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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

アンナ

作者:紫藤さやか

私は胡散臭いタヌキ親父の前で、精一杯余裕のある女のフリをしてみせた。

「お嬢ちゃん、ここを何処で知ったんだ? ん?」

けれど、タヌキ親父はあからさまに私を馬鹿にしたような顔でいう。
なめられたら終わりだ。私にはお金が無い。これを換金できなければ、明日は露頭に迷う。

「何処でもいいでしょう? 単刀直入にいうわ。これを換金してほしいの」

私はビロード張りのケースを取り出す。おそらく母が何度も手に取ったであろうそれは、縁の所が擦り切れて毛羽立っている。母はこれだけは手放そうとしなかった。ケースの蓋を開け、男の前に無造作に置く。店ともいえないような小さな暗い部屋の照明の下でも、それは燦然と輝いてみえる。

私は注意深くタヌキ親父の顔を観察した。タヌキ親父は微かに驚いた顔をし、ゆっくりとケースを手にして顔を近づける。

やっぱり、と私は思った。母が大切に持っていたこの宝石は本物だったのだ。きっと本物だと思っていた。

タヌキ親父は手元の明かりをつけると、メガネを取り出し、宝石を手に取り観察する。私は固唾をのんで、でも余裕のある表情を崩さないように注意して見守っていた。

偽物(フェイク)だ」

顔をあげたタヌキ親父は、私の目を真っ直ぐ見ていった。
嘘だ。
正直、本物かどうか自信なかったが、このタヌキ親父の表情をみて確信した。宝石は本物で、しかもかなり高額なものだ。

「お嬢ちゃん、これを何処で手に入れた? 可愛そうだけれど、これは偽物だよ」

タヌキ親父は申し訳なさそうな表情を作っていう。大した演技力だ。宝石を薄汚れたケースの上に置く。

「母の形見なの。本物のはずよ」

私は表情を変えないようにしていう。

「本物かどうかは、私が決めることだ。この道、長いからね。本当なら引き取らない所だけど、これはイミテーションとしては立派なものだ。2万なら引き取るよ」
(円に換算してあります)
 2万? 私は目を見開いた。冗談じゃない。

「バカにしないで。それは本物よ。500万はするはずだわ。いらないならいいの。他をあたるから」

 私はケースに手をのばす。タヌキ親父は私をみたままいった。

「それが本物だと仮定するとしよう。それをどうするつもりだい? お嬢ちゃん。もし、本物だとしたら、お嬢ちゃんのような女の子が持っていていい代物じゃない」

タヌキ親父はそういって、不躾な目でジロジロと私を眺めた。黒の大人びたワンピースを着てきたけれど、生地は明らかにペラペラで安っぽい。靴は母のお古だけれど、踵が擦り切れている。

「鑑定書もついていないし、このケースはどう見てもこの宝石がもともと入っていたものじゃない。そんな代物をもってノコノコ他の店へいって、警察の御厄介になるつもりかい?」

私の背に冷たいものが流れた。

「悪いことはいわない。ここで手放した方が身のためだよ。お嬢ちゃんも困っているようだし、5万出してあげよう。それで手をうつんだな」

5万とひきかえにこの宝石を置いていけ、といっているのだ。私の財産はこれしかないのに。私は今入ってきた店の入り口の方をちらりとみた。

入り口にはいつのまにか銃を手にした男が立っていた。入るときは気が付かなかったが、監視カメラがついている。私は自分の迂闊さを呪った。この闇商人に接触さえできれば何とかなると思っていた。500万は無理でも、買いたたかれたとしても、200万は手に入ると思っていた。バカだった。

「私は親切でいっているんだよ」

タヌキ親父はイライラした口調でいう。この男は絶対に宝石を手放す気はないだろう。たった5万で?明日からどう暮らせというのだろう?



