ラスト・メッセージ
バーの中央に設置されたステージでは、クナハ人の女が身体をくねらせポールダンスを披露していた。それを目で追いかけているのは、まばらな客たちだ。赤、青、白のライトが、彼女の身体を舐めるように照らしている。
棒に身体を絡ませ扇情的な視線を一人ひとりに向けてくれはするが、さて、どうだろうか。一般的に、自分より目の数が多い女を好む男は少ないだろう。何しろ、俺もその一人だからだ。足は何本あっても構わないが、目だけはいけない。女の目の数は多くても三つまで。それが俺のルールだ。そう言った意味では、ポールダンスの女は、俺の好みの範疇から外れている。
カウンターの上から、青白い光を放つテレビがぶら下がっているのに気付いて、俺はそれが見えるようにカウンターのスツールに腰掛けた。
レトロな平面型テレビの画面上では、アース人の男が金色の楽器を吹いていた。あれはおそらくトランペットというものだろう。大昔の楽器だ。俺は父親が言っていた言葉を思い出しつつ、画面の端を見る。
時刻は、21時45分だった。
「やあ、これは珍しい」
時間を確認していると、バーテンダーが近寄ってきた。彼はエティニ人なのだろう──太った身体を揺らせて、狭いバーカウンターの中を難儀そうに移動してくる。腹の肉はダボつき、緑の二本足は太すぎてゆっくりとしか動かせていない。
彼が、口の両端をクイッと持ち上げてみせるのを見て、俺はようやく相手が微笑みかけてきたのだ、と理解した。俺たちアース人からすると、エティニ人はどいつもこいつも同じに見え、ましてや個人を見分けるのは至難の業だ。表情を読み取ることすら難しい。
「アース人の方が、この星に来ることは珍しいのですよ」
「へえ、そうかい」
相手の言葉に気のない相槌をうち、俺はギムレットを一つ注文する。
「この店はアース風のスタイルのようだが?」
「ええ。前のオーナーの趣味でね。でも、この星にはアース人はもうほとんど居ませんよ。リチウム鉱山以外には、何も残っていませんから」
バーテンダーはシェーカーを用意し、三本目の手を伸ばして背後からカクテルグラスを取った。「──あなたは、お若いようだし、鉱山で働くような人には見えませんけどね」
「じゃあ、何に見えるってんだい?」
「いや、詮索はよしておきますよ」
ハタハタと三つの手を振って、バーテンダーはにこやかに言う。さすが俺より一本腕が多いとあって、酒をつくるのも早い。すぐにギムレットが俺の目の前に置かれた。
俺は無言で、ナーク・コインをカウンターに一枚置いた。そしてカクテルを一口飲む。
「リチウムが採れていたころは、この界隈も、もっと賑わっていたんですがね」
昔を懐かしむように、エティニ人は真ん中の目を細め、フロアを見つめた。まるでそこが大勢の客で賑わっているかのように。
「リチウムが枯渇してからは、働き手もアースの企業もどんどんこの星を去っていって、今ではこの有様です。……あれから20年、炭鉱はまだ細々と続いてはいますが、かつての様子は見る影もありませんよ」
「あんたは、ここの出身のようだな?」
「ええ」
うなづくバーテンダーは、それなりの年齢に見えた。個人の見分けがつかなくても、年を重ねているかどうかはさすがに分かる。彼は初老の域に達していた。アース人で言えば、60代前半ぐらい──俺の父親の年代である。
思っていた通りだ。俺は本題を切り出すことにした。
「なあ、この店は昔、人足の派遣所だったって聞いたんだが、本当かい?」
「ええ。そうですよ」
自分用のジン・トニックか何かに口を付けながら、バーテンダーは軽い口調で答えた。
「この界隈で一番大きな口利き所でした。昔は仕事を紹介するついでに酒を出していたんですが、いつしか逆になってしまって」
「──実は、人を探しているんだ」
構わず、俺は自分の話を続けた。
「ザインの宇宙ステーションで、運び屋をやっていた男なんだが」
