舞い降りた奇跡、そして伝説へ
泣き腫らした目をそのままに俺を呼びに来た少女に、俺たちは言われるままに少女の自宅に向かった。
少女の様子に深刻な事態を確信したのか、村長や周辺にいた村人まで何事かと集まってきている。
少女の自宅は二つだけしかない部屋の奥に、ワラを積み重ねた上に布を巻いたようなベッドがあった。
そのベッドの上で少女の父親に支えられながら、少女の母親が口から多量の血を吐き出して身体を弛緩させている。
血の気が引き瞼も閉じられた顔を見て、思わず亡くなったのかと思ってしまった。
「お母さんが、お母さんが! 私が、私のせいで!」
少女は母親の手を胸にかき抱き要領の得ないことを俺に向かって叫ぶ。
少女の溢れても溢れても止まらない涙と震える唇を見て、俺は無言で少女の母親に歩み寄ると、右手の掌を上に向けた。
「アイテムボックス、エリクサー」
俺がそう口にすると、俺の右手には淡く光る白い小瓶が現れた。その小瓶は十センチ程度のガラスのビンなのに、細やかな装飾によりかなりの存在感を放っている。
「飲ませろ」
俺がそう言うと、呆気に取られている少女の父親の前で少女は俺から両手で素早く小瓶を受け取った。
少女がビンの蓋を外して母親に飲ませている中、俺のすぐ斜め後ろにエレノアが身を寄せてくる。
「よろしかったのですか?」
エレノアが言っているのはエリクサーのことだろう。
「あとどれくらい残ってた?」
「各自が二つずつの計400と倉庫内にギルド戦用の在庫として2000ほどです」
「生成の為の材料は?」
「…申し訳ありません。全ては把握出来ておりません」
俺はエレノアの返事を聞いて部屋の出入り口に並ぶ残りのメンバーを眺めた。
「そうか、この隊には錬金術士はいなかったな。まあ、大丈夫だ。問題無い」
俺がエレノアを見てそう告げると、エレノアは一度会釈してから下がった。
「あ、あの…これで母は助かるでしょうか…」
声がして振り返ると、少女は母親の手を取ったまま俺を見上げてそう聞いてきた。
「悪いが、この薬で無理なら俺には他に手段が無い。眠っているようだし、起きるまで暖かくして看病してみてくれ」
俺がそう言うと、少女は涙を手で拭ってから首を縦に振った。
「は、はい…ありがとうございます」
「気にするな」
お礼を言う少女に片手を上げて返事を返し、俺たちは少女の家から外へ出た。
外には多くの村人がいて、心配そうにこちらを見てきた。
だが、こちらも適当に「多分大丈夫だろう」なんて言えるはずもない。俺たちは無言で村の出入り口へと移動した。
村の出入り口ではいまだに動けない状態の傭兵達の姿もあったが、俺は特に気にせず後を付いてきていた村長に向き直った。
「それでは、俺たちは一先ず拠点へ帰るとしよう。また数日したらここへ来るかもしれないが」
「もうお帰りになられるのですか?」
村長は俺の発言に驚きを隠せずに声を上げた。旅をしていると思っていたようだから一泊くらいしていくつもりで話していたのかもしれない。
だが、俺からすればまだ外でゆっくり出来るような状況ではない。なにせ拠点周辺の情報はまだ得ていないのだ。どうせ村まではラグレイトに乗ればすぐなのだから。
「ああ。少し用事がある」
俺がそう言うと村長は何故か残念そうに頷いた。
「そうですか…いや、無理に引き止めるつもりはありません。しかし、この傭兵団を犯罪奴隷として売り払えばかなりの金額になるでしょう。すみませんが、お名前をお聞かせ願えますか? 拠点というのはミサレ村ですかな? それともまさかガラン皇国で…」
村長はそんなことを尋ねながら俺たちの服装を見比べた。
犯罪者は捕まえた者が犯罪奴隷として売ることが出来るらしい。戦えるような健康な男はそれなりに需要があり、金貨5枚で売られているようだ。ちなみに借金奴隷が通常価格で、犯罪奴隷は半額になる上に待遇もかなり悪くなるとのことだ。
流れで聞く勇気が出なかったから綺麗な女性の奴隷についてはわからない。
「俺の名前はレンだ。拠点は少し遠いし人里離れている。傭兵団を売り払って得た金はいらないから好きにしたら良い」