「オヤジ、失礼するよ」

店の入り口を塞ぐように更に大きな男が現れた。しかも、一人じゃない。その男は2人の男を従えていた。私は絶望的な気持ちで3人を見て、タヌキ親父を見て、宝石に目をもどした。
入ってきた男は、店に似合わぬ私に目をとめて、怪訝そうな顔をした。

「その娘が妙な物を持ち込んで、換金しろというもんでね」

タヌキ親父は取り繕うようにいうと、宝石とケースに手をのばし、蓋をしめようとする。

「ちょっと待て」

男はそういうと、不意にタヌキ親父の手から宝石を奪った。明かりに照らされてキラキラ光るそれを、感慨深げに見ていた男は、宝石をケースに収める。

「これは昔、俺が女に贈ったものだ」

男は私に向き直った。

「これを何処で手に入れた?」
「は、母の形見です」

男は私の顎に手をかけると、ぐいと上を向かせた。男と視線がぶつかる。男の酷薄そうな薄いブルーグレーの瞳が私を射るように観察する。

「アンジュの娘か。なるほど、言われてみれば、似ている」

・・・それでは、もしかするとこの男が私の父親なのだろうか。
母はこの宝石をいつも大切にしていた。高価だから、という以外の理由がそこには感じられた。私は、母がその宝石の贈り主をずっと愛していたからだと思っていた。これを母に贈るくらいだから、きっとハンサムですごくお金持ちの男。男と母はめぐり会って、恋に落ちる。私が生まれるけれど、身分違いの父と母は離れ離れになるのだ。でも、いつかそのお金持ちの父が迎えに来てくれる。そんな、甘い幻想を信じていたわけじゃない。でも、お伽噺として、心の片隅で、ほんのりと私を暖め、私を支えてきた事は事実なのだ。

確かにその男はお金を持っていそうだった。けれど、私の想像していたようなハンサムで優しそうな男ではなかった。猛禽類のような目をした、情のない顔の男だった。とうの昔に諦めた、忘れていたはずのお伽噺が、心の支えが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちる。
 でも、この男が本当に父親なのだろうか。

「アンジュは死んだのか」

男は私をみてそういった。その目に悲しみは見当たらなかった。ただ、事実を確認する、それだけの問いだった。

「母は・・・半年前に亡くなりました。-ガンで」

最後は酒を浴びるように飲み、体を壊して死んだのだ。
でも、この男は父親なのだろうか。

「お前、いくつだ?」

唐突に聞かれたその質問は、相手も同じことを思ったらしい。

「15、です」

15か、と男はつぶやき、過去に思いを巡らすように視線を上に向ける。

「俺の子ではないな」

もうすでに失望していたのに、その言葉にはやはりがっかりした。母とその男の子ではなかったのだ。どこか遠くで私を見守っていてくれた優しい顔のお金持ちのお父さんは永遠に私の中から消えた。

「この宝石は、私が買い取ろう。・・・娘、一緒に来るか?」

ふいに男は私にいった。
2人の男が驚いた顔をして男をみる。

「行く。行きます。連れて行ってください」

私は即答していた。怖いとか、何も感じなかった。




その男の名は、フランコといった。母よりも年上で、45歳だった。男は、国際的な宝石泥棒「ブルーダイヤ」の棟梁だったのだ。母に贈ったそれも盗品で、500万どころか、2000万ぐらいする代物らしい。母が換金できないはずだ。

「この宝石はな、俺たちのグループ名と同じ、ブルーダイヤでできている。欲しければお前がもっていろ。いらなければ、俺が買い取ってやる。まあ、2000万は無理だが、300万くらいはやろう。ブルーダイヤは不幸を呼ぶ宝石として有名なんだ。どうする?」

「不幸?」

「ああ。有名な話だ。最初の持ち主は、若くして病死、受け継いだ妻は刺されて死亡、子供は破産、破産で流れて買った男は強盗にあって、盗まれる。それをプレゼントされたお前の母も死亡。どうだ?」

