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落ちる

作者:quiet
 最近、物がよく落ちる。


 ということに気付いてはいたのだけれど、気のせいであると言われればそんな気もするから判断に困っていた。

 ネットをしてる途中でトイレに立つと、戻ったときいつも一瞬マウスが見当たらない。大体ベッドとテーブルの間に落ちている。
 眠る前にベッドのヘッドボードに置いたスマホが、起きると見当たらない。ベッド横のクッションの上に落ちていることが多く、たまに壁側に落ちて埃まみれになっていたりする。
 キッチンの移動棚に置いておいたインスタント味噌汁の袋が床に落ちている。
 なぜか流しにプラスチックのコップが落ちている。
 外出する直前になって財布と鍵が見つからないと思って探していたら、棚の下に落ちている。

 しかしある日。
 仕事から帰ってきたら床と机に、ハードカバーから文庫本から、本が散乱していた。
 当然、こんなものを広げた覚えはない。地震情報だってチェックした。今日に限っては間違いなく、震度三以上の地震はこのあたりで発生していない。

「……参ったな。流石に怖いぞ」

 元々ホラーにはかなり強い人間だった、と思う。自分では。
 ホラーゲームなんかを顔色一つ変えずに、一人暮らしの深夜にできるタイプだったし、テレビでやってるホラー番組なんか元ネタをほぼ知っている。怖いと評判の映画やネット怪談も、見ていてストーリー分析する余裕くらいはあるし、苦手なジャンルといえばスプラッタと虫くらい……しかもそれも怖いから、というより趣味が合わないから、というのが大きい。

 が、こうして自分の身に降りかかってみると、ビビる。
 単にこれまでの俺は想像力が足りなかっただけだったらしい。家にいる間どんどんストレスが溜まってくるから日に日に外出が増えた。

 あとついでにスケベ心も溜まった。

 何言うとんねんこのトンチキと思うかもしれないが、事実である。そしてこれには正当な理由がある。生命の危機を感じることで生存本能がうんぬんかんぬん。実際のところこれが本当かどうかは知らないが、むらっと来るのは本当で、さらに言うならこれは非常に好都合な事態だった。昔に見たことがあるのだ。幽霊はスケベ的なものを嫌うと。死に属する陰のものは生に属する陽のものに照らされることでうんぬんかんぬん。

 何にしろ、やってやろうじゃないか、という気持ちが日に日に募っていた。
 そう、たった一人のスケベパーティナイトを。なぜたった一人で行わなくてはならないのかについては黙秘を貫かせてもらう。

 大体その決心を固めるまでに一か月と二十八日がかかった。
 その間、俺は部屋の隅々まで掃除して人の痕跡や盗聴器の類がないかを探ったり、天井裏に侵入する余地がないか確かめてみたり、それから買ってきた安物のカメラを仕掛けて、有名怪談よろしく仕事中の部屋を撮影したりしてみた。クローゼットの前にバリケードを設置してから再生した監視カメラには誰の姿も映っていない。ただ、風に吹かれたようにティッシュ箱がテーブルの上から落ちる姿だけが映り込んでいた。

 人間の仕業だろう可能性は俺の中ではほぼ潰えた。
 あとは全部霊のせいである。死人が生きている人間に勝てると思うなよ。見せてやる。俺のアクロバティックスケベを。

 というわけで金曜の夜。俺はかちかちパソコンを立ち上げた。
 大学時代から使っているパソコンで、最近は立ち上げるにも時間がかかるようになってきた。ログオン画面が映るまでに、珍しく薬局で買ってきたセール品の酒をちびちび啜る。好きでもなければ嫌いでもなく、強くはないが弱くもない。気付け薬みたいなものだ。

「やるぞやるぞ俺はやるぞスケベ除霊を」

 適当に独り言を呟いたら何やらやばい人みたいになってしまった。が、気にすることはない。ここにいるのは俺独りか、多くて俺と幽霊だけだ。これでもダメならたぶんマンションの地盤が沈下でも起こしているんじゃないだろうか。結構築年数経ってるところだし。そこまではさすがに俺の管轄外だ。

 ログオン画面が表示される。ここまで来ればサクサクだ。すぐにパスを入力し、インターネットを開く。それから検索窓を二秒くらい見つめて、入力。こういうときは思いついたまま本能のままに入力するのがいいのだ。

『ハイパースケベあどべn_』カタタタ

 ジャラララ、と。

 キーボードの打鍵音をかき消すくらいに、大きな音がした。思わず手を止める。

 落ちたのは棚に乗っていたチェス盤と、そこに乗っているアクリルのチェス駒だった。部屋にこんなものがあるのは俺がチェスと紅茶を嗜むハイパーイケメン王子だから……、ではなく、大学時代にチェスできたらモテるんちゃうかなと軽率に購入し、結局部屋のインテリアとして安置され頭良さげな空間を演出しているからだった。

「うわっちゃ」

 チェス盤はともかくチェス駒はかなり広範囲に散らばっている。こりゃ拾うのが面倒くさそうだ。駒がひとつでも欠けると、実用はしないにしてもディスプレイにも中途半端……待て、むしろ何かしらその欠けた駒がミステリアスなメッセージ性を……、いや脱出ゲームの部屋か。

「って、違う違うこんなことしてる場合じゃない」

 これはどう考えても妨害だった。俺は今霊的な妨害を受けている。これを拾う間に(ぶっちゃけこんなことするより今夜すぐ寝て明日朝早くから映画見たりゲームしてた方が楽しいよな……)という気を起こさせる気なのだ。よほど俺が怖いらしいな。させるものか。

「見くびるなよ、小僧」

 完全に悪役みたいな台詞が出た。が、本心だ。この程度の妨害に俺は屈しな――、

 ばっしゃーん。

「待てコラおい」

 咄嗟に立ち上がった。部屋の扉を開けるとキッチンに電気ケトルが転がっている。
 余っていた水を撒き散らしながら。

「おま、お前さあ……。マジで、おい……」

 語彙力が腐った。腐らせてる場合ではなかった。
 適当にキッチンペーパーを三枚分くらいちぎり取って床にばらまく。このまま放置はさすがにできない。屈み込んで水を拭き取る。吸収した面を見る。灰色の汚れが付いている。

「あ˝ぁああああああもう」

 気になってしまった。
 床がめっちゃ汚れている。夜の掃除大会の始まりになってしまった。まだ風呂入ってないし。
 パソコンの方は……、一旦中止だ。こっちの方が気になるし、色々対策してからじゃないと次は何されるかわかったもんじゃない。電子レンジを冷蔵庫の上から落とされたりしたら床に恐ろしい傷がつく。

「雑巾どこ置いたっけぇー……」

 たぶんクローゼットの中だった気がする。
 めったに使わないからストックはあったはずだけど。

 キッチンから扉を開けてリビングへ戻る、と。

「いっ……!」

 ごり、と足裏で骨が。驚いて足を跳ね上げると、こつん、と床に物が落ちた。

 チェス駒。
 クイーン。
 王冠。

「ってえー……!」

 さすがに夜中だから小声で。
 水音の衝撃で、すっかり床に散らばったチェス駒のことを忘れていた。片足を上げたまま、ベッドにごろり、倒れ込む。ちょっと無茶な体勢で足裏を見てみる。血は出てない。ただし跡は残っている。

「あー……、なんなんだよおい」

 ばたん、と足を下ろして仰向けに。力が抜けてくる。真っ白な天井を見る。眩しくて目が痛くなってくる。足の裏に脈動に合わせて規則正しい痛みの小波。

「俺、お前になんかしたか……?」

 口にしてから、ついさっき豪快スケベアクションで除霊しようとしていたことを思い出し、んふっ、と薄い笑い。

 なんだかやけに眠くなってきた。

 もう今日はどうでもいいや。寝ちまおう……。




「ぶえ……、げっほ、ごえっ!」

 苦しくて目が覚めた。咳き込みながら。うつ伏せになっていた。反射的に身体を抱きかかえるように横向きで丸める。

「ご、っげ!」

 ひときわ大きな咳をすると、口と鼻から何かが飛び出した感触。
 起きた直後で怪しかった視界が、ようやく固まってくる。
 目にしたのは。

「Oh……」

 終電近くの駅周りとかでよく見るやつだった。
 えほっ、ともう一回咳。酸味。

 こりゃあかん、と、とにかくまずはベッドから降りる。その直前で昨晩のことを思い出して、チェス駒を踏まないように床に足をついた。それからキッチン……、じゃなくて洗面所へ。口と鼻をゆすいだ。そして部屋に戻って現実を直視する。

「マジか……」

 初めてやったぞこんなこと。あ、いや小学生の頃に風邪ひいたときもやった気がする。
 昨日の酒量を思い出す。……うん、間違いなくあの程度じゃほろ酔いにすらならない。アルコール耐性がゼロ近くまで落ちたんじゃない限り……、ん、落ちる?

「おのれ霊!」

 言ってはみたものの、さすがにそこまで霊がやるとは思えない。落とせるものはなんでも落とせるってならとっとと落命くらいさせてるだろ、とか適当な理屈が頭の中に立って、あまりの適当ぶりに一瞬で忘れた。

 真面目な話、体調が悪いのかな、と思う。風邪でも引いたんだろうか。ちょっとその場で身体を捻ったりもしてみたけど、あいや頭痛えわこれ。風邪かひっどい二日酔いだわ。

「二度寝してえ……」

 とは思うものの、さすがにこの場所で二度寝はできない。とりあえずシーツを剥がして、洗面所で一通り汚れを落として、それから洗濯機に突っ込む。洗剤の匂いを嗅いだら頭痛が増した。二回洗おう。

「で、問題はお前だよ」

 マットレスくん。
 どうしよ。

「……日光当てりゃ消毒されたりしないかな」

 幸いにも外はカンカン照りみたいだ。時刻は……うおっ、もう十時!? 完全に時間損したな、と思うけどこうなりゃ開き直りもできる。まずは干してみて、ダメなら今日のうちにネットで掃除の方法を検索して試してみて、それでもダメなら新しいマットレスを買いに行っちまおう。

 というわけで、カーテンを開いて窓も開いて、突っかけ履いてベランダに出る。向かいにもマンションがあるけど、日光を遮る角度と距離じゃないからまあそんなに気になるほどでもない。

 っても、マットレスを外に干したことなんてないからな。どうすりゃいいんだろ、と四苦八苦。何となく安定っぽい形を一応は見つけたけれど、どうも上手いこと問題の部分に日光が当たりそうにもない。

「これなら部屋ん中に干した方がいいか?」

 一旦部屋の中に戻ってみる。うーん……、テーブルをどかせば何とかならんくもないか……? なるか。うん、そっちの方がいいかもしれないな。

 と、思い、振り向くと。

 バランスを失って落ちていくマットレスが見えた。

「おいっ、ちょ、まっ――!」

 咄嗟に伸ばした手が空を切る。
 あえなく落ちていくマットレス。
 呆然とする俺。


 そして、その前を、追いかけるように人が落ちていった。


*


 事故だったとのことだ。

 俺の一つ上の階に住んでいるのは、家族連れだったらしい。ここはファミリータイプと独身者向けが混合されてるマンションなのだ。上に住んでいるのは随分昔からここに住んでいる家族で、子供はもう高校生の男の子。

 で、向かいのマンションに幼馴染の彼女が住んでいるらしい。

 その日も朝から少年はベランダに出ていたのだそうだ。
 携帯片手に、お互いの顔を見ながら、その日のデートの予定を話し合っていたらしい。

 が、このマンションは古すぎた。そのベランダの先端――少年が少しでも近くで彼女と喋りたいと陣取っていた場所が崩落を起こしたのだ。
 このへんは管理人に聞いた話だが、建設時のミスなどでなく、純粋な老朽化らしい。ちゃんと点検も入れていたらしいが、間が悪かったのだそうだ。

 間が悪かった、で済ませられては少年も溜まったものではなかろう、と思うかもしれないが、済んでしまった。なぜなら少年はほとんどまったくの無傷だったからだ。

 ベランダが崩れたとき、少年を間が悪かった、と称するのならば、本当に間が良い、しかし間抜けな下の階の住人が、ちょうど少年の落下地点に先んじるように、自分のベッドのマットレスを落としていたのだ。少年はマットレスと植え込みでバウンド。信じられないほどビビったが、信じられないほどあっさりと生還した。

 そしてその少年と、少年の彼女が昨日俺の部屋に菓子折りを持って現れて、いちゃこら痴話げんかをしながら感謝の言葉を述べていった。
 そしてそれを微笑ましいと思ったとき、俺は静かに、もはや自分が羨む心も忘れステキな恋も諦めた悲しいおっさんになっていることに気が付いた。

「が、それはそれだ!」

 俺は忘れていなかった。
 この部屋に住む幽霊の存在を。

 ひょっとするといい霊なのかもしれない。
 しかし俺にとっては普通に迷惑な存在である。マットレスをダメにしたのは大体俺のせいだとは思わんでもないが、そもそも普段付き合いくらいでしかしない飲酒を部屋で敢行したのはこの幽霊によってストレスを蓄積させられたせいだろう。

「ゆえに、貴様は決して許さん! たとえ今まで俺の部屋で物を落としまくっていたのがいざというタイミングでマットレスを落とすための予行練習だったとしても! あの夜の落とし物がすべて少年を助けるための布石だったとしても! 俺はお前を許さん! というか少年がベランダにいないときにベランダを落とせ! それで解決しただろ!」

 しばらく返答を待った。
 物一つ落ちやしない。

「……いい度胸だ」

 当てつけてやろうじゃないか。
 パソコンをすでに立ち上がっていた。落ちて困るような水物と過剰な重量物はすべて対策を終えていた。身の丈3mの巨漢が棍棒を持って部屋を荒らしに来ない限り、これらが落ちることはまずないと言っていい。検索ボックスを呼び出す。

「検索ワードは……『幽霊 めっちゃエロくてびっくりする』だ!!」

 俺は叫んだ。壁の薄さも気にせずに。叫んでから、入力を始めた。

『ゆ_』カタ
「ほげゅっ!」

 早かった。一瞬だけ見えた。俺は鼻を押さえている。

 キーボードに触れた瞬間、何かが飛来してきた。それはわかった。鼻が痛い。触れると跡がついているのがわかる。なんだかこの感触に覚えがある気がする。目に涙。それでもしかし、捉えた。

 クイーンのチェス駒が、浮いたり落ちたりしている。
 キーボードの上で。
 タイプしている。

 文字の順番は――、
 アイ、ワイ、エー、エヌ、スペース、エンター。
 表示された文字。



『(*ノωノ)イヤン』



 そして、パソコンの電源が落ちる。

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