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舞う蝶の果てや夢見る ―義経暗殺― 作者:小石 勝介

倶利伽羅峠 対決巴御前

 そして、義仲である。
 寿永二年(一一八三)のはじめ、信濃にあった義仲は北陸道への進出をはかった。
 夜叉丸は鬼姫と来るべき義仲との戦のための下工作を忠度に命じられ、越前に下る。
 まず、初戦となるであろう火打城工作だが、養和元年(一一八一)九月に平通盛軍が木曾義仲追討のため越前から加賀に進撃したところ、火打城を守る平泉寺長吏斉明は平家から寝返り、背後からの襲撃で通盛軍を敗退に追い込んだ経緯があった。
 夜叉丸と鬼姫等は、夜陰に乗じ城内に忍び込むと一気に斉明の寝所を襲った。目の辺りに恐ろしげな青の隈取りを入れた鬼姫が太刀を振り回しながら感情を顕にして、城主である斉明に脅しをかけた。わざとではなく斉明の裏切りが許せないようである。鬼姫のそのあまりの激しさにこの優柔不断な城主は思わず失禁した。同行した鬼姫衆も演技ではないかと訝りながらも体が萎縮したほどである。
「斉明よ、我々はいつでもおまえを見張っている。ここまで誰にも悟られず参ったことを思ってみよ。首を刎ねることなど容易き事。おまえだけではない。おまえの一族はこの世から抹殺されるであろう。しかし、約束を違えたりせねば逆におまえとおまえの一族の栄達は望みのままじゃ。一門のわらわがうけあうのじゃ、証文も書いてやろうぞ」
 鬼姫が斉明の首に太刀の刃を当てゆっくりと引きながら、不敵に笑った。滴り落ちる血が斉明の着衣を汚し続けた。ついに平家が城を取り囲んだ時、内部から手引きする確約をさせた。
「……同じ女武者なれど巴殿とは大違いじゃ」
 斉明が首を押さえながら震える小声で吐き捨てた。
「……巴?」
 鬼姫はもう一度斉明の左胸に太刀先を押し付けた。斉明は胸を反らせながら後退りする。
「義仲殿の愛妾巴御前をご存じではござらぬか? 先の横田河原の戦では、七人の武将を討ち取った。七人じゃぞ、信じられるか? それになかなかの美人で心根もやさしい。六波羅の鬼姫殿とはまるで光と影……」
「ならば次の戦でその巴御前とやらの首を討ち取りおぬしの前に晒してみせようぞ」
 鬼姫の目が獲物を狙う獣のように光ったのを見逃さなかった夜叉丸は、ふっと溜息をつくと余計なことを言った斉明の頭を後ろから殴った。
 夜叉丸は、金剛と摩虎羅等数人を城に残し、斉明に対して精神的圧迫をかけ続けるよう命じた。裏切った時はその場で斉明の首を刎ねよと申し渡した。

 さらに夜叉丸は足を伸ばす。夜叉丸と鬼姫そして宮毘羅の三人は初春の越後国府に潜入した。どうしても会ってみたい人物がいたのだ。その男を何日か付け回し、人性、性質、習性を探っている。義仲と合戦になったとき、その中心になる人物であるはずだ。
 夜叉丸達は、畦道のような街道を歩いていると、荷役用の牛が暴走しているところにちょうど出くわした。その先に籠に入った赤ん坊が火のように泣いている。野良仕事をしていた母親がそれに気づいて赤ん坊を庇ったが、その場で動けなくなったようだ。間に合わぬと思い、夜叉丸と宮毘羅がすばやく向かってくる牛の角を捕まえた時であった。「助太刀いたす」という鋭い声とともに若い武士が飛び出すと片方の牛の角を操って、方向を変えた。二人では手が足りなかったかもしれぬ大牛であった。その間に鬼姫が身軽な動きで母子を安全な位置に移動させた。手助けしてくれた若者は器用に牛を宥めると、追いかけてきた牛の持ち主に渡した。
「申し訳ございませぬ。焚き火の火が牛の尻に跳ね、驚いて駆け出した次第でございます」
 牛の持ち主は震えながら言い訳して地面に平伏した。斬り殺されるかもしれないと思ったのであろう。男は、地面に穴を開けるほど額を擦りつけていた。
「よい、気にするな。大事にいたらなかったのじゃ。もう、行くがよい。だが、戦になったらその牛を貸せ。人より役に立ちそうじゃ」
 若者はその牛の背を撫でて豪胆に笑った。
「斉の国は田単の火牛の計でござるか。いや、お見事でござる。一人で防げるかどうか不安なところでした。さすが越後牛は大きくて力強い」
 夜叉丸より七八歳上に見えるその男は、協力して一つのことを成し得た奇妙な連帯感で夜叉丸に笑いかけた。
「見かけぬ顔じゃが」
「失礼いたした。手前は袖の浦の住人で最雲と申す者でござる。京で商いをしておりましたが、母が亡くなったとの知らせがあり、帰る途中にて」
「鮮やかな身のこなし、武士ではないのか……?」
 夜叉丸は自然体を装い、豪快に笑い飛ばして見せた。男はじっと夜叉丸を眺めて、表情を柔らかくした。自分の目を信じるという風である。男は、厭味の無い爽やかさで笑った。その人の良さに夜叉丸は少しの心の痛みを感じたほどである。
「御無礼いたした。拙者、源義仲が家臣今井四郎兼平と申す」
 その時、赤ん坊と我が身を助けられた母親が恐る恐る声をかけてきた。お礼をしたいが何もない、あるのは自家製でつくった酒だけだが、是非飲んでいってくれということだった。

「美味いぞ、この酒は」
 兼平は土間で酒の肴を用意している女に声をかけた。事情を聞いた亭主が囲炉裏端に座した四人に酌をしている。
「強い酒じゃ」
 夜叉丸が盃を飲み干すのに少し顔を顰めたのを兼平は見逃さなかった。
「最雲殿は、かなりの使い手と見たが、酒は強うないようじゃの」
 そう言って笑ったが、すぐに気分が落ちるのが見えた。
「そうなんですよ。兄者は酒がからっきしだめで、おいらが代わりにいただきます」
 宮毘羅が調子に乗って手酌で何杯も飲むのを夜叉丸が頭を軽く殴って窘め、もっと兼平に酒をすすめるよう命じた。宮毘羅は夜叉丸とは正反対に酔えば酔うほど明るくなる。彼は場の盛り上げ役に徹した。
「なにか心配ごとでも……」
 夜叉丸は、兼平を見た。
「なんでもない。失礼した。風邪気味なのかもしれぬ」
 兼平の目が泳いだ。彼が嘘をついているのは分かった。ただ、夜叉丸等はこの今井兼平を既に知っている。だからこそ近づく隙を窺っていたのだ。暴れ牛のことは偶然の出来事だったが、利用させてもらった。兼平は義仲の養父中原兼遠の次男で、木曽四天王の一人である。義仲と兄弟のように育てられている。
「そういえば、最近源氏の志田義広殿と新宮十郎行家殿が義仲殿をたよってこちらへ来ていると聞いたが」
「詳しいの……」
 一瞬兼平は猜疑の目を夜叉丸に向けたが、すぐに宮毘羅がそれを察知しておどけて気を逸らせた。
 酔いのまわった兼平はまた押し黙った。だがその胸の内を夜叉丸は知っている。すでに情報は掴んでいたのだ。
 頼朝は十万の兵を信濃に送り、頼朝に疎まれたふたりの叔父を渡すか、あるいは義仲の子義高を人質として差し出せと要求して来た。「どうせ将来頼朝とは決着をつけなくてはならぬのだからここで戦うべきだ」と今井兼平は主張し続けた。
 しかし、義仲の情の深さは、自分を頼って来た叔父を見捨てることはできずに頼朝の娘婿としての体裁をとりながら息子義高を人質として差し出した。人払いしたところで兼平は、幼馴染の義仲を殴ろうとした。その振り上げた手をいつの間にか後ろに立っていた妹の巴に止められた。兼平は妹の顔を見て息を呑んだ。無言の巴は、兼平に「耐えよ!」と訴えかけている。義高は巴と義仲の子なのだ。彼は体中の力が抜けてその場に蹲ってしまった。巴は義仲を信じている……。
「巴は何故我慢ができるのだ……」
 兼平は夜叉丸等の存在を忘れたかのように呟いた。
「巴? 巴御前のことか?」
 兼平の独り言に、若武者姿の鬼姫が反応し、初めて口を開いた。
「やはり、そちは女子であったか。美しき若武者じゃと思っていたぞ」
 兼平が別に怪しむ様子もなく笑ったが、夜叉丸が慌てて言い繕った。
「姉なのじゃが、旅は男姿のほうが何かと都合がよく……」
 姉と言った途端に鬼姫が分からぬよう夜叉丸の腰の辺りを抓った。
「なに、母子を助けたそちの身のこなしも天晴れなものじゃったが、わしの妹も強いぞ。戦場でわれらより敵の首級をたくさん取ってくることもある。先の横田河原の戦では、七人の武将を討ち取った。七人じゃぞ。その妹巴を……守ってやれなんだ」
 兼平は悔しくて何度も床を殴り続けた。兼平も義仲に対して自他共に誰にも負けない忠節を尽くしていると確信していたが、義仲を頼って来た二人の叔父は信じるに値しない人間だと感じていた。
「われらは絶対に頼朝を許さぬ。確かに兵力は頼朝の方があるじゃろう。人質を出したことで後顧の憂いなく、北陸を攻めることができたことは認める。じゃが、必ずや先に京に上り、院宣を受け、平氏を滅ぼし、次に頼朝を討つ。そして巴の子義高を奪い返す」
 酒が進み過ぎたのかもしれない。宮毘羅の座持ちの上手さからか兼平は、夜叉丸等を全く疑わなくなっていた。最後には夜叉丸らの持つ爽やかさに酔った態をみせ、彼は笑顔を絶やさなかった。
 そして、夜叉丸は敵であるはずの兼平に惹かれていく自分を感じていた。また、鬼姫はまだ見ぬ巴御前という名を胸に刻み込んだ。

 寿永二年四月十七日。ついに平家本陣が動いた。重盛の長男三位中将維盛、教経の兄である越前三位通盛を大将として、十万余騎の大軍で京を発った。
 平家軍はまず福井県の火打城を攻める。そこは義仲にとって越前の防衛線であった。義仲はそこに五千余騎を派遣し篭城させていた。
 鬼姫の残しておいた摩虎羅組に脅迫されて斉明は、味方に気付かれぬよう平氏側と内応し、城は四月二十七日陥落した。
 平家は初戦に勝った。
 勢いに乗じた平家軍はそのまま加賀へ侵入し、北陸をじわじわと制覇していく。
 ついに追い詰められた鼠のように義仲が反撃に出た。
 義仲は、今井兼平に兵六千を分け与えて越中へ先発させる。
 兼平は般若野(富山県砺波市・高岡市)で平家軍先陣平盛俊を加賀まで下がらせた。
 そこで、平家軍は二手に分かれ、平維盛・平通盛ら本隊七万は倶利伽羅峠(砺波山・富山県小矢部市・石川県津幡町)に、平忠度・平知度の別働隊三万は志保山(石川県志雄町)に陣を張った。国境を封鎖して、義仲軍の加賀奪還を阻止しようとしたのである。
 五月十一日昼、両軍は矢を飛び交わせたが、主力の激突はなかった。陣立ては、山の高いところに圧倒的な兵力を配置した平氏の方が有利であったが、焦らすように源氏は、なかなか討って出ようとはしなかった。
「確かに高所のわが軍は有利だが、絶澗……」
 平家の陣立てを見て夜叉丸は、一抹の不安を覚えた。峠の南に見える底深い地獄谷が気にかかる。絶澗、すなわち谷に近づくなとは孫子の兵法であった。
――吾はこれを迎え、敵にはこれを背せしめよ、か。だがこの兵力差、杞憂かもしれぬ
 夜叉丸は、独り言で不安を取り払うと金剛組を率いて諜報視察に出た。

 やがて薄暮が迫ってきた。見回りが終わったらしく、揃いの赤糸威胴丸鎧に金属編を縫い付けた鉢巻を締める女武者の一団が、帰路についていた。二十騎ほどの騎馬の列に先導されて三十人ばかりの雑兵が後を駆けていく。
 突然道の両側に鬱蒼と茂る樹林の上から、雨のように矢が降ってきた。隊の足が乱れて雑兵が散った。数人の女武者も矢に射られ騎上から落ちた。
「卑怯なり。巴と知ってのことか、いで参らせよ」
 先頭の女武将が大太刀を振り回し、矢を防ぎながら叫んだ。それに呼応するように、木の上から縄をつたって何人もの赤い影が弓を構えたまま降りてきた。
「平維盛が妹扇寿、またの名を六波羅の鬼姫! 巴御前とは、相手にとって不足なし。皆手出しは無用ぞ。いざ尋常に勝負いたせ!」
 紅地錦の鎧直垂に特別誂えで軽く作らせた胴丸鎧だけの鬼姫は太刀を得意の八双に構えた。相手の動きを見切り、それに対応して先手をとるのに適した構えである。
 構えから一瞬のうちに鬼姫の只ならぬ力量を見抜いた巴は馬から降りると、腰を落とし大太刀を少し右に開いて下段に応じた。
「都育ちの姫君は、歌でも詠んでおるがよい。痛い目にあってもしらんぞ」
「そのような大層な鎧を着て、田舎女は力持ちじゃ。鍬でも持って田でも耕しておれ」
 互いに右回りで隙を窺いながら間合いが徐々に詰められていく。巴が先に動いた。一歩大きく踏み出し、下段から斬り上げた。瞬間、鬼姫は大太刀の下を掻い潜り摺抜けつつ、上段から巴の額を狙って斬りつけた。巴は太刀の元の方でそれを撥ね返すと、すぐさま素早く斬り返した。すかさず鬼姫が体を開いてかわし、太刀捌きで幻惑させて巴の太刀を上段に誘うや膝を深く曲げ隙のできた下半身を狙って払ってきた。巴は思わず地面を蹴って後ろに倒れるように逃れた。すぐさま斬り下ろしてくる鬼姫に向かって突き出すように大太刀を投げつけ鬼姫が刃先をかわした隙に回転して起き上がった。
「身軽な女子じゃ」
 巴は口元だけで笑うと、腰の太刀を抜いた。
 突然横からもうひとりの女武将が薙刀で鬼姫に斬りかかってきた。
 巴が「下がれ! 葵では勝てぬ」と必死で叫んだが、間に合わなかった。鬼姫が葵の攻撃を宙返りしてかわすや、鬼姫を護衛していた摩虎羅組の一斉に放った矢が葵を貫いた。
「手出し無用と申したではないか!」
 鬼姫は恐ろしい形相で摩虎羅を睨むと、断末魔の叫び声をあげて即死した葵を抱き止めた。巴が切っ先を鬼姫に向け構えを変えた。
「葵の敵、生きては帰さん」
「望むところ、いざ」
 二度三度と火花を散らして斬り結んだが決定的な致命傷は互いに与えられなかった。
 またしばらく間合いを取って、息を整えた。
「われの攻撃を受けきった者は女子ではおぬしが初めてよ。なかなかの腕じゃ、田舎女が」
「京にも……猿がいたとはな。落ち着きなく……少しも……じっとしておらぬ」
 強がりを鬼姫に返しながらも巴の息が上がっていた。
――光と影とは斉明もうまいことを言ったものじゃ。確かにわらわは、人を斬るための暗殺剣、巴は自らが生きようとする剣じゃ
 あと二三度斬り結べば、勝てるかもしれない。鬼姫はそう確信しながらも躊躇いが生じつつあった。敵ながら巴の真直ぐな太刀筋に惹かれ始めていたのだ。時代が太刀を通じてしか心を通わせられなくなっているのかもしれない。
 鬼姫は、間合いを保ちながら構えを変化させ巴の体力が回復するのを待った。そんな鬼姫の心を読んだのか、巴も優しい目で笑い返した。
 互いに相手を認め始めた時だった。急に地面が雷鳴のような音をあげて激しく揺れ始めた。
「何事?」
 その場にいた敵も味方も対峙していることを一瞬忘れ、その音の方を向いた。
 角に刀を結びつけた数百頭の牛が、いっせいに平家の陣めがけて駆け上っていく。それぞれの牛の尻尾に茅の草が結び付けられ火薬が仕掛けられていた。それが爆発し、火に驚いた牛が必死に走り、その後ろを義仲軍が追い立てる。
 鬼姫と巴の間も何十頭という牛が暴れながら走り過ぎた。鬼姫と摩虎羅組の鬼姫衆たちは思わずそれぞれの近くにある木の上に逃げた。夜叉丸の言った火牛の計という言葉が頭を過った。
「巴! また再びまみえようぞ」
 鬼姫は平家の陣に向かって空を駆けた。しかし、真下を駆け抜ける牛の群れを追い抜けず嫌な胸騒ぎが治まらなかった。
 不意に箙を叩く音と鬨の声を後ろに聞き、平氏の軍団が振り返ると白旗が雲海の如くに翻っていた。
 次には大手より義仲率いる一万余騎が鬨の声を上げ、砺波山に隠した一万余騎、日の宮林に控える今井四郎の六千余騎も、同じく鬨を作った。前後四万余騎の喚く声が山々を揺るがして響き渡った。
 三方から同時に攻める義仲起死回生の夜襲に平家軍は、一瞬にして騒然となった。
 ついに見えぬ恐怖に襲われた平家軍は陣形も崩れ錯乱状態になり、手負いの牛群に圧倒されながら後ろの地獄谷へ我先にと落ちて行く。深い谷が、平家勢七万余騎で、埋め尽された。

 退却戦がはじまった。鬼姫衆は命じられることなく、殿についた。
 そして、夜叉丸は、引きながら防戦する困難さよりも前に踏み込むことを選んだ。退却路上にある津幡付近の竹藪に十二組の配下を潜め、予め決めてあった指の形で指示を伝えながら、追撃してくる義仲軍を待つ。
「もう、惟盛の兄上は落ち延びたであろうか?」
 鬼姫が息を殺して隣の夜叉丸に問いかけた。夜叉丸は前方を見たまま軽く頷いた。義仲軍の先鋒が迫ってくる。
 夜叉丸は大雑把にその数を数えた。
「手柄欲しさに駆けて来るぞ。数は、……三百」
 笹の葉をうず高く積んだそれぞれの持ち場に潜む鬼姫衆十二神将の幹部達が一斉に夜叉丸の指先に注目していた。
「ここで食い止める!」
 十分引き付けたと判断した夜叉丸の右手の人差し指が勢いよく前方に突き出された。夜叉丸の後ろで限界まで張り詰めた蔓を断ち切る音が横に広がりながら続いていった。俄作りの竹槍二百本が唸りをあげ次々と義仲軍先鋒隊に向かって飛んでいく。先端を鋭く尖らせたその竹槍は何人もの敵を串刺しにしていった。
 義仲軍が怯んだ。すぐさま夜叉丸と鬼姫が隠してあった馬に騎乗し、駆けた。後方に十頭の騎馬隊が続く。同時に前方に忍ばせていた組の斬り込みが始まった。
 宮毘羅組と摩虎羅組の他四組計六組三十名が孟宗竹の強力な弾性を利用して空中高く跳ね上がり敵の頭上から攻撃を掛け続けた。伐折羅組と安陀羅組・毘羯羅組十五名はまるで地の中から這い出たかのごとく敵の中心に姿を現し攻撃を開始した。敵味方入り乱れた混戦の中で夜叉丸も鬼姫も部下を指揮しながら縦横無尽に戦った。十二分に鍛えられた鬼姫衆は、白刃を閃かせ無駄のない動きで一刀のもとに敵を殪していった。
 しかし、幾人敵を殪そうとも時が経てば経つにつれ追いついてきた後続部隊の圧倒的な多さに効しきれなくなってきた。
「鬼姫! 戻れ」
 下馬し壮烈な白兵戦に我を忘れて、さらに敵の深みに入って行こうとする鬼姫を夜叉丸は呼び止めた。鬼姫が自分を取り戻し頷いた。
「退却!」
 夜叉丸の鋭い声が竹林を木霊した。その声に五十数名の鬼姫衆は、太刀を納め、くるりと反転すると全力で決められていた場所に向かって走った。そこには何本もの蔦がぶら下がっていた。一斉にその蔦に掴まると孟宗竹の弾性を利用し、まるで鳥のように繁みの向こう側へと飛んでいった。彼らの下を待機していた鬼姫衆が切れ目なく竹槍と矢を放って援護する。
 火を放った。生乾きの竹と笹は大量の煙を出し、義仲軍に向かって棚引く。
「こざかしいっ、待てぃ!」
 勢い込んで追って来た義仲軍が大声を出しながら、その視界のきかない繁みに足を踏み入れた途端、彼らの声は悲鳴に変わった。横長の段差を格子に編んだ竹と笹の葉で巧みに偽装した落とし穴であった。先を尖らせた竹が何本も隙間なく埋め込まれたその上に次から次へと後ろから押されて落ちて行く。助けようとする者も逆に引き込まれている様子が見えた。
 しかし、そんな自軍の惨劇を物ともしない大軍がその後ろから押し寄せて来る。
「少しは時が稼げたか」
 夜叉丸は全員を馬に乗せると、次の待ち伏せ地点に向けて駆け出した。
――義仲の火牛の計に何倍もいた我が軍が不甲斐無くも敗走している。逆だ! 逆も真。勢いに乗った義仲軍にも必ず弱点があるはず。それは、どこだ! 
 彼は鞭を入れながら次の奇襲戦法を考えた。吹き抜ける風に汗が飛ばされていく。豊富な良馬を産出する奥州で鍛錬した夜叉丸の経験が、今まで点でしかなかった戦闘に迅速な移動という概念を組み合わせていた。多分同じ時期に奥州にいた義経の影響かもしれない。
 夜叉丸の頭の中は、考えられる幾通りもの奇襲の方法で満たされていった。

 大将惟盛と通盛他かろうじて加賀の国まで引けたのは、七万余騎の内わずか二千余騎ばかりであった。今までの合戦で負けたことのない鬼姫衆は奇跡的にも全員無事であったが、精根つき果て見るも無残な有様であった。
「教経は何をしておる! なぜ軍を率いて出てこぬのじゃ」
 鬼姫も疲労した体で周りに当り散らし憂さを晴らしていた。
「通盛殿が弟の能登守教経を副将にして援軍を遣して欲しいと再三要請したらしいが、宗盛殿が教経を離さぬらしい。自分の護衛として手放したくはないようだ」
 鬼姫は、ふんと鼻を鳴らした。
 夜叉丸は、京でも教経に期待する声が高まっていることを鬼姫に伝えたが、ここまで無残に叩きのばされた現実を直視すれば、教経といえどもこの状況を打開するのは無理だろうと思った。
+注意+
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