、口に出してしまった。
いかにも暖かそうな二人を浩子は見つけた。浩子の進行方向の先、この桜並木に入った時からすでに止まってあったワゴンの中にその二人がいた。
男女二人が互いに体を寄せて話し合っているところを見るとカップルだろうか、恋愛にはあまり興味がない浩子だが、二人の空気と自分のいる空気にかなりの温度差が生じていることを感じて腹立たしくなった。
(あんまり止まっていると警察来ますよー。だ)
駐車禁止の標識の前で止まっている二人に浩子は心の中で毒づいた。
すると、二人がほぼ同時に車から飛び出してきた。聞かれた?と浩子は動揺するが、当然そのはずは無い。
男は地図を片手に頭をぼりぼり掻きながら辺りを見回している。頭を掻くのは困ったときのクセなのだろうか、男の表情からそれが窺える。
黙って立っていれば女性にもてるであろう彼の容姿だが、今の状態はすっかり三枚目になってしまっている。
「もう遅刻じゃない!」
「ちょっと待てよ!」
怒鳴る女性にやり返す男。道に迷ったのかそれがもとでケンカになっているようだ。
(なんだ、幸せじゃなかったのね)
なぜかホッとした浩子はそんな二人を横目に通り過ぎようとしたが…。
「あの、すいません!」
と、女性が話しかけてきた。
浩子より少し年が上といったところか、髪が短く浩子と同じくらい、いやそれ以上に元気がありそうな彼女がさっきよりも多い音量を持って一生懸命に来たので。
「はっ、はい」
と、立ち止まってしまった。
「道に迷ったんですけど」
両手を思い切りグーにして浩子に迫って来る。対照的に浩子は思い切り両手をパーにして引き下がろうとした。
だが次の瞬間、浩子は視界を急に上に向けた。空がある。それはすぐに消えた――。
浩子が次に見えた視界――。それは闇だった。低いモーター音、体に伝わる振動、自分の体を拘束する何か。自分は何者かにさらわれてしまったのだ。両親から耳にタコが出来るほどこの事態の可能性を教えられた浩子であったが、まさか現実となるとは――。 |