「でも、私はこのブルーダイヤのおかげでフランコに会えた」

 私はフランコの目を見ていった。フランコの色素の薄い目が私を射るようにみている。

「だから、私にとっては不幸の宝石じゃない。でも、もう用は済んだから、私はいらない」

 私がそういうと、フランコは初めて笑った。 

「わかった。じゃあ、これはバラして流そう。お前には300万やる」

そういってフランコは300万を私にくれた。住む場所も、食事も世話してくれた。
フランコは数々の美術品を盗み、闇に流して金を稼いではいたが、金に対する執着はあまりないようだった。稼いだ金はすぐに仲間内で山分けし、湯水のように使ってしまう。当初、私を愛人にするつもりで引きとったのかとも思ったが、フランコの恋人に会って、その考えは瞬時に消えた。金払いのいいフランコには圧倒的に美しい恋人がたくさんいて、乳臭い私なんか全くおよびじゃなかった。私をひきとったのも単なる気まぐれで、300万わたした後は知らん顔だった。たまに思い出したように金はくれるものの、その額は到底子供にわたすような額ではなかった。ただ金を受け取るのも気が引けるし、仕事の手伝い、という名の泥棒の片棒を担ぐような真似もするようになった。宝石や美術品の知識に加え、恋人もでき、泥棒稼業も板についた。




「あなた、フランコの娘なの?」

マチルダという女がパーティー用のドレスを着ている間、私はじっとその背中を見ていた。見惚れていた、といってもいい。日に程よく焼けた褐色の背中はスラリと伸びている。マチルダはフランコのパートナーとしてパーティーに出席する準備をしていた。

「違います。ただの居候です」

愛人ではありません、と付け加える必要は全くなさそうだ。マチルダ程の女を恋人にしているフランコが自分を相手にするわけがない。それは、マチルダも良くわかっているだろう。しかもフランコの恋人はマチルダだけではない。マチルダもその他の恋人もお互いの存在を知っているようだったが、お互いに嫉妬したり、けん制しあったりしている風にはみえなかった。

「そう。フランコの特別なのね」

マチルダはそういって笑った。
マチルダは楽しそうにドレスに腕をとおし、鏡ごしに私をみていった。

「背中のファスナー、あげてくれる?」

私は頷いて、椅子から立ち上がった。
マチルダからは微かに香水の香りがした。極上の香り、極上の背中。
ドレスは派手でも地味でもなく、それでいてマチルダを最高に引き立たせる。マチルダ以上にこのドレスが似合う女は存在しないし、今日のパーティーでマチルダ以上に綺麗な女は存在しない、そう確信しながら私はマチルダの背中に手を伸ばす。

「綺麗」

思わず、ため息のように言葉が出る。

「ドレス? いつでも貸してあげるわよ。」

マチルダは鏡越しに微笑みかける。

「違う。マチルダが。この背中が」

マチルダは声を立てて笑った。

「アンナもあと2、3年もしたらもっといい女になるわよ。フランコもそういっていたわ。でも今日はお留守番ね。」

そういうと、バッグから香水を取り出し、私の手首に軽く吹きかける。
ふわり、とマチルダとお揃いの香りが漂った。ただし、マチルダの香水はだいぶ前につけたのか、肌になじみ、厚みをもった香りに変化していた。私から漂う香りはただの香水の香りだ。

「じゃあ、行ってくるわ。いい子にしてるのよ」

そういうとマチルダは私の鼻にキスを落とし、颯爽と部屋を出て行った。
部屋にはいつまでもマチルダの香りが残されていた。
私はそんなマチルダが好きだった。



そんな生活に慣れてしまった頃、フランコが死んだ。私用で乗っていたセスナが墜落したのだ。事故死だった。即死だった。



アントニオに銃口を向けられるまで、私はアントニオの事を微塵も疑っていなかった。
銃口を向けられても、それが何を意味するかわかっていなかった。でも、条件反射で、銃口から逃れるように身を反転させる。反転しながら、手を腰にやり、自分が銃を携帯していないことを思い出した。アントニオから「今日行く場所は金属探知機があるから銃を携帯するな」と言われていたことを思い出す。
今まで使ったこともない安物のバンに乗せられ、誰も使わない倉庫のような場所に下ろされ、いきなり撃たれた。
全て罠だった。裏切られたのだ。
アントニオは次は狙いを外さず、私の心臓を止めるべく弾をぶち込むと、すぐに去って行った。