「ザイン、ですか」
バーテンダーは小首をかしげた。「それは随分と遠い」
「いやあ、遠くはないだろう。たったの10光年だ」
俺は両腕をカウンターの上に置き、彼に顔を近づけた。耳から入ってくる音楽が変わっていた。上品なジャズからストレートなロックンロールへと。
「ワープ航法を使えば、1週間で来れる距離だ」
「使えば、でしょう? ワープ航法なんて、庶民にはとても手が届きませんよ」
天をあおぐような素振りを見せ、太ったエティニ人は言う。
「ワームホールは、どれも星間企業の管轄だし、利用するには目の玉が飛び出るみたいなお金と、気が遠くなるほど膨大な申請書類が必要だっていうじゃないですか。短い時間で宇宙旅行が出来るのは、金持ちだけですよ」
「──それと、犯罪者な」
チラ、とバーテンダーは俺の顔を見た。
三つの目が、何かを察知したように、ひたと俺を見据える。間。
「あなたは賞金稼ぎの方、ですか?」
「詮索はしないんじゃなかったのか」
数年の客商売で培った目は伊達ではないのだろう。それとも目の多さが成せる技か。
ほぼ正確に自分の生業を当てられたものの、俺はギムレットを舐めただけで、そのことについて語るつもりは毛頭なかった。
「その……、探している方は何人ですか?」
俺が黙っていたからだろうか。バーテンダーは、おずおずと質問をしてきた。
答えようとすると、他の客がカウンターにやってきてテーブルをコツコツ叩いた。同じのをもう一杯くれ、と言うのが聴こえる。俺を凝視していたバーテンダーは我に返ったようだった。失礼、と言い残し、向こうへと移動していく。グラスを手に取り、その客のためにバーボンのロックを用意してやり始めた。
俺は彼の様子を見つめながら、またテレビの時計に目をやる。
21時50分。悪くない。
「そいつの人種は分かってないんだ」
戻ってきたバーテンダーに、俺はさっそく言ってやった。「ランア人か、エティニ人のどちらかだと思うんだが」
「他に手掛かりは?」
「タート・メニコ。そいつが運び屋をやってた頃の名前さ」
「よくある名前、ですね。特にエティニ人には」
「そうらしいな」
「──リョウ・ミムロ」
「え?」
「運び屋をやってたときの相棒の名前さ」
アース人だよ、と。笑みを浮かべながら俺は言う。
店に流れている唄の中で、ヴォーカリストがメインフレーズを連呼した。アイル・ショウ・ユー・サムシング、アイル・ショウ・ユー・サムシング。──見せたいものがある、と。
口端をほころばせ、俺は説明を続けた。
「タートとリョウは二人で組んで、ザイン界隈で運び屋をやってたのさ。違法なワープ航法も可能な、改造を施した小型宇宙船でな。30年ほど前の話だ」
そう言い終えてから、ギムレットの最後の一口を飲み乾し、俺はグラスをカウンターに置いた。
音はさせなかった。空になったそれをバーテンダーがするりと取り、カウンターの中へと引き上げていく。その仕草もまるで音がしなかった。彼の三つの瞳は、じっと俺の顔を見つめていた。
「だが、リョウはその宇宙船とともに宇宙の藻屑になった」
彼は、次の注文を聞かない。
「モドゥ星系へ行く航路で、ザイン条約機構の多星籍軍隊に待ち伏せされて撃墜されたんだ。タートが裏切ったんだよ。彼は、その仕事の時だけザインに残ったんだ。だからタートは死ななかった。そして故郷に帰った。──つまり、この星さ」
「タートがエティニ人だとしたら、探すのは難しそうですね」
バーテンダーが口を挟んだ。
「この星には、大量のエティニ人の移民がいますから」
「カミカゼを」
──ガシャン、と。突然、バーテンダーは手にしていたグラスを落としてしまった。床に落ちたガラスは、あっけなく砕けて飛散した。俺はその様子を眺め、そして相手の顔へと視線を戻す。
緑色の顔が、心なしか青みを増しているようだった。
