究極の超能力者
風呂から上がった妻が、バスタオルを体に巻いて長い髪を乾かしている。その背中を眺めながら、少し太ったなと思った瞬間、膨れっ面で振り向いてきた。
「悪いわねえ。体質だから仕方ないでしょ」
心が読めるので反応が早い。
「ウォーキングはどうなったんだよ。毎日一時間は歩くと言ってただろ」
苦笑しながら言い返し、野球のナイター中継に視線を戻す。
「だって、最近昼食を抜いているから……」
「いいから早くしろよ。腹が減ってしょうがないんだ」
言い訳させると長くなるのでさえぎった。
「……分かったわ」
しゅんとした声でドライヤーを止め、化粧を始めたが、どうやら俺の網膜を通じて試合のほうに意識を向けているらしい。
「あ、今のバッター三振したでしょ。下痢だから集中できないのよ」
時々そんなことを口にする。
「へえ、そう」
適当に相づちを打ちながらタバコをくわえ、ライターを捜すが見つからない。
「さっきネットしながら吸ってたじゃない」
ああそうだったと書斎へ取りに行こうとしたが、その前にライターが俺の手もとに飛んできた。
「もう少しで出発できるから」
行儀が悪いので念力は使うなと怒るところだが、ゆっくり吸えるようにと気を使ってくれたのだろう。妻が支度を整えると俺はテレビを消して玄関に向かった。
「あと三分で雨が降ってくるわ」
マンションのエレベーターに乗り込むなり妻が眉間にしわを寄せる。
「今なら誰もいないから、店の駐車場まで飛ばない?」
飛ぶ、とは瞬間移動のことだ。
「すぐ近くだろ。そういうことを」
安易にするから太るんだ、と続けようとしたが、すでに妻は部屋にあるはずの傘を手にしていたので黙ることにした。
玄関を出ると確かに空気が湿っている。降る前に傘を広げると久しぶりの相合い傘だ。妻は嬉しそうに腕を組んできた。だが、ナンバーズの売り場が見えてくると腕をつかむ力が少し強まった。
「……新しいバイク、欲しいんでしょ」
予知能力を使えば当選などわけもない。
「次のボーナスで買うと言っただろ」
俺は怒ったように言って売り場を通り過ぎる。それからは無言のまま歩き、目的のレストランに着いた。出迎えたボーイはうやうやしく頭を下げ、脱いだコートを受け取ると予約席に案内してくれた。
「乾杯……」
テーブル中央の燭台には赤いローソクが一本。その炎ごしに見つめ合いながらワイングラスを軽くかかげた。フランス料理のフルコース。年に一度の贅沢。今日は三度目の結婚記念日なのだ。
「あなたと結婚できて、本当に幸せだわ」
フラージパーネを食べ終えると妻は微笑んだ。
「俺もだよ」
ウガンダ・ロブスターに取りかかりながら俺はうなずく。
「結婚なんて絶対に無理、って諦めていたころもあったわ」
「そうだろうな……」
「でも、あるとき思ったの。せっかく女として生まれてきたんだから、女の幸せをつかむ権利はあるはずだ、って」(たとえ究極の超能力者であってもよ)
次の料理を手にしたボーイが俺の背後にひかえているので、立ち聞きを警戒したのだろう。途中からテレパシーになった。
(その決意をしてからは、わたしと同じような能力を持った男性を捜すために、古今東西を飛び回ったわ。ピラミッド時代のエジプトまでさかのぼったんだから。でも、どこにもいなかった……)
少々酔ってきたのか、妻は去年と同じ話を繰り返す。今日ぐらいはいいだろうと、俺はつき合ってやることにした。
「で、どうして俺を選んだんだ?」
俺にはテレパシーも使えない。
(ううん。あなたはどんな超能力にも関心を示さない。心を読まれても平気だし)
潤んだ瞳を向けてきた。
(それこそが究極の超能力だと気づいたのよ。それに)「わたしのタイプだったから」
「……ありがとう」
去年と同じパターンだがやっぱり照れる。
「もう一度乾杯しようか」
「そうね」
「乾杯!」
グラスをかかげ、低くなったロウソクの炎に映えた瞳を見つめながら、俺は妻でさえ探ることのできない深い意識化で含み笑いをした。
(俺は六日間で天地を創造したんだ。究極の超能力者の一人や二人、生み出すなんて造作もないこと……)
そう意識した瞬間、妻は少しだけ目を細めた。
(了)