撃つ瞬間にアントニオの口元が ア デ ィ オ ス、と動いていたのがスローモーションのようだった。
私は死んだ。
そこで、確かに、心臓に宿っていた温かい何かが死んだ。
何かは死んだけれども、私の身体は偶然生き残った。胸部だけの、かなりコンパクトなボディーアーマーを服の下に身に着けていたのだ。私はもともとボディーアーマーを身に着けることはしなかったが、拳銃を携帯するなといわれ、何となく物足りなくて、たまたま身に着けてみたのだ。武器商人のブルーが女物のセクシーなボディーアーマーがあるからと、冗談まじりに置いていった品だった。全くの偶然の命拾いだった。

この裏稼業でアントニオとフランコは15年間一緒に仕事をしてきた。
私とは8年間。最初の1年はアントニオとフランコが一緒に仕事をしているのを見ていた。
次の1年でアントニオから仕事を教えてもらうようになった。最初、アントニオは私のことをフランコの愛人と思い込み、不必要な接触はことごとく避けていたようだった。でもフランコが私には女性としてなんの興味も持っていないと知ると、積極的に誘ってきた。アントニオと恋人の関係になるのに時間はかからなかった。結婚はしなかったけれど、それからずっと、泥棒稼業の師として、兄代わりとして、恋人として、ブルーダイヤの同志として、大切な伴侶だった。確かに仕事は少し異質だったかもしれないけれど、アントニオは至って普通の人間だった。仕事は緻密だけれど、性格的には豪胆なフランコに対し、アントニオは仕事も性格も緻密で几帳面で、どちらかといえば、ストイックな部類の人間だったと思う。複数の恋人を次々に変えるフランコに対し、アントニオは私を大切にしてくれていた。だから、そんな生活がずっと続くと思っていた訳じゃないけれど、そんな生活が終わるとは考えていなかったのだ。

なぜ、アントニオは私を突然撃ったのだろう? フランコが死んだ今、私がこの世から消えても誰も気が付かない。探してくれるのは、アントニオだけなのに。アントニオは私が死んだと思い込んでいるのだろう。後で、死体を片付けにくるつもりなのだろうか?

私は茫然としていた。胸部の痛みに呻きながら、私はフランコの隠れ家の一つへ帰った。胸に風穴こそあかなかったものの、骨にヒビぐらいは入っているだろう。

偶然の命拾いにしては、できすぎじゃないかと気が付いて、私は武器商人のブルーの処へいった。

「どうして突然ボディーアーマーなんか置いていったの?」

私がいうと、ブルーは小さく笑った。

「役にたったのなら、よかったよ」

「・・・知っていたの? 私が狙われること」

「要となる人物が突然死んだり、逮捕されたりすれば必ず何かが起こる。どこの組織でも同じことだ。フランコが死んだ後、アントニオが武器の整理を私に頼んできた。足を洗う、といっていた。私はてっきり君をつれて高飛びするんだと思っていた。それなのにアントニオの腕にとまっていたのは別の女だ。君は全く気が付いていない。それが、何を意味するかぐらい馬鹿でもわかる。」

ブルーは小さな声でいった。
別の女・・・マチルダだ。ようやくぴんときた。フランコの恋人だった女。全てがつながった。
フランコが亡くなり、泥棒稼業ブルーダイヤを存続できないことを悟ったアントニオは足を洗い高飛びすることにした。新しい恋人マチルダと一緒に。私は邪魔になった、そういうことだ。・・・よくあること・・・なのだろう。