「どうしたんだ? 俺は次の酒をオーダーしただけだぞ」
「は、はい。申し訳有りません。手が滑ってしまって」
ゆっくりと身体を動かし、彼は左手で小さなホウキを取ると、割れたガラスをさっと掃いた。手を動かしながら、カミカゼですよね、かしこまりました。と俺のオーダーを復唱してみせた。
俺は何も言わなかった。
ほどなくして、俺の前に置かれたカクテルは、微かに白く濁っていた。
カミカゼ。神の風という意味だ。その口あたりの切れ味の良さから、大昔の戦争でニホンという国が持っていた空軍の俗称を付けられた代物である。
俺は広口のロックグラスを揺らしながら、それに口を付け、そしてまた時間を確認した。
21時55分。俺の計算に狂いがなければ、もうすぐだ。
「カミカゼっていうのが、大昔のアースの軍隊の名前だってことは知ってるだろ」
俺はグラスを置き、フロアで踊っている女ダンサーの方を眺めながら、バーテンダーに話を振る。
「でも、本当は、他に元になったエピソードがあるんだ」
「そうなんですか?」
初耳だと言わんばかりに、彼は相槌を打つ。
いいや、大した話じゃないんだがな、と。俺はそう前置いて続けた。
「大昔のアースにニホンっていう島国があったんだ。その国が海を挟んだ隣りの国に侵略を受けそうになった。その国はニホンより数倍の兵力を持つ国だ。あわや侵略を許してしまうのかと絶望していた島民を救ったのが、暴風雨だよ。海を嵐が吹き荒れ、敵の軍隊を押し流したのさ。──それが、カミカゼさ」
「空軍とは関係が無いのですか」
「まあな。空軍は、その敵国の軍隊を押し流した暴風雨にあやかって名前をつけたんだ。偶然の自然災害を神格化したのさ。思いがけない幸運──僥倖に過ぎないのにな」
へえ、と感心したようにバーテンダーがうなづいた。
「あなたはお若いのに、随分と博識でいらっしゃいますね」
「アース人の年齢は分かりにくいだろうが、こう見えても34年生きてる」
「本当ですか? とてもそうは見えませんよ」
「だろうな」
その時、俺が浮かべた笑みは、どんなものだったのだろうか。鏡があれば見てみたいものだ。
「……実はな、言ってなかったが」
そろそろいい頃合だろう。そう思い、俺はまた別の話題を切り出した。
「俺の依頼人から、この店へ直接連絡が入ることになってるんだ」
「えっ?」
エティニ人のバーテンダーは、怪訝な顔をしたようだった。俺は親指でテレビのモニターを指してみせる。
「──もうすぐ22時になる。外から通信が入ったとき、この店では何で受けるんだ?」
「そのテレビです」
彼も同じものを見上げながら言う。「見てのとおり古いタイプなので、ホログラフや投影は無理ですが、モーション・ビジョンまでなら何とか表示することができます」
「そうか」
俺はカミカゼのグラスを置いた。そうか、それはいい。もう一度同じことを言う。
「今日は、もう店じまいした方がいいんじゃないのか? 客も、あの踊ってるネェちゃんも帰らせた方がいい」
「? 何をおっしゃってるんです?」
「──人払いをしろと言ってるんだ。その方があんたの為だ」
「!」
怯んだように、エティニ人は俺を見た。俺が分かりやすく言い直してやったのが功を奏したらしい。
彼は顔を伏せ、もう一度俺の顔を見た。そして無言のまま、のろのろと太った身体を揺らせて、カウンターから出ようとする。
「──そこから出るな」
低く、だが鋭い声で、俺は言った。
バーテンダーは、ハッと動きを止める。
「カウンターから出ずに、連中を店から追い出せ」
「──ミナ、ミナ!」
間髪入れず、バーテンダーは踊っているクナハ人の女に向かって声を上げた。
「今日はもう店じまいだ。帰ってくれないか」
急に声をかけられ、女が何か不満の声を上げた。だがバーテンダーはそれを無視して、カウンター内の機器を操作し音楽を切ってしまった。