俺は本名でもユーザー名でもなく、レンと名乗った。まあ、レンレンという名前だとパンダみたいに聞こえるからな。
「そんな、せめてそのお金くらいは…」
俺が良かれと思って言った台詞に村長はすっかり恐縮してしまった。
あまりに無欲に見せると逆に不気味に思われるかもしれない。俺は何となくそう思って要求を考え直すことにした。
「…そうだな。なら、この村の中か隣接する土地をくれ。少しやりたいことがあってな。ああ、村に迷惑はかけないから安心してくれ」
「と、土地ですか? それは、勿論問題ありませんが…謝礼としては全く釣り合わない気が…」
村長は俺の要求に首を傾げつつも了承した。村長の返事も聞けたし、なかなか有意義な異文化交流となったように思う。
「さて、じゃあ皆帰るぞ。 フライ」
俺が皆に向き直りそう言って単独飛翔魔術を使うと、俺の体がふわりと2メートルほど浮かび上がった。
どよめく村人たちに囲まれる中、聞かずとも俺の意図を把握したエレノアがサニーとラグレイトに声を掛けた。
「「プルーラルフライ」」
サニーとラグレイトがグループ飛翔魔術を使い、俺以外の十人も空に浮かび上がる。
「では、また来る」
俺は空中から村長にそう告げると、ゆっくりと上空へ上がり、10メートルほどの高さになったら拠点の方角へ移動を開始した。
「これで次から飛んで来ても問題ないってことね」
不意に上からそんな台詞を投げ掛けられ、俺は少し後ろを飛ぶヴェロッサに対して頷いた。
「毎回遠くに降りて走るのは面倒だからな。どうせなら敵対する気が起きないくらいの実力は見せておいた方が良い」
俺が自分の考えを話すとラグレイトがクルクル回りながら俺の隣に飛んで来た。
「流石は主。どうせなら遥か天空まで飛んじゃえば良かったのでは? そしたら神の使いとか思われますよ」
ラグレイトはそんな軽口を叩き楽しそうに笑った。
「気軽に出歩けなくなるだろ。凄腕の冒険者辺りが一番自由に動けそうだ」
俺がそう言うと背の高い色黒の肌をした軽鎧の青年が近づいてきた。
狼獣人のサイノスだ。サイノスは黒い髪を風になびかせているが、何故か空中なのにあぐらをかいて腕を組んでいる。
「殿。冒険者になるなら拙者も是非頼みます。今回は殿の護衛として全く、これっぽっちも役に立てませんでしたゆえ」
サイノスが険しい顔で寄ってくる中、俺は逃げるように体を上昇させて皆を振り返った。
「サイノスもそうだが、お前達は万が一の時の為に集団で行動させたんだ。何もしなくて済んだのは良かったと思え」
俺がそう言うと、皆が少し不満げに頷いた。ただ、エレノアとラグレイトだけは笑顔で頷いていた。
暫くすると俺たちの住処であるギルドの拠点、ジーアイ城が見えてきた。
城の正門前に降りながら城の様子を見ていると、見張り台や城壁の上、そして城まで続く石畳の道の上に複数の隊がおり、一様にこちらに気がついて顔を向けていた。
「おかえりなさいませ、マイロード」
正門前に降り立つと、早速こちらに歩いてきたシックなスタイルの執事服に身を包んだ白髪の男が頭を下げた。
我がギルドでは中堅といえる実力を持つ魔族、ディオンである。
「湯浴みの用意は出来ております。湯浴みの後にディナーでよろしいですね? ディナーの内容は近くで猪らしき動物が獲れたようなので猪肉にてご用意させています」
「あ、ああ。分かった。ありがとう」
ディオンに一気にそれだけまくし立てられ、俺は戸惑いながら返事をした。こんな押しの強い性格にしただろうか。
俺が首を捻ってディオンのすまし顔を見ていると、何故か嫌な顔をして俺を見返してきた。
「よろしいのなら、さあさ、城へ参りましょう。惚けていてもマイロードの貴重なお時間が浪費されるだけです」
言葉は丁寧な単語を繋げているはずなのに、そこはかとなく、しかし確実にぞんざいに扱われている。
迎えに来たはずなのに、主よりも先に帰っていくディオンの背中を見て俺は思い出した。
あいつの性格、ドSにしたんだった。