フランコの死後、財産がどうなったとか、フランコの恋人がどうなったとか、私は無頓着だった。フランコが亡くなった事にショックは受けたけれど、小娘にしては多すぎる預金を既に私は持っていた。とりあえず、フランコが生前立てていた宝石泥棒計画を遂行し、その後どうするか考えよう、と思っていた。

フランコが亡くなって、あわただしかったせいもあり、全く気が付いていなかったけれど、フランコの恋人の中でもとびきりいい女、フランコの遺体収集から葬儀までつきそったマチルダがいつのまにかアントニオの新しい恋人になっていたのだ。

アントニオはフランコが死んだ今、ブルーダイヤを続けることは無理だと考えたらしい。そして、調べるうちに、フランコの財産の一部を私が持っていることにも気が付いたのかもしれない。どちらにせよ、フランコという固い絆を失った私たちは、絶対的な危機にあった。当局からはフランコが生きていたときから目をつけられている。他にもハイエナのように甘い汁によってくる輩がいた。特に人生経験が浅く、無駄に金を持っていて、アントニオにとっては女として何の魅力もなくなってしまった私は邪魔だったのだろう。アントニオがいなくなれば、小金をもっている私にろくでもない男が近づき、そこからアントニオ達、ブルーダイヤの事がばれる可能性もある。

アントニオとは、初めのときこそ毎晩抱き合い、お互い夢中になっていたけれど、7年目ともなると恋人というよりは、仕事のパートナーのようになっていた。それでも、私はアントニオを男として、人間として疑ったことは一度もなかった。心はつながっていて愛し合っていると思っていた。それが、自分への自惚れだったのか、相手への信頼だったのか、今となっては良くわからないし、意味もない。

沈黙してしまった私をブルーはじっとみていた。

ブルーは客に対し絶対中立で、情報も一切漏らさない。当然といえば当然のそのことを頑固に貫き通してきたはずだ。
フランコも、フランコの右腕として働いていたアントニオもなじみの客だ。私は客としてはかなり異質で、普通なら店の存在すら知らなかったはずだ。たまたまライフル銃や小型拳銃に興味を持ち、フランコに紹介されてブルーのところに通い、いろいろ教えてもらっていただけだ。

「ブルーが客の情報をしゃべっちゃうなんて、珍しい」

私は顔をあげていった。笑おうとしたが、上手くいかなかった。

「ボディーアーマーまで置いていくなんて」


「・・・客の情報を漏らしたのは今回が最初で最後だ。・・・アントニオの邪魔をしたかったわけじゃないし、君を助けようと思ったわけでもない。そんなことは、私の仕事の領分を超えている。ただ、アントニオが君をつれて高飛びしてくれれば、どんなにいいだろうと思っただけだ。」

ブルーは苦しそうにいった。

「君に死んでほしくなかった」

私はうつむいた。涙が止まらなかった。


アントニオに裏切られたことに驚いたし、絶望もした。でも、驚きが大きいと、憎しみや嫉妬が上手く働かない。アントニオが本来生真面目な人間だと知っているし、マチルダが女としてどれだけ魅力的かわかっているからこそ、私は2人をどう憎めばいいのかよくわからずにいた。驚きの後にやってきたのは、あきらめと納得と大きな空洞、それだけだった。

どうあがいたって、自分の力で回避できるようなものではなかった。
だから、後悔はしなかった。
アントニオを愛して、マチルダに可愛がられていた自分を。

ただし、それで済むわけではない。アントニオの緻密な性格からいえば、私は100%殺さなければならない相手だった。本来泥棒でもなんでもないマチルダと、足を洗って新たな生活を始めるためには、どうしたって私は邪魔だった。死体回収にきて、私がいないことに気づき、今頃はやっきになって私を探しているはずだ。

寝返りをうとうとして胸の痛みに呻いた。

「アンナ、胸が痛むのか?」

それに気が付いてブルーがソファから起き上がり灯りをつけてくれる。
高性能のボディーアーマーをつけていても、マグナム弾を近距離で撃ち込まれれば、肋骨にヒビくらい入る。胸部の痛みで満足に動けず、焦燥していた私をブルーが自宅に匿ってくれた。

「ん。少し痛いけど、安静にしていればおさまると思う。」

私がそういってもブルーは心配そうに私を覗き込んだ。

「ブルーごめんね。なるべく早くここを出るようにするから」
「馬鹿なことを。その体でまともに動けるわけがないだろう? またアントニオに狙われたらどうするんだ。週末には隠れ家まで連れていける。それまで、狭いけれどここで隠れていてくれ。お金だってないだろう?」

そういって優しく髪を梳いてくれるブルーになにもかも委ねたくなる。弱った心にブルーの言葉も指の温もりも浸み込んでいく。

それでもブルーを巻き込むわけにはいかなかった。おそらくアントニオは私を探しているだろう。今度こそとどめを刺すために。この裏稼業をしていて私が身を寄せられる場所は、フランコとアントニオの処しかないのだ。その他の知り合いといえば、マチルダとフランコの別の恋人と、ブルーくらいだ。居場所を突き止めるのは簡単すぎる。早急にここを出る必要がある。
情に流されればブルーの命も自分の命も危なくなる。

自分の預金はアントニオにもわからない形、名義で隠してある。フランコがそうしろといったのだ。  昔、お金の管理をアントニオに任せようとしたときに、自分のものは自分で全て管理し、絶対に人に見せるな、とフランコが忠告してきたのだ。こうなることを予測していたわけではなかっただろうけど、自分のみを信用し、全てに備えろという忠告は役に立ってしまった。

ここを出るにしても、いったんは今では一番危険な場所となった自分のアジトに戻らなければならない。フランコの隠れ家の一つに自分の財産もろとも隠してある。



私は隠れ家の一つのアパートの窓から外を眺めていた。老夫婦が何か話ながら、のんびりと犬の散歩をしている。ただ、それだけの何気ない風景が私には奇跡だった。結婚して、子供を産み育て、年老いて、犬の散歩をする。
泥棒稼業から足を洗ったら、アントニオとマチルダはこんな未来を辿るのだろうか? アントニオに存在そのものを消されようとしている私には、絶対に訪れることのない未来像だった。
悲しい、という気持ちは自覚できなかったけれど、涙だけがどうしても止まらなかった。

当たり前の毎日が一瞬にして終わるかもしれない、という事実に気が付かずに生きることがどれだけ贅沢なことか。

感傷に浸っている場合ではなかったのに。
後悔しても後の祭りだ。
今、私の頭部には新たな銃口が当てられていた。

「立て」

抑揚のない声で言われ、私は立ちあがった。

隠れ家にやってきたのはアントニオではなかった。
両手を拘束され、銃口を向けられたまま、歩かされ、私は拉致された。幸か不幸か警察ではなかった。

「フランコの女だ。宝石のありかをしっているはずだ。」

よくわからない男達に囲まれていた。私はフランコの女ではないし、宝石は私の手元には無い。

「へえ。これがあのフランコの女か。さすがに綺麗だな」

男の一人が呑気な感想をもらした。
男達に囲まれて、恐怖にすくむはずだったが、私はイライラしていた。何がフランコの女だ。私はフランコに見向きもされず、その上「本物のフランコの女」にアントニオを寝取られたのだ。
男達の一人が私の顎をつかんだ。
ずっと昔、はじめてフランコと会ったときに同じように顎をつかまれ、上を向かされた記憶がある。
男と目が合う。私は冷静に男の表情を観察した。
男は私を観察する余裕は無くなっていた。私を見つめている。

「宝石のありかを言えば、命は助けてやる」

男は私の顎をはなさないまま、そういった。今にも噛みつかれそうな距離だ。
アントニオは、おそらく持ち出せる金品はすでに持ち出しているだろう。どちらにしろ、私がどうこうできるものは何もない。

