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第3話
 彼女は、例えるなら、氷のような美しさだった。透明で、儚く、そしてどこか冷たさを感じる美しさ。
 私たちが舞台裏の控え室に彼女を訪れた時、アンネリーゼは、まだあの銀の衣装を身に付けたままだった。
 床に流れる裾を引き、椅子に座るその姿は、歌姫と言うよりも王女然としている。

「私だけでも大丈夫よ」

 彼女がそう言ったのは、扉に寄り掛かっていたフランツに向けて。何だかんだと言ってこの場に残るかと思われた彼は、意外なことに、すぐにその言葉に従った。

「それで、私は何をお話しすれば良いのでしょう?」

 婚約者が外に出たのを見届けて、アンネリーゼは私たちを順に見やった。その青い瞳が、ふと、私の背後で留まる。

 ほんの数秒。だけど、確実に。

 その視線を追って思わず振り返ると、バルドと目が合った。
「彼女に詳しい話を聞くのでしょう?」
 先ほどの呆けた様子はなく、いつもの落ち着いた口調で彼は私を促す。

 なんかさっきから色々と気になるんだけど……まぁ、いいか。

 私は頷いて、単刀直入に話を切り出す。
「あなたに付きまとっている男について教えて欲しいの。いつ頃からとか、どんな様子なのか、とかをね」
 アンネリーゼはそれに対して、すぐに完璧に答えた。まるで、暗記している舞台のセリフを口にするように。

「彼が私の前に姿を現したのは、今から二ヶ月ほど前でした。燃えるような赤い髪が特徴的な、若い男です。私は、彼とは面識もありませんでした。この劇場を出た時、急に話しかけられたのです。私は劇場のお客の一人だと思って、そのように接しました。それから彼は、頻繁に私を待つようになりました」

 顔色を変えることもなく、淡々と続ける。

「そして私がフランツと結婚するということを公表した時から、その男の様子が変わったのです。結婚を止めるよう何度も求めてきました。そして数日前には、結婚を止めないのであれば、私を(さら)う、とまで」
 そこで初めてその表情に陰りがさす。瞼を震わせて、(うつむ)いた。
「お願いです、どうか、私を守って下さい。どうか、どうか」
 口元を手で覆って、彼女は懇願する。
 私は連れの二人と、目だけで意思の確認をした。バルドもセシルも、否定はしない。

 決まりね。

「分かったわ。私たちは、あなたをその男から守るようにフランツから依頼されたのよ。大丈夫よ、絶対に誘拐なんてさせないから」
「ああ、安心して、どーんと任せておけって!」
 私に続いて、セシルも身を乗り出す。顔を上げたアンネリーゼは、恐怖を目に浮かべたまま、ゆっくりと頷く。
「お願いします。私は、無事にフランツとの結婚を済ませたいのです」
 そこで私はやっぱりどうしてもそのことが気になった。でも、そこを訊ねるのも失礼だしなぁ、と一瞬悩んだ隙に。

「なぁ、なんであんなスケコマシがいいイだッ!」

 微塵(みじん)の遠慮もなく訊ねちゃったセシルに、私はすかさず得意の蹴りを入れる。
 その頭を背後から掴んで、「ウチの子がとんでもない失礼を、スミマセン」とかって身体を半分に折って謝りたい心境だわよ、まったくもう!

「あだだだだッ! 分かった、悪かったって、エディ!」

 ――心境なだけじゃなく、実際に実行しちゃってたみたい。気付いたら、セシルが私に後頭部を押さえられて身を低くし、もがいていた。

「あら」

 ぱっと手を離すと、彼は弾かれたように上体を起こした。解放された頭を抱え、何やらブツブツと呟く。
 それに初めてアンネリーゼが笑った。これまでの近寄り難い雰囲気が消えて、年相応の、少女らしい柔らかい笑顔を浮かべる。
「確かにフランツはそういうところがあります。でも、私は彼が好きだから、結婚を決めたのです」
 それはさっき、セシルが「げぇ」という短い一言で否定した理由だった。何て答えていいか分からずに無言でいる私たちを真っ直ぐに捉え、彼女は再び、はっきりと告げる。

「フランツを、愛してるの」

 でも、そう言った彼女の目が再びバルドに向いたことに、私は気付いていた。

******

 控え室を出て、依頼を受けるということを改めてフランツに伝えに行こうと、廊下を進んだ。
「どこに行けばいいかしらね」
「まだこの辺にいるんじゃねぇか?」
 セシルの考えは当たっていた。廊下の角を曲がったところで、彼とばったり会った。でも、彼は、一人じゃなかったみたい。

「きゃ!」

 突然現れた私たちに、彼の胸にしだれかかっていた若い娘が、声を上げる。そして慌ててそこから身を引き離し、乱れた舞台衣装を直しながら走り去った。
 それに反し、フランツは平然としたもの。私たちを目の端で捉えると、ゆっくりと、唇を舌で湿らせた。
「これはこれは、美しきガンナーのお嬢さん」
 芝居がかった口調に加え、あの軽薄な笑みを浮かべて私に歩み寄る。
「お邪魔したみたいね」
 自然と不機嫌な声になってしまうのを押さえられない。彼が必要以上に私に近付く前に、バルドが私の前に素早く立った。

「依頼を受けることにしました」

 私を背中で完全に依頼人の目から隠し、ただ短く、それだけを言う。するとフランツは、何の興味もないという様子で、「ふん」と呟いた。
「そうか。それは有り難い」
 そこでセシルが再び、あの質問をした。ただし、今度は興味本位というよりも、怒りを押し殺した、半ば責めるような口調で。

「アンタは本当にあの歌姫を大切に思ってるのか? 彼女はアンタを愛してると言ってたけどな、アンタはどうなんだよ?」
 セシルの遠慮のない問いに、フランツは険呑(けんのん)に目を細めた。不快感も(あら)わに、腕を組む。
「それはお前には関係ないことじゃないか? ガキの口出しすることじゃない」
「俺は十五だ、ガキじゃない!」
「八も差があれば、こちらから見たら十分ガキだな。そう言われて怒るのが何よりもの証拠だ」

 思わず一歩前に出かかったセシルを、私は片腕を広げて制した。フランツはその様子を見て、軽く口の端を歪める。
「だが、いいだろう、これは教えてやる。僕も彼女を愛してる。だからせいぜい彼女を守ってやってくれよ」

 その言葉には何の感情も籠もっていなかった。


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