第2話
「やっぱり金目当てじゃねぇ?」
劇場の円形のホールを見渡せる個室のような空間に通されて、暫くした後、セシルが出し抜けに言った。
劇場と同じく、これまた豪華なベルベットの座席に腰を下ろし、足と腕を組んで、天井を見つめたままの姿勢を崩さずに。
「急に何よ?」
私とバルドは揃って彼を見る。
「そのアンなんとかって歌姫さ。なんで、あんな男と結婚するのかって、ずっと考えてるんだけどさ」
「まぁ、確かにそれは気にはなるところだけどね。でも、依頼とは関係ないわよ、そのへんの個人的感情は」
「金じゃないとしたら、なんだと思う?」
「そうね、普通に好きだから、とか?」
私のセリフに、セシルは思いっきり鼻に皺を寄せる。それから、小さく「げぇ」と呟く。
そりゃ、私だってそんな可能性は低い気がするけど、でも、好みなんて人それぞれだもの。全く有り得ないって話ではないはず。
それからまた少しの間、沈黙が落ちる。それを破ったのは、やっぱりセシルだった。
「金だよ、金」
その途端、私の脳裏にも、あのいけ好かないニヤついた笑みが浮かぶ。その顔の前で、「愛」と「お金」を天秤にかけてみる。
その結果、お金が勢いよく沈み、愛が遥か彼方に飛んで行ったのがはっきりと目に見えた気がした。
「そうね、金よね、金」
思わずしみじみと呟くと、私につられたんだと思う、バルドまで頷いた。
「そうですね、金、ですよ」
三人揃ってブツブツと「金」を連呼する私たちは、傍から見たらきっとかなり異様な一行だったんじゃないかな。個室だったのが幸いね、誰にも聞かれないで済んだもの。
そう思って、一人こっそり頬を緩ませた瞬間。
高い天井に、音楽が響き渡った。
観客のざわめきが朝方の霧のように引いて、舞台に下ろされていた厚い幕が、音もなく揺らめいて左右に割れる。
広い舞台の中央、シャンデリアの無数の蝋燭が落とす明りの中に立っていたのは、華奢な少女。銀と白の美しい衣装に身を包み、豊かに波打つ長い黒髪を、滝のように背に流している。そこに絡み付けた飾りが、彼女が軽く頭を上げた瞬間に光に反射して煌く。
ここからじゃ遠くて顔までははっきりとは分からない。でも、その立ち姿だけでも、彼女がどんなに美しく、そしてどんなに気品に満ち溢れているかが分かる。
あれが、件の歌姫。
気付くと、歌を聴く前から既に、その存在感に圧倒されている自分がいた。思わず、膝の上の両手を握り締める。
やがて、その広い空間に、澄んだ歌声が響き渡った。それはたちどころに高い天井いっぱいにまで広がって、観客達を包み込む。
高く、そして低く。
優しく、そして力強く。
時には喜びを、そして時には哀しみを声に宿らせて。
彼女は、歌う。
その歌声は、本当に不思議な響きだった。美しいだけじゃない。人の心に直接触れるような、何かを感じる。
鳥肌がたって、私は思わず腕を抱えた。
「――――…ッ」
隣で、バルドが息を呑むのを感じる。
セシルも、呆然と舞台上の彼女を見つめている。
これが、この劇場、そしてこの国が誇るという歌姫の歌。
「まいったわね」
私は無意識に呟いていた。そして、唇を噛み締める。
だって、こんな歌には、私の歌じゃ足元にも及ばないもの。悔しいけど、それを痛感せずにはいられない。
舞台は、さらに他の歌人達が現れたりして、ちょっとした劇のように進んだ。
そこでの歌姫アンネリーゼの役は、敵国の王子への叶わぬ恋に苦しむ王女の役。相手役の男性を前にして、次々と見事な歌を披露する。
彼女は本当に、本物の王女のよう。誰もがその世界に、強く、そして深く引き込まれる。
その夢の時間はあっという間だった。
全てが済み、魔法が解けると、観客達は皆立ち上がって惜しみない拍手を贈った。私たちもそれに倣う。歓声に指笛、そして次から次へと手渡される花束。歌姫は、それを丁寧に一つずつ、頭を下げて受け取る。
「さて」
まだ場内の興奮が冷め切らないうちに、セシルが言った。
「んじゃ、さっそく話を聞きに行くか?」
深く考え事をしていた私は、その声に現実に引き戻される。
そうだ、今は、歌のことを考えている時じゃない。
「そうね。とりあえずフランツを探して、彼女のところに連れて行ってもらいましょうか」
あの依頼人とはできればあんまり顔を合わせたくないはないけれど、仕事だもの、我儘ばかり言っていられない。
セシルに頷いて、ゆっくりと身を翻したところで、私はそれに気付く。
「バルド?」
私の呼びかけに、相棒はやっとで我に返ったようで、肩をびくりと震わせた。
「あ、ああ、すみません。行きますか」
言いながらも、その表情はまだどことなく夢心地って感じで虚ろなまま。それにセシルも首を傾げて、片眉を跳ね上げた。
「おいおい、大丈夫か?」
「大丈夫って、何がですか? 問題ないですよ、ほら、歌姫に話を聞きに行くのでしょう?」
バルドは早口にそう言ったかと思うと、先頭に立って一人すたすた歩き出す。
――と思ったら、少しだけ行って止まり、すぐに引き返してきた。
「で、どこに向かえばいいのでしょう?」
いつもの彼らしくないその様子に、セシルは大袈裟に目をくるりと回して私を見る。私はそれにただ肩を竦めるしかなかった。
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