「私はフランコの女じゃない。それに、フランコは女に宝石や仕事のことをべらべらしゃべるような男じゃなかったと思うけど」

フランコは仕事と女は分けていた。
盗品を贈り物にしたのは、母にわたしたブルーダイヤが最初で最後だといっていた。女に贈りものをするときは「仕事で稼いだ金」で、きちんと買って渡すんだと笑いながらいっていた。

「馬鹿いえ。お前がフランコの女じゃなきゃ、誰がフランコの女なんだ。」

聴きようによっては、ほめ言葉ととれないこともないわね、と思いながらもどうやってこの場を切り抜けようか考える。男は3人。この顎をつかんだ男がリーダー格とみてとれる。どの男もまるで傭兵上がりのような体格をしている。丸腰の自分がかなう相手ではない。

「入れ替わる愛人たちの中で・・・お前だけがずっとフランコの傍にいた」

男の顔は息がかかるくらいに近い。
・・・お前だけがずっとフランコの傍にいた? この男、かなり昔からフランコをマークしている。そして、私の存在を知っている。危険だ、と思うと同時にこの男を思い出した。
美術品のオークションのパーディーで会っている。泥棒とセレブの二つの顔を持つフランコは、パーティーによく恋人の一人を同伴し、出席していた。恋人が調達できないときに、たまに私を同伴させた。そのときに会った男だ。私に見惚れていた男。
私は男を観察するのをやめた。

「ええ。私はフランコの傍にいた。でも、フランコは死んだ。私は宝石をもっていないし、フランコからは何もきいていないわ」

「仲間の男がもっているんだろう。お前を人質にして、仲間の男から宝石をとりかえす。」

「無駄よ。仲間の男にしてみれば、私はお荷物でしかない。死んでくれれば、ラッキーというだけよ。わかったら解放して頂戴」

私は男の目をみていった。

「だめだ。宝石が手に入るまではお前は解放しない。宝石の代わりだ」
 そういうと男は私の顎から手をはなし、噛みつくようにキスした。

私は生まれて初めて望まない男の抱擁を受け入れた。
男は随分と昔から私に目をつけていたようで、嬉しそうに私を抱いた。嫉妬深い男らしく、他の部下に私を触らせることはなかった。フランコの女だと信じて疑わなかったので、私もフランコの女だったフリをし、宝石やブルーダイヤの仕事については知らぬ存ぜぬを貫き通した。
男とフランコはかなり昔からやりとりがあったようで、フランコが死ぬ前に宝石の取引の約束をしており、アントニオがそれを持ち逃げした形になったようだった。

男は私の居場所を簡単につきとめただけあって、アントニオの行方も丁寧に洗っていた。男は宝石をもって逃げたアントニオを追うといい、私のことは軟禁した。男は何故か私に惚れぬいているようで、たとえ、宝石が返ったとしても私を手放すとは到底思えなかった。



アントニオとマチルダが縛られて床に転がされていた。
男が執念で探し出してきたらしい。

アントニオは私をみて、呟いた。
「俺を売ったのか・・・」

私を殺しただけでは足りず、私を疑うといのだろうか。
悲しかった。
出会って8年間。
一緒に暮らして7年間、という歳月は、マチルダを恋人にしただけで無かったことにされてしまうのだろうか。
アントニオを売る?
・・・そんなこと、するはずがない。
できるはずがない。
裏切られ、殺されかけてなお、私はアントニオを憎めずにいたのに。
そもそもアントニオが私を裏切り、宝石を持ち逃げしたからこの男に捕まったのだ。私は男にアントニオの居場所も宝石のことも話さなかった。
男が勝手に独自に調べ上げたのだ。

「マチルダは関係が無い。マチルダには手をだすな」
アントニオが横で縛られているマチルダを気遣い、苦しそうな顔でいう。

「・・・」

私は男に何度も何度も抱かれていた。
決して私が望んだことではない。
男は私の涙が枯れるまで、私に口づけ、私を抱いた。
アントニオの目にはマチルダしか映っていない。

「だれが手をだすか、そんな女。アンナがいれば他の女はいらない。その女は部下達にでもくれてやる。」
そういって男は私の尻に手をまわした。

「宝石は売った。本当だ。俺の命も金も全部やる。マチルダだけは無事に返してやってくれ」

私は耳を塞ぎたかった。
聞きたくない。

「あの宝石の価値もわからず二束三文で売り捌いたのはわかっている。だが、約束は約束だ。責任はとってもらおうか。」

そういって銃をアントニオの頭に突き付けた。
この前盗み出した宝石が特別なものだとは知っていたが、その値段は知らなかった。宝石を引き取るものがいるからその値段が決まるのであって、末端で蠢く人間にとって、その相場などあってないようなものだ。フランコはこの男と相当高額な取引をしたのだろう。
フランコは人殺しは極力しなかった。
もちろん道徳心があったからじゃない。
宝石をいかに上手く盗むかが重要であって、派手な人殺しなどいろいろな意味で無意味だからだ。保険が掛かっている宝石を盗まれたのと、殺人が行われたのでは警察の追及もまるで違う。
だが、この世界、仲間内で話がこじれてしまったときに待つのは死だ。
0か1しかないのだ。
1か100ではない。
アントニオは目の前の男に殺されようとしていた。

「私にやらせて。この男には借りがあるの」

男は驚いた顔をして私をみた。
だが、面白い、と思ったのか無言で私に銃をわたした。
昼も夜も私を抱いて、完全に自分の女になったとでも思っているのだろう。馬鹿な男だ。犯した女に銃をわたすなんて。
私は銃を受け取った次の瞬間に男を射殺していた。至近距離の油断した相手を殺すのは難しいことではなかった。
男の部下があわてて銃を手にするが、私は冷静に次々と標的に弾を当てていった。
一瞬にして3人の死体が出来上がった。いや、重傷もいるかもしれない。呻き声が聞こえるのは生きている証拠だろう。

アントニオが青ざめて私をみていた。
横でマチルダが耳障りな悲鳴をあげた。
「だまって」
マチルダに銃口を向けてだまらせる。

私はアントニオの縄を解いた。
随分きつく結んであって解くのに苦労した。
アントニオは茫然とした顔で私をみている。
ゆっくり立ち上がるとスカートのすそを直す。
男の趣味で着ている黒のワンピースの丈は腿までしかない。
私は銃をアントニオに放った。

「好きにすればいいでしょ。殺したければどうぞ」
せっかくブルーにたすけてもらった命だったけれど。
それでも、泥棒稼業も廃業になり、恋人に殺されかけ、今、3人くらいの人を手にかけてしまった自分に未来があるとは思えなかった。
自分の命に未練がなかった。

アントニオは銃を手にしたまま座り込んでいた。
長い間私は待ったけれど、アントニオは動かなかった。
私はため息をつくと踵を返した。

 アディオス

自由だった。
仕事を失い、家族と慕った恋人も失い、人生も失って。
怖いものは何もなかった。
どうしようもなく自由だった。

それでも。
人生は面白い、微かにそう思う。
何が起こるかわからないから。
どんな未来を思い描いたところで、刻は運命という言葉すら簡単に書き換えていく。
不安もない。将来を不安に思うなんて、刻を支配できると思っている傲慢な人間の特権でしかない。
明日のことは明日にしかわからないから。
明日になればわかるから。
それならば、生きてみようと思う。生きられるだけ。 

ジャンルが恋愛かは微妙。でも文学というほどでもないしなあ。
短編にしたくて、背景やらなにやら思いっきり省略してしまったので、わけわからなくなってしまったかも。
読んでくださった方、ありがとうございます。

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