ロックがぷつんと途切れ、唐突に店内を静寂が襲った。それで初めて異変に気付いたように、客の何人かが困惑したようにこちらを振り向く。
「……他のお客さんも、すいませんが今日はもう店を閉めますので」
そう言われると、客たちは顔を見合わせた。何かを言おうとした者もいたが、俺が視線を向けると続く言葉を飲み込んだようだった。
残っていた酒を一気に飲み、つまらなさそうな顔をしてぞろぞろと店を出て行く。
そうだ。それでいいんだ。
最後の客が、扉の向こうに消えていくのを待って、俺は懐から取り出したものをゴトリとカウンターに置いた。
銀色に光る拳銃だった。
バーテンダーが、それに視線を落とし、俺の顔に目を戻すまでじっくり待つ。
「──スミス&ウェッソンM19。リボルバーだよ。このご時世に、弾を発射するタイプの銃を見ることなんて珍しいだろう? アナログでレトロだが、こいつはなかなかいいんだ。肝心なときにジャムることもないし、エネルギーパックが足りなくなったりすることもないからな」
「わ、私はタート・メニコでは、ありません」
「金はどこだ」
俺は彼の言葉を無視した。
「リョウと二人で稼いだ金だよ」
「知りません。本当です、私はタートではありま──」
「──その拳銃に弾がいくつ入ってるか知ってるか?」
手を挙げて、彼の言葉を遮った。「6発だ。最後の1発以外に弾が5発もあるってことだ。あんたの手足は全部で5本。ちょうど数が釣り合うな」
ぐっ、とエティニ人は言葉に詰まったようだった。
音楽の消えた店内は、静寂をもって、俺たちを包み込んでいる。俺は彼の言葉を待った。
この星に着いたのは一週間前のことだ。もう調べはついている。彼が、俺の探している当人なのだ。
彼がどんな言葉を紡ぎ出すのか。それをじっと待つ。
本当に何も言わないのなら、拳銃の弾を使わねばならないだろう。俺は星々を渡り歩き、この稼業を20年近く続けてきた。待つことも、相手に強制的に口を割らせることにも慣れている。
時刻は、もう21時57分だ。
「いつから、私がタートだと?」
やがて、諦めたような口調で彼が口を開いた。
「3日前からさ」
短く答えると、相手は観念したように、息を吐いた。長く、長く。
「そうですか。なら既に調査もなさったのでしょう? 金はもう底をつきました。私がこんな場末のバーで働いていることが何よりの証拠です」
エティニ人のタートは、30年前のことを思い出すかのように天を見上げた。そこにはむき出しの電線のぶら下がる天井しかないというのに。彼はそれでも俺を見ずに、ただ──天井を見上げていた。
「私は自分の故郷が……この星が廃れていくのに耐えられなかったのです。充分な資金があれば、まとまった資源開発ができます。金さえあれば、新たな鉱脈を掘り当てられる──そう、思ったのに。無理でした。リチウムは本当に枯渇してしまったのです」
フフ、とタートは自嘲的な笑いを漏らす。
「相棒を見捨ててまで得た金だというのにね」
「本当に、残っていないのか」
「──あなたの依頼人は金と私の命と、両方をお望みなのですか?」
ふと、彼は俺に視線を戻した。
「彼はあんたの命をとくに欲しがってるよ。もうすぐにメッセージが届くだろう」
本人の口からも同じことを聞けるだろうさ──。俺は投げやりに、そう付け加える。
「だが金の方は違う。俺には、あんたが持ち去った金を受け取る権利がある」
「えっ?」
タートは眉を寄せて、俺を見据える。
「それはどういう──」
「時間だ」
ピピピピ……という、間抜けな電子音が俺の言葉のあとを引き継いだ。
時計が22時ちょうどを示すのと同時だった。
外から通信が入ったのだ。タートは俺の顔を見たまま、そっとパネルに手を伸ばし、通信をオンに切り替えた。
レトロな平面テレビに、交換手のユン人の女が姿を現す。毛むくじゃらの手で手話を披露しながら同時に言った。
