第五話 リーナとの出会い
実の所、黒沢明人は既に周囲を索敵済みであった。強い反応はウェルマール帝国の非正規軍兵士だろうか。強い反応は野心や欲、殺意を意味する。そしてもう二人、こちらは今にも消えてしまいそうな反応だ。死にかけているのだろう、それと強い野心の反応が一人、二人は村の外で互いに極めて近い位置にいる。
取り敢えず、この二人以外に村の外には反応は無い。
黒沢明人は、まず強い反応を示している方を相手にすることにした。そこには、幌馬車が3台止まっていた。兵士を載せるには少なすぎる。それに弱い反応は幌馬車の中にあった。黒沢明人は少し考え、大した意味は無いと判断し、思考を中断した。
次に男の姿が見えた、この世界の事は殆ど解らないが、男は恐らくそこそこ高価な服を着ている。が、ぶくぶくに太った体のせいで前ボタンが外れかけている。生理的に受け付けない醜い男である。しかし、恐らく部隊での位置付けは大きいのだろう。勘がそう言っている。しかし、護衛も用意していないのは軽率ではあるまいか?
黒沢明人は、男の前にストンと着地した。
男の目が見開かえる。
「お前は何者だ?」
黒沢明人は、男よりも言葉を先に制した。
「わ、私は奴隷商人だ。ギ、ギールと呼ばれておる、空から降りてきたのか…?」
「ほう、となると、死にかけてるのが奴隷か、奴隷は一人しかいないようだが?」
「エ、エルゲンの街で売った後だからな。い、今残っているのは、死にかけの奴隷だ。か、買い手はつかんよ」
「どうするつもりだ?」
「む、村ごと燃やすつもりだ。それよりも、そ、其方こそ何者だ。ど、どうやって現れた?ひょっとして能力者か?」
「お前の質問は受け付けていない」
「この村には能力者はいないようだが、何故奴隷商人のお前がいる?」
「それは、…ウェルマール帝国では一般人の奴隷制度が…」
「お前は、ウェルマール帝国の人間か?」
「しょ、商人に国境は無い」
ギールは、脂汗を流しながら、どうやったら逃げられるのだろうと、視線を彷徨わせる。
こんなことになるのなら下品な兵士について行った方が良かったと心の底から思った。しかし、同族嫌悪とでも言おうか、彼の歪んだ美学に反したのだった。だがそれは、後悔にとって変わった。まさかこのような事態になるとは…。
「ち、近くの村に仲間が30人以上いる。いくら能力者でも相手にするのは、む、無理があるんじゃないか?」
「そいつらなら一人残らず殺したが、そうだな、次はお前の番か?」
黒沢明人は、無表情でギールのこれからの殊遇を淡々と述べた。
黒沢明人のいた世界では、捕虜は優遇されるし、どの国も宇宙連合の定める戦時規約を遵守していた。ただ、一般人への攻撃は固く禁止されているが、様々な理由により攻撃される場合もある。しかし、それらは誤解や偽情報が主な理由として上げられる。
ましてや戦時中に奴隷商人が潤うことなどあってはならないことだ。いや、そもそも奴隷という制度があること自体嫌悪を感じる。いずれにしろ許せないのだ。
「お前らしい最後を遂げることだな」
黒沢明人は、そういうとギールの体重を10倍にした。
ギールは「ゲべ」と言葉にならない呻きを残して苦しみながら圧死した。
黒沢明人は、ギールの死を確認しないまま、もう一つの反応のあった幌馬車に乗り込んだ。
中に入ると、ツンとする腐敗臭が漂っていた。かなり臭い。その発生源は奥の檻の中からだだよっていた。
檻の中には背中に酷い傷を負い、蛆虫が湧いた裸の小柄な少女と思われる女がいた。
黒沢明人が近づくと、ゆっくりと顔を上げ、振り向いた。
少女の顔は思いのほか可愛く整っていた。これほどの器量で売れ残ったのは、死にかけだからだろう。ギールもそう言っていたのを思い出した。ただ、額に菱形のエメラルドグリーンの宝石のようなものが埋め込まれていた。時代的にアクセントで埋め込んだ物では無いだろうと察することができた。これが亜人種というものなんだろうか。
黒沢明人が額の宝石に目を奪われていると、少女が掠れる声で話しかけてきた。
「貴方がこの村に来た時から見ていました。貴方のような強い人は初めて見ました。
1つお願いがあります。鍵を壊して私を檻から出して下さい。せめて木陰の下で死にたいのです。
お願いです。このまま死にたくないのです」
少女の瞳から大粒の涙がぽろぽろと流れ落ちた。
「滅多なことをいうな。その程度の傷なら簡単に治せる。それよりも疑問なんだが、ここから全てを見ていたのか?」
黒沢明人は、心の中で大きくなっていた疑問を口にした。
「はい。それが私の能力です。あの…私は助かるのですか?」
「ああ、助けてやる」
黒沢明人はそういうと、檻の入口を閉ざす大きな鍵を左手に持って、右手の人差し指を押しあてた。バチっと閃光が走って鍵がコロンと落ちた。
腕力で檻を壊してもよかったのだが、こっちの方が早い。
次にゆっくりと少女を檻から出した。
知っての通り黒沢明人にはノーメンテナンス機能がある。この機能はナノテクノロジーによって実現している。つまりナノサイズの小さなロボットが、必要に合わせて体の一部になり、必要に合わせて増殖するという仕組みなのだ。必要無くてもある程度の数が全身に行き渡っている。ただし最後の状態は、本人にのみ有効で、逆に言えばそれ以外は他人にも通用するのだ。
「俺の名は黒沢明人だ。君の名は?」
「リーナ・サーリエントです。えっと、くろさわさん?」
「明人で良いよ。よし、今から君の体を治す。痛みは殆ど無い。いいか?」
「本当に治るんですか?」
「ああ、10秒程でな」
リーナの表情が暗い顔から希望に満ちた顔になった。彼の偉業を見た為に疑いは全くなかったのだ。因みに10秒というのは長い。明人本人ならば1秒とかからない。理由は、明人にも解らないし、研究者の間でも諸説紛々という具合だった。
黒沢明人は頷くと「では、ちょっと我慢しろよ」と言い、背中をのぞきこみ、最も傷の深いところをペロリと舐めた。
リーナは、うっと微かに呻きを漏らした。
するとリーナの背中の傷から蛆虫が次々と這い出し、肉が隆起し、皮膚が再生し、予言通り10秒程で治ってしまった。
酷い痛みで長いこと眠っていなかったのだろう。リーナ・サーリエントは、気絶するように深い眠りにおちた。