「星外より、タート・メニコ様宛てに、モーション・ビジョンのメッセージが届いております。宛名のアドレスはここですが、店名が違うようです。いかがいたしますか?」
「構わない。聞くよ」
バーテンダーが頷くのを見ると、女は先を続けた。
「了解いたしました。開封するにはパスワードが必要です。今から申し上げるキークエスチョンの答えがパスワードとなっておりますので、それをお答えください」
女は一度、手元のパネルに視線を落とした。
「リョウとタートが乗っていた宇宙船の名前です」
三つの目を見開いて。タートは画面を見、そしてこちらを振り向いた。俺は無言でうなづきながら、ゆっくりと右手を銃の上に置いてみせた。
それを見て、太ったエティニ人は唇を舐める。
目を閉じ、小さな声で言う。
──カミカゼ、と。
パスワードを認証いたしました。簡潔にそう言い残した交換手の姿が消え。画面にはまた別の男が姿を現した。
アース人だ。年齢は30代後半。画像は荒く、ノイズが入っている上に暗かったが、それでも分かる。彼がいるのは宇宙船の中だ。背後に光を放ついくつかのパネルが見えており、その仄かな光が男の姿を浮かび上がらせていた。
そして──彼の側頭部から流れ落ちる、真っ赤な血も。
『タート……!』
くくくく、と小さな声が聞こえた。笑っている。男は顔から血を流しながら、それでも笑っているのだ。
『驚いたか?』
当のタートは凍りついたように画面を見つめていた。
『驚いてるお前の代わりに、俺がセリフを言ってやるよ。“リョウ、生きてたのか?”……そうよ、俺はまだ生きてる。あと数分で、このカミカゼもろともスペースデブリになって、宇宙を彷徨うことになるんだがな。だが、今。俺はまだ生きてる』
まさか、とタートが漏らした。
「──その通りさ」
画面を見つめる彼に、俺が言ってやった。
「リョウは、死ぬ直前にあんた宛にメッセージを送ったのさ。検閲で止められないようにワープさせずに亜光速でな。この映像はザイン──モドゥ星系への航路から外れたばかりのカミカゼ号から送られた。ここから約30光年の場所からだよ」
「30年前の」
呆けたように、復唱するタート。
画面の中の男はリョウだった。タートがコンビを組んでいた男。
リョウは、30年前の世界で、今、死にかけており、これから命を落とすという未来を迎えようとしているのだ。彼の生々しい映像は、放たれてから光の速さとほぼ同じスピードで宇宙を駆けた。そして30年をかけてようやくこのバーに届いたのだ。
──彼の相棒だった、タート・メニコの元へ。
『お前にとっちゃあ、懐かしい映像になっちまうのかもしれねえな。俺の方は、あれからたった二週間しか経ってねえが』
画面の中のリョウの姿が揺れている。宇宙船自体が振動しているのだろう。
『船の操縦しか能の無いテメエを拾ってやったっていうのに。よもやこんな仕打ちで返されるとはな。タート』
死にゆく男は、耳障りな声で笑った。
『今ごろ、故郷でよろしくやってんのか、タート。女は出来たか、タート? お袋さんはまだ生きてんのか、タート? 出稼ぎに行ったままの親父さんとは再会できたのか、タート? クク、俺に随分いろんなことを話してくれただろ、俺はちゃあんと全部覚えてるぞ、タート。そして、俺はお前が俺にしてくれたことも全部忘れねえ』
ギラ、と男は目を剥くように、こちらを睨んだ。
『──お前の、この裏切りをな』
「リョウ」
一方通行のメッセージだというのに。タートは30年前の相棒に声を掛けた。そっと。囁くように。
もし、彼の声が電子となって放たれたのなら。あの暗い宇宙の闇にタートの声は届くのだろうか。俺の脳裏で、デブリと化した宇宙船のモニターに光が灯った。これからさらに30年後。タートも、俺も、生きていないであろう未来に。
『全部、ぶち壊してやる』
恨みの言葉が、静かにモニターから零れ落ちた。
『お前が俺の命と引き換えに得た30年を、根こそぎ奪ってやる』
私はもう──。何かを言いかけてタートはカウンターに全ての腕を置く。
『見ろ、タート』
リョウが、そう言うと画面がパッと切り替わった。船外カメラの、宇宙空間を写したものだ。
その画面の左端から、円錐形の乗り物が現れ、右端へと消えていく。
ああ、俺は嘆息する。
あれは、脱出ポッドだ。一人しか乗れないタイプの非常用脱出艇。
『見たか。今のポッドには俺の息子を乗せた。お前のいる場所、このメッセージが届く日時、すべてのお前に関するデータを手渡してある。明日か、明後日か? もうすぐそこに来てるはずだぜ、俺の息子、ハヤトがな』
──あっ! とタートは声を上げた。
こちらを振り向く。
俺の手にはすでに拳銃があり、その銃口は真っ直ぐに彼に向けられていた。
『地獄に落ちろ!!』
モニターの男が叫ぶ。その呪詛を最後に、彼の姿はノイズに飲み込まれていった。悲鳴とも哄笑ともつかぬ声とともに。俺はタートに銃口を向けながら、そのモニターをぼんやりと見つめていた。
やがて全てがデザートストームとなり、ぷつん、と映像が途切れた。
「言ったろ? 見た目よりずっと年を経てるって」
タートは汗のようなものを顔から流しながら、俺から後ずさろうとした。
「──じゃあ、カミカゼ号に」
「乗ってたよ」
視線を戻し、短く俺は答える。
「あの時、俺は12才だった。親父は少しでも早く、俺に操船技術を叩き込みたかったんだろう。あの時だけ、あんたの代わりにガキだった俺を乗せた。だが、カミカゼに乗ったのはあれが最初で最後になったわけだ」
彼は無言で俺の顔を見ていた。それこそ穴の開くほど。
きっとタートは全てを理解したのだろう。俺が実年齢よりずっと若く見えるその理由を。
脱出ポッドで船外に逃れた俺は、数年後に別の運び屋に拾われて一命をとりとめた。そこからずっと裏稼業を続け、何度もワープ航法を重ねてこの星に近づいたのだ。
時空の歪みに身を任せ、光の速さから解き放たれた俺は、他の人間とは異なった時空を過ごしてしまった。普通の人間が普通に得られる様々なものと引き換えに、俺はこの場所に辿り着いたのだ。
「タート・メニコ」
俺の声が、静かな店内に響く。「最後に、あんたに二つ質問がある」
「質問?」
「なぜ、親父を裏切った」
そう問うと、タートは何か達観したような、諦めたような目をしてみせた。俺が正面から見返してやると、彼は覚悟を決めたようにゆっくりと語りだした。
「……金が目的ではありませんでした。彼が一つだけ許せないことをしたのです」
「許せないこと?」
「子どもを殺したのです」
彼の言葉は、低く、沈んでいた。「ラスカ人の子どもでした。彼は、取引の現場を見られたという、ただそれだけの理由で、罪の無い子どもを一人殺したのです。私はどうしてもそれが許せなかった」
「命の重さは皆同じか?」
俺には理解できなかった。そんな単純な理由で、長年の相棒を裏切ったのか。
エティニ人は、ただ力なく首を振るだけだった。親父が殺した子ども、タートが殺した俺の親父、そしてタートを俺が殺せば、イーブンだとでも思っているのだろうか。
この男は、そんな古い価値観で生きているのか。
「二つ目の質問だ」
俺は話題を切り替えた。
「金はどうなった? 親父とあんたが集めた金だよ。資産としても残ってないのか?」
「鉱山が一つだけ残っています。名義は一応私のままですが……」
動くこともできず、タートは小さな声で答えた。
ただ、彼はもう震えてはいなかった。
「そりゃあいい」
その返答を聞いて、俺は満足した。するりと滑り落ちるように、スツールから降り立つ。
会話は終わりだ。
「あんたが死んだら、死体はその鉱山に埋めてやるよ」
俺は銃を撃った。
6発の弾丸を、全て撃ち尽くした。
悲鳴が上がり、彼の背後の棚にあった酒瓶が割れ、床に落ちていく。ウオッカと、ホワイト・キュラソーと、ライム・ジュース──。
タート・メニコは緑の腕で顔を覆うようにして屈みこんでいた。エティニ人といえど急所は脳である。そこを撃ち抜けばひとたまりも無い。
ただし、撃ち抜けば、の話だ。
俺はまだ熱い銃を懐のホルスターに戻した。鼻を鳴らすように一息つくと、当のタートが驚いたように顔を上げてみせた。
彼は──無傷だった。
「ど、どう、して……?」
俺はもう一度、鼻を鳴らした。つまらなさそうに。
「仏心が出たわけじゃない。気持ちが萎えた」
「萎えた……って」
「俺は期待してたんだ。この30年。親父を裏切って大金を手にしたあんたが、どんな極悪非道の大悪人になってるか。そして俺を送り出したあと、親父があんたに一体どんなメッセージを送ったのか」
期待外れだったよ。俺の声は、我ながら心底残念そうだった。
「全て錆びついてやがったよ。あんたも親父も」
シン、と静まり返る店内に、俺が割った瓶から酒が流れ出る音が微かに聞こえていた。
「この星に来るまでに何度もワープ航法を繰り返した。その費用を稼ぐために俺は賞金稼ぎにもなった。何度も死ぬ思いを味わった」
冷たい声で俺は独白する。
「しかも……知ってるだろう? ワームホールを何度も通れば、身体のどこかに異常が出る。正常に年をとらなくなるし、悪性腫瘍を高確率で発症する。俺は、時の流れから外されてしまった人間だ。いつ死ぬとも分からん」
なのに──。
俺は光の消えたモニターを見上げた。
「自分の命を削ってまでして得たメッセージは、すっかり錆びついてた。あんな陳腐な恨み言で、俺は動かん」
腹の底から何か形容のしようのないものが渦巻いてきて、咽喉にこみあげてくるようだった。俺は眉を寄せた。
たぶん、あのメッセージが原因だ。あれがアルコールのように俺の血液に浸透して、酒酔いのような感覚をもたらしたのだ。それもひどい安酒の、腹がひっくり返るような悪酔いを。
「しかも、ガキの頃は分からなかったが、今になってようやく気付いた。親父がメッセージを俺に持たせずに、わざわざ自分で発信したのは──。それは、30年後に俺がこの場所にたどり着けるかどうか確証を持てなかったからだ」
なぜ俺はカクテルを二杯しか飲まなかったのだろう。
「つまり、奴は息子の俺を信用してなかったんだ」
「ハヤト」
「そして、あんたは、ただのショボくれたバーテンダーだ。銃を向けた俺から逃げようともしない。あんたの足も錆びついてるんだろうよ。ちゃんと二本残ってるっていうのにな」
あばよ、お別れだ。
俺は手を挙げて、タートに背を向けた。
もうここにいる意味もない。今までの俺は宇宙を飛び回り、止まらずに、錆びないように生きてきた。これからだってそうだ。光の速さから解放されたように、俺は親父からもこの男からも解放されるのだ。
そう思った時、ふとした思いつきが口を吐いて出た。
「──山はもらうぞ」
「えっ?」
俺の言葉に、タートが意外そうに声を上げた。
「掘っても、何も出てこなかった鉱山ですよ」
気まぐれな思いつきが、自分でも奇妙になるほど気に入った。
俺は振り返らなかった。もう一度、タートの顔を見なかったのは、その時口端に浮かべていた笑みを見られたくなかっただけかもしれない。彼の存在を過去のものにしたかったのかもしれない。分からない。
何も出なかった山。夢の残骸。
すでに俺の心はそこへ飛んでいた。車で行くなら何日かかるだろう。いや、それよりも巡回バスを使えば楽に行けるし、のんびりと途中の街を楽しむこともできる。今度はワームホールを通る必要もない。時間も気にせず、ただゆっくりと、他人の運転する車に揺られて目的地へ向かうのだ。それはきっと今まで経験したことのないものに違いない。
バーの重いドアに手を掛けた時には、二杯のカクテルの味は、もう舌には残っていなかった。
脱出ポッドではなく自分の二本の足で。俺はそこを後にした